第七章 6
奉行所より鬼辻の成敗を依頼された折に、苦労して作った多くの手駒を一瞬にして失った草露香四郎は、新たな化け猫の製作に明け暮れていた。
数という単純な力に頼り、過信していた香四郎だが、それが通じない相手と初めて出会い、無様に敗走を喫した。
それを反省して今度は質を上げることにする。しかし質の向上は、単純に数を増やすより、技術も労力も要する。元々質の追求を軽視していたわけではないが、そちらの研究は乗り気になれずに、量産の効率化の方に逃避していた。
妖怪の製作には様々な方法があるが、草露流の場合は既存の動植物や人間を術で改造し、強化したうえで従わせるという、シンプルなものである。
草露流妖術は何代にも渡って妖の使役や製作の術を研究し、長年に渡って術の改良が研究されてきた。より強く賢い妖怪、より効率的で手間と時間のかからない方法での製作法の確立、それらの追及こそが草露流の使命とされてきた。
香四郎は四代目の引退の後に五代目を襲名することが決まっているが、二十歳の若さで早くも己に限界を感じ始めていた。才能の限界ではない。むしろ香四郎には稀有な才能があった。だからこそ彼には己自身の行く末が――限界が見えた。
香四郎の理想は、人間よりも賢く、強力な超常の力も備えた化け猫を創りだすことだった。
だが現在の草露流のやり方だけでは、そこまではとても届かない。自分が存命中には、どんなに突き詰めても理想の水準には届かないことを悟ってしまっていた。
世代を経て数百年以上の時をかければ、自分が目指す所までいけるという計算も出来ている。しかし自分が生きている間にそれを御目にかかることができない。その理不尽が悔しくてたまらない。
他の妖術流派を取り入れることで、妖怪作りの技術も飛躍的に伸びる可能性はあるが、それは草露流の本家はもちろん、分家の者達も許さないだろう。継承を行ったうえで秘伝の術と秘儀全てを知り尽くし、草露流と決別でもしないかぎり、それはできない。
「香四郎、また江戸に妖が出没したそうだ」
先代にして叔父にあたる草露光次郎が香四郎の部屋を訪れ、告げた。
「最近多いですな」
討伐を果たせと言いにきたのだろうが、何も先代がわざわざ告げに来なくてもよかろうにと、心の中で舌打ちする香四郎。
「昨今の気の乱れが原因だ」
むっつりした顔で光次郎が言う。それは香四郎もわかっている。
世に現れ、人に害を与える妖怪達の正体は、魔道に堕ちた悪しき妖術師達が造りだした妖怪らの失敗作か、あるいは製作過程の途中で逃げ出したものが放置されているものだ。世間で言われているような、自然発生する妖怪など存在しえない。世の中が荒れていれば、混乱に乗じてそうした野良妖怪らが、人前に出現する頻度が増えていくのは、はるか昔からの常だ。
「鬼辻を取り逃した汚名を返上してくるといい。今度はしくじるでないぞ」
見下したような口調でそれだけ告げると、香四郎の返事も待たず、光次郎は襖を閉めた。
「拙者への嫉妬と劣等感と嘲りか」
嘲笑を浮かべ、立ち上がる香四郎。
光次郎は歴代の当主たちと比べて妖術師としての才があまり無く、当主としても暗愚と、密かに陰口を叩かれていた。
一方で香四郎は妖術師としての才も先代を凌ぎ、人当たりよく処世術にも長けており、草露家からの期待が高い。それが面白くない光次郎は、失敗した香四郎がどんな顔をしているのか見にきたのだ。だが嫌味を言うには語彙の乏しく、不器用な男であるが故、あれが精一杯なのだろうと香四郎は逆に嘲っていた。
刀を手にし、残った数少ない化け猫と新たな化け猫を引きつれ、香四郎は草露の屋敷を出る。
妖気と霊気を測る魔道具を用いて、それらしき反応を伺う。江戸の地図を広げ、地面に先に針のついた呪文が描かれた糸を垂らし、ゆれ具合で場所を特定する。
江戸の中にも無数の術師がいて、それらが使役する妖も存在するので、暴れて人を襲っている者だけを即座に特定することはできない。見極めには時間がかかる。
「ここか」
江戸の町外れでそれらしき反応を見てとり、香四郎は地図をしまうと、針に向かって呪文を唱える。魔道具に相手を記憶させたのだ。
馬に乗り、夜の街を疾走する香四郎。
「ふむ。あやつか」
長屋の前に蹲る黒く巨大な影を見てとり、香四郎は馬を止めた。ここからでは見た目は黒い塊としか映らないが、強烈な妖気を放っているのが見てとれ、明らかに人外とわかる。
「出でい」
馬に乗ったまま、香四郎は懐からお手玉を七つ、高々と放り投げた。七つのお手玉は地面に落ちる前に変貌を遂げ、二股の尾を持つ猫へと変貌を遂げて、それぞれ華麗に着地する。普通の猫よりも二回りほど大きい。
香四郎自身も馬から降り、刀を鞘から抜く。
蹲る影は人の形をしていたものの、明らかに人ではない事が、月明かりだけを頼りに見ても一目瞭然であった。
背中からは翼が生え、臀部からは先が鏃のようになった細い尻尾が伸びている。さらに近づいてよく見てみると、頭からはねじくれた角が弧を描いており、足は毛むくじゃらで、山羊のような蹄があった。
黒い妖が振り返る。口が裂け、牙が生え、耳は尖り、顔も黒く、目は赤く光っている。ねじくれた角は後方にカーブしていた。
香四郎はその化け物を見た覚えがあった。実物ではなく、南蛮画でだ。
化け物の足元には亡骸が幾つも置かれていた。襲われた町人であろう。食われた痕跡は無い。手足は引きちぎられ、十字になるように地面に重ねて置かれている。胴体と首だけになった亡骸は、男女問わず、犯された形跡があった。
今まで遭遇した妖の多くは、人を食するために襲っていた。だが目の前の化け物は食うためではなく、弄ぶために殺したのだ。その邪悪さに、香四郎は怒りを覚える。
「まさか異国の妖がよりによって江戸に出没しようとはな」
己の中より沸き立つ怒りを抑え、深く深呼吸をしてから呟くと、香四郎は化け猫をけしかける。
七匹中、四匹の化け猫が、三方向からほぼ同時に飛びかかる。一匹は大きく跳躍して黒い化け物の頭上から飛びかかった。
黒い化け物が立ち上がるが、化け猫達の方が早かった。爪が肉を裂き、血がしぶく。正面から飛びかかった化け猫の一撃は、喉笛をかっ切っていた。
だが黒い化け物はひるまず、腕を薙いで猫達を攻撃する。猫は四匹とも器用にそれをかわす。
(多少動きは速いが、大したことはなさそうだな)
香四郎が楽観した直後、驚くべき事態が起こった。
猫のうち二匹が、一直線に物凄い勢いで弾き飛ばされ、向かいの長屋の壁へと激突した。
さらに残る二匹のうちの一匹が、不可視の力によって押し潰された、血と内臓を地面に噴出させる。最後の一匹はそれを察知して回避した。
(何と!? 念動力を用いるとな……)
香四郎が未だ創ることかなわぬ、超常の力を備えた妖。彼の僕の化け猫は、単純に通常の猫より肉体面が強化され、知能も高いだけであり、超常の力を備えるには至っていない。
背筋に寒いものが走る。黒い化け物の視線が香四郎へと向けられたのだ。次に不可視の力の標的とされるのは、間違いなく香四郎だ。
不可視の力が放たれたタイミングを直感で感じ取り、体をずらしてそれを回避する。すぐ脇を力が駆け抜けていくのを感じ取ると、香四郎は一気に黒い化け物向かって踏み込み、間合いをつめた。
攻撃の直後の瞬間を狙い、自らも攻撃に転じる。定石ではあるが、人間より知能の低い妖には効果的だ。
香四郎の俊足に、黒い化け物は反応しきれなかった。化け物が防御なり反撃なりするより速く、刃は化け物に届いていた。
首が刎ねられ、地面へと落ちる。少し遅れて体が倒れる。
香四郎は勝利の余韻に浸ることはできなかった。神妙な眼差しで、痙攣している化け物の骸を見据える。相手は妖。首を刎ねたから必ず息絶えるとも限らない。
だが化け物はやがて動かなくなり、香四郎を小さく息をついた。
(うまくいったが、この妖自体は脅威であるな。斯様なものを生み出す術師がいて、なおかつそれを世に解き放っているなどとは)
いつもならこの後は妖の痕跡を消すために焼却処分にする所だが、今夜はそうはいかない。死体を持ち運ぶ必要がある。今夜のことは草露への報告だけでは済まないであろうと、香四郎は判断する。幕府の然るべき霊的機関へと知らせた方がよいと。
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