第七章 5

 画板に己の娘の裸体を描く累。画風は南蛮画のそれだ。目の前には綾音が裸体を晒し、微動だにせず仰向けに寝ている。

 室内の隅で、いつのまにかやってきた妖怪達が、遠巻きにじっと自分を見つめているのに綾音は気づく。累が作った小間使いの妖怪達だ。

 綾音は少し照れて頬を赤らめ、視線で咎めると、妖怪達はそそくさと逃げ出した。


(我が偉大な師にして我が不肖の弟子は、今頃何をしているのか。聞いた話では、江戸で暮らしているそうですが)


 ふと累は、自分に南蛮画を教授してくれた人物のことを思い出す。

 その人物とはあまりよくない別れ方をしたが、もう十年以上も会っておらず、今となっては懐かしさを覚える。累はその者に妖術の教授を請われ、自分が編み出した雫野流妖術の基礎を全て伝授した。代わりに彼から南蛮画を習った。

 島原の乱に参加して、幕府と内通して一人生き残ったとは聞いているが、どのような経緯があってそのようなことになったのか、累は全く知りえない。


 唐突に累の筆が止まった。


「父上?」


 綾音も気がついた。感じたことのない妖気を屋敷の外から感じる。累が造ったものとは異なる妖が接近している。


「来てはなりません。家の中に……いなさい」


 綾音に告げた後、自分の言葉が過保護だったかと考える累。綾音にもある程度は危険な場に立たせて、経験を積ませた方が良い。


 妖刀妾松を携えて家の外へ出て、庭園を抜けて門をくぐった頃には妖気は消えていた。微かに妖気の残滓を感じとる累。強大な妖ではないようだ。さほど禍々しさも感じない。通りがかりの妖か、それとも自分に恨みを持つ者の来訪か。しかし後者にしてはおかしい。

 心当たりはいくらでもあるが、可能性として高いのは、鬼辻の件であろう。占い等によって探られぬように邸宅に結界は張ってあるが、もしも累の帰宅途中に占われていたとしたら、おおよその位置を特定され、使い魔を探りに出されるということも有りうる。


 寝込みを襲われるなどされると面倒だ。屋敷に接近する者をさらに遠方から察知できるように、鳴子代わりの術をかけてまわる。


 累が屋敷の周囲に術をかけてまわる最中、一匹の猫が累の屋敷がある山を駆け足で降りていたが、累はそれに気がつかなかった。

 その猫の尾は二つに分かれていた。


***


 数年間に渡る異常気象の連続によって引き起こされた大飢饉は、地獄のような様相をもたらした。百姓達の間では逃散と身売り、さらには子供の間引きが大流行していた。


 身売りされるのは一家の娘と相場が決まっている。年端もいかぬ娘が女衒に連れられて江戸へ連れられていく光景など、取り分け珍しいものではないし、街道で張っていれば、わりと高い確率で御目にかかる。累はそれを待っていた。

 その年端もいかぬ娘こそが狙い目だった。累からすれば、自分よりも小さい娘の方が組み敷きやすい。戦国の世からずっとそうしてきたし、最早すっかり定番の標的であり、また好みでもあった。


「おわあっ!」


 街道のすぐ横手にある坂の上から飛び降りてきた、赤い髪と白い鬼の面を被った黒ずくめの累を見て、十代前半とおぼしき少女を一人だけ連れた女衒は、驚愕の声をあげた


「で、で、出た……お、鬼辻……!」


 噂に聞いていた鬼辻と真っ昼間から遭遇するという不幸に直面し、恐怖のあまり逃げることもかなわずへたりこむ女衒。それを一刀の元に切り捨てる累。

 肉を断ち、命を絶つ感触を満悦した所で、娘の方へと視線を向ける。


 累は娘を見て怪訝に思った。娘はただじっと、累の方を見ていたのである。


 その娘は今まで累が犯してきた娘達と全く反応が違った。大抵の娘は、女衒を殺した後には恐怖の叫びをあげるか、恐怖のあまり硬直するかであった。

 だが目の前の娘は、まるで観察するかのような眼差しで、無表情で累のことを見つめている。恐怖の感情は微塵も伝わってこない。


 娘に接近する累。娘は動こうともせず、依然、累を見つめたままだ。

 娘は後頭部で髪を結っているが、短髪なために、遠めからは男子にも見えかねない。容貌もあまり垢抜けておらず、浅黒く日焼けしており、いかにも百姓の娘という印象だった。

 だがこういった女としての色気に一切欠ける娘も、累の好みである。見た目の年齢は累と同じくらい。歳のわりには小柄に見えた。


 手を伸ばせば届くまで近寄った所で、累はあることに気がついた。娘から放たれるその異様な気――微量ではあるが、常人よりも強い気を纏っている。

 霊感が強いのか、単に妖術師としての才があるのか、古き魂を持つ者か、生まれついての異能の力を持つ者か、さもなくば人に似せて作られた妖という可能性もある。いずれにせよ、超常の領域に関与している者であると見抜く。

 もしも異能の力を有する者なら、組み敷いている間にそれを行使されると厄介だとも思いはしたものの、それならそれでどういう力を持っているのか見てみたいとも考えて、構わず累は娘を押し倒す。


 服に手をかけるも、娘は抵抗する気配さえも見せなかった。全くの無表情で大きく目を見開き、累の被った鬼面を見据えている。相変わらず観察するかのような眼で。


 累は娘の両脚を掴んで大きく広げ、頭部まで引っ繰り返し、裾の下から無遠慮に手を入れ、秘所を確かめた。

 女衒に連れられているからには、途中で女衒に食われている可能性は高い。その場合は性病の類に感染しないように、術で浄化を行う。もしも生娘ならば、別の術をかける。否、魔道具を造る秘儀のため、生娘の破瓜の血を利用する。


 犯された後の娘を乱暴に組み敷いたりはしない。和姦など好みではないが、傷ついた者をさらに傷つけるなど、さらに好ましくない事だ。

 女衒に連れてこられる娘の半分くらいは、道中で女衒に弄ばれている。相手がそうした娘であった場合、累は優しく抱くよう努めている。累にとってのただの自己満足であるが、相手がそれによって明らかに癒されていた事も多い。


 女衒のお手つきではない生娘であることを知り、累は浄化の代わりに、避妊のための術を施さんとする。正直もう綾音以外に、自分の子を作りたくないという気持ちが強くある。

 累が呪文を唱えているその隙を突いて、娘が動いた。

 娘の両脚が累の首に絡む。一瞬ではあったが累の動きが封じられた。その一瞬を逃さず娘の両手が伸び、累の鬼の面を掴むと、そのまま強引に面をひっぺがした。


「ふわぁ、綺麗~」


 初めて声を発し、初めて表情を浮かべる娘。恐ろしい鬼面の下から現れたのは、筆舌にしがたい美麗な容姿の異人の子という事に対しての、驚愕と感嘆の声と、してやったりといった感じの喜びの表情。

 娘の手が動き、虚を突かれて呆然としている累の淡い金髪を撫ではじめる。さらさらとした髪の感触を楽しみ、娘は朗らかな笑みすら浮かべていた。


 これから犯さんとする相手に逆にペースを乱され、累は興を削がれてしまった。とてもではないが組み敷く気にはなれない。娘からそっと離れる。

 累は別の意味で、娘に対して強い興味が沸く。


「名前は……なんと言いますか?」

 間近で娘の顔をまじまじと見つめて問う。


「チヨだよ。あなたは?」

 即答しつつ、物怖じせず問い返してくる娘。


「雫野累……と申します。累とお呼びなさい」

 累は鬼の面を被りなおしながら、チヨに告げた。


「貴女から……不思議な力を感じます」


 興味を惹かれ、累はチヨを連れ帰ることを心に決めていた。おそらくは妖術師としての適正も高いであろう。


「何か特殊な力を持っているのですか? あるいは、何か心あたりがありませぬか?」

「ふぇぇ、何でお面被っちゃうのぉ~? せっかく綺麗な顔なのにぃ~」


 累の質問を無視して、不服そうな響きの声をあげるチヨ。累がそれに答えようとするより、チヨが続けて口を開くのが早かった。


「あ、可愛い顔だから見くびられるのが嫌なんだねぇ~。それと、異人さんの顔だから目立つからだね。辻斬りしたりする時に、顔がわからないようにしないといけないんだ」

「私の……質問に答えて……」


 チヨの指摘は正解だった。物怖じしないどころか、明朗な態度で接してくる。

 最初からまるで自分を恐れていなかったが、素顔を見られた時点で、完全に恐れられる要素が消えてしまった感がある。それどころか親しみすら持たれている有様だ。


「チヨを連れ帰るつもりなのォ~? 妖術師なんだ。ふえー、すごいね」

 続けて言い放ったチヨの言葉に、累は驚愕を禁じえなかった。


(この娘、人の心を読めるのですか……)


 読心の力や術は幾度も御目にかかったことがある。驚くべきはそこではない。己の心を読まれることは累にとって最悪の行為だ。

 一人を除いて、誰にも己の心を見せたくはない。それを累は恐れてすらいる。故に累は常に己の心を読まれぬよう、自身の精神を特殊な術式でもって厳重に防御してある。驚くべき点は、チヨがその防御をあっさりと突破して累の心を読み取ったことだ。


「それだけじゃないよ」

 累の心の声に応じる形で、チヨは言葉を続けた。


「チヨは死神なんだってさァ」


 そう言ったチヨが自虐の笑みをこぼす。瞳に哀しい輝きが宿っている。


「チヨね、その場にいる人が近いうちに死ぬって、たまにわかっちゃう時があるの。見えちゃうの。ほんの少しの間だけどね、死神さんが現れるの。色も形も無くて、雰囲気だけなんだけど、あ、死神さんが来てるってわかるんだ。村の人はチヨが死神だっていうけど、チヨが死神さんが来てるのがわかるんだよォ~」


 他人の死期を読む力というのは、累も初めて聞いた。


「最初は村の友達が死ぬのがわかったの。でもどう死ぬのかまではわからないんだ。その子は自分のおっ母に河に捨てられて殺された」


 口減らしであろう。珍しいことではない。身売りもできないような小さな子供は、川に捨てられて殺されるのが定番である。

 それでも川から上がってこようとする子供に対して、親が両手で抱えるほどの石を上から落として頭を割って殺している場面も、累は見たことがある。


「その次はチヨの家の隣のお爺、その次は村はずれに住む木こりの与作さん。チヨは死んでほしくないから気を付けてって言ったのにさぁ、信じてくれなくて、死んじゃった~。で、三人言い当ててから、村の皆もチヨの言うこと信じるようになったけど、村の皆ね、チヨのこと気味悪がるようになってた。いなくなればいいって思われてた。チヨが来ると逃げたり石投げたりするの。大人でさえチヨのこと怖がってた。おかしいでしょ。チヨは皆のことが心配で教えてたのにね~。だからチヨが一番最初に売られたんだよォ~。チヨをここに連れてきたあの人も――」


 言いつつチヨは、累が斬殺した女衒に一瞥する。


「チヨが心を読めることを知ってからさァ、チヨのこと怖がりだして、話しかけもしないで、ちょっと離れて歩いてたんだよ。あ、心が読めること村の人にはずっと内緒にしてたよぉ~。もう内緒にすることもないから、ばらしちゃってるけど」


 生まれ持った能力のせいで、孤独を味わってきた少女に対して、累は憐憫を覚えた。


「でも累は私のこと怖がらないんだね。そんな人初めて。やっぱり妖術師だからぁ?」


 チヨの問いに、累は自然と微笑みがこぼれた。


「怖くはありませんが……嫌ですよ……。私とて、自分の心を読まれるのは……」


 累はそっとチヨを抱きしめた。


 傷ついた者、傷つけられた者を見ると、累はいてもたってもいられない気持ちになる。慰めたい、癒したい、守りたいという気持ちが強く働く。見知らぬ者は平然と傷つけ、命を奪うにも関わらず、いざ知ってしまうと、傷つける事ができなくなる。


「ねね、どうして辻斬りとかするのぉ~?」


 チヨが唐突に話題を変える。

 この娘はどこまで自分の心を見たのかわからないが、好奇心と無神経さでもって、ずけずけと相手の心に踏み込んでくる。もしかしたら嫌われたのは心が読めるだけではなく、こうしたチヨの性格もあるのではないかと疑ってしまう。


「あう……そ、そうなんだ。チヨも悪いところあったんだね」


 累が考えたことを速攻で読み取り、チヨは気まずそうに言った。


「その力……己で制御できるようになるのが……望ましい……ですね」

 深く嘆息し、累が告げる。


「あなたは連れて行きます。私の元で……雫野の新たな術師として……修行を積んでもらいます……。その過程で……人の心を読む力も制御できるように……しましょう……」

「どうして辻斬りするの? 人を斬った後に心が痛むのに」


 同じ質問を繰り返すチヨ。たとえ口で答えなくても、質問によって心の中で生じる想いをこの娘は読み取るに違いない。


 累は殺人や強姦を行った後、罪悪感にさいなまれている。殺す前には、犯す前には憤怒に満ち満ちているのに、それらの行為が終わった後には虚しさと自己嫌悪と罪悪感が心の中を渦巻き、累を苦しめる。

 殺される前の恐怖に引きつった表情、苦悶の呻き声、自分の八つ当たりによって命が消えていく時間。それらの記憶が呼び起こされる。

 苦しいのであれば、やめればよい。しかしやめることができない。それらの行為は苦しいだけではなく、楽しくもあるからだ。快楽と罪悪感が同居している。行うのは楽しい。見るのは楽しい。されど思い起こすのは苦しい。


 人を殺しまくった後は、気が落ち着く。罪悪感の虜となるが、悪しき心はなりを潜める。だがしばらくしたらまた憎悪と憤怒の虜となり、誰かを殺すか犯すまで収まりがつかない。

 自分は一体何なのだと、心の中で問いかける。戦国の世においては、このような心の痛みなど覚えなかった。何十人もの娘を陵辱し、無抵抗な者を手にかけても、幼子が虫を殺して遊ぶのと変わらぬ感覚でいた。だがほんの数年前より、それらを行う度に心が軋みだした。


 理由はわかっている。累の中で良心の呵責が目覚めてしまった理由。それが全ての元凶だ。故に累はそれを断たねばならない。この苦しみから解放されるために。

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