第六章 6

 その日、雲塚杏とその人物の会話はネットを通じて行われていた。その人物は、麗魅の次くらいに、杏と親しい間柄だった。


「あなた、狙われているのにそんなお祭り騒ぎを起こそうっていうの?」


 文章を打ち込む杏。音声では無く、今時珍しい文章のチャットによる会話だ。相手の映像も無く、お姫様の姿のアバターが映し出されている。アバターの横には平仮名で、みどりと書かれていた。


『へーい、こんな祭り騒ぎ起こそうと企んでいるからこそ、狙われてるわけよ。あたしだって結構強いんだよぉ~。すでに何人か刺客来たけれど、返り討ちにしてるしー。ま、念には念入れたいし、あたし以外のモンに危害加えられても困っちゃうんで、麗魅姉やあの筋肉バカにボディーガード頼んだわけだし、平気平気ィ』


 すでに刺客が来たという返事を目にして、杏は眉をひそめる。


「『オーマイレイプ』にもいろいろと書かれているようだけれど、スパイが紛れ込んでいるのかしら」


 裏通り最大の情報組織『オーマイレイプ』は、裏通りで起こるあらゆる事件を随時、自身のニュースサイトにて更新している。

 裏通りの住人の多くに重宝されているものの、場合によっては、個人や組織にとって致命的な情報さえもリアルタイムで更新されてしまうケースもあるため、疎ましく思う者や敵視する者も多い。


『多分ねー。別に気にしちゃいねーからどうでもいいっス。表通りのゴシップ雑誌とかと違って、悪辣な捏造記事とかは書かないと思うし。書かれて困ることも特に無いもん。あたしの居場所も、本院の中でちょくちょく変えているし』


 話し相手――みどりの返事は、どこまでもお気楽でアバウトな代物だった。

 己の現状を認めたうえでの強がりなのだろうが、逆にそれが杏をやきもきさせてしまう。みどりが引き起こした事態は、友人達に大きな動揺と困惑をもたらしている。


『ボディーガードが必要なのは『解放の日』までだもん。その後はあたしの命も消し飛ぶもん。つーか消し飛ばすしー』

「それ、どうしても考えを改めるつもりはないの?」

『何回もやってることだわさ。あたしにとっちゃ大したことじゃねーっス。だからそんなに皆で口うるさく引き止められるのも、何だかなーって感じ』


 これまでにも幾度となく繰り返されたやり取りに、嘆息する杏。


『特に今回はねぇ~。あたしがおかしな種を蒔いちゃった形だからさァ。成り行きでこんな立場になっちゃったとはいえ、そいつを最大限に活かして遊んでやるなら、これしかないと思ったからさ。『薄幸のメガロドン』の連中はさ、まあ……宗教なんかに現を抜かすんだから、おばかさんには違いないと思うけど、それでもあたしの言うこと疑いなく信じてついてきちゃっているわけだし、ここまできたらおっぽりだすこともできねーって』

「私達は貴女のことを放っておけないわよ」


 巷を騒がせている宗教団体『薄幸のメガロドン』。その教義は、この世に生を受けたからには生を楽しみつくせというものである。

 これだけならただの享楽主義で済ませられるが、この世界は遊び場であり何をして楽しもうと、この世を受けた者の自由であり、いかなる法や秩序にも縛られるいわれなど無い、命はただ生き永らえさせるためにあらず、命を使い尽くして命の喜びを味わえと説く。その教義は犯罪すらも肯定している。

 その教義のおかげで、教団に属する者がこれまでに幾度となく犯罪へと走っているため、最近マスメディアでも頻繁に取り沙汰されていた。


 教祖と見られる人物――通称プリンセスみどりは、決して表舞台に出ることの無い人物で、警察や探偵や裏通りの始末屋及び情報屋の幾度となく行われた潜入捜査でも、その正体は杳として掴めずにいる。

 そして現在杏が会話している相手こそ、話題のプリンセスみどりその人であった。


『その気持ちが何ていうかね……あたしにとっても泣けるぜーな感じだわ。麗魅姉もうるさいんだよなー。あたしはずっと今までにもやってきたことだし、別にそんなに騒ぎ立てることじゃないよお』

「その価値観自体理解しがたいし、黙って見ていられるわけないじゃない」


 二度目の溜息をつき、煙草を咥えて火をつけたその時、携帯電話が振動した。

 真からのメールだったので、それだけで杏の動悸が早くなる。期待しつつメールを開いたものの、その内容を見て少し落胆した。杏に情報屋としての仕事の依頼だったからだ。


(うーん……これはちょっと今の私には、手の余る内容かなあ……オーマイレイプに回すのがいいかな)


 依頼内容を確認して、杏はそう判断する。みどりの件も抱えている今の自分では、かなりの大掛かりな調査が必要とされる難しい代物だったがために、他の有力な情報組織を自分が紹介するという形を取る旨の返信をした。

 当然本心では、杏が情報屋としての力で真の役に立ちたかった所であるが。


***


 意識を取り戻すと、藍は見た所も無い場所にいた。

 意識が途切れる前の記憶ははっきりと覚えている。自身の死に対する恐怖、自分が死ぬことによって息子の人生が狂ってしまうことの恐怖、そして息子が心に受ける傷への恐怖。それらが鮮明に蘇る。


 白い部屋。診療台の上に裸でシーツだけかけられた状態で寝かされている自分。ばさばさになった頭につけられた無数の電極と、電極から伸びたコードの先にある機械。病院を連想したが、どうにも違和感がある。病院にしては扱いがぞんざいな気がする。


「おはよー。気分はどう~? まだ痛んだりしない~?」


 寝たまま首だけ動かして周囲を見回す藍を覗き込み、白衣姿の可愛らしい容姿の少女が声をかけてきた。神秘的にして蠱惑的な紅い瞳を間近まで接近させられて、藍はぎょっとする。

 白衣をまとった赤目の美少女。それだけで藍は自分が置かれた状況を理解した。裏通りに身を置く者として、その人物が何者かは流石に知っている。


「君の子がねえ、ここまで君を運んできてくれたんだよー。普通なら死んでいる所だし、実際仮死状態みたいなもんだったけれど、君の体内のアルラウネが、全力で生命維持に努めたおかげで死なずに済んだみたーい。不幸中の幸いだねえ」


 藍から顔を離し、にこにこと屈託の無い笑みを浮かべて白衣の美少女は語る。アルラウネという単語の意味と、自分が何故生きているかの意味は理解できなかったが、惣介が自分をここへ運んできたという言葉だけで十分だった。

 悪い意味での確信。自分が死ななかったのは救いではあるが、その代償が何であるか、理解している。


「雪岡純子……さん。私の子はどこ?」

 純子を見据えて藍は尋ねる。


「ここ」


 短く答え、純子が脳波でスイッチを入れると、藍が向いている側の壁が上がっていく。その先にある部屋に、椅子に腰掛けてうつむいている惣介の姿があった。


「惣介っ、惣介!」


 その名を呼ぶが、声は届いていないようで惣介は反応しない。こちらに気づいてもいない事からして、マジックミラーだと思われる。


「私のこと知ってるみたいだけど、一応自己紹介しとくねー。私は雪岡純子。私の研究の実験台になる代わりに、願いをかなえてあげる、切羽詰った人達の最後の希望の星な、愉快なマッドサイエンティストだよー。以後よろしくー」


 藍の寝ている診療台に藍のために用意した服を置きながら、自分では冗談めかしたつもりで自己紹介をする。


「でね、あの子は君を生き返らせる代償として、私の研究の手伝いをしてくれることも了承してくれたよ」

「冗談じゃないわ! そんなことさせない!」


 純子を真正面から睨みつける藍。


「君の力で私を止めるぅ? 止められるぅ? どうやってえ?」


 にこにこと笑顔で問う純子に、藍は顔を歪める。相手は自分と同じく、裏通りの生ける伝説とされている人物。しかし同じ伝説クラスでも、最上級の危険人物の一人だ。藍の力ではどうにもならないことくらいわかっている。

 しかし――自分の力ではどうにもならなくても、他にあてはある。


「まあ意地悪するのもなんだし、ここは一つ、私とゲームしよっか? 私はあの子を連れて外をぶらつくから、君はあの子をどうにかして取り返してみなよー。頭を使っても、力ずくでも、人を雇っても、手段は何でも構わないからさ。もし一度でもあの子が私の側から離れて、君の元に納まったなら、それで私の負けとするよ。あ、そうだ、もっとわかりやすくいこっか。あの子を抱きしめたら勝ちってのはどう?」


 この唐突な提案の意味する所が、藍にはさっぱりわからなかった。そういうおかしな遊びを好む人物とも聞いたことはあるが、果たしてそれだけなのだろうか?


「貴女が勝つ条件は何なの?」

「んーとね。それは考えてなかったな。そうだ、藍ちゃんが諦めたらそれで終わりってことにしようか。あるいは時間制限でもいいよー? そうだ、それがいいねえ。時間制限にしよう。今から96時間後がタイムリミットね」

「どうしてそんなことをするのよ。わけがわからない」

「それは秘密ってことで。ま、ゲームが終わった後にでも、教えてあげてもいいかなあ?」


 微笑みを張り付かせたまま喋る純子からは、一片の悪意も感じられない。藍からしてみればそれが恐ろしく思えた。噂では全く悪意を感じさせずに、無邪気に人体実験したり人を殺したりする人物とのことである。全く油断ならないし期待もできない。

 自分と惣介の生殺与奪権はこの少女に握られている。従うしかないが、それでもどうしても確認しておきたいことがあった。


「私がそのゲームとやらに勝てば、あの子を解放してくれるっていう保障は?」

「情報組織に立会いを頼んでみるー? 『凍結の太陽』あたりに」


 情報組織や始末屋組織や『中枢』は、裏通りにおいて執り行われる契約の立会いを行ってくれる。もしこれに背いた場合、契約を反故にした者として知れ渡り、信用第一のこの業界では致命的な憂き目にあう。

 だが彼等に介入を求めるという行為自体が、信用していない証拠として心証を害するがために、さして需要は無い。


「『中枢』の方でしてもらう。経費は私が払う」


 純子を睨みつけたまま、硬質な声で言い放つ藍。


「おっけー、じゃあゲームスタートしちゃうよぉ? あ、服を着てからのがいいかなあ?」


 時計と藍を交互に見やる純子。藍は何も答えずにシーツをはねのけて、決然たる面持ちで手早く服を着る。


 全ては自分が招いた事態。最悪の結果こそ免れたが、神様はそれで済ましてくれはしなかった。これは試練だと自分に言い聞かせ、藍は部屋の扉を開ける。

 扉を開けた所に、一人の少年が扉の向かいの壁を背にしてもたれかかり、腕組みして佇んでいた。顔を上げ、藍のことを見上げる。


(大きな目、可愛くて綺麗な顔……)


 藍を観察するかのように無表情に見上げる少年に、しかし藍は悪い印象を覚えなかった。凛々しさあふれるという表現がこれ以上なくあてはまると思える。単純に顔立ちが整っているからというだけではなく、初対面の第一印象だけで、何か強く感じ取るものがあった。


(この子、あいつと同じだ)


 これと同じ印象を覚えたのは、過去一人しかいない。藍がただ一人心から愛した男。だがこの感覚は、一目惚れなどといったものとは違う。もっと別の何か――同種の匂いを感じ取ったのだ。常人が持たぬ何かを持つ者としての。


「出口はあっち」


 首を軽くかしげて端的に告げると、少年は藍の横を通り過ぎて部屋の中へと入っていった。この少年が何者なのかも知っている。雪岡純子の殺人人形の通り名を持つ、雪岡純子専属の殺し屋――相沢真。

 この少年が、自分にとって障害となる存在であることは、疑いようがない。今のやりとりを部屋の外で聞いていたのだろうかと勘繰った後、早足で出口へと向かった。


「あれえ? 真君、ちょっと不機嫌そうだねえ」


 室内に入ってきた真を見るなり、からかうように純子。真はいつも通りポーカーフェイスだったが、何でもお見通しと言わんばかりに即座に突っ込む純子に、真の苛立ちはさらに増す。きっとそれもわかっていて煽っているのだろうと思うと、さらに苛立ち上乗せだ。


「つまり、父親をおびき寄せるための餌として、その子を使うってことか」


 マジックミラーの向こうにいる惣介の方に視線をやり、低い声を出す真。


「うん。もしお父ちゃんが私を敵視して襲い掛かってきたら、私と敵対したってことで、父親も実験台に使う大義名分が出来るって寸法だよ」

「ふざけるな」


 静かに怒りを表す真。いつもの無表情ではなく、明らかに険しい顔つきになっている。

 純子が藍の前で惣介を実験台にすると宣言したことで、藍が惣介を助けるために動くと踏む。それによって父親に助けを求めるであろうと見て、父親をおびき寄せる。かつその父親が自分の敵に回ることで、アルラウネを体内に宿しているであろう惣介の父親を実験台にする大義名分を得る。

 いつにも増して腐った筋書きだと、真は激しく反発した。


「お前のやっていることは筋が通らない。今回はどんな手を使ってでも邪魔させてもらう」

「でもあの子のお父ちゃんが私に敵対行為を働かなかったら、手を出さないつもりだよ?」


 珍しく気色ばむ真を見てとって、それを面白がるかのように微笑みをこぼす純子。


「自分の子を実験台にされて敵視しないわけもないだろ」

「んー……言われてみるとそんな気がしてきたかなあ。私ルールにもこれは抵触するかも」


 急に純子が困ったような顔になって思案する。怒りに燃える真の指摘が間違っていないことも認めたからだ。自身が筋の通らないと思った事は行わないのが純子の信条である。


「でもこれ、すっごくチャンスなんだよねえ。移植されたアルラウネの遺伝条件及び、遺伝したアルラウネの覚醒条件がわかれば、私の望みがかなうんだよー? 全ての人間がアルラウネによる一世代内の進化の可能性を得られることになるし。あー、どうしよ……」

「自分の研究欲満たすためになりふりかまわずってのは流石にどうかと思うぞ」

「だからこそのマッドサイエンティストなんだしー。んー……よしっ。じゃ、あの子の父親が現れて私の研究に協力してくれるって運びになったら、命の保障はする程度に研究調査して、あの子は解放する、と」


 にやりと笑う純子を見て、これは処置無しだと真は小さく息を吐く。


「やっぱりどんな手を使ってでも妨害する……」

「ふーん、一体どんな手を使うんだろうねー。ていうかいつもだって何かと私の邪魔しているんだし、今更宣言する必要も無いんじゃないかなあ?」

「今回はいつにも増してって意味だ」


 意気込む真ではあったが、今の時点で具体的にどうするか考えついているわけでもない。本当にただ根拠も無く意気込みだけだ。


(これでは駄目なんだよな……ただ強がっているだけでしかない)


 真もそれはわかっている。頭にきて勢いで宣言してみたものの、それが空回りにならないようにするためには――

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