第七章 11
「星炭闇斎と申す。何やらよからぬ企みを企てている御老体がいると聞きましての。興味があって、何をしているか見物しに参った」
錫杖を構え、不敵な笑みをたたえてのたまう闇斎。
「ほっほっ、御高名な星炭の術師が注目してくださるとは、光栄なことじゃて。我が名は雫野右衛門作。雫野流妖術の二人目の使い手じゃよ」
妖術流派には、星炭のように一族の一人の継承者に一子相伝する制度を設けているものもあれば、見込みのある者を集めて伝授する徒弟制度を用いているものもある。右衛門作の今の発言からすれば、雫野流は後者なのであろう。
そして二人目ということは開祖である雫野累に直々に伝授された者ということになる。
「御老体とはいえ、相手にとって不足無し!」
叫ぶなり、闇斎が呪文を唱える。右衛門作もわずかに遅れて呪文を唱え始める。
呪文の完成と共に闇斎が錫杖を振るうと、錫杖の先より巨大な炎柱が次々にあがり、右衛門作らの方へと向かっていく。
星炭流は妖術としては珍しい形態である。大抵の妖術は、霊を使役するもの、精神を操るもの、幻術、妖怪の製造等である。高位妖術師となると空間操作も含まれる。
星炭流妖術はそれらとは異なり、化学反応を引き起こしたり物理現象を発生させたりする術を行使する。悪しき術師や妖の討伐が星炭流の役割であるが故に、そうした術が求められた。
連鎖的に無数に噴き上がる炎柱。己の足元から噴き出る直前でかわす右衛門作。
だがこれは避けられることも想定したうえでの術だ。
一直線に連鎖して噴き上がっていた炎柱が、突如弧を描いて噴き上がる。回避した自分を大回りにして取り囲むようにして伸びていく炎柱を見て、右衛門作はこの先どうなるのかも理解した。
「ほっほっ、遅すぎるよ」
呪文が完成した直後、右衛門作は笑顔で呟いた。
炎柱が渦を描くうようにして右衛門作に襲いかかる。
「ふむ、最初から相手の攻撃をよける前提の術の呪文を、唱えておったとはのう」
己の術が破られたことを悟り、前方で噴き上がる何十本もの炎柱を見やりつつ、闇斎は渋面になって舌打ちした。
「星炭の術ともあれば、どのような攻撃がとんでくるか大体想定できたからのう」
術でもって空間のひずみへと逃れた右衛門作が、闇斎のすぐ真横に現れて告げる。
闇斎が反射的に右衛門作めがけて錫杖を振るう。
「ましてやここはワシが生み出した世界じゃ。通常空間での転移は無理じゃが、ここならばそう難しい話ではない」
その錫杖を片手で掴んで止め、闇斎の方を見て右衛門作はにやりと笑う。
「ふむ、ならばこれではどうかな」
闇斎が懐に手を入れる。この距離では呪文を唱える術の行使はできない。元々呪力を混めた触媒を行使しての術を用いるしかない。
二枚の呪符が闇斎の手より放たれ、右衛門作めがけて宙を舞う。避けるには困難な至近距離での攻撃であったが、右衛門作は笑みを張り付かせたまま、自ら呪符へと手を伸ばす。
呪符が右衛門作の手に貼りついた――かに見えた。右衛門作の掌が膨らみ、楕円状の肉の塊が現れて、二枚の呪符はその肉の塊に貼りついていた。
直後、呪符が白く輝き、右衛門作の掌より現れた肉塊が凍りつき、地面へと落ちた。
右衛門作の手は何ともない。すでに肉塊とは切り離されている。よく見ると凍りついた肉塊には顔が浮かび上がっていた。それも泣き顔の赤子の顔だ。
「体内に赤子を取り込んでおるのか? 何とまあ、趣味の悪い術にござるな」
「ほっほっほっほっ、雫野の術は皆、斯様におぞましきものばかりですぞ」
得意げに笑う右衛門作。正確には赤子の霊を取り込み、術によって体の一部の細胞分裂を加速させて赤子を実体化させ、盾として利用したのだが、その術理までは闇斎にはわからなかった。
「星炭の術は派手じゃが、単純すぎて深みが無いのが残念じゃのう。どれ、次はこちらから行きますかな」
そう言うと右衛門作は、至近距離で堂々と呪文を唱え始めんと口を動かす。
闇斎は錫杖を横薙ぎにしてこれを妨げようとしたが、上体を沈めてあっさりとかわす。反応速度からして、術だけではなく武も相当長けているのが一目でわかった。
草露香四郎から、雫野累も剣術に長けていたと聞かされていたことを思い出す。多くの妖術師は、術という異能力を鍛えることに己の時間を費やしているがため、武に関してはからっきしであるが、例外もいる。戦うことそのものを前提として存続している星炭流がまさにそれだ。おそらくは雫野の流派も、武術も重んじる方針なのだろう。
「人喰い蛍」
たった一言の呪文で、あっさりと術を完成させる右衛門作。
右衛門作の周囲に無数の光の粒が現れた。上に、下に、横に、後ろに、前に、小さな光が浮かんでいる。光は三日月の形をしており、三日月が上から下へ、下から上へと、消えたり現れたりするようにゆっくりと点滅していた。
「へー、こりゃすごい」
黒衣の娘が感嘆の声を漏らす。
一方で闇斎は戦慄していた。すぐ間近で、空間を埋め尽くさんばかりに浮かびあがる夥しい数の光の点滅。あれらが一斉に襲い掛かってきたとして、凌ぎきれるとはとても思えない。身に触れたらどうなるかはわからないが、攻撃の術なのであろうから、ろくな目にあわないのはわかりきっている。
光が一斉に動きだし、上下左右より闇斎に襲いかかる。直線状に向かってくるものもあれば、弧を描いて向かってくるものもある。
「うおおおおっ!」
引きつった顔で叫び、闇斎は後方に何度も跳びながら錫杖を前方で激しく回転させる。錫杖にはじかれた光は消えていた。光の攻撃速度は目で追えぬほどではないが、いかんせん数が多すぎる。錫杖の間を抜けた幾つかの光が闇斎の体に直撃し、その度に闇斎は顔をしかめる。
後方だけでなく横にも跳んで回避を試みるが、光はしつこく追撃してくる。前方からくるだけではなく、横や後ろに回ろうと動いているのが厄介だ。二方向程度ならまだしも、三方向から挟み撃ちされたらとてもかわしきれない。
やがて光が消え、闇斎は錫杖を構えたまま右衛門作を見据え、全身血まみれになりながら荒い息をついていた。
「この術を用いて生き延びる者がいようとは。ほっほっほっ、御見事。どうやらその袈裟と錫杖も魔具のようじゃの。そうでなければ、体中穴だらけじゃろうて」
「失礼な。神器か秘具と呼んでほしいもんじゃ」
右衛門作の指摘通り、闇斎の身につけているものは敵の術の威力を抑えるために、霊力を込めた代物であったが、主に霊的攻撃や呪術への防御のためのものであり、今のような物理的な攻撃には効果が薄い。
威力は大分殺されているが、光は幾つも袈裟を突き抜けて闇斎の体のあちこちを貫いている。内蔵こそ傷ついてはいないようだが、決して軽症とは言えない。
(伝衛悶もおるし、もう一人強力な術師もおる。口惜しいが退くしかないか)
これ以上は分が悪いと察して、闇斎は撤退することに決め、亜空間の出入口へと向かった。捕らえられたバテレン達は、残念だが見捨てるしかない。
右衛門作も黒衣の娘も、それを追おうとはしなかった。余裕の成せる業か、それとも他に事情か、もしくは目論見があるのか。
「ワシを討ちたくば、我が師雫野累を連れて来るがよいぞ。ワシに勝てる見込みがある者など、あれくらいじゃ」
逃げ出す闇斎の背に、右衛門作が笑いながら告げた。その名を耳にし、草露香四郎からの報告を思い出す闇斎。
「もっとも我が師が、ワシの邪魔をするとも思えぬがな」
付け加えた右衛門作の言葉に、闇斎は何故か違和感を覚えた。
邪魔をしそうもないが、己に勝てそうな相手の名を出すことに、如何なる意味があるのか。己に勝る力を持つが己を討ちに来るはずがないとわかったうえでの皮肉なのか。それとも――
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