第七章 14
「オシッコ様とは何ぞ?」
闇斎がチヨに向かって微笑みかけながら尋ねる。
「えー、わかんない? お師匠だけれど子供だからお師っ子様」
「がはははは、なるほどのう」
ぱんと膝をはたき、豪快に笑う闇斎。
「その呼び方はやめるようにと言ったでしょう……しかも人前で。下がりなさい……」
「はーい。またねェ~、臭いおじさん」
憮然とした面持ちの累だが、チヨは全く気に留めた様子を見せず、更に余計なことを一言告げて退室した。今度は香四郎が吹いている。
「臭いですかのお……」
今の一言には多少気にかかったようで、笑みが凍りつく闇斎。旅から旅の生活で衣服が臭くなるのは仕方ないとはいえ、入浴も衣類の洗浄もそれなりに行ってはいたつもりであるが。
「申し訳ありません……。あれはまだ……その……この家に連れてきたばかりで……作法も何もなくて……」
赤面してうつむき加減になり、本当に申し訳無さそうに謝罪する累。
「こほん。話の続きですがな、その災禍を引き起こしている妖術師は貴方の弟子、雫野右衛門作でしての」
闇斎よりその名を聞いて、累の顔色が変わる。
「元弟子……ですよ。あれは……破門しました……」
無表情になろうと努める累であったが、不快感が沸き起こるのを抑えきれない。
一方で元凶が右衛門作であることを知り、話が全て見えた。島原の乱に参加し、一揆軍を裏切ったと聞き及んでいたが、その真意が今までわからなかった。それが国壊しに用いるための怨霊の大量確保だったと考えれば辻褄が合う。
「なるほど……。右衛門作は国壊しのために多くの贄を要した……のですね」
「その通り。魂魄を弄ぶのは雫野の術の真骨頂でしたが、妖を生み出すことに利用しているとなると、最大で三万以上の伝衛悶を作れることになりますなあ」
「そうなり……ます。時間はかかります……が」
理屈ではその通りだが、一度に大量の妖怪を作れるとも思えない。一匹の妖を作るだけでも、それなりに時間も労力も要するものだ。短時間での大量生産などが可能であれば、野心を持つ邪悪な妖術師は皆行っているはずだ。
おそらくそれらの怨霊は悪魔を作るだけのためではなく、別な目的に用いられているのであろうと累は考える。かつての弟子がどのように国壊しを行っているのか、大体想像できた。
「誇張抜きで国一つ滅ぼせますなあ」
闇斎が言う。果たして彼はその方法がわかっているのかと累は訝る。
「急がぬと三万七千の怨霊が全て、伝衛悶に作り変えられてしまいますのう。いや、昨今の飢饉の餓死者も取り込んでいるのであらば、その数は三万七千どころではない。それらが暴れてまた死者を出し、怨霊を取り込み……はははは、際限なく増殖か。げに恐ろしき話でござるよ」
その言葉を聞いて累は、闇斎が思ったほど頭が働かない人物であると見た。だが無理もない。星炭の術師は妖怪作りに関しては門外だ。
怨霊の使い道は他にある。全て伝衛悶に作り変えるなどという非効率的な作業は、何十人もの高位妖術師を用意してもなお、幾年もの歳月を要するであろう。右衛門作の狙いはそのようなことではない。
「その企てを……阻むのに……協力しろと?」
累の方から話の核心へと触れる。
「話が早くて助かりますな。この話は貴方だからこそ持ってきた。優れた術師であれば誰でもよいというわけではないですからの」
弟子を知る師だからこそという話なのかと累は思ったが、違った。
「実は昨日、雫野右衛門作と交戦しましてな。結果は無様に敗走することに相成りましたが、その際に当人より貴方の名を告げられたのでござるよ。自分に勝ちたければ貴方を連れて来いとる」
それを聞いて累は呆れた。
(あ奴はまだ私に……)
自分を名指ししたところで、累にはかつての弟子と戦う理由など無い。それは当人もわかっているだろう。話に興味はあったが、何より、破門した弟子の顔など見たくもない。
「星炭ともあろう方に頼まれては……無下に断るわけにもいかないでしょう……が、しばし考える時間を……頂きたい」
累は闇斎の依頼を引き受けることも断ることも躊躇していた。右衛門作が引き起こしている災禍は、歓迎すべきものだ。世が乱れれば乱れるほど、太平の世など気に入らない累は小気味よさを覚える。
しかしその一方で引っかかるものがあった。それらが右衛門作の仕業であるということだけではない。もっと別な理由で。
部屋に飾られた絵の一つが目に飛び込み、その別な理由が、嫌でも脳裏をよぎる。
「そう言ってくださるだけでも有り難いでござるよ」
闇斎がにっこりと笑う。
「随分と噂とは印象が違いますな。失礼ながら、もっと粗暴な方かと思っておりましたが、こうして見てみると、礼節を重んじる方のようで。物腰を見ても武家の出とお見受けしますが」
この邸宅からして武家屋敷であることを考えても、その線であっているだろうと闇斎は思う。
「いらぬ詮索をなさるのが……御趣味ですか?」
「ははっ、これは失礼した!」
「貴方が生まれるより昔……戦国の世にて、難破した異人の船の残骸の中でただ一人生き残っていた赤子、それが私です。お察しの通り……武家の者に拾われて育てられました。私が成人する前に国は滅ぼされ、家族を失い、路頭に迷っていた所を、野伏をしていた妖術師にまた拾われた次第であります。この姿も……私を救ってくれた方が望む年齢を維持したいが故に」
特に隠すことでもないので、己の素性を明かした累。
それを聞いて、今までずっと無言で、チヨの入室以外ではほとんど無反応だった香四郎が、累の話を聞いて目の色を変えた。それを見て累は不審に思う。憎悪の宿った眼差しを累に向けている。今の自分の言葉の何が気に障ったのだろうかと訝る。
「ふむ。南蛮画も故郷に惹かれて、ですかな?」
室内に飾ってある絵を見渡して闇斎が言った。確かにそれはある。自分が異国の者であると意識させられることは多かったので、異国の文化や知識には興味を抱き、それらを仕入れることは多かった。
「南蛮の絵はまるで生きているようですなあ。娘さんのお美しさがそのままに描かれておられる。そう言えば、右衛門作も南蛮絵師でありましたが」
ここに連れて来るまでの間に、彼らに綾音が娘であると名乗ったことが、今の闇斎の言葉でわかった。
「術の師は私ですが、南蛮画に関しては……右衛門作が私の師です。あの者の絵を見て、私の方から……師事いたしました。もっとも……私は右衛門作の絵柄とは微妙に……異なりますが。右衛門作は代わりに……妖術を伝授してくれと申して……きたのですが、正直気乗りしませんでした。特に才があったわけでもなく、歳も……取っていましたし」
「歳が関係あるのか?」
挑むような口調で香四郎。この反応には闇斎も不審の目を向ける。
「若い方が……物覚え……吸収がよいですし……。けれども右衛門作は並外れた努力家でしたから、何とか基礎は習得……しました」
気が進まなかった理由は単純にそれだけだった。
「右衛門作の居場所はどこ……です?」
累が問う。その言葉が何を意味するのかを察し、闇斎は迷う。二つの目的が考えられる。一つは弟子を討ちにいくこと。もう一つは最悪のケース、弟子と共闘して闇斎の敵に回ることだ。
「あ奴と共に謀ろうなどとは……思いませぬ。話を……しにいくだけです」
闇斎の危惧を見抜いて、累は安心させるように告げる。
「松平綱吉殿の屋敷ですな。場所は――」
しかしたとえ自分が話さなくても、その気になれば調べくらいつくだろうと思い、闇斎は正直に答えた。
「それではここいらでお暇しますかの。雫野殿、よい返事を期待しておりますぞ」
闇斎が立ち上がり、香四郎もそれに習う。部屋の外から襖を開く綾音。見送りをするために待機しつつ、同時に今の会話を全て聞いていたのだろう。
累は座ったまま軽く会釈しただけで、それ以上は何も言おうとしなかった。
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