第六章 7
善意のアビスは始末屋組織である。裏通りにおける組織としての格付けは、中堅に位置する。
始末屋――裏通りではポビュラーな職業。厄介事を引き受ける何でも屋であり、フリーの者もいれば、善意のアビスのように組織として構成されているものもある。
組織構成されているものにも二通りあって、組織に登録した始末屋一人一人に仕事を回していくタイプと、一つの仕事をチームで解決にあたらすタイプだ。善意のアビスは後者にあたる。
小松豪がこの組織を設立したのは十年前。うだつのあがらないフリーの始末屋達を集めて、一纏めの組織とすることで、彼等の食い扶持を維持することができた。一方で小松は組織の長として、常に安全圏にいながら高収入を得る立場につくことができた。
口が悪くがめつくて狭量な部分が目立つ男ではあるが、小松はこれまで、決して仕事の無理強いだけは行わなかった。部下の命を第一に考え、組織の手に余ると判断した仕事は受け付けず、犠牲者はなるべく出さないように努めていたが故に、部下達は小松を信頼していた。
少なくとも、今まではそうだった。
小松からすると別に部下のことを思ったわけではない。部下が死んだらまた新しい部下を入れて育てなくてはいけない分、損だと計算しただけの話である。
「ボス、神谷藍さんが面会を求めてきていますが」
幹部の中では最年少である生江健の報告を聞いて、小松は心底驚いた。小松が心底入れ込み、惚れ込んでいる女神の如き女性が、オフで会いに来るなど、考えてもいなかったことだ。
「と、通せ」
多少上ずった声で命ずる小松。明らかな動揺の色を浮かべているボスに、健は訝りながら退室する。
生江健は最近善意のアビスに入ったばかりの少年で、入って即座に幹部に昇格した。善意のアビスの古参メンバーの誰よりも腕が立ち、健に付き添って入ってきた彼の子分らも、いい働きをする。
元々健は数人規模の小さな組織を営んでいたが、労働条件の良さと名声を見込んで、善意のアビスに吸収されるという道を選んだのである。
「失礼します」
小松のいる部屋に藍が入ってきて一礼する。藍の思いつめた憂い顔を見て、小松はただ事ではないなと察した。
商売抜きで会うのも初めてなら、藍のこんな顔を見るのは初めてだ。客と娼婦という立場を越えてまで自分を頼りにきたに違いないと、自意識過剰な自惚れや思い込みも含めて、小松はそう判断した。
「えっと……今日は逆の立場で参りました。私がお客という立場で、仕事の依頼をしに参りました。どうしても直接お会いし、お願いしたくて」
今にも泣きだしそうな顔を小松に向け、震える声で告げる藍。全ては計算されたものであるが、小松のような男にはそれがわからないし、効果は十分すぎる。
「何でも! 何でも言ってよ! 俺は絶対に藍ちゃんの力になるぜ!」
藍を安心させてやろうと、自分は頼れる男であると誇示せんとして、黄ばんだ歯を見せ、髭面に気色の悪い笑みを広げる小松。
だがその笑みは長く続かなかった、藍の口から告げられた依頼を耳にして、小松の表情は強張る。
「藍ちゃんの子供が……よりによってあの雪岡純子にね……」
裏通りの生ける伝説の一人である危険人物。敵対した者を尽く死体にするか実験台にしてきたマッドサイエンティストの名を聞いて、あからさまに臆する小松。
(常識的に考えれば、そんな奴をうちみたいなそこそこの組織が相手にするなんて、無理ありすぎだぜ)
即座にそう判断する。藍でなければすげなく断っている。それが正常な判断だ。
「わかった! 俺も男だ! 男に二言は無い! 相手がどんな化け物だろうと絶対に力になるぜ!」
己の胸を叩いて必死で勇ましさを誇示しつつ、小松は己の正常な判断を捻じ曲げた。
「ありがとう、小松さん。どうかよろしくお願いします」
瞳を潤ませて小松に熱っぽい視線を向け、精一杯しおらしく保護欲をそそらせる藍のその振る舞いは、計算や演技だけではなかった。本気で藁にもすがる気持ちで頼っている。
計算と言えば、他の知らない組織や個人に頼むよりも、藍が知る中で一番力になってくれそうで、なおかつ見込みがありそうな相手を藍なりに考えて出した答えが、小松だったというだけだ。
藍が深々と頭を垂れて退室した後、小松は組織のアジト内にいる幹部を全て招集した。
「うちらの組織が発足して以来の大仕事になる。雪岡純子と一戦交えてもらう」
小松の指令に呆然とする幹部達。
「いくらなんでも無茶ですよ!」
「あいつに楯突いた組織の数々がどうなったか御存知でしょう?」
「うちらよりずっと力のある組織だって……」
顔色を変えて一斉に反発する幹部達。これまで無茶な仕事を引き受けなかった小松が、突然とんでもない内容の仕事を取ってきたことに、混乱していた。
「引き受けちまったんだよ! この仕事だけは総力をあげてどうしてもやれ! 嫌だってんならやめちまえ!」
机を叩いての怒号に、幹部達は静まり返る。
「じゃあ俺が行ってきましょうか?」
ただ一人薄ら笑いを浮かべていた幹部が、余裕に満ちた声で告げた。最年少幹部であり、善意のアビスでは最も腕の立つ男、生江健だった。凄みの利いた獰猛な面構えは実年齢より十歳以上老けて見える。目を爛々と輝かせ、この状況を一人楽しんでいるかのようだ。
「いくらお前でもな、雪岡純子専属の殺し屋相沢真とやりあえるとは思えん」
健を睨みつけたのは鹿島銀三。善意のアビスの最古参幹部である。年齢はボスである小松よりも一回り上だ。
「一人で十人以上も相手に立ち回って、全滅させちまう程の化け物って話だろ? だからこそやりてーのさ。日頃の鍛錬で磨きぬいた自分の全てをぶつけるには、もってこいの獲物だぜ」
暴れたくてうずうずしているといった風の健に対して、幹部の中には、この場において健のことが頼もしくも見える者もいたが、向こう見ずな餓鬼がつけあがっていると見なす者もいる。
「一人で十人以上も殺せるなんて、馬鹿な映画じゃあるまいし、有り得ない話だ。どうせ噂に尾鰭がついただけだ。しっかり片付けてこい」
「はい」
健を見据えて小松が命ずる。不敵な笑みを浮かべたまま会釈して、健は退室した。
「お前らもちゃんとあいつをサポートしてやれよ」
残った幹部達に、やんわりとした口調で小松が告げたものの、皆渋面のまま、誰も返事をしなかった。
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