第六章 18

 褐色の肌の少年は、世間では殺人狂と騒がれていたが、人を殺したという意識は彼には無かった。

 認識としては、人の形をしたムカつく何かをちぎって壊して黙らせただけだ。蝿を叩き殺すのと何ら変わりない感覚だった。

 生まれながらの驚異的な握力と膂力は、人間の肉を容易にひきちぎることができたし、骨をへし折ることもできた。ちぎり、砕き、動かなくする。そうすれば落ち着く。ムカつきの元が消えてくれる。


 少なくとも少年は殺人による罪悪感というものを覚えたことはない。

 しかし好んで殺人を犯したいとも思わない。目につく者を手当たり次第に殺したいなどとも思わない。もし過失であろうと殺人を犯したとあれば、激しく後悔し、罪の意識にさいなまれるに違いない。少年が手をかけるのは、あくまで自分をムカつかせた相手だけだ。


 少年は魂の存在を信じている。まだ霊も死後の世界も転生のシステムも実証されていない時代だが、数年前の友人の死により、確信している。

 一方で生物の体は化学反応でしかなく、それを維持できなく破壊すれば、全てが終わる。腐った心は輪廻の旅へ出て、そこに何も残らなくなる。そうしてやることが心地よくてたまらなかった。


「とにかくしおらしく謝罪しなさい。君の不幸な身の上を話したうえで、減刑にもっていく。謝罪してさえいれば、死刑反対論者を初めとして、多くの人達が君の味方についてくれて、君を死刑から救う努力をしてくれる」

「嫌なこった。俺は何も悪いことしてねーし」


 少年は人権派弁護士の説得を笑いながらつっぱねた。


「これだけの人間を殺めて、被告には罪の意識がないのですか?」

「あるわけねーだろ。大体俺がいつ人間を殺したんだよ。人の皮を被って人の振りをしたゴキブリなら壊しってやったけどな。汚らしいゴキブリを叩き潰して、罪の意識なんかわくか? 笑わせるな」


 少年は最終弁論で裁判官に向かって侮蔑いっぱいにそう返した。

 ネット上では少年を支持する声もあがっていた。実の父を除けば、彼が今まで殺めた者の大半は、不良やチンピラばかりであったし、逮捕の決め手となった殺人は、児童買春を行っていた裏通りの組織の構成員とその客、あわせて十数人を殺してまわったという代物だ。

 まず組織を先に潰しておいて、さらに組織が存続しているかのように見せかけて、子供を買いに来た客達を何日もかけて、一人一人殺していったのである。


 幼い頃に移民という事でいじめを受けていた過去があり、父親からも虐待を受け続け、目の前で同級生に弟を殺された経験もある少年は、様々な不幸な経験で心が歪んでしまったと弁護士は訴えたが、判明しているだけで二十人以上もの人を殺している彼に、情状酌量がなされることはなく、あっさりと死刑の判決が言い渡された。


 死刑の数日前、面会があると伝えられて少年は訝った。自分に用のある者の心当たりはあまりない。残った唯一の肉親である父親も自分の手で殺害済みだ。もう家族はいないし、親戚付き合いもない。学校に通っていた頃の友人が会いに来たくらいは考えられる。


『ほお、中々いい気を発してるな。お前、気に入ったわ~。お前みたいな活きのいい野郎、私好みですし』


 興味を抱いて面会室に行っても何者もおらず、ただ声だけが響く。


『根性のないカスなら、凶悪犯罪働いた後にてめーの命可愛さに、人命尊重やら性善説やらを謳うゴミクズみてーな人権派弁護士の言われるままに、へりくだって反省モードなのですがね。お前はそれとは真逆だったな。喜べ。だからこそ私が目をつけてやった。もちろんそれ以前の功績も目を見張るわ。表通りの分際で、小なりとはいえ裏通りの組織一つ潰すとか、こいつは相当の逸材ですね』


 奇妙な響きの声だけが響き渡る面会室。何者かの気配はある。そして妙なことに気がついた。看守の姿がない。


『私の姿を見られたくないんでね。外してもらったわ。私にはそれができるからな』

 少年の疑問を察したかのように声が答える。


『さて、この先はお前の選択次第。私に絶対服従するなら、ここから出して新たな命をくれてやんよ。法にへりくだって牢獄で生き延びる選択をしなかったお前の事ですし、返事は特に期待してねー。私だって気に入ったからといって、別にどうしてもお前が欲しいわけでもないですし。誰にも頭を下げないってのを貫いたまま死ぬのなら、それでいい』


 死刑の回避――裏通りにおける死刑囚の買い取りの噂は少年も知っていた。それが行われようとしているのだ。

 服従が条件と言われているが、飲み込む必要もない。従った振りをしてすぐに逃げてやろうと心に決める少年。


「その前に姿くらい見せたらどーだよ」

『おうよ』


 少年の言葉に応じるかのように、一匹の白猫が仕切りの手前にある台の上に乗った。


『どうしたカス? お望み通り姿を見せてやったぞ?』

「何の冗談だよ、これは……」


 面食らう少年であったが、それが冗談ではないことを知るのに、さしたる時間を要さなかった。


***


「ねね、ミルク。ちょっと起きてにぅ」


 クラブ猫屋敷にて、ソファーの上でうたた寝をしていた白猫をナルが起こす。


『あんだよ。私を起こすとかよっぽどのことなんだろうな』


 不機嫌そうな声と共にミルクが身を起こし、大きく伸びをする。


「そうでなければ起こさないにぅ。これ見て欲しいにぅ」


 昼間から寝巻き姿のナルが、ホール内に無数に映し出されたホログラムディスプレイの一つを指す。メールボックスだった。

 ミルクが管理している、ごくごく一部の者しか知らないサイト。そこに意外な人物がたどり着いて、そのサイト経由のメールでミルクと接触を図ろうとしている。


「どうするにぅ? 雪岡純子の罠なのかにゃ?」

『わからねー。つーか、純子なら他人の名を使ったりしないと思うし』


 ミルクが告げた直後、テーブルの一つの上に置いてあった受話器が震えだし、ひとりでに起動して番号が打ち込まれだす。


「どうしたにぅ?」

『留守電だったから面倒だしすぐ切った。こっちでメール返しておいた方がいいな』


 念動力でパソコンを操作し、返信するミルク。


「個人的に接触してきたのかにゃ?」

『そうでしょーよ。しかしこんなことわざわざ教えてもらわなくても、こっちは予定通りですよっと。純子の浅はかな企みなんざ、こちとらお見通しだし』


 ミルクがつまらなさそうに鼻を鳴らす。逆にナルは面白そうにディスプレイを見上げる。


「相沢真かー。どんな人なのかにゃー」

『私もちょっと興味が沸いた。わざわざ自分の主の情報をこちらに知らせたうえで、私と接触しようとか、どういうつもりなのやら』


 メールの送り主は相沢真。メールの内容は、雪岡純子が神谷惣介を餌にして、バイパーを確保して実験台にしようとしているので、協力して妨害しないかという提案だった。


『オーマイレイプめ、余計なことしてくれやがりますですねえ』


 ミルクがごく一部の者にしか教えていないサイトの情報を真に流したのは、そこしか考えられない。ミルク達と因縁深い情報組織。


「いい加減仲直りした方がいいにぅ」

 ナルが眉をひそめてたしなめる。


『余計なお世話ですし。それはともかく、この相沢真て奴、藍の息子の父親がバイパーだとよくわかったな。いや、藍やらその息子のアルラウネのルーツが私だと、よくわかったと言うべきか』

「純子ちゃんが教えたんじゃないかにぅ?」

『どうかな。純子の性格考えれば、私のマウスだと最初から知っていれば、ちょっかい出すような真似はしねー気がするし。多分な。てか、純子にしてみればルーツがわからないからこそ、藍とバイパーの息子を人質にとって、アルラウネの移植元である父親を引きずり出そうとしているんでしょ? まー、あいつはそういう性格ですし。相手が誰の所有物かをわかっていれば遠慮するが、わからないなら奪って好き勝手にしてもいいっていうね、そういう思考回路』

「なのに殺人人形君の方は、ルーツがミルクだということがわかっちゃって、接触を図ったってことにぅ? しかも純子さんに逆らうようなことまでするにぅ?」


 難しい顔で首をかしげるナル。


『こいつの真意を聞きだすためにも、接触してみるですかね。ま、私が出るのも最初から予定通りだけどな。放っておくとバイパーが純子に回収されたままになるかもしれねー。てなわけで行ってくるわ』


 再度伸びをして、ミルクはソファーの上から飛び降りた。


『繭を連れて行こう。たまにはあいつも遊ばせてやらねーとな』

「僕はー?」


 期待して表情を輝かせ自分を指差すナル。


『お前とつくしはお留守番』

「にぅ~」


 不満げに唇を尖らせるナルを尻目に、ミルクはホールの奥にある扉へと、繭を呼びに向かった。

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