第五章 29

「瞬一を置いて逃げる選択は、本当に正しかったのか!?」


 手を取って先導する真に、心持ち批難するような響きの声で問う美香。


「見づらい状態で戦うよりはましだろう。累が現れたことで状況が変わった。鳥山正美は必ずこちらを狙ってくるだろうからな。累の邪魔をさせないためにも、こっちに引き付けておいた方がいい。それにこの状態ではとてもじゃないが鳥山とは戦えない」


 真が駆けながら答える。徐々に視覚が回復しつつあるが、まだ完全とは言い難い。

 不意に真が立ち止まる。周囲の風景が一変する。ねじくれて歪んでいた空間が正常に戻り、水族館の中へと戻る。


「結界が破壊されたってことは――」


 真が振り返る。かなり離れた位置ではあるが、訝る正美の姿がそこにあった。先程同様に、銃と銛を携えている。


「あれ? いきなり外に出られたけど、これ、何で? ……って、あの子達も側に居るし。ねえ、何でかわかる? わかったら教えて?」


 美香と真が肩を並べる格好で、正美と対峙して身構える。


「奴はコンセントを最低でも三錠服用できるらしい」


 真の言葉に美香が顔色を変えた。

 コンセントは一錠までなら何ら副作用が無いが、二錠になった時点で、高確率で副作用が出て廃人となる。だが二錠飲んだ際の反射神経や集中力の向上は一錠の比では無いとも言われているので、死を覚悟したうえでのいちかばちかの最終手段として用いられることもある。


「コンセントを複数服用しても、副作用が一切出ない特異体質なんだそうだ。戦いの際には常に二錠から三錠飲むとのことだ」

「うん、そうだよ。今も三錠飲んでるし。一度だけど、最高で五錠まで飲んだよ? 芦屋とドンパチした時ね。ひょっとしたらもっといけたかもしれないけれど、六錠飲む前に負けちゃったんだよね。芦屋黒斗強いよね。あれ反則だと思う」


 喋りながら無造作な足取りで真達の方に詰め寄る正美。


 真がまず二発発砲した。ワンテンポ遅れて美香も続けざまに二発撃つ。当然フェイクも回避後の予想も混ぜてある。

 四発の銃弾は一発たりとも正美に当たらなかった。回避すらせず、悠然と二人の方へそのまま歩いてくる。先程と変わった所といえば、左手に握った銛を突き出すように構えている。


「馬鹿な! 今のが当たってないだと!?」


 美香の撃った弾の一発は、明らかに正美の体を狙い撃っている。かわさなければ当たっていたはずだ。


「銛で弾いたんだ」


 真がぽつりと言う。信じ難い話であったが、真が言うからには間違いないのであろうと美香は受け止める。

 それに加えて、隣にいる真の顔を一瞥した際に、かつてないほど緊張をあらわにして恐怖を押し殺しているのを目にして、美香は目の前のふざけたピンク頭が、恐るべき敵であると改めて認識した。


「正直な! お前とこうして肩を並べて戦えるのはいろんな意味で嬉しい!」

「そんなこと言って余裕かましていられる相手ではないぞ」


 鼓舞する意味合いも込めて美香が言ったが、真はつれなく返すと、左手にも拳銃を持ち、二挺の拳銃の銃口を正美に向け、左右交互に一定のリズムで立て続けに撃つ。

 銛の穂先のみで弾丸を弾き続けていた正美であったが、美香が斜めに移動しつつ、真とは角度をずらして銃撃を行ってきたため、体を動かして回避する。


(2、1、2、1の拍子か!)


 真があからさまにわかりやすい間隔で銃を撃っているのを、美香はすぐ見抜いた。おそらくは正美も見抜いているであろうから、いきなりリズムを変えて撃ったとしても、難なく回避するに違いない。そんな小手先の戦法が通じる相手ではない。

 だが真の意図は別にあることを美香は看破していた。


 正美が反撃してくる。狙いは真だ。

 真は身をかがめて正美からの銃撃をかわしながら、弾倉を抜く。右手の銃を放し、素早くポケットから予備の弾倉を取り出して左手の銃に装填し、放した銃をキャッチして、今度は左手の銃を放し、同様に右手の銃の弾倉を交換する。その動作全てを二秒で済ましている。

 真が美香の方を一瞥する。美香はそれを合図と受けとった。


「悪意への支援!」


 美香が叫び、運命操作術を発動させる。

 真がリズムを変える。2、1と来るところを2、3と撃った。余分に撃たれた二発にペースを乱されることもなく、正美は難無く銛で弾こうとしたが、その刹那――


「ホワッ!?」


 子連れ外人の父親が真と美香の後方に現れ、水族館内で行われる銃撃戦を見て叫ぶ。それに気を取られて、わずかに正美の反応が遅れる。

 銃弾の一発が正美の左胸に食い込み、大きくのけぞって倒れる。


 美香が使用した運命操作術『悪意への支援』は、対象を何らかの形で騙し、またはハメようとした際に、たとえそれが見抜かれていても、そのハメを後押しする形の偶然が発生するという効果がある。もちろん多くの運命操作術同様に、発生確率は百パーセントでは無いし、たとえ発生したとしても、確実に思い通りにハメることができるわけでもない。

 現に正美に銃弾は当たったものの、防弾繊維を貫くことは出来なかったようだ。倒れている正美に美香がさらに銃撃をくわえるが、素早く横転して身を起こし、起きた直後に美香めがけて反撃してくる。


「くっ……」


 腹部に銃弾をくらった美香が、前のめりに崩れ落ちる。防弾繊維は突き抜けていないが、鳩尾にかなりの衝撃を受け、意識が暗転しかける。


「殺意へのデコイ!」


 追撃されてはかなわないので、わずかな時間ではあるが、自分を一切認識させない運命操作術を発動させる。ランダムに数秒間の発動中、美香の姿を認識できなくなるだけでなく、美香がそこにいたという記憶さえも消し去る。

 殺意へのデコイが解除された際は、美香の存在が記憶から消えていたことさえ相手にはわからない。


(少しの間、真だけで凌いでもらおう!)


 魂の死角同様、囮となる存在がいることが、この運命操作術の発動条件の一つである。敵の注意は全て真へと向かう。


(この能力を持続させたまま攻撃ができれば、無敵の力なんだがな!)


 殺意へのデコイは殺意を含めて他者に対して何らかの意識を持つと、能力が解除されるために、殺意へのデコイを持続させたまま攻撃等は不可能であった。

 運命の歯車の空隙をついて、敵対者からの認識を一瞬だけ逸らして危機を避けるという、そういう概念の術であるが故、それ以外の利用はできない。似たような術に魂の死角というものがあり、こちらは攻撃も可能であるものの、相手の気を多少逸らすというだけで、確実性には欠ける。


 真の右の銃が弾き飛ばされる。同時に左肩に銃弾を受け、血がにじむ。

 一息ついた美香が二発撃つが、かわされる。正美が美香に銃口を向ける。美香は銃弾の軌道を予測して跳んだが、正美の向けた銃口の先が、美香の動きの先を追い、引き金が引かれる。

 美香が再び腹部に銃弾をくらい、苦悶に顔を歪めて倒れる。が、正美は追撃しない。今の弾は当たろうと当たるまいと、次の攻撃は真の方と決めていた。腕利き二人を相手にするからには、一人だけには構っていられない。真に二発撃ちこみ、そのうちの一発が真の右脚をとらえた。


 真も美香も、何発も銃弾をその身に受けているが、非常に運がいいことに、防弾繊維を突き抜けたのは真が肩にくらった一発のみ。だが、銃弾による衝撃はダメージとして蓄積されている。


 真が正美の方を向いたまま、銃を撃ちつつ後退する。そのまま通路の角を曲がって、身を潜める。


「二人がかりでも歯が立たないとはね」


 角の陰に隠れたまま、荒い息をつく真。倒れた美香一人を野晒しにしている危険な状態であったが、最早自分の身を守るだけで精一杯だった。こちらの弾は運命操作の後押しがあった一発しか当たっていない。正直、勝てる気がまるでしない。


「魂の死角!」

 美香が起き上がり際に叫び、急いで真のいる場所へと滑り込む。


「どうする!? このままでは!」

 荒い息をついて、美香が焦燥の表情を真に向ける。


「一旦逃げよう。二手に別れて。で、追われなかった方は、少し時間を空けてこっそり追われた方に向かって、時間差つけて挟み撃ちアンド不意打ちかます作戦で」

「相変わらずアバウトだな! それでうまくいくと思うのか!?」

「何言ってるんだ。うまくいく流れにするようにするだけだ。他にいい手が思い浮かばない。強いて言えば、遊園地のアトラクションをうまく活用してみるのもいいな」


 それもアバウトだと突っ込みたい美香だったが、自身もよい案が浮かばないし、結局真の提案に従うしかないと思い、黙っておく。


「じゃあ、覚悟はいいか?」

「応!」


 出口に向かって駆け出す二人。当然正美は追ってくるが、水族館を出ると同時に、真と美香は正反対へそれぞれ駆け出した。

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