第六章 19

 惣介が廃墟という言葉を始めて知ったのは、ゲームの中でだ。見た目だけはリアルと寸分違わぬ仮想空間の中で、それらをお目にかかったこともあるし、中に入ったこともある。

 だが実際の廃墟の中に入るのは初めての経験だ。リアリティ溢れる仮想世界のそれと大きな差異は見受けられないため、大した感慨も無かったが――


「何かこういう所に入ると、いろいろ考えちゃわない?」


 長く伸びた通路を軽くステップを踏んで先に歩きながら、純子が惣介の方を振り返って声をかけてきた。口元に微笑を浮かべ、嬉しそうな声音だ。


「安楽市には裏通りの住人用に、こういう廃墟になったまま放置されている施設が多いけどねえ。打ち捨てられた建物って可哀想に思えるよ」


 可哀想と言っている割には何故か嬉しそうな純子だが、惣介は純子と数日行動を共にして、口に出すことと表面に現す態度や感情が頻繁にブレている人物だとわかったので、特にもう何とも思わない。


 十年前から放置されて荒れ放題の旧安楽寺院。

 石造りの巨大な建物はあちこちの壁や柱が崩れ落ちており、かつて鮮やかだったであろう、ターコイズブルーと水色で彩られたタイルの床もくすんで汚れている。だがそれでも荘厳な雰囲気だけはそのまま残っているように、惣介には感じられた。


「物にも魂が宿るからねえ。物を大事にするって考えは、日本人の心に古来より伝わる伝統だけれど、八百万の神っていう発想は正に、太古の探求者がそれを見抜いて広めた教えなんだろうなー。あ、その探求者ってのは、科学の発展以前は皆妖術師やら魔術師だったけどねー。って、こんな話つまらない?」

「いや、面白いよ」


 正直、気が紛れるので救いだった。考えたくない嫌なことを考えなくて済む。


「不安が紛れる?」


 そんな惣介の想いを見透かし、からかうように純子。


「今まで会った事の無いお父さんに会うのが不安?」

「そんなの、来るかどうかわからないじゃん。つーか、来ないよ」

「どうしてそう思うのぉ?」

「顔も見たことない子供を助けになんか……って、このやり取り何度目だよ」


 すでに純子と惣介の間で幾度も交わされた会話だ。惣介としては話すのも考えるのも嫌な話題である。


「でも助けに来たとしたなら、それはすごいお父さんだよねえ。そう思わない?」

「思わない」


 むくれ声で反射的にそう返す惣介。


「裏通りでも恐怖の大魔王みたいに伝えられている私に戦いを挑んで、君を奪還しようとするんだから、すごいと思うけどなあ」


 わざとらしく茶化すかのように言う純子に、ただでさえぴりぴりとしていた惣介の神経が余計に逆撫でされる。


「まあその問題に関しては、ちょっと私にもわからないというか、どうしてあげることもできないけれどねー。もう一つの方は何とかしてあげたいと思うんだ。うん。そのためのセッティングでもあるしさあ」


 続けて言われたその言葉に、惣介の苛立ちが一気に冷める。


「どのタイミングで実行するか難しいけれど、うまくあわせてねー。失敗したらそれでおじゃんだよー」

「う、うん」


 一体何度目になるかわからない確認に、緊張した面持ちでうなずく惣介。純子の前にいるのは肉人形の惣介であるが、表情すらもそのまま伝わって反映される。


「これは惣介君のために、惣介君のお母さん今の職業を辞めさせるための作戦でもあるしねえ」

「純子さん、本当にありがとう」


 純子の立てた作戦の概要を知る惣介は、心から感謝していた。チープな手ではあるが、純子自身の目的に、惣介の望みをかなえることまで絡めてくれた。


「お礼はうまいこといってからでいいよー。正直、こっちだってうまくいく保障は無いからさあ。即興で立てたプランだし、君のお母さんがどういう判断を下すかわからないしねえ」

「そう言われるとちょっと怖いよ……」


 暗い面持ちになってうつむく惣介


「もし、目の前で俺が死んだとしても、それでも母さんが変わらないままだったとしたらと思うと」

「その時はまあ……しょーがないかなあ。あは、無責任でごめんね」


 そんなことはないよと、ありきたりな励ましの言葉をくれずに、あっさりとしょうがないと断じて悪戯っぽく笑う純子。不思議なことにその方が、惣介からすると気が楽になれた。


***


 小松の命令により、善意のアビスは残った構成員をかき集め、健の指揮下で旧安楽寺院へと送り込んだ。

 古参の幹部連中と事務員らは残っていたが、兵隊の九割近くが投入されてしまっている。


「勝ち目があると思いますか?」


 鹿島を筆頭とした幹部連中が、再び小松に詰め寄っていた。


「今度は倍の人数入れたし、きっと大丈夫だろ」


 爪を切りながら、うるさそうな顔でそう返す小松。


「根拠が数だけですか? たとえ目的を遂げられたとしても、間違いなく多くの犠牲を出しますよ。失敗したとしたら、雪岡からの報復もまず間違いないのですよ」


 沸点間際という顔で鹿島が食いつくが、小松は意に介さない。腰の引けた部下の言葉など耳を貸す価値がないとして、そこで思考停止してしまっている。


「今すぐ兵を引き上げて、雪岡純子に手打ちの申し入れをしましょう」


 幹部の一人の言葉が、小松の神経を逆撫でする。怒りのあまり、思わず深爪を切ったこともあわせて、憤怒の形相で今発言した幹部を睨みつける。


「何で俺が謝らなくちゃならねーんだ! わけわかんねーよ!」

「このままでは組織の者は皆殺しにされますよ。それでもいいんですか」

「この組織は俺が作ったものだぞ! お前らを拾ってやったのも俺だ! その俺に向かって謝れなんてよく言えるな!」


 喚き散らす小松に、鹿島の目が据わる。鹿島の中で何かが切れた瞬間だった。


「我々に死ねと?」

「そうは言ってねえ! 俺だって馬鹿じゃねーんだ、このままではこっちが殺られることだってわかってら。だから俺が謝るとか、そんなふざけた案以外の案で、何とか機嫌を取れよ。それを考えるのがお前らの役目だろ」


 精一杯凄味を利かせたつもりで、大真面目に幹部達を威圧する小松だったが、全員呆れ果てた様子だった。あるいは諦めたか。


「最終通告のつもりだったのですが、仕方ありませんね」


 鹿島が息を吐き、銃を抜く。当然、銃口の先は小松へと向けられている。それに習うかの如く、他の幹部達も一斉に銃を抜き、小松へと向けた。予め打ち合わせはしてあった。小松がどうしても聞き入れなかった場合の決断を。


「この組織はボスが作ったものですし、これまでお世話になったと感謝しています。けれど、ボスの私事のために投げ出すような安い命は持っていません」

 淡々とした口調で鹿島。


「ふ、ふざけるな! この恩知らず共! 俺の命を手土産に雪岡に御機嫌取りしてまで助かりたいってのか!」


 突然の反乱に脅えながらも精一杯虚勢を張る。何よりも彼が戦慄したのは部下達の冷めた視線と表情だった。


「外道が! ふざけるな! ふざけるな! ふざけ……」


 わめき声は途中で幾つもの銃声によってかき消された。


「健に連絡して引き返すように言え。もし納得しないなら、こいつの死に顔の写真をあいつに送っておけ」


 この瞬間に善意のアビスの新しい頭となった鹿島が、背後にいる幹部に命ずる。


「無理でしょう。健は部下を殺されて復讐に燃えているようですからね。電話も切っているようで、連絡が取れません」


 幹部の一人が苦虫を噛み潰したかのような顔で言う。


「他の部下は?」

「駄目ですね。通じません。健に電話を切るように命じられているのかも」


 報告を受けて、鹿島は陰鬱な面持ちになる。小松を殺しただけでは、構成員の大半を失うのは回避できそうにない。


「諦めて一から出直しするしかないか。新規の構成員の募集を今からやっておこう」


 仕方なく、寺院に向かった部下を見捨てる選択を下す鹿島。


「雪岡への謝罪を今すぐ行うというのは?」

 幹部が提案する。


「馬鹿を言え。うちの者が向かっている今やってどうする」


 そう言って鹿島は、憤怒の形相のまま果てている小松に目を落とす。


「こいつの首を切り落として防腐処理しておけ。事態が収束したら手打ちの時に持っていく」


 鹿島の命に、幹部達は顔を見合わせた。首だけ切断して、手打ちのための手土産にするという前時代的かつ野蛮な発想に引いてしまったのだ。

 次代のボスも問題があるのではないかという不安が、彼等の中に沸き起こった。

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