第六章 エピローグ

 秀蘭は純子に分けてもらったバイパーの肉片をそのまま本国へ送った。収穫があれだけというのは不安であったが、果たしてあれが研究者達の満足いくものかどうかなど、自分には判断できない。満足いけば高評価。そうでなければ失敗扱いという、結果待ちだ。

 理不尽ではあるが、元々はみ出し物扱いの煉瓦の面々からすれば、どんな評価を受けようが気にはならない。ただ面倒なのは、さらに彼等の理想とする結果を求められることだ。例えばバイパーを生きたまま捕獲して送れと言われたら、面倒極まりない。だがそういう指令が下っても別段不思議でもない。


 上官からの連絡があり、かつて日中共同でアルラウネの研究を行っていた科学者達が、満足している結果であったと伝えられ、秀蘭は胸を撫で下ろす。


「じゃあお前が死んだら棺おけの中には、大事にしていたフィギュアを全部入れてやんよ」


 訓練中の部下達に結果を伝えようとした所で、すぐ側で張をからかう李の声が耳に入る。


「普通サイズの棺おけではとても入りきる量ではありませんので、特注サイズの棺おけ用意してくださいよ」

「うん……まあ入るだけ適当に……」


 真顔でそう返してくる張に、李は引き気味になる。


「いや、絶対にでかい棺おけ頼みますよ。必ず全部入れてください。てか、何で俺死ぬ前提になってるんスか」

「アルラウネの件は落着しました」


 小さく咳払いをしてから、秀蘭は告げる。


「あんな面倒くさいのとやりあわなくて済むってことか」

 バイパーのことを指して李。


「今度やれば勝てそうな気もするんですけどねえ」

「二対一で相手しといてその台詞もどうかと思うわ。一対一でできるくらい、功夫が足りてからそういうことは言いたまえ」


 あっけらかんとのたまう張に、呆れながら諭す李。


「でもこれで当分暇になっちゃうのがなあ」


 日頃の鍛錬の成果を実戦にぶつけたことの満足感は十分にあったが、その反動故に平穏な日々が余計に退屈になってしまい、それが苦痛になるのではないかと張は予感していた。


「刺激はたまにあればよいのですよ」

 そんな張の胸のうちを見抜き、秀蘭がたしなめる。


「ま、血気盛んなのは若造の特権の一つだがね。リスクに自分から近寄ったり求めたりするもんじゃないだろ。たまにでいいんだ。たまにで」


 李も秀蘭に同調し、張はつまらなさそうな顔で訓練に戻る。


「しかし今回の件で不味いことになっちゃいましたね」

「どういうことですか?」


 李の言葉に怪訝な面持ちになる秀蘭。


「日本に潜伏している幾つもの部隊が全滅しちまった任務で、うちがよい成果を挙げちまいましたからね。本国にいい意味で目つけられたのは間違いないでしょう」


 それだけ聞いて、李が何を言わんとしているか秀蘭も理解した。


「はからずとも、張の望み通りになるかもしれないということですか」

 と、秀蘭。


「我々の優秀さが浮き彫りになって、難しい任務が次々まわされるかもしれない、ということですね」


 秀蘭の言葉に、苦笑いを浮かべ頷く李。

 今回の成果の結果、高い評価を得たと知れば、煉瓦の若い兵士達は喜ぶであろうが、李や秀蘭には歓迎できない。自分の部下達を危険な任務になどつけさせたくない、というのが本音だった。

 軍人らしからぬ考え方であり、そんな性格だからこそ、秀蘭は海外の潜入工作員になど回されてしまったという理由もある。


「次はわざと失敗するってのもありかなー」

「それはいくらなんでもまずいでしょう」

「まーね。でも危険すぎる任務なら、死人出さずに生き残って失敗がいいと思いますぜ。少なくとも俺はそういうやり方で作戦を練ります」


 今の李の台詞は冗談や軽口のつもりではない。信念の元に告げられた宣言だった。


***


 普段のバイパーは、クラブ猫屋敷でだらだらと日々を過ごしている。ミルクに用事を言いつけられることもあるが、その頻度はさしたるものでもない。大抵は時間が空いている。


『というわけで明日、久しぶりに動物園に行くぞ』

「東京ディックランドの代わりに、か」


 ボックス席に座り、ネットを閲覧して裏通り関連の情報を漁っていたバイパーが小さく息を吐き、カウンターの上にいるミルクの方に視線を向ける。ホールには今ミルクとバイパーしかいない。


「俺は例の件あるからパスな」

『前から思っていたことですがねー、お前のガードなんか必要なのか? 面識ねーけれど、話に聞く限りはそいつも過ぎたる命を持つ者っぽいしなあ。苗字から見ても、間違いなく強力な妖術師だろ』

「妖術師だろうが異能力者だろうが、死ぬ時は死ぬだろ。ただでさえあちこちから暗殺者が送り込まれているって噂だしよ。実際何度か襲撃もされてるぜ」

『まあ、それはいいとして……だ。お前が望むなら、ここを出て行って藍達と暮らしてもいいのですよ。もちろん必要な時はすぐ呼び出すがな』

「……何言ってやがるんだか」


 珍しく真面目な声で話すミルクに、バイパーは面食らってしまい、バツが悪そうにミルクから視線をそらし、ディスプレイの方へと向けた。


『お前さ、藍にいろいろと言っていたけれど、人のこと言えないでしょ。つーか藍のことばかり悪く言って、一方的に藍に原因があるような口ぶりだったが、お前も似た者っつーか、破局の原因はお前にもあったんじゃねーか? くだらねー意地張ってたのはお互い様だったし。てか、あの時藍はまだ餓鬼だったろう。それをお前って奴は――』

「うっせえな!」


 再びミルクの方に振り返って怒鳴るバイパー。ミルクはそれを見て鼻で嗤う。


『お前が藍の元に行けば、表面上はどうあれ、藍も喜びそうなもんだがね。意地張ってんのか恥ずかしがってんのか知らねーが、馬鹿すぎですよっと』


 そんな馬鹿同士だから惹かれあったんだ――と、バイパーは口に出さずに付け加えた。似た者同士だから惹かれあい、似た者同士だから反発しあって仲を違え、似た者同士だから長年離れていてなお、互いに想い続けている。そして似た者同士だからこれ以上どうにもできない。


「確かに馬鹿すぎだな」


 ディスプレイに顔を戻し、自嘲の笑みをこぼす。


『おう。いいとっかかりだったのにな。それすら活かさないんだから相当な馬鹿だ』

「てめーだって所属していた組織を喧嘩しておん出て、未だそこに未練たらたらなのに、よく人のこと言えるわな」

『それとこれとは違うしっ』


 自分のことを引き合いに出され、ムキになって声に怒気が混ざるミルク。


「なるようになるしかねーさ。流れに身をゆだねて、な。どうあがいても利口な生き方なんてできねーから、俺達はこんな生き方してんだしよ」

『複数形で私も混ぜるんじゃねー。ブッ殺すぞ。てゆーかバイパーのくせに生意気だぞ』

「お前がまず素直になってみせたら俺も考えてみるよ」


 意地悪くそう言われてミルクは言葉に詰まって唸り、バイパーは小気味よさそうに口の端を片端だけをあげて笑った。


***


 純子は数日にかけて、パイバーからえぐりとった肉片を解析していた。


「惣介君もバイパー君も、アルラウネの覚醒率はかなりのものだったけれど、1.5%にもいってない、か……。最近で一番の成功例は睦月君の2%ってとこだったし」


 アルラウネのゲノムを取り込んだからといって、その力の全てを授かった者は未だかつていない。


「十年前のあれですら、10%にさえいってなかった。完全なシンクロが果たされて、アルラウネに選ばれた者は、果たしてどういう進化を見せるのかなあ」


 それはアルラウネに携わった研究者なら誰もが興味をそそられる所だ。人間を吸血鬼化するウイルスも然り、今回のバイパーや繭を見た限りでも明らかだが、偶然とはいえ、アルラウネの遺伝子が人為的な移植を行わずとも、他者の体内へと侵入するまでに至らせたミルクの成果を見る限り、アルラウネの研究に関しては純子よりずっと進んでいるのは間違いない。

 だがミルクと純子では、研究目的の方向性が異なる。純子がアルラウネの研究を行う理由は、他の生物に混じって進化させるシステムを解き明かすことによって、人間が自らの意志で自由に進化できるようにすることへ応用できないかどうか、そのために大勢の人間にアルラウネを移植させている。

 他の手法によっての異能力付与や覚醒とは異なり、アルラウネの移植は、実験台となる者への危険度が低く、高確率で何らかの異能の力を覚醒させる。もちろん移植にあたっての分量を誤れば、暴走して肉体に悪影響を及ぼすこともある。十年前の怪獣化がまさにそれだ。


『次のニュースです。警察は小杉小太郎都議会議員のバラバラ殺人が、裏通りの関与があると発表――』


 ふと純子はテレビの方に振り返る。

 首から下が掌に収まるほど細かくひきちぎられて殺され、頭部だけは原形を留めていたが、口の中には己の性器がねじこまれていたという、凄惨な殺人事件。児童ポルノ廃絶を訴えていたにも関わらず、死体の脇には、議員が個人で撮影した幼児ポルノ映像ファイルを大量に納めたメモリが置かれていたという。


(なるほどねー、彼の仕業かあ)

 話を繋ぎあわせて、事件の犯人と真相がわかってしまった。


 その時、研究所のベルが鳴る。


「どうぞー。入ってまっすぐ歩いて左七番目の扉を開いてー」


 マイクに向かい、来訪者へ告げる純子。モニターから見た限り、かなりの人数が一度に来たようだ。純子からしてみれば実に都合がいい。


「累君、ちょっと手伝いにきてー」


 マイクを切り替えて、自室にこもっている累に声をかける。


 扉がノックされる。


「空いてるよー。遠慮せず入ってー」


 ディスプレイに向かったまま声をかけると、扉が開かれ、年配の男達が七人、室内へと入ってきた。少し遅れて純子が振り返る。一人は大きな手提げのバッグを持っている。


(臭うなー。なるほど、そういうことかー)


 バッグを持った男から、嗅ぎなれた臭いが漂っていることから、バッグの中に彼等の手土産があるのであろうと察し、純子はおかしそうに微笑んだ。


「善意のアビスの人達だねー。ようこそ雪岡研究所へ」


 一様に不安げな面持ちの男達を笑顔で迎える純子。裏通りにて生ける伝説の一つとして伝えられる恐ろしい逸話の数々と、この朗らかな笑みのギャッブが、見る者の心を和ませる。


「連絡した通り、貴女と和解したいと思いまして」


 善意のアビスの新たなボスとなった鹿島が口を開く。


「我々の総意ではなかったのです。血迷った先代のボスの命令でやむなく。我々のような中堅組織が、貴女に楯突くなど常軌を逸している。どうか御理解のほどを……」


 釈明の言葉を口にし、深々と頭を垂れる鹿島。純子の顔から笑みが消える。


「あれを――」


 鹿島がバッグを携えた幹部を促す。床に敷物がひかれ、その上にバッグの中から取り出したものが置かれた。

 予想と寸分違わぬものを置かれて、純子は無表情でそれをまじまじと眺めていた。大きく目を見開き、口が開かれ舌を外に大きく飛び出して、無念と怨恨に満ちた形相で果てた小松の生首だった。


 少し間を置いてから純子は顔を上げて鹿島の方に向け、再び笑顔に戻った。心底嬉しそうな笑顔であった。

 純子のその反応を見ただけで善意のアビスの面々は、相手が噂通りのイカれた人物だと認識する。それと同時に少し胸を撫で下ろしてもいた。こんな野蛮な方法で頭を切り捨てて責任を取らせて手打ちにするという行いに、不快を示されるのではという懸念がずっとあったからだ。


「つまりー、ボスの勝手な暴走で喧嘩売っちゃったことだから、そのボスをこの通り切り捨てたから、これでけじめをつけて手打ちにしてほしいってことだねえ?」


 わかりきったことをわざわざ再認識するかのような純子の口ぶり。

 この時点では純子が和解を受け入れてくれるかどうかわからない。まだ油断できない。だが、受け入れてもらえなかった場合の切り札も、彼等は用意している。


「自分達だけは助かりたいと、自分達の面倒見てきてくれたボスを、こんな風に平然と切り捨てちゃうんだー。私の御機嫌取りのためだけにね。うーん、いいねえ、そういうの。懐かしいなあ。世界中の戦場で似たようなことありまくったしねえ。勝てないとわかって、自軍の将軍を殺して、敵軍に首を差し出して降伏っての」


 嬉しそうな笑みを張り付かせたまま、純子は語る。幹部達の何名かは動揺しはじめていた。わざわざこんなことを口にするということは、内心怒りを覚えているのかもしれないと思えたのだ。


「ま、その程度の人望しかないボスだったとも考えられるけど、ボスがそんなんだったら、部下の質もたかが知れてるって気もするよねー」

「当初、私達は命令には背けなかったのです。しかし最初の襲撃で想像以上の損失を出し、そこで諦めればいいものの、ボスはなおも貴女に楯突こうとした。我々に勝ち目は無いのに。だから私達としては生きのびるためにはこの選択肢しかなかったのです」


 純子の台詞に不穏なものを感じ取り、鹿島が弁解する。


「調べてみたんだけどさあ、君達は行き場が無かったのを、この小松さんに拾われたんだよねえ? んでもって、ずっと面倒看てもらっていたようなものなのに、その辺の恩とかは感じていないのかなあ?」

「だからと言って、無茶な命令に従い、ただ殺されるわけにもいかないでしょう。我々の立場と苦慮の末の結論です。それを御理解願いたい」


 話がスムーズにまとまらない方向に向かおうとしていることを察し、鹿島は最後の手段に移らんとする。


「あー、自爆の脅しとか別にしなくていいよ。無意味だし」


 だが純子のその一言に、鹿島の険しい表情が引きつった。


「私ね、耳と鼻はすごくいいんだよ。交渉決裂の時のために、予め服の下にダイナマイト巻いて脅しとか、そういう古典的なことしようとしているのも、最初からわかってたんだー。でも無駄だよ? てかさあ、それやってもその場凌ぎにしかならないじゃないーい。その後どうするのー? お金払って殺し屋でも雇うつもりでいたの?」

「ではどう対処なさるか、見せていただきたい」


 鹿島が服をまくってみせた直後、その格好のまま硬直した。


「何だ……これは?」


 鹿島が呻く。周囲の風景が一変していた。幹部達も驚愕して周囲を見回す。雪岡研究所の一室にいたはずが、見たことも無い場所にいる。真っ赤に染まったおどろおどろしい空。地平線までもが見える、360度見回しても何も無い、草木の一本も生えていない荒野。

 全員が恐怖にとらわれ、混乱していた。夢でも見ているのかと頬をつねる者や、己の正気すら疑う者もいる。


「大体さー、生きたまま連れてきてくれるのならともかく、死体持ってきてどうするの? それじゃ実験台にならないじゃなーい」


 室内で恐怖の表情のまま硬直した善意のアビスの幹部達を前に、純子が言う。彼等の背後には、黒い和服姿の累が、スケッチブックを広げて佇んでいた。

 広げられたスケッチプックに描かれているのは、赤く染まった空と、何も無く延々と続く茶色い大地の絵。その中心には、小さくポツンと描かれた七つの人影。


「別の部屋に運んで拘束したら、この人達の魂を元に戻してあげてね。反応無い肉の塊で遊んでも楽しくないしー」


 累に向かって告げた後、マイクを取って労働用のマウスを呼び出す。


「いいことした後には、どうしてもそれ以上に悪いことしたくなっちゃうのは、我ながら困った性だよ。うん」


 男達の恐怖にひきつった顔を見上げ、純子は笑顔で呟いた。


第六章 顔も知らないパパと遊ぼう 終

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る