第六章 8

 藍が研究所を出てから十五時間後。純子と真ともう一人は、安楽市絶好調の歓楽街はずれにあるオープンカフェで朝食をとっていた。

 純子も真も朝から外食などすることはほとんど無い。夜はタスマニアデビルに赴いて外食することもあるが、朝食は大抵研究所で純子が作る。


(ま、狙いは明白だな)


 すぐ横の席で朝食を取る振りをしている惣介に一瞥をくれ、真は思う。


「味がしない御飯とか食べても……」


 惣介が不満げな顔で、サンドイッチを口に運ぶ。


「味覚の再現と伝達する機能は、まだつけてなくてさー」

 と、純子。


「動かしづらいな……感覚的にはトリップゲームしているのと似ているけれさ」

「すぐ慣れるよー」


 純子と真に挟まれる形で座っているのは、姿形こそ惣介そのものであったが、実際の惣介ではない。顔と体の型を取って作った肉人形である。ようするに惣介そっくりなロボットだ。


「この先、危険なこともあるかもしれないからねー。君には餌になってもらうし、場合によっては人質扱いもするけれど、絶対に危険が及ばないように研究所にいてもらうよー。そんでもって、君にそっくりの肉人形を君の代わりに連れて歩くから、君は研究所からそれを操作してもらうよ?」


 純子にそう告げられて惣介は雪岡研究所に残り、ドリームバンドに似たトリップゴーグルを被り、自分に似せて作られた疑似生命を遠隔操作していた。


「危険を避けるためだけではなく、別の用途にも使えるしねえ」

「別の用途?」

「まあ、その時が来ればわかるよー。その時、うまくあわせて動いてね? さもないと台無しになっちゃうかもよー?」


 純子の言葉の意味が惣介にはわからなかったが、わからないが故に、漠然たる不安を覚える。


「んでさ、君は――」

 純子が真の方に顔を向ける。


「邪魔すると言ってたわりにはずっと側にいるけれど、何企んでいるのかなー?」


 からかう純子に、真は無言でそっぽを向く。


「わかりやすい反応しちゃってえ、可愛いなぁ、もう」


 くすくすと笑い、純子がコーヒーを口につけたその時、真と純子は、自分達に向けられた複数の敵意が接近してくるのを感じ取る。

 しかしそれらを察知しつつも、真も純子も悠然と朝食を進める。離れた距離からの気配だけで、敵の力量も大体わかってしまった。事前に席を立ち、身構えるまでもない。おまけに純子はヘッドホンをかけて音楽まで聴きだす始末。


 八人の男達が三人の周囲を取り囲む。皆若い。明らかに十代と見える者も混じっているが、荒事に長けた者達であることが素人目にも見て取れる。何人かはすでに手には拳銃を手にしている。


「兄貴ぃ、あっさり取り囲んじまったけれど、本当にこいつらそんなにやべーの?」


 金髪に染めた長髪の巨漢が、真の背後から銃口を真に突きつけて、にやにや笑いながら尋ねる。体系こそがっちりしているものの、丸顔で童顔の少年だ。


「油断するなよ。あとな、そこの餓鬼は絶対傷つけないようにな」


 後から遅れて現れた生江健が、己の右腕的存在である荻原三郎に告げた。


「これだけ数集めれば、どんな奴だって、手も足も出ず殺されるだけだろ? 常識的に考えて」


 真の後頭部に銃口を突きつけ、三郎が鼻を鳴らす。あとは引き金を引けばカタがつくという状態だ。一秒もかからず相手の命を奪える。にも関わらず真は周囲の状況など見えてないように、無反応で食事を続けている。

 純子も同様に、音楽を聴きながら食事を続けている。その両者を見て、惣介は不思議だった。絶体絶命だというのに、二人から全く恐怖のようなものが見受けられない。


「何が殺人人形だよ。ただのガキじゃねーか」


 絶対的優位に立ったというのに、真が平然とした様子であるのが、三郎の神経を苛立たせる。


「えっとね、そいつをこちらに引き渡してもらいたいんだがね。できれば今の状況見て、平和的に済ませて欲しいね」


 健がゆっくりと純子に近づき、その側頭部に銃口を突きつけて静かな口調で告げる。


「あー、ごめん。これの音大きすぎて何言ってんのか、よく聞こえなかったよー」

 と、笑顔のままヘッドホンを外す純子。


「はい、取ったよー。もう一回言ってくれないかなー? 何言ってたの?」

「そいつを渡せ」


 状況を理解しつつも全く危機感を見せない純子に、健も苛立ちを覚えた。交渉などすることもなく、さっさと殺したいという衝動が沸き起こる。


「そうだねえ。クイズに答えて正解だったら渡してあげるよー。私の誕生日をあてるのってどうかなあ? 私自身、誕生日知らないけど」

「没年日なら今日だ。余裕かましたまま死ねや」


 あっさり切れた健が指に力をいれる。が、引き金を引いたつもりで、できなかった。純子の手が目にもとまらぬ速さで動き、健から銃を奪い取っていた。


「え?」


 何が起こったか理解できず、呆けた表情になる健。至近距離から銃口をあて、少しでもおかしな動きをしたら、即座に引き金を引いて頭を吹っ飛ばすように身構えていたはずだ。それなのに、瞬きほどの間に自分の得物が奪われていた。相手が動く気配など全くなかった。


「どんなに油断せずにいるつもりでも、呼吸しないわけにはいかないよねえ? 私、耳いいからさあ、これだけ近くに寄られれば、息を吐いた直後の、ほんのわずかな気の緩んだ瞬間だってわかっちゃうんだよねえ」


 そう言われるものの、健には信じられない。たかが呼吸程度の些細な差で、銃を奪われるなどということがあるなど、有り得ない。だが実際に健の銃は純子の手の中にある。


 有り得ないことはそれだけでは留まらなかった。座ったままの真より強烈な殺気が噴出し、荒事に長けた強面の男達の身を恐怖で硬直させた。

 皆それなりに修羅場をくぐってきた猛者だ。己に殺意を向けられたことなど幾度となくあるし、その程度で動じるようなタマではない。だが座ったままの小柄な少年から放たれる猛悪なる殺意は、それだけで彼等に死の恐怖を与え、同時に形容しがたいおぞましさを植えつけた。


(この餓鬼、殺しを楽しむクチだ)


 真から放たれる殺気に含まれたおぞましさの正体を見抜く健。

 文字通りの切ったはったの世界である裏通りではあるが、その住人の全てが、人殺しが平気な人間や、人殺しを楽しむような人間ばかりというわけでもない。中には殺人を犯した事に対して、罪悪感やストレスをひきずる者も多い。

 だからこそ、それを楽しむことができる者に対して健は嫌悪感を覚える。そしてその楽しみの矛先が、他ならぬ自分達に向けられている事に、恐怖を覚える。


 真が動く。真の後頭部に銃を突きつけていた三郎は、真が少しでも動く気配を見せたら、即座に引き金を引く心構えであったにも関わらず、凶暴な殺気に気圧されて全く反応できなかった。

 また、真の動き自体が思いもよらない代物だった。銃も抜かずに、テーブルの上へと上って屈んだのである。


 三郎と男達が銃口を真の方へと向けて、そこで気がついた。真のいるその場所は、もし銃を撃った直後にかわされた場合、仲間か、あるいは惣介を撃つ配置にいる。

 自分達が場所をずらすか、銃の角度をずらすかすれば済む問題ではあるが、咄嗟の反応ではそこまで頭が回らない。そこまで考えるにはもうワンテンポ必要だ。

 だが真はそのワンテンポを与えなかった。取り囲む男達のわずかな躊躇の瞬間を逃さず、銃を抜く。真は全て計算済みで相手に躊躇させて、隙を招いたのだから、その隙を逃すはずがない。


 屈んだまま両手を交差させて懐に入れ、二挺の銃を抜き様に撃つ。目視しての狙いが必要無いほどの至近距離だ。


 決して逃さぬ距離まで接近し、先に銃を突きつけて絶対的優位に立ったと彼等は確信していたが、その状況と、彼等がそう思い込むこと自体、真にとっては好都合であった。

 油断から恐怖への転換。導かれた完全な隙。目視の必要も無く弾をあてられるほどの距離。真が敗れる要素は何一つ無い。


 横にいる二人の男が頭部と喉をそれぞれ撃ち抜かれて倒れる。三郎の恐怖と闘争心が臨界点に達し、真が回避した場合の先にいる惣介など構わず、銃を撃つ。真はその行動すらも予測しており、銃撃後には即、動いていた。


 三郎が撃った弾が惣介の額を穿つ。

 それを傍から見ていた健は、確保すべきターゲットを殺してしまったことに愕然とし、あっさりとターゲットを見殺しにした真に困惑する。


 真はすでに静から動へと移っている。

 テーブルの上から飛び降りて、ステップを踏み、すぐ近くにいた男のこめかみを銃把で殴りつける。頭蓋を陥没させ、片目だけ白目を剥いた状態で、殴られた男が崩れ落ちる。


 二人の男が真めがけて銃を撃つが、真は上体をそらしただけでそれをかわす。


(腰が入ってない。銃を握る手もおぼついていない)


 銃撃した二人の男を見定めつつ、撃ってきた男達の方に向いて、右手のみを二人に向けて突き出す。

 手にあるのは純子より授かった、特注のマシンピストルだ。純子はじゃじゃ馬ならしと名づけて呼んでいた。フルオートに切り替えられ、弾が立て続けに吐き出され、二人の男を瞬時に絶命させた。まだ扱いに慣れていない銃で、弾の撃ちすぎが気になったが、一応はうまくいった。これで残るは三人。


 至近距離で取り囲んだことが同士討ちを恐れる仇となったが、残り人数が少なくなったことがその枷を外す。


「うおおおっ!」


 サングラスをかけた角刈りの小男が怒声をあげ、真めがけて乱射する。

 真は片足を横に伸ばした状態で、胸が地につきそうなくらいに身を屈めて銃撃をかわすと、左手だけを軽く上げ、三発撃ち返す。

 三発とも角刈りの小男の胸部にヒットし、二発は防弾繊維によって防がれたが、一発は胸の中心を貫通していた。


(二発に留めたつもりだけど、いまいち加減がわからないな)


 純子が真に合わせてわざわざ造った銃ではあるが、そのわりに制御が難しい。純子自身もそれを承知しているがために、じゃじゃ馬ならしなどという名をつけたのだろうが。


 健は目の前で起こった一方的な殺戮が信じられなかった。こんな話が現実にあるわけがない。たった一人の凄腕が何人をも相手に大立ち回りで倒してしまうなど、フィクションでしか存在しない話だと思っていた。

 いや、そうした凄腕も裏通りにはいるとは聞いていたが、信じていなかった。ボスの小松が言うように尾鰭のついた噂にすぎないと笑っていた。なのに目の前で起きた光景は、それを完全に覆している。


 真からすれば何も不思議ではない。フィクションでもファンタジーでも無い。ここまで全て計算づくであり、頭の中に思い描いていた絵図を実行したにすぎない。全ての状況を計算し、利用したまでだ。


 最早戦意を無くし、呆然とする健と三郎。銃を構えたまま立ち尽くす三郎に真が近づくと、その手から銃を取り上げる。


「殺す前にいいことを教えてやるから、お前が来世では賢くなるための参考にしてくれ」

「ぐぶっ」


 真が淡々と告げ、三郎から取り上げた銃の銃口を、呆けて半開きになった三郎の口へと突っ込んだ。


「ゼロに何を掛けてもゼロだ」


 言うなり引き金を引く。言葉の意味を考える暇も無く、三郎は絶命する。

 一人残された健は、次は己の番だと思って恐怖に歯を鳴らし始める。


「一人残しておこー」


 純子がそう告げてコーヒーをすする。その意図は知れている。真が銃を懐におさめ、席に座りなおし、入れ替わるように今度は純子が立ち上がり、やにわに健に足払いをかけた。あっさりと倒される健。


「ねね、人間の体の中で一番綺麗なのってどの部分だと思う?」


 仰向けに倒れた健の上に、四つん這いになって馬乗りになった純子が、健の顔に己の顔を近づけて問う。無邪気な笑みを間近まで寄せられての不穏なセリフ。

 傍目から見ればエロティックにも見える構図だが、健にはそんなことを感じる余裕すらない。ただただひたすらに恐怖を駆り立てられるだけだ。


「見てみてたくない? 一番綺麗な場所」

「がっ」


 手刀を腹の上、鳩尾のあたりに突き入れる純子。服も筋肉もあっさりと貫かれて、純子の手がスムーズに健の腹部へと手首まで埋没する。


 純子の手が健の腹より抜かれ、大量の血がしぶき、純子の白衣と顔を汚す。その手に何か握られているのを見て、健はさらに戦慄した。それが臓器であることは疑いようがない。


「ほら、見て見て、君の肝臓。綺麗だと思わなーい? って、これ胃だった。でさー、君がどこの子だか話してくれないと、このまま潰しちゃうかも」

「話すーっ! 善意のアビスだ! 目当てはそのガキだ!」


 激しい恐怖が、誇りなど跡形も無く粉砕し、身も世も無い声をあげて自白する健。


「始末屋組織さんか。んー……目論見外れちゃったね。裏通りの組織に依頼するとかさ。ひょっとして藍ちゃんも、この子の父親と連絡取れないとかそんな感じなのかなあ?」


 抜き取った胃を健の腹の中へと戻し、純子は健から離れて椅子へと戻った。純子の服や体についた大量の返り血が赤い霧状になって宙に霧散し、跡形も無く消える。真に向かって話しかけたつもりだったが、真は無反応だった。

 その光景と自分の腹部を見て、健は驚いた。服は破れているし血まみれであるが、傷は跡形も無い。出血も痛みも無くなっている。


 さらに驚くことがあった。三郎が暴走して射殺したと思われていた惣介が無傷の状態で、必死で死体から視線を離そうとしている。惣介そっくりの肉人形を遠隔操作しているなどとは知らぬ健は、我が目を疑っていた。

 きっとかすったに留まったのだろうと、健は自分に言い聞かせる。


 ゆっくりと健は立ち上がり、生き残った刺客である自分に目もくれず、むせ返る死臭と血臭の中で悠然とカフェの続きを楽しむ純子と真を尻目に、その場からふらついた足取りで逃げ出した。

 部下を殺された悔しさと、生き残った安堵と、一人逃げ延びる惨めさが胸を渦巻き、涙と鼻水を大量にあふれさせながら、小走りに駆けていった。


「だとしたらやり方変えるかな。あえてありのままの情報を流してみるよ。もしこの子の父親が生きていたら、この子を助けにくるかもしれないし。んー、いまいち確証の無い方法だけど」


 純子の言葉を聞いて真は疑問を覚える。もっと確実に、藍の体内にアルラウネが混じったルーツを知る方法がある。

 純子は本当に気付いていないのか、あるいは気付いていない振りをしているのか、どちらかは不明だが、もし前者だとしたら、アルラウネを扱っていた立場であるが故に、近すぎる立場が故に見落としているとも考えられる。

 わざわざ回りくどいことをしなくても、もっと簡単かつ確実に知る方法があるとして、真はもう動いている。今は返答待ちだ。


(やっぱ裏通りの人って普通じゃないんだ)


 死体に囲まれ、他の客もいつの間にか全て逃げ出した状況で、襲撃前と全く変わらぬ様子で飲食を続ける二人に、惣介は心底そう思った。実際にその場にいないせいもあるが、恐怖は感じず、今起こったことの全てが、フィクションの映像でも見ているかのような感覚であった。

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