第六章 30

(全部、私のせいだ……)


 タクシーの中で青ざめた表情でうつむきながら、藍は口に出さずに呟いた。

 病院に運びこまれて傷口を縫合された藍は、医師の制止も聞かずに病院を飛び出し、雪岡研究所へと向かっていた。


(全部私のせいだ……)


 心の中で幾度も幾度も同じ言葉を繰り返す。


(肯定しか認めない。否定されると、全力で反発する。他人が望むことと必ず反対のことをしたがる。右と言われれば脊髄反射で左に行きたがる)


 藍がこの世で唯一愛した男に言われた言葉が脳裏に焼きついている。自分のそんな厄介なサガが、バイパーの元を離れることになり、生まれた息子を苦しめた挙句に死の危機にまで追いやった。己を抑えられなかったが故に、全てを失おうとしている。


「何があったか知らないけど、気をしっかり持ちなさいよ」


 やにわに初老の髭面タクシードライバーが声をかけた。


「自分で気づいていませんでしたか? 私のせいだ私のせいだって、ぶつぶつ呟いていましたよ。いやいや、おせっかい失礼」


 罪悪感と自責の念に捉われている藍であったが、タクシードライバーの言葉で少しだけ気持ちが楽になった。

 今は信じるしかない。一度は死んだ自分を蘇生した雪岡純子である。惣介のことも蘇生してくれるに違いない、と。


 タクシーを降りて、駆け足でカンドービルの地下へと降り、研究所へとたどり着いた藍。

 通された部屋は、かつて藍が蘇生されたのと同じ部屋だった。そこに純子と真が待ち受けていた。いつも通り真は無表情で、純子はにこにこと屈託の無い笑みを張り付かせて。


「惣介は?」


 純子の笑顔にすがりたい気持ちで藍が問う。自分を見て、天使の如く朗らかに笑っているくらいだから、まさか蘇生に失敗したということはないであろう、惣介を助けてくれたのだからこそ笑っているのであろう――と。


「あー、失敗しちゃったー。すまんこっこー。ま、頭撃ち抜かれたら普通死ぬよねー」


 だが純子は笑顔のまま、最悪の答えを返してきた。藍の中で目の前の少女が、一瞬にして天使から悪魔になった。


「どうしてよ……どうして私だけ生き返して、惣介は失敗?」


 笑顔であっさり告げる純子に、底無しの憎悪の視線をぶつけながら、震える声を発する藍。


「んー、死人の蘇生なんていくら私でも無理だし。君は体内のアルラウネのおかげで、奇跡的に仮死状態で済んでいただけだからさー。ま、あの場でがっかりさせるのも可哀想だし、あそこで無理って言って、それで騒がれても面倒くさかったから、適当に安請負しておいただけなんだけれどもねー。あはは……」


 笑い声をあげる純子の頬を藍の平手が打ち据えた。


「うわああああああああっっ!」


 泣き叫びながら、純子に飛びかかって襟元を掴み、さらに平手で殴る。真が動こうとする前に、純子が真の方に手を伸ばし、真の動きを制した。真もそれを見て、その場で何度も純子の顔を殴る藍をただじっと見据える。


「あの子は私の宝よっ。私の全てよっ……それなのに! 何で神様は、私からあの子を奪ったの!? 何で私だけ生き返したの!? 何であの子があんたの実験台なんかにされなくちゃならなかったの! 何であの子が殺されなくちゃならないの! 悪いのは全て私なのに! 私のせいであの子は傷つき、傷つけられて、あんな風になっちゃって、私を殺して、そして、あんたなんかにっ! 私のせいで……」


 ひとしきり喚いてから、藍は放心したかのようにうなだれ、純子の襟首を離して膝をつき、純子の胸に頭をうずめる格好になって、嗚咽を漏らした。その頭を優しく両手で抱きしめる純子。


「ごめん……ごめんね、惣介……。私が全部悪かった……」

「そうだね。全部君が悪かったと思う」


 藍の頭を撫でながら優しい声音で純子。


「今からやり直せるとしたら、ちゃんとやり直す? あの子を傷つけないように。裏通りから、今の仕事からも足を洗う?」


 そんなことできるわけがないが、もしそれがかなうならそうしたいと、藍は切に思う。


「ねえ、どうなの? ちゃんと声に出して言ってみてよ」


 純子がなおも問う。その口調こそ優しいが、投げかける言葉は藍の神経を逆撫でする代物だ。自分をおちょくっているとしか思えない。


「やりなおせるんならそうするわ! もし生き返ってくれるなら、何でもする! もうあの子を絶対に傷つけない!」

 やけくそ気味に喚く藍。


「だってさー、惣介君」


 純子の言葉に、藍ははっと顔をあげ、純子の視線の先へと向ける。

 壁が上がっていく。同じ光景を前にも見た気がする。あの時、壁の上がった先にはマジックミラーがあり、そして惣介の姿があった。

 そこにマジックミラーは無かった。だが同じく惣介の姿があった。いや、同じではない。あの時、惣介は自分に気づいていなかったが、今度は明らかにこちらを認識し、その双眸を藍へと向けている。


 一瞬目を丸くする藍。が、また泣き顔へと変わり、息子の元へと走りより、その体を抱きしめた。


「母さん……ごめんなさい……」

「違う……。全部私のせいだし、悪いのは私だから……惣介は何も気に病むことは……ない。私こそ……ごめんね」


 掠れた声で謝る惣介に、藍も涙声で謝罪する。


「えっと、感動の再会の所を水指すようだけど、私は契約通り、君の体をいじらせてもらうからね?」


 藍に向かって純子が言った。


「アルラウネの細胞は出来うる限り死滅させて、異性を過度に魅了する力も無くしておくから。ついでに性器の方も改造して、本気で恋愛感情を抱いた相手以外、機能しないようにしておくってのもいいかなあ。まあ、惣介君の嫌がる商売は、もうできないようにさせてもらうよ? 今の誓いが本気だったら、それも受け入れられるはずだよねえ」

「むしろ誓いが本気ならそんな念押しもいらないだろうけどな」


 それまで無言だった真が口を挟む。


「そうして頂戴。約束としても、償いとしても、それを受け入れる」


 惣介を抱きしめたまま、藍は静かにそう答える。


「本気なの?」

 惣介が恐る恐る藍に尋ねる。


「本気よ。それでけじめをつける」

 決意を込めて、藍は惣介に言った。


「よかったねー、やっぱハッピーエンドが一番だよねー。うんうん」


 それだけ言って、純子は抱き合う親子に背を向け、部屋の外へと出る。しばらく二人だけにしておく心遣いなのだろう察し、真もその後を追う。


「今回のゲームは私の負けかなー」


 廊下を歩きながらそんな台詞を口にする純子。

 何が負けなのだろうと、真はその台詞に苛立ちを覚える。結局は純子の思い通りになったし、自分は純子の狙いを見抜くことができず、ただ空回りしただけに終わった。それなのに何をもって負けとするのか。


「バイパーを作ったのが草露ミルクだという推測は、お前の中に無かったのか? それが不思議なんだが」


 だがそれに対して脊髄反射で問いかけるのも、純子の思惑通りな気がして、それとはずれた所で質問をぶつけてみる。


「当初はミルクの可能性は無いと考えていたよ。あの子はオリジナルのアルラウネを持っていないしね。アルラウネを意図的に遺伝する方法だって――もしミルクがそこまで開発していたら、国際マッドサイエンティスト会議で発表しているだろうしさ。あれは偶然の産物だったんだよ。ようするに私の頭は、アルラウネのオリジナルやら、遺伝やらに捉われすぎていたんだよ。でも君はピンポイントで当ててきたし。正直凄いなって感心しちゃった」

「その言い方だと、僕は無知ゆえに偶然あたりをつけることができたように聞こえるぞ。これでも無い頭をひねって必死に考えて行き着いたんだ」


 頭の中で憮然とした表情の自分を思い浮かべる真。純子はフォローしているつもりなのかもしれないが、こんな言われ方をすると返って情けなくなる。


「実際、運の部分も大きかった。僕が連絡を入れなくても、草露ミルクが出てきただろうし。そもそもお前が流した広告を見ていないわけがない」

「あの子の性格を考えると、即、バイパー君の救助に向かうってこともなかったと思うんだ。やっぱり真君が接触したからこそだと思うんだよねえ。真君の接触に影響された部分はあるんじゃないかなあ」


 何が真実なのかはわからないが、ミルクを直接よく知る純子の言葉故に、それ以上否定することもできなかった。かといって納得したわけでもないし、満足にも至らない。


「それとさ。バイパー君を誰が作ったのかは、知らない方がよかったんだよ。だって知っちゃうと、その人に遠慮しちゃうもの。ましてや現在も主人と僕という間柄にあるのなら尚更ね。知らなければ、知らなかったで済ましておいて後で謝ればいいしさあ」


 ここら辺の無茶苦茶な理屈は、いかにも純子らしいと真は思った。


「お前もひねくれてるな。最初からこの筋書きを狙っていたのなら、僕だってちゃんと協力したのにさ」


 藍と惣介を救う形で落ち着いたこの結果は、偶然の成り行きでは無い。純子は間違いなく最初からこの筋書きを想定して動いていたのであろう。

 純子が善行を働くか悪行を働くかは、全く気まぐれなので真も予測しえないが、惣介を研究所で待機させて、見た目をコピーした肉人形を遠隔操作させていた事から、最初から藍の前で惣介を死なせたように見せるシナリオがあったとしか考えられない。

 謎の襲撃者は純子の予測の範囲外であったようだが、たとえそれがいなかったとしても、そういう形にしたであろう。


「全部筋書き通りにいったわけじゃないよー。最初からこうしようと思っていたわけじゃないからねぇ。真君に筋が通らないって指摘された時、確かにそうだなーと思って、方向転換した感じかなあ。だから結局真君の言葉で折れた私の負けなんだよ」

「やっぱりほぼ最初からじゃないか。第一そんなの、勝ち負けの問題とは違うだろ」

「いやいや、そうした方が美談だと思わなーい?」

「全然」


 純子の言葉が本当だとしても、何故純子がそこで心変わりしたのか、真にはよくわからない。この辺の気まぐれさは、長年付き合っているが理解できない所だ。


 だが真は純子を見ていて思う。純子はとんでもない悪人であると同時に善人でもある。矛盾するようだが実際そうだ。

 千年以上という気の遠くなるような時間を、歴史の移り変わりと共に歩いてきて、その赤い眼でどれだけのものを見てきたのか――二十年も生きていない真には計り知れないが、あまりに長く生きすぎたせいで、善悪を極端な形で兼ね備えた存在となったのではないかと推測する。


「お前が悪い子になった経緯は僕にはわからないけれどさ、そのひねくれっぷりは傍から見ていて痛々しくて仕方ないし、僕が知るお前はそんなんじゃなかったからな」


 真の言葉に純子は一瞬複雑な面持ちになった後、おかしそうに微笑む。


「じゃあ、早く君の思い通りに私を変えてみなよー」

「早くは無理だが、そうしてやるつもりだよ。このやり取りもお約束だけど」


 珍しく真の口元が緩み、一瞬だが微笑がこぼれた。幾度と交わされているやりとではあるが、冗談や軽口のつもりではない。口にする度に、闘志にも似た想いが、胸の内を渦巻いている。

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