第六章 29

「お久しぶりー、ミルク。元気してた?」

『随分と大人気ない真似してくれるですねえ。よりによってお前が直接、うちのマウスをいたぶってくれるとか』


 明るい声で挨拶する純子に、皮肉げな口調で返すミルク。


「いやー、たまたまそういうシチュエーションになっちゃったというか、私の方もマウスを動かしてなかったし、真君は私の言うこと聞いてくれなかったからさあ。喧嘩売られれば私が応対するしかなかったしねえ」

『ま、ぜーんぶ想定内だから、怒っちゃいねーですよっと。そういやお前は、マウスを放し飼いにする方針だったか。殺人人形以外』

「研究所のお手伝いさんマウスは例外だけどねー。あと、真君は別に私のマウスじゃないし、マウス扱いすると怒ると思うよー?」

『知ってて言ってみた。お前の探していた想い人だったんだな。よかったな、ようやく出会えて』


 皮肉などではなく本心から発した祝いの言葉であったが、純子が今まで見せたことがないような寂しげな笑みを浮かべているのを見て、ミルクは驚いた。そしてそれ以上その話題に触れない方がいいと判断する。


「てかさー、私がちょっかい出してると知ってたなら、連絡してくれればよかったんじゃない? そうすれば私も手出しやめたのに」

『想定内と言ったろ? そんな無粋なことしたらつまんねーし。それにうちのマウスもたまに遊ばせてやろうと思ってさ。もちろん最後は私がこうして回収するつもりでいたし。大体筋書き通りに事が運んだ。お前の描くシナリオやら行動パターンなんて、大体わかってるからな』


 ミルクの言葉を聞いて、バイパーが舌打ちする。


『それにだ、こいつが私に接触を図ってきたのも面白かったし。こいつの存在だけが計算外でしたねー』


 ミルクが振りかえる。そのミルクの動きに合わせたかのように、気を失ったままの真を抱えた繭が入ってくる。


「真君が君に?」

 意外そうに尋ねる純子。


『おう、バイパーが私のマウスだということを突き止めていたぞ。そのうえでお前を出し抜くために、私と取引しようとしていた。私はそれにのってやんなかったけどなー。そんなお人好しでもないし』


 真を見上げ、せせら笑うかのように口を開けてみせるミルク。


『で、どうする? こっちはマウス二匹連れていて、人質もいる。お前は負傷しているし、どう考えても分が悪いと思うが、それでもまだ遊びを続けるつもりですかー?』

「もちろんやらないよ」


 純子は笑みを張りつかせたまま即答した。


「雪岡……」


 意識を取り戻した真が顔をあげ、声を発する。ミルクが繭に向かって目配せし、繭が小さく頷いてゆっくりと真の体を下ろす。


「んー、どのくらいに目、覚ましてたー?」


 純子が真に向かって訊ねる。真が意識を取り戻してもすぐには反応せず、話を聞いていたことを見抜いていたと告げたうえでの質問。


「僕をマウス扱いして怒るとか、そのあたりかな」

 正直に答え、立ち上がる真。


「こいつの言うとおり、僕の目論見は外れたというか、外された。大した意地の悪さだ」


 すぐ足元にいるミルクを見下ろして言う真。蹴飛ばしてやりたい衝動に駆られるが、そうしようとしても、それができない相手だろうこともわかっている。先程意識を失わされた際も、何をされたのかさっぱりわからなかった。


「ミルクは誰かの言いなりになったり、利用されたりってのが、すごく大嫌いな子だからねえ。無理ないよー。私は面白ければ、いくらでも利用されちゃうけれどもねえ。この子はね、何もかも私と正反対の子だよー。私は科学の力で人類を飛躍的に進化させるのが目的なんだけど、ミルクの目的は人類より優れた種族をこの世にあふれさせて、今の人間社会そのものをひっくり返すことだもの」

『おうよ。造られた者の反逆さ』


 純子に解説されて、得意げに言うミルク。


『知性や精神を持つのは人間だけじゃあねーんですよ。人間の手によって、人間以外のものに知性を与えられ、人間の従属種族にされた、私のようなものも昔から多くいたし。それを歴史の闇に押し込んで、自分達を唯一の知性体だと信じて、万物の霊長面してのさばっている人間社会とか、ムカついてたまらんですしおすし』

「獣ノ帝と同じようなことをしたいのか?」


 真が発した言葉に、ミルクは鼻で笑った。猫が鼻で笑うという行為を目の当たりにして、真の目には何だかおかしく感じられた。


『かつて獣ノ帝は数多の妖を率いてこの国を蹂躙したが、結局は累や多くの妖術師に阻まれて失敗した。私はそれ以上の革命を起こし、必ず成功させてやんよ。ま、それはいいとして、私のマウスの感想をお前に聞いておこうか』


 ミルクが純子を見る。


「コンセプト自体はよくできているけれど、遊び心が少ないかなあ」


 バイパーの方に視線をやりながら、純子が感想を述べる。それを聞いて同時にムッとするバイパーとミルク。


『殺すぞテメー。遊び心とか言うけれど、お前だって毎回同じようなパターンばかりで、発想貧困じゃねーか』

「そうは言うけどさあ、洗練されすぎちゃうと何だかなーって思うんだよねえ。もっとカオスな発想が必要だと思わなーい? 試行錯誤せずに机上の設計を繰り返したうえで、無駄を省いて造ったのはわかるけれど、そのせいで可能性の芽も潰れてないかな?」

『何が可能性だボケ。思い描いた設計通りになっていればそれでいいだろ。第一、私は量より質重視ですし。お前は質より量っぽいから、くだらんマウスばかりになってるんだよ』

「違うよー。量から質なんだよー。試行錯誤をより多く繰り返して、その中からいいものができていくっていう――」

『下手な鉄砲も数撃ちゃ当たるか? 私は失敗だとわかったら途中で消去するが、お前は作りっぱなしでしょーが』


 その後もしばらく口論を続ける二人。真とバイパーと繭は退屈そうに、二人の言い合いが終わるのを待っていた。


『あー、もういいっ! わかってはいたけれどやっぱりお前とはかみあわねーっ。帰るぞ、繭、そーすけクン』

「テメー、玉葱食わすぞ……」


 最後は切れてやっと口論を終えて帰宅を促すミルクに、バイパーが渋面で吐き捨てる。


「あの二人のこと、頼む」


 部屋を出る際にバイパーが純子の方に振り返り、小さく告げる。


「心配しなくても大丈夫だよー」


 満面に屈託の無い笑顔を広げて答える純子。


『私がわざわざ出向いてナシつけたんだ。こいつが必要以上にお前や藍にちょっかいかけるってこたー、あるめーよ。そういう所は変に義理堅い奴だし』


 室外からミルクがバイパーに声をかける。

 やがてバイパーもミルクの後を追う形で公衆浴場を出た。


***


「糞っ、納得いかねえぜ。いい所で止めやがってよ」


 廊下を歩きながら、忌々しげに文句を垂れるバイパー。


『あいつは私が全力出して勝てるかどうかって奴だぞ? 四分六分といったところか。私の勝率四でな。私が止めに入らなければ、あいつの言ってた通り、達磨にされていただろうよ。十分遊ばせてやっただろ? お前を遊ばせてやるお膳立てでもあったんだから、私に感謝しろ。しかしまあ、純子に手傷を負わせた事は褒めてやる。お前がそこまで出来る子だとは思わなかった。痛快痛快』


 ミルクは本気で称賛しているようだが、あの程度で高評価されていることが、かえってバイパーには屈辱だった。


『あいつは触れた物の原子の結合を崩壊させたり、運動速度を操作したりできるらしいんだ。原子や分子を自在に操るとでもいうか。ひょっとしたら電子もかな。詳しくは私にもわからん。凍らせたり燃やしたり、原子分解したりする事ができるってくらいは知ってるけど』


 繭の持つバスケットの中に入りながら、ミルクは顔だけ出してバイパーの方を見て言う。


『とはいってもその能力だか術だかの発動に若干のタイムラグがあるみたいだし、確実でもないようですがね。ま、肉弾戦で挑むには最悪の相性だ。攻撃は相当な速度が必要なうえに、相手から触れられるのは絶対避けないといけないし』

「途中で気づいたよ。接近戦は不味いってね。そのうえお前みたく、チートな能力をたんまりと持っているってことか」

『チートって言葉を容易く使うなよボケ。それは元々ゲームの用語だし、長らくネトゲしていた私からすると、凄く嫌な印象だからな。ま、仮にも過ぎたる命を持つ者だし、不本意ながら三狂として私と同格扱いされているし。まあ、どうせお前のことだから、実力以前にあいつは殺せないでしょ。何しろお前はガキを殺すことができないですからね』


 からかうように告げたミルクの言葉に、歯噛みするバイパー。


「オーバーライフってこたー、見た目はガキでも中身は違うだろ。そう割り切っていたから、そこそこ平気だったけどな」


 強がってはみたものの、力の差を抜きにしても、本気で壊すことができたかどうか、バイパー自身疑わしかった。


***


「サンプル取っといて正解だったねえ。長生きしていると、人間いろんなことを事前に想定できるようになって、抜け目無くなるもんだよ」


 ビニールの中に入れたバイパーの肉片をかざしてみながら、嬉しそうに呟く純子。


「今のでかいのにやられたのか?」


 白衣の上からでもはっきりとわかるほどのひどい骨折と、体中貫かれたままの針を見て、真が問う。

 いつもと変わらぬ無表情かつ無感情な声だったが、怒りに満ちているのが純子にはありありと感じられた。周囲の空気が怒気によって軋んでいるかのように見える。


「うん。バイパー君っていう人。ミルクのマウスだよー。アルラウネを移植されて第二世代作るのに成功した――つまり、今回私が狙っていた子。ミルクのマウスだとは知らなかったし、あの子に悪いから、手引いちゃったけどねー」


 真は事前に知っていたが、相手が草露ミルクの下僕だと知って手を引いたと言われ、複雑な気分になる。


「遠慮するなんてお前らしくないな。機会があったら僕がそいつを生け捕りにして、お前の所に連れてきてやるから、存分に遊べばいい」

「いつもの真君らしくないね」


 そう言う純子も、いつもならもっとからかう所だが、自分のために怒りを覚えている真を見て、それくらいしか言えなかった。それどころか純子自身も真の反応に戸惑いを覚えていて、気の利いた言葉が出てこない。


「ミルクが来ちゃったから、それもできなくなったかなあ。あの子と私の力はわりと拮抗しているけれど、向こうのがちょっと強いかも。んー、勝率40%ってところかなあ。ま、恨むことも怒ることもないよ。元々ちょっかい出したのは私の方なんだからねー」


 言いながら純子は体に刺さった針を抜いていく。抜いた瞬間に粉々に崩れ落ち、床に落ちる前に霧状になって消える。腹や胸に刺さっていた針は、肺や腸を貫いていたのではないかとも真には思えたが、純子は全く痛みを感じさせず平然としている。


「痛くないのか?」

「いや、痛いよー? でも別に苦しくはないかなあ。うまく言えないけれど、痛いのが嫌だってことはないというか、むしろ痛みを楽しんでいるというか、あまり味わえない貴重な体験だしさあ。マゾとかそういうんじゃあないと思う……うん……多分……自信ないけど多分……」


 語りながら、自分の言葉に自分で不安になって、笑顔が引きつりだす純子。


「あ、そうだ。採取したサンプルを分けてあげる約束だったんだ。それ済ませて帰ろ」


 そう言って外に出る純子。真も純子に続いて廊下に出る。


「あれま」

 目の前にある光景に、純子がそう一言発する。


 公衆浴場前の廊下で、煉瓦の兵士達が一人残らず倒れていた。


「李っ」


 その中に真のかつての戦友の姿もあり、その名を呼んで小走りで駆け寄り、しゃがみこんで生死を確認する。脈は正常だった。意識を失っているだけだ。


「おい、李」

 李の上体を起こして体を揺さぶる真。


「ちょっとちょっと真君。脳震盪起こしているのにそんな風にゆすっちゃだめだよ」

「脳震盪かどうかなんてわからないが、あいつの仕業か?」


 注意する純子を見上げ、真が問う。


「ミルクが顔を見られたくなくて、念動力で頭を揺らしたんだろうねえ。ああ、後学のために教えておくけれど、超常の力をレジストできない常人が、あの子の視界の中で動き止めていると、念動力でもって、一瞬でバラバラに引き裂かれちゃうからねー。もしあの子と事を構えることになったら、あの子の認識より早く動き回ること。あるいは視界の中になるべく入らないようにした方がいいよー。一番いいのは敵対しないことだけれどさー。もちろん単に念動力使うだけの一発屋異能者じゃーなくて、他にもいろいろチート能力あると思うし。仮にもオーバーライフのステップ2だしねえ」

「そんな相手じゃ、煉瓦が全滅してもしゃーないーか」


 どこで意識を取り戻したのか、純子の解説を聞いていた李が声を発し、真の顔を見上げてにやりと笑う。


「危険を冒すことは徹底して避けるんじゃなかったのか?」

 皮肉げに言う真。


「不意打ちくらったんだよ。つーか、わけわからんうちに次々倒されていったからね。Tシャツだけの娘っ子が現れたんだが、そいつの仕業ではないっぽいというか、敵の位置を読み取ることさえできなかった」


 ミルクの正体を知った真からしてみれば、李の言葉の意味する所が何なのか理解できた。確かに猫の仕業とは思わないであろう。


「雪岡純子? 何ですか、この手は……すごく冷たい」


 純子によって膝枕され、額に手をあてられていた秀蘭が目を覚ます。


「いつもこんなに冷たいわけじゃないよぉ。介抱するために手自体を冷やしてアイスノン代わりにしただけだから。で、軽く頭を揺らされて意識を失っていたんだよ。ちょっとの間、安静にしておいた方がいいよー」


 純子が微笑みながら、バイパーの肉片が入ったビニールを秀蘭の顔の上で振ってみせる。


「君達を気絶させた子に邪魔されてねー。成果はこれだけ。ま、約束通り折半てことで」

「それで上が納得してくれることを祈りますよ」


 ビニール越しに肉片をちぎって、別のビニールに移して差し出した純子に、秀蘭は苦笑してそれを受け取った。

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