第七章 3

 高級料亭に訪れた中年の山伏。料亭の新米店員は物珍しげに彼のことを見ていたが、他の店員はそうでもない。山伏の格好はともかくとして、その男が幾度もこの店に訪れ、幕府のお偉方と会談しているのを目の当たりにしているからだ。

 山伏は部屋に通され、待ち合わせの相手を待つ。

 しばらくして、店員が廊下を歩く音を耳にして、山伏は障子を開けて店員を呼び止める。


「申し訳ない。先に自分の分だけでも、これとつまむものをもってきていただけぬか? 腹は空くわ冷えるわで仕方ないでのう」


 おどけた笑みを見せ、くいっと酒を飲む仕草をして注文する山伏。


 料理と酒が部屋へと持ち込まれ、さらにしばらくしてから、待ち合わせの相手が部屋に訪れた。


「お待たせして申し訳ない」


 山伏の前でにこやかに会釈したのは、宮廷服に身を包んだ公家の者であった。


「土御門(つちみかど)殿ともあろう御方にわざわざ御足労いただく方が申し訳なかろう」


 相手を待つことなくすでに一杯やっている山伏が、かんらかんらと笑う。


「皮肉を申されるな。長きに渡って歴史の裏舞台の主役を務めてきた星炭の伝承者を前にして、私など如何ほどの者ぞ」


 陰陽師土御門家の頭首にして公卿、土御門泰重(つちみかどやすしげ)は、にこやかな表情を崩さずに社交辞令を述べると、山伏姿の男と向かい合い、気品に満ちた動作で腰を下ろす。


「しかし何故修験者の出で立ちなどなされているので?」

 以前は山伏の格好などしていなかったので、訝る泰重。


「たまたまじゃよ。西の方で妖怪退治の際に行者達に世話になりましてのう。そこで飯を奢ってもらったついでに、古くなった服の替わりも頂きまして。ま、流浪の身でござるが故」

 山伏の格好をした男が朗らかな笑顔で述べた。


 山伏に身をやつしたこの男は、名を星炭闇斎(ほしずみあんさい)といった。平安の世から悪霊退治妖怪退治の大家として活躍してきた妖術流派、星炭流妖術の現継承者である。泰重とは長い付き合いの友人であり、良き協力者でもある。

 政治にも根強く介入している陰陽師らとは異なり、一般人の目からはおぞましくも映る妖術師や呪術師の類は、歴史の表舞台に出ることは決してない。

 だが真に強大な力を持ち、実際に超常の領域のいざこざに立ち向かうのは、彼等妖術師の方であるがため、泰重は最大限の敬意を持って闇斎と接している。


「国中ひどい有様でござるな。地方ではそこかしこで餓え死ぬ者があふれ、疫病が流行り、怨念が渦巻き、野良の妖の跋扈は日に日に増すばかりじゃ。そのうえでさらにこの国に災いを成すことを企む者がいようとは」


 口元に笑みを浮かべて言う闇斎だが、瞳には哀愁の光が宿っているのを泰重は見逃さなかった。情に厚い男であるが故、昨今の世の乱れに対する嘆きも人一倍であろうと察する。


「ええ。そのうえ辻斬りが横行しております。特に鬼辻と呼ばれる者、一晩に十人以上も斬り及ぶうえに、妖術の使い手でもあるそうで。妖術師の刺客すらも返り討ちにしているとの話です。昨夜は草露の術師が討伐に出向いたようですが、果たしてどうなったことやら」


 世間話程度に鬼辻の名を口にする泰重であったが、まさかその人物が、泰重と闇斎が抱える事案とも間接的に関わりがあるなど、思いもよらなかった。


「妖術師の風上にもおけませぬなあ。して――この国に災いをなさんとしている紅毛人。その者の所在はわかりましたかの?」

「そちらの方はまるで……」


 闇斎の問いに、難しい顔になって答える泰重。


「耶蘇会(イエスズかい)の者が言うには、この国にいる強力な妖術師と手を組んだということですがのう。私も旅先で、様々な筋に当たっては見ましたが、然様な話は全く耳に入りませんでしたわ」

 闇斎が言う。


 闇斎と泰重はかねてより抱えている事案があった。それは耶蘇会の者達から依頼であった。この国に侵入した異国の悪しき魔術師が、よからぬ企てを試みているというのだ。

 その者を探し出し、悪しき企てとやらを阻止し、さらには拘束して引き渡して欲しいと、放っておけば必ずこの国にも大いなる災いをもたらすと、耶蘇会の者は告げた。


「いくら占ってみても判明いたしませぬ。術による妨げがあるやもしれませぬが、正直本当にそのような者がいるかどうかも疑わしき所」


 泰重はその存在に半信半疑であったが、耶蘇会の宣教師達は必死な様子で訴えており、嘘偽りの類とも思えない。

 耶蘇会が敵視するその人物がどれほど危険な者であるのか、彼等はただ大袈裟に危険だ危険だと言うばかりで、いまいちぴんとこないが、その話が真であれば放置しておくわけにもいかない。


「この国の妖術師と手を組んだという情報を我等より早く耳にしたのも、解せませぬ。どうも耶蘇会の宣教師共は、我等に隠し事をしたまま都合よく我等を動かさんとしている様子」

 不快さを露わにする泰重。


 と、そこに、人型に切り取られた紙が飛来し、泰重の顔の横へと止まる。泰重は紙から何かを聞き取り、顔色を変えた。


「鬼辻とやらの正体がわかりもうした。あの雫野累だそうです」

 泰重の言葉を聞き、闇斎は料理をつまもうとした箸の動きを止めた。


 闇斎が生まれる前よりも存在している、強力無比な妖術師だ。妖術のみならず、呪術の類にも精通している。こちら側の世界でその名を知らぬ者はいない。日本中を渡り歩き、数々の悪行を働くも、ある日忽然と姿を消したと聞いていたが。


「まさか……雫野ほどの優れた妖術者が、辻斬りになど堕しているじゃと。いや、元より悪しき妖術師でありはしましたがの」


 呆れきった口調で言いながら、膳の上の料理に箸をつける闇斎。


「この報告をなしたのは、草露の後継者候補筆頭だそうです。騙りの類とも思いがたい。存外、件の紅毛人と手を組んだ術師というのも、雫野かもしれませんな」


 冗談半分で口にした陰陽師の言葉だが、闇斎はそれを冗談として聞き流さなかった。話に聞く雫野累の人物像からすれば、可能性としては、全く考えられないという話でもないからだ。


「それはともかくとして、旅の土産話はありますかな? 闇斎殿」

「おお、たんまりとあるぞ」


 泰重に促され、闇斎は破顔した。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る