第五章 37
夏子は毅の姿を求めてホテル内を歩き、展望ラウンジで毅を発見した。
毅が座っている真向かいに置かれているソファーに、夏子は腰を下ろす。
「盲霊師が今確保されたそうです。雪岡純子の手によって」
「ほう」
夏子の報告に、しかし毅は別段動揺した様子を見せない。
「うちの月那瞬一が取引をした相手とは別人であるとも、証言してくれたそうです」
「へえ」
にやけ笑いさえ浮かべる毅を、夏子は訝る。
「余裕こいているのが気になります? 別にもう打つ手なんて無いですよ。俺は考えられる全ての手を使いましたから。雪岡純子という大物を相手に、全力で戦ったつもりです。まあ、もっといい手もあったかもしれないし、それを思いつかなかった落ち度もあるかもだけど」
「だから満足だと?」
「そんな所かなあ。本気出して命がけの勝負したわけだし、これで殺されたとしても、まあ仕方ないかって感じです」
小馬鹿にするような口ぶりと顔で、肩をすくめる毅。
「さてと、どうですかねえ? 合併の話は。形勢逆転してしまったようですが、もう一度考えてもらえませんか? 今度は日戯威が溜息中毒に吸収される、という形で」
この期に及んでぬけぬけと言う毅の面の皮の厚さに、呆れる夏子。殺されるかもしれないと言っておいたその直後に、まだこんなことを言える神経が理解できない。ただ単純におちょくっているだけなのかもしれないが、この男のこういうとぼけた所は、夏子に著しく不快感を覚えさせる。
「お断りします」
毅を睨みつけ、きっぱりと告げる。
「ただいまー」
純子の明るい声が響き、夏子は安堵を覚えた。この時ほど純子の声が心地好く響いたことはない。純子の後ろには真と美香もいる。瞬一の姿は無い。その理由は知っている。
「ねえ、毅君。私がずっと君の近くにいるだけで、特に君に対しては何を仕掛けるわけでもなく、ただ監視に従事していた理由、わかるかなあ? 今の君にならわかると思うんだけど、どーお?」
座っている夏子の上に腰掛けて、毅と向き合い尋ねる純子。
「いざという時に頭を抑えることができるためでしょ? 抗争せずに頭だけ速攻で抑えれば、日戯威の構成員をさして損なうことなく、逆に溜息中毒が日戯威を吸収する事ができるわけだ。全ては高城さんのために、か」
毅は薄ら笑いを浮かべて言った。自分が純子の立場ならばそうしたであろうと考えて。もしも純子が同じことを考えていたとしたら、少しだけ嬉しい気がする。
「その通り。なっちゃん達がいなければさあ、もっと単純で強引なドンパチ展開にしてるよぉ? そうした方が面白いし、実験材料になってくれる人達だって大量にゲットできるしさぁ。今回は一人だけしか得られなかったけれどー」
その一人が誰であるかは言わずもがなだ。
「やっぱ俺が見込んだ通りだな。世間では畏怖されているが、あんたを味方につけることができれば、あんたに気に入られれば、これ以上なく心強い存在になる。高城さんが羨ましいよ」
本気でそう思う毅。今までの人を食ったような雰囲気が消え、さっぱりとした表情に変わっていた。
「まあ、君も私が思っていた以上に、私を楽しませてくれたよー? 特に東京ディックランド爆破は、かなりよかったと思うし。あとはもう運の要素も強かったかもねえ。いや、力霊という不確定要素に対処しきれなかったのが決定的理由だし、そこからツキを失った結果かなあ。あとね、全体的に強引すぎだね。博打をうちすぎとも言えるけど」
「妖術だの霊だのといった分野に疎かったし、その辺の対処が不十分だったかな。これでもいろいろ調べて手をうったつもりだったのですけどねえ。そっち関係に力霊の取り扱いの依頼も何件かあたってみたけれど、全部断られちゃったもんで。おかげで力霊が先に解放されて大暴れで、青島も青森へ飛ばされてしまったし。あれがあんなとんでもない代物だとは思っていなかったもんで」
「それに関しては、たとえ術師の類を雇っても無理だったから、結果的には同じかなあ。力霊を単身で御する術師なんてそうそういないし、そりゃ断られるのも無理ないよー」
「私、日戯威を吸収するつもりなんてないわ。そんなものいらない。今いる小さな組織のままで十分よ」
純子に座られた状態の夏子が、二人の話に割って入る。今まで通りが夏子にしてみれば一番理想だ。小さくても細々と誠実な組織の運営している方がいい。大組織の運営など煩わしいという印象しかない。
「力を手に入れられる機会があったら、遠慮なくもらっておくべきだよー? まあ、PTAの人達は解放しておいて正解だけどさー」
夏子の上に乗ったまま体勢を入れ替えて、間近で夏子と顔を見合わせた格好になって、純子は言った。
「ぶっちゃけこの件、私と真君と美香ちゃんの手助け無しに、君達だけで解決できた? できなかったでしょ? でも力を持つ私達のおかげで解決できたよねえ?」
「そ、そうだけど……」
「世の中さあ、悲しいことに、真面目な人ばかり損する傾向にあるよねえ? でも、大きな力を持っていれば、誠実さが災いするような理不尽なことがあったとしても、それに力で対処できるよ? 自分だけじゃなく、他の誰かが困っている時にだって助けてあげられる。だからさ、力ってのは大事だし必要なんだよー。手に入れられる機会があったら、迷わず手に入れた方がいいよ。それでなくてもなっちゃんは組織のボスっていう立場なんだからねー」
押し黙る夏子。感情的には今のままでいたいという気持ちの方が強いが、感情だけで済む世界でも立場でもない。純子の言うことが正論に聞こえてならない。今後また組織の危機が訪れた際に、力での解決が必要になった時、弱小組織でいるよりかは大組織でいる方がいいに決まっている。
「もちろん、大きな組織には、それなりの苦労や責任もあるとは思うけどねー」
「わかった。やってみるわ」
決心して頷く夏子。
「おお、よかった。雪岡さんと俺、同意見だったようだ。悔しいですが、俺は高城さんの下につく立場で誠心誠意働かせていただきますよ。新生溜め息中毒を共に盛り立てましょう。今後ともよろしくお願いします」
したり顔でぬけぬけと言う毅に、冷たい視線が幾つも振り注ぐ。
「んー? 何言ってるのぉ?」
純子が毅の方に振り返る。
「君は私を騙したことと、私の友達を貶めた罪を償ってもらうんだよお?」
「あ? やっぱり?」
舌を出してみせる毅を見て、そのあまりに図太い神経に、夏子は呆れるのを通り越して感心してしまった。
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