第七章 10

 星炭闇斎のこれまでの人生は、常人の与り知らぬ世界と共にあった。

 生まれたその時に妖術師となることを運命づけられ、修行を積み、継承者と認められた。超常の領域から出た普通の人生を己が生きるなど、考えたことも無い。

 妖術という超常の領域をかじった者の中には、その卓越した力に魅せられたあげく、人としての道を踏み外す者が後を絶たない。何代も続く妖術流派の名家からも、そうした者はでる。後継者争いに敗れた末に、妖術を用いて悪行を働く者も多い。闇斎はそうした者達と幾度も戦い、成敗してきた。闇斎の先代も先々代もそうしてきた。


 妖術師とは探求者でおり求道者である。超常の領域へと踏み込み、術という体系にまとめあげて、任意の力を引き出す。生まれついて超常の能力を持たなくても、修行さえ積めば誰しもが行使できうるための技法にして学問。

 それらは人の世に貢献すべく用いられなくてはならないと、闇斎は先代より何度も何度も繰り返し言われてきた。先代に言われるまでもなく、闇斎もそう信じている。

 その力はおおっぴらに世に出せるものではなく、秘匿せねばならないものだ。人智を超えた力の存在や、それによって造られた妖の存在が明らかにされれば、人の世に混乱を招く。また、私欲のために力を欲する者が、今以上に増大するであろう。


 人前では飄々としている闇斎だが、正義感や義務感は人一倍強い。人の世に災いをもたらす術師を野放しにすることは許せないし許さない。ましてや国壊しを目論む者など言語道断である。


 街中で山田右衛門作の姿を一目見ただけで、それが常人ならざる者であることを闇斎は看破した。


(これはまた大層な力を持つ妖術師であるな)


 遠目にもはっきりと感じられる、その身から放たれる強烈な妖気と霊気を見て、闇斎は目を細めて微笑をこぼす。強敵との戦いは望むところだ。


 右衛門作の後を尾行する闇斎。右衛門作は松平邸へと入っていく。


「ほー、よい屋敷に住んでおるの」


 闇斎が呪文を唱える。周囲の空気が歪み、闇斎の姿がその場より見えなくなる。光の屈折によって己の姿を隠す、星炭流妖術の中ではポピュラーな術の一つで、他流派からもよく知られている術だ。


 気配を最小限に殺し、屋敷の中へと入っていく。屋敷の中から、右衛門作だけではない強烈な妖気が渦巻いている。おそらくは屋敷の中のどこかに何匹もの伝衛悶がいるのであろうと、闇斎は察する。

 屋敷の中に入ってからの右衛門作の足取りはわからない。流石に邸内で視界に入るほど間近からの尾行は無理だ。相手が相手なだけに、気配を殺すにも限度がある。だが、非常に濃い妖気が漂う方向から、大体どこにいるかはわかる。そこに右衛門作か伝衛悶がいる。


(探りをいれに来たつもりであったが、それだけでは済まぬ気がするのう)

 不敵な笑みを零し、妖気が渦巻く方へと歩を進める。


 障子の一つの前で立ち止まる闇斎。その先から妖気が感じ取れる。


(よし、ここはお決まりのあれじゃな)


 にやにやと笑いながら指を濡らし、障子に穴を開け、中を覗き込む闇斎。

 中には誰もいなかった。幾つかの南蛮画が飾ってあるだけだ。


(否、これは外からのみ見える風景)


 闇斎は空間が歪んでいる気配を感じ取った。中は別空間になっていて、外側からはわからないようになっている。

 闇斎は思い切って障子を開け、室内へと踏み込んだ。瞬間、全身を異質な感覚が走り抜けるのを感じた。


 中は外から見た通りの部屋のままだ。だが闇斎は室内がそれだけではなくなっていることを見抜いている。室内には亜空間が形成されており、ここはあくまでその入り口にすぎない。

 外からは見えないように隠された空間の歪みを見つけだし、闇斎はその中へと進む。すると周囲の風景が激変する。赤い空と大地、夥しい数の十字架に磔にされた切支丹。地獄そのものの世界が現出した。


「精神世界か? いや……物質を伴って進入した所を見ると、精神と物質の狭間の世界と言った所かの」


 空間操作の術は高位妖術師にしかできぬ芸当であるが、ここまで広大かつ特殊な空間を形成する妖術師など、闇斎は未だかつて遭遇したことが無い。


「島原の乱で命を落とした一揆軍の魂が、全てこの空間に捕らわれておるのか。何ともおぞましい光景よの」


 目をこらすと少し離れた場所に幾人かの人影があった。一人は山田――いや、雫野右衛門作と呼んだ方がいいだろう。もう一人は頭から足元まで黒衣ですっぽりと身を包んだ人物だ。シルエットで女性とわかる。

 さらに緊縛された異人が数人。変装しているがバテレンであろう。シスターの言っていた、捕らわれた耶蘇会の者に違いない。


 右衛門作が十字架に向かって画板を掲げる。すると磔にされた三人の切支丹の霊魂が震えだし、たちまち全身黒い化け物へと変貌を遂げる。

 闇斎は手のひらを筒状に折り曲げて片目にあて、もう片方の目をとじる。呪文を唱え、親指と一指し指で作った円の中に薄い膜のようなものを作る。術で作った望遠レンズ。その照準の先は、右衛門作が手にしている画板だ。描かれているのは、たった今三人の切支丹が変化した化け物三匹だった。

 いかなる仕組みかわからないが、絵に化け物を描くことによって、捕らわれた怨霊を核として伝衛悶を作り出すことができるらしい。


「一度に三匹作れるようになったんだー。やるねー」


 黒衣に身を包んだ女性が、弾んだ声で右衛門作を称賛した。シスターよりもさらに流暢な日本語ではあるが、若干だが訛りがある。その女性の顔は見えなかったが、紅毛人に違いない。おそらくはシスターが敵視する魔女とやらであろう。


(あの女の方が右衛門作よりできるのう)


 一目見ただけで闇斎はその力の程を見抜いた。ほとんど直感のようなものであるが、見誤ってはいないと思う。


(片方ならまだしも、二人相手は……やはり無理かの)

 闇斎がそう思った直後、右衛門作がよろめく。


「ふー、やはり無理があるわい。出来なくもないが、こちらの力も余計に消耗する」

「あれま。量産できるかともおったのに、ざんねーん」

「ほっほっほっ、歳はとりたくないものよ。知識と経験と技術をいくら得ても、肝心の体力がもたぬのではな」

「だったら永遠の命を手に入れればいいじゃなーい。そんなに難しいことじゃないし」

「それだけはできぬ相談じゃな。ワシの美学に反する」


 にやりと笑い、右衛門作は三匹の伝衛悶の方へと向く。


「限られた時間だからこそ命の火とは輝くもの。お主も我が師もそれがわかっておらん。いや、わかっていてもなお死を恐れ、命に見苦しく執着しておるのか?」

「私の場合は、命そのものに執着しているわけじゃないけれどもねぇ。命はあくまで目的を遂げるための手段だからさあ。そのために永らえさせているだけだしー」

「ふん、限られた時間にかなわぬのなら、それはその者の限界じゃろうて」


 しかめっ面になって吐き捨てると、緊縛されているバテレン達を指す右衛門作。その指示に従うかのように、伝衛悶がゆっくりとバテレン達の方へと向かう。

 それが意味することを理解し、バテレン達の顔色が変わる。


「はっ、見捨てるわけにもいかんか」


 呪文を唱える闇斎。強力な術の行使にあたって、妖力の強い流れが発生するのを察知して、女と右衛門作が闇斎の方を向く。

 轟音と共に闇斎の錫杖より紫電がほとばしり、伝衛悶のうち二匹の体を直撃した。不意打ちをかけるなら、厄介そうな右衛門作か黒衣の女を先にするという選択もあったが、確実に敵の数を削る方がよいと判断した。


 紫電の直撃を受けた伝衛悶二匹が、ゆっくりと崩れ落ちる。


「こんな場所まで曲者が入りこんでおるとわ。まるで気づかなんだわい。やれやれ、本当に歳はとりたくないもんじゃな。ほっほっほっ」

「私も気づかなかったし、そこの人が単に気配を隠すのがうまいだけだよー」


 姿を現した闇斎の方に、右衛門作と女が顔を向ける。

 そこで闇斎は初めて女の顔を見た。真っ赤な瞳を持つ、まだ若く美しい娘であった。だが先程の会話を聞いた限りは、見た目通りの年齢ではないのであろう。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る