第五章 30

 二手に分かれた真と美香の後姿を見て、正美は立ち止まり、銃を持った手を顎にあてて思案する。


「ふーん、ばらばらに逃げたってことは、一旦逃げて挟み撃ちとか狙ってるのかな? 追わない方が不意打ちかましてくるとしたら、強そうな方を追っておいた方がいいよね」


 思案の後、正美は真の方を追うことにする。


(僕の方を追ってきたか。僕があいつの立場なら、雪岡と繋がっていて抑えの効く僕よりも、未知の勢力である美香を追うけどな。こっちを追ってきたということは、僕を仕留めて裏切りの証拠として突き出すつもりかな? だとしたら大した自信家だ)


 真の読みは完全に外れていた。


 水族館のすぐ横にある、『お尻畑』という名のアトラクションへと飛び込む真。このアトラクションがどんなものかは不明だったが、外から見た感じでは、臀部を模した巨大なクッションが延々と敷き詰められており、不人気なようで客足は皆無。お尻自体は人の背を越えるほどの代物であり、合間にうまく挟まれば弾よけくらいはできそうな気がする。

 尻の上にのると、異様な柔らかさに真は少々面食らった。足場も不安定で歩きづらい。四つん這いになって手で触ってみると、感触的に近い別なものを想起させられる。


(これ、尻というよりも胸……)


 実はこのアトラクションは製作当初『おっぱい畑』になる予定だったものが、「下品すぎる」とPTAからの激しい反発により、製作途中で無理矢理お尻畑へと変更された代物であったが、真がそのような真実を知る由も無い。


「何これ? お尻がいっぱいだし。どういう趣旨? ていうかどういう趣味?」


 正美もお尻畑の中へと入ってきたのを確認し、真は何とか足場の安定を保とうとする。正直この時点で、このアトラクション内へと逃げ込んだことを後悔していた。


(僕には尻に見えないんだけど、あいつはちゃんと尻と認識したのか)


 正美の台詞を耳にして、どうでもいいことが気になる真。


『さあ、吹き飛ばされる前に、お尻畑から大根を引き抜いてごらーん』


 野太く明るい声がスピーカーから流れる。次いで英語やらどこの国かわからない言語もスピーカーから流れていた。


(吹き飛ばされる? 大根を引き抜く?)


 訝った直後、下から凄まじい突風が巻き起こり、真の体が宙を舞った。


「あ、ラッキー」


 数メートルほど吹っ飛んだ真の体に、正美が狙いを定める。空中での回避は不可能だ。

 正美が銃口を向けたのを空中で確認すると、不十分な体勢でありながらも真も正美に向かって銃を向け、かつ正美の銃口を凝視し、弾道を読み取る。


 二人が同時に発砲する。


 真が落下し、すぐに立ち上がったが、落下地点が尻の付け根に近い部分だったため、そのまま尻と尻の間へとずり落ちる。


「へー、やるね。私以外にもあんなことできる人がいたんだ」


 感心する正美。空中で回避不能と見るや、銃弾を銃弾で弾いて防いだことを、正美は見切っていた。


「ていうか今のアレって何なの。ていうかそもそも何なのここ? ていうかお尻ばかりだし。お尻フェチな人が作ったの?」


 真が吹き飛んだということは、自分も吹き飛ばされる可能性があることも理解しつつ、正美はお尻畑の奥――真の落下地点の方へと進む。


『ほらほら、早く大根を引き抜かないと、時間切れだよー』


 臀部の上へと昇っている最中に、また意味不明なアナウンスが流れる。


(だからさ……どこに大根があるんだよ。これ作った奴は真剣にイカれてるな)


 そう心の中で問いかけるものの、大根とやらがどこに埋まっているかは薄々察していたが、真はそれ以上考えないようにした。


 今度は正美が下からの凄まじい勢いの突風の洗礼を受ける。人間の体を軽く吹き飛ばすほどの風には、さしもの正美も対処のしようがなく、空中できりもみ回転する。


『時間切れになると大変なことになっちゃうよー。それはもう大変なことだよー』


 アナウンスにも気に取られないほど集中し、真が空中の正美めがけて銃撃を行う。

 正美は銛で一発は弾き返したが、二発目が正美の右のふくらはぎをかすめて、血が飛沫いた。銛では届かない位置への銃撃。真のように銃弾で対応できればよかったのだが、吹き飛んだ際の体勢が真よりもずっとひどく、銃を向けることすらかなわなかった。


「この状況は……」


 呟きつつ、落下した正美の腹部に照準を合わせ、一発撃つ。横腹にヒットして、正美はうめき声をあげて顔を歪める。


「実力差も引っくり返せるかもな。僕も条件は同じだが」


 柔らかい尻の上に落下した直後で体勢をすぐ立て直せない所を狙ったのだが、見事に狙い通りになった。本当は頭部を撃ちたかったが、流石に頭は両手でガードしていた。


 正美が起き上がり様、真めがけて撃つ。

 真は回避しようとしたが、運悪くそこでまた突風が下から吹いて、正美の銃弾が胸の真ん中――心臓の真上を直撃した。心臓部分は防弾繊維のガードは厚めに補強してあったが、それでも衝撃までは殺しきれず、吹き飛びながら苦痛に顔を歪める。

 空中の真めがけて、さらに正美が撃ってくることを警戒したが、正美は撃たずに弾倉のリロードを行っていた。


(そう簡単にはいかないか)

 尻の上に落下し、真は苦笑する自分を思いうかべる。


(瞬一にあんなこと言っておきながら、今僕が死の予感をひしひしと感じて臆しているんだからなあ。相手は明らかに僕より強い。勝負は単純な強さの上下だけで決まるもんじゃないが……それにしても勝てる気がしない。芦屋の次くらいにヤバいんじゃないかな。でもこいつは可能性ゼロってこともないか。十回戦ったとして、一回くらいは勝てるかもしれないくらいの実力差って所かな)


 コンセントを三錠以上服用という時点で、危険な予感はあったが、実際に戦ってみると想像以上だった。

 今生きているのは単純に運がいいだけだ。致命的な箇所に当たった際に防弾繊維を貫かれずに済んでいたが故であり、真が食らわせた二発は、美香やお尻畑の支援があったが故である。


「君、結構強いねー。私がやりあった中じゃ、芦屋黒斗の次くらいに強いかも、ね? 芦屋とやりあったことある? あれズルいよね? 強いとか何とかの次元超えてるっていうか。そう思わない? あ、やったことないならわからないか。馬鹿だよね、私」


 対比するのに思い浮かべていたのと同じ人物の名が正美の口から出たので、頭の中で微笑む自分を思い浮かべる真。


『ああ……もう駄目だ。き、切れる。切れちゃうよっ。早く、早く大根を持ってくるんだーっ! さ、さもないとぉっ!』


 焦燥感たっぷりの野太い声も、今の二人の耳には届かない。


(美香に連絡入れたい所だが、今の状況じゃとても無理だな)


 真がそう思ったその時、お尻畑の入り口の方で爆発が起こった。


「え!?」


 正美が声をあげた直後、お尻畑の中心でも爆発が起こる。真は爆風を受けて吹き飛び、フェンスに直撃して頭をしたたかにうち、わけもわからないまま、尻と尻の間に挟まれて仰向けに倒れ、意識を失った。


***


 東京ディックランド内のあちこちで、立て続けに爆発が起こっていた。

 主に爆破されているのは建造物だった。アトラクションとその入り口、さらに土産屋や飲食店までも。

 そこかしこで起こる爆発を見て、日戯威がプラスチック爆弾を仕掛けていた事を思い出す美香。彼等の仕業であろうと理解したものの、しかし何のためにこんなことをするのか、理由がわからない。


 客が悲鳴をあげ、パニック状態で逃げ回っている。すでに死亡者も出ている。美香は怒り打ち震えながら。こんなことになるなら、もっと爆弾処理を徹底してやっておけばよかったと後悔する。


「日戯威の狙いも気になるが、真は一体どこへ行った!」


 美香は真と正美の居場所を見失っていた。


(連絡くらい来ると思うのだが、それが無いということは……いや、信じろ!)


 嫌な想像を打ち払うように首を小さく振り、次々と爆発の起こる東京デッィクランド内を美香は疾走した。

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