第五章 エピローグ

 安楽市内の裏通りの住人が集まる憩いの場、タスマニアデビル。純子はそこで、ある人物と待ち合わせをしていた。いや、帰りを待っていたと言うべきか。


「あ、青島さんお帰りー。随分時間かかったねえ?」

「電車の乗り継ぎ途中で終電になりましてね。結局一日がかりの帰還になりましたよ」


 力霊によって青森まで飛ばされた日戯威のナンバー2青島憲太は微苦笑を浮かべ、純子のいるカウンター席の隣に座る。


「青島さんにお願いがあって呼び出したんだけれどねー」

「どんな頼みかは大体想像がつきます。しかしその前に、貴女に対して文句が言いたいですね。ああ、いつものを」


 クマの着ぐるみを着たマスターに注文すると、マスターは無言で頷き、クマの手で器用にシェイカーに氷と液体を注ぐ。


「確かにうちのボスは若さ故の荒削りな部分もありましたし、性格上の問題点も多かったですが、それでもそれなりに資質があった。私はそれを傍らでサポートしつつ、じっくり育てていきたかったのに、貴女に潰されてしまったことが、何とも腹立たしくてね」

「なるほどねー。その気持ちは何となくわかるけれど、代わりになっちゃんのサポートでは不満かなあ? あの子もまだまだ未熟な部分多いし、支え甲斐はあると思うけどー?」

「別に構いませんよ。ただね、頭を張る者としての資質なら、まだ毅の方があった。高城さんは小さな組織の頭としては悪くないですが、大組織の運営はどうでしょうね? ま、未熟な子の方が、私としては支え甲斐も磨き甲斐もありますがね」


 青島の言葉は本心だった。それに加えて、これまでとほぼ同じ組織に同じポジションでいられることに、不満があろうはずがない。それどころか、毅が行いたがっていた合併が、実質上果たされたわけである。組織名と頭が異なるという大きな違いはあるが。


「向上心と誠実さがあることが前提だよー。毅君はさ、後者にちょっと難があったと思うよお?」

「確かに……。ま、私にとって悪い話ではありませんので、喜んでお受け致しますが、こちらからも一つお願いしたいことがあります」

「言われなくてもわかってるよお?」


 純子がにっこりと微笑む。


「毅君なら、殺してはいないからさあ。殺したら私の目論見もパーになるし」

「星炭流呪術のように生かさず殺さず――でしょうかね。こんなことを言うのもどうかと思いますが、貴女へ直接の害意は無かったので、少しは温情ある措置をいただきたいものですな」


 やや皮肉めいた口調で言うと、青島はクママスターに出されたカミカゼを口につける。純子の前に置かれているカクテルと同じ代物だ。己と同じ嗜好の者を前にして、純子は嬉しくなる。


「そうだねえ……何かきっかけがあったらね。今はこのまま反省してもらうかなあ。される側の気分てのも、自分で味わってもらいたいしねえ」


 青島が毅の現状をほぼ見抜いているようなので、純子も自分の方針を述べる。頭の回転がよく、察しがいい相手だと、言葉が少なくても相手に言いたいことが伝わるので、これだけ言えば十分だ。


「それで反省する人間と、しない人間がいますよ」

「しない側なら、ずっとあのままかなあ」


 青島の言葉に、純子は屈託の無い笑顔でそう返す。


「信じて待つことにしますよ。あの子は、小さい頃から知っていますし、やればできる子ですから」


 冗談めかした口調で、しかし同時に確信を込めてそう告げる


「貴女は最初からこうするつもりだったのですね。溜息中毒を吸収しようとしていた日戯威を逆に吸収し、懇意にある高城さんをその頭に据えようと」

「君達を潰すだけなら簡単だったけど、なっちゃん達の体面を取り繕わなくちゃならなかったし、いろいろ気を遣ったよー?」

「そのために毅を殺さなかったわけですな。戦後処理ができる人材に言うことを聞かせて、スムーズに組織を吸収させ、なおかつサポート役にあてるために、その人質としてね」


 その人材とは、他の誰でもない青島自身だ。


「貴方達がやろうとしていた私との提携や溜息中毒の吸収、それをそのまま逆にやり返しただけだよ。貴方達のやり方は大雑把で強引な策ではあったけど、愚策ってほどでもないし。むしろ私はそういう穴だらけの策の方が好きだけどなー。ガチガチに固めた策だって、策士策に溺れるになっちゃうことって多いし」

「失敗したら結果的には愚策と言われますよ。そして我々は失敗した。それではこの辺でお暇しますよ」


 青島は純子から顔を背け、カクテルを飲みかけのまま席を立ち、タスマニアデビルを後にした。


***


 タスマニアデビルで純子と青島のやりとりが行われる数時間前、杜風幸子は来日したシスターと、カンドービル内にあるファミリーレストラン『ウォンバット』で会っていた。


「まさかシスター自らお出でになられていたとは」

「貴女を驚かせようと思って内緒にしていましたー。それにいい機会ですし、久しぶりに純子の顔も見たいと思いまーしてねー」


 幸子とは対照的に全身白いスーツで身を包んだ二十歳前後の白人女性が、ウェーブのかかった赤髪を右手で弄びながら、悪戯っぽく笑って見せる。

『ヨブの報酬』本部より送られた力霊の冥送部隊を率いていたのは、ヨブの報酬の長であるシスターだった。が、到着した頃には全てが終わっていた。


「私があのような場所を潜伏場所に選んだばかりに、多大な犠牲を出してしまいました」

「それに関して、組織かーらもかなりの批難が出ていまーすが、私の一存で貴女への処罰は握りつぶしましたー。貴女の選択は結果的には間違っていまーしたが、真の元凶は日戯威でーす」


 うつむいて苦しげな表情で言う幸子に、シスターは涼しい顔で告げると、コーヒーカップを手に取り、ミルクも砂糖も入れぬまま口に運ぶ。

 いくら謝っても許されるようなことではない。人の集まる場所を潜伏場所として選択したことがそもそもの失敗だ。万全を尽くして危険など無いと信じていたが、思いあがりもはなはだしかった。それに対して、一切の罰を与えられず不問に付された事の方が、幸子には辛かった。


「次の指令として控えていた草露ミルクの件でーすが、再度撤回して別の仕事を行ってもらいまーす。最近日本を騒がせているカルト宗教団体『薄幸のメガロドン』に潜入しー、調査してくださいなー。彼等の最終目的と、プリンセスみどりと呼ばれる教祖がいかなる人物かを見極めるのでーす」


 その任務が近いうちに与えられることは幸子も予想していた。日本国内でかの宗教団体の信者が立て続けに事件を起こしている現状を考えれば、優先されるのも当然といえる。


「危惧されている最悪の結果であった場合はどういたしましょうか?」


 答えがわかっている質問を、確認のためにぶつける。


「できーれば教祖のみおしりぺんぺんを――と言いたいところでーすが、頭を潰したところで、彼等が本当の意味で洗脳されきっていたーとしたーら、彼等の暴走は止まらないでしょーねー」


 シスターが何を言わんとしているか悟り、幸子は思わず視線を逸らしてうつむき加減になって、眉を寄せた。


(皆殺しにしろと……?)


 それを実行するのに抵抗を感じないはずがない。だが最悪のケースを想定して躊躇った場合、もっと恐ろしい悲劇が起こりうる。


「厳しい任務を続けざまに与えてしまっていまーすが、貴女を頼りにしているが故でーす」


 幸子をいたわるかのごとく、柔らかな口調で告げる。


「今度はしくじりません」


 顔を上げて決意の眼差しを向ける幸子に、シスターは柔らかく微笑んで頷いた。


***


 タスマニアデビルで純子と青島のやりとりが行われた二十分後、真と美香が店を訪れ、純子と共に六人まで座れるボックス席へと着いた。


「瞬一は男をあげるチャンスを掴めなかったな!」


 落胆を露わにして言い放つ美香。


「ヒーローとして活躍はできなかったけれど、まあこんなもんだろ。何も得られなかったわけでもないし」


 美香の向かいの席に座った真が言い、ブランデーに口をつける。


「そうだよねえ。人工魔眼をタダで移植してあげたし、何より経験ってものを得たってことでいいと思うよー」


 真の隣に座った純子が、いつものように微笑みを張り付かせたまま同意する。

 と、そこにタイミングよく話題の当人である瞬一が、夏子と共に姿を見せる。


「早かったな! ……って、キモいな!」

「言うと思った」


 弟の瞳の色が純子の瞳のそれと同じになっているのを見て、あからさまに顔をしかめる美香と、そのリアクションに苦笑する瞬一。


「一応、原子分解と催眠と石化の三つくらいパターンつけといてあげたけれど、続けざまに多用すると目が疲れるから気をつけてねー」

「原子分解って……。いや、改めてありがとさまままです。はい」


 人造魔眼を移植してもらった瞬一が、純子に向かって頭を下げる。


「何から何までありがとう、純子姉ちゃん」


 夏子が深々と頭を垂れてから、美香の隣の席へと座った。瞬一は夏子の隣に座る。


「まあとりあえず一件落着ってことで。皆、おつかれさままま。かんぱーい」

「乾杯も何も、揃うの待たずに三人とも勝手に飲み始めていたけれどな」


 純子の音頭に一人応じずに突っ込む真。


「今回の騒動は――そもそも日戯威とは何だったのか!」

「それ以前に瞬一と美香と僕の存在が何だったのかだよ。特にいてもいなくてもよかっただろ。三人揃って」


 美香の言葉に、あからさまに皮肉る真。


「そんなことはあるまい! 盲霊師と鳥山正美を引きつけるくらいには役に立っているし、その分純子も動きやすかった! 違うか!?」

「美香ちゃんの言うとおりだよー。そういう意味ではおおいに役に立っているからさー」

「そういうの、露払いって言うんじゃないか? いや、露払いにすらなっていないかも」


 フォローする純子に、さらにあからさまに皮肉る真。


「大体、奴等が爆弾を仕掛けたことに気がついていながら、それをこちらに知らせもせず、自分達で調査や対処もろくにせずってのもどうなんだ? その動き次第では、あんな惨状にはならなかっただろう?」


 追い討ちをかけるように指摘する真に、美香も瞬一も揃ってうつむき押し黙る。


「まあまあ、反省会のために集まったんじゃないんだしさ。真君、お手柔らかにねー」

「僕だってぐちぐちと言いたくはないんだがな。こいつら本当に自分達の失態をわかっているのかどうか、見ていて不安だったからさ。釘を刺しておきたかったんだ」


 純子にたしなめられるも、真は引き下がる気配を見せない。


「表通りの人間を見殺しにする結果になった事だけを、責めているんじゃない。そうした重大な事を把握しておきながら、何の考慮も対策もしないようじゃ、いつか致命的なポカをしかねないだろうと、そう言いたいんだよ」

「真君の言うとおりね。そこは二人とも反省しないと」


 夏子がやんわりと言った。


「夏子さんが大組織の頭になったのは正直めでたい! 素直に乾杯!」


 満面に笑みをたたえ、グラスをあげる美香。


「私は乗り気じゃなかったんだけれどね。面倒というか、小さな組織でこぢんまりとっていう方が、性にあっていたし。楽しかったかな」


 日戯威との合併吸収を勧めた純子には悪いと思ったが、気心の知れた相手が前だし、酒の席ということもあったために、夏子は本音を述べることにした。


「いろいろ大変だろうとは思うけれど、人生はいろんな経験を体験するためにあるものだしさあ。小さな組織だけに留まらず、大きな組織の運営もこれからやっていくってのも、もっと前向きに臨むべきだよー。今までの日々に未練があるのもわかるけどねー」

「何だか今回の純子はいい奴だな! 不思議だ! それとも私達の見えない所で何かしていたのか!?」

「いやあ、別に私いつも悪いことばかりしているわけじゃないしねー」


 純子のその言葉を聞いた真の脳裏に、研究所にいるある人物のことが思い浮かんだ。


***


 さらに翌日――午後三時前。


『おやつだよー。みんな集まれー。和室にのりこめー』


 雪岡研究所内に設置されてある全てのスピーカーに、純子の声が響く。

 お茶の時間やおやつの時間が催される際、リビングか和室で行われる。真にとってもそれは楽しみの一つだった。先日までは。

 八畳の和室に、純子、累、蔵がすでに中にいた。あの生首幼女のせつなもいて、真の姿を見てにっこりと微笑みかけてきた。


 さらにもう一人いた。この一人があまりにも異形であった。

 首から下の全身の皮を剥かれて神経が露出した状態で、体中の至る場所に電極のようなものを挿し込まれ、腰の部分が球体化している。そして両手をほぼ真上に上げて、ほぼ垂直な形で足をぴんと真横伸ばし、横向けにされて壁に張りつけられていた。

 初めてそれを見た者からすれば、何か修行でもしているのか、あるいは前衛芸術の表現活動に見えるかもしれない。


「蔵さん、また葛湯いれてねー」

「また葛湯か……」


 顔をしかめる蔵。


「最近のお気に入りなんだよねー。葛湯だと何か問題あるのー?」

「どろどろしているから喉や食道にかなり引っかかるのがなんとも」

「あれま。じゃあ後でその辺、ひっかからないように改造しとこっか」

「いや、そんなことのためにいちいち改造手術されるのもしんどい」


 蔵が断った直後――


「うぎゃああああああああっ!」

 部屋の壁に磔にされている男が絶叫を上げた。


「ふごぉぉぉおぉぉぉおっ!」

 少し間をおいてから二度目の絶叫。


「ほんげぇぇぇぇぇェぇぇぇえぇぇ!」

 三度目の絶叫。


「何だ、これは……」


 蔵が唖然として純子に尋ねる。いちいちこの研究所にあるものに突っ込むのもどうかと思って、ちょっとやそっとでは突っ込まなかった蔵であったが、それにしてもこれは突っ込まざるをえなかった。


「絶叫時計。またの名をトッケイ。時を計ると書いて時計だけれど、これは時の刑罰とかけて時刑! 腰の部分を改造して360度回転できるようにして、時間が来ると時刻の数だけ電気ビリビリ流して絶叫あげさせるの。どーお? 面白いでしょー。あ、そう言えば東南アジアにトッケイっていう大きなヤモリいたよねー」


 純子が自慢げに解説する。


「下品な叫び声でやかましいだけだし、こんなもん置いてあるかぎり、もうこの部屋に来たくない」


 真が吐き捨てて、部屋を出て行った。


「えー、そんな……」


 渾身の自信作を否定され、がっかりとした面持ちで肩を落とす純子。


「ねね、毅君、もうちょっと可愛い声で悲鳴あげることできない?」


 人間時計にされた赤木毅の方を向き、純子が真顔で問う。


「えっとー……そういう問題じゃないと思うんですがー……」


 毅が口の端から涎を流しながら自虐的な笑みをこぼし、力なく答える。


「純子おねーちゃんっ、私にいい考えがあるよっ」


 ちゃぶ台の上に置かれた植木鉢から生えた生首幼女せつなが、満面に笑みを広げて提案した。


「声を女の子に改造にすればいいんだよ! せつなみたいにっ。で、悲鳴もHな喘ぎ声にすれば真おにーちゃんもきっと大喜びだよ! どう? せつなあたまいーでしょっ」

「ソレダ! すごいっ、せつなちゃん天才! 頭いいよっ」

「声だけ変えても気持ち悪さが増すだけだと、何故気づかんのか……」


 せつなと純子の楽しそうなやりとりを聞いて、ぽつりと呟く蔵。


「ふっ……命があるだけマシだ。この絶望のドン底から、必ずのし上がってやるぜ……」


 この状態から具体的にどうのし上がるのか、そもそもこの状態からどうやって解放されるのか、それらのプランは一切無い毅だったが、命がある限り絶対に諦めないと心に強く誓うのだった。


第五章 世界一下品な遊園地で遊ぼう 終

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