第五章 28

「そろそろ頃合ではないですか?」

 時計を見上げて青島が毅に促す。


「そうだな。鳥山正美の姿が安全な場所で確認でき次第、実行しろ。一応は契約した味方だし、巻き添えで殺すわけにもいかないし」

 微笑みながら毅が命ずる。


「当然のことですな。最低限の仁義はわきまえないと」

「漫画やゲームだと、味方も巻き添えに殺して、悪役の悪いイメージさらにアップとか、お決まりの演出あるけど、実際そんなことやったら誰にも信用されなくなって、商売あがったりだしなー」


 笑いあう青島と毅。


「もし鳥山嬢が中々姿を現さないようなら、連絡して誘導しましょう」

「だな」


***


 累は幾つかの空間の歪みに飛び込んだ後、あっさりと幸子の後姿を確認した。


 幸子は後方に気配を察するなり、瞬一の体を下ろし、翻って戦う覚悟を決める。雪岡純子や雫野累との交戦は控えるようにと言われているが、出会ってしまった場所が結界の中では、そうも言っていられない。

 加えて言えば、戦いもせずに逃げ出すというのも癪に障る。雫野の術師が破幻、封霊に関して強力無比であるという話ももちろん知っている。だがどういう形でそれらを成すのかも見極めてみたい。


 盲霊達が一斉に泣き喚く。声を聴いただけで軽い憑依状態にして盲目にする術だが、累は涼しい顔で幸子を見据えている。効いている様子はまるで見られない。

 累はパーカーの上に纏った赤茶色く煤けた布を指し、口を開く。


「無駄ですよ。二百年間祈られ奉られた聖布に、雫野の呪紋を縫い、僕が無理矢理組み敷いた一万三千七百五人のおぼこの破瓜の血で染め上げたこのマントは、生半可な攻撃は霧散させてしまいます。物理的な衝撃であろうと、能力や術の類であろうと」


 わざと相手の不快さをかきたてることを言ってみた累であったが、幸子は動じた気配を見せなかった。

 わかっていたことだが術での戦いは圧倒的に分が悪いと判断して、幸子は刀を構え累へと駆け寄り、一気に間合いを詰める。俊足だった。


 累も刀を抜く。漆黒の刀身を露わにした不壊の妖刀『妾松』が、幸子が両手で上段から振るう刀を受け止め、鈍い金属音が響く。受け太刀でもって、相手の刀のみを一方的に折ることすら可能な硬度と強度を持つ妾松であったが、幸子の刀は折れることはなかった。

 累が幸子の斬撃を受け止めた直後、幸子は刀と刀の接点を軸にして回転すると、体を入れ替えて、累の横へと滑り込む。

 敵の狙いを察して、累は身をかわす準備をする。剣の軌道がどうくるのか、コンマ数秒の間にギリギリまで見定めなければならない。


 累の懐へと移動した幸子が、今度は己の体を軸にして累の横で回転する。幸子の腕が下がっているのを見て、下段か中段の軌道と判断した累が飛び退る。

 だが下段と見せかけた幸子の剣が、一気に斜め上へと跳ね上がる。ギリギリまで下段と見せかけたフェイント。累の首筋すれすれの部分を斜め上から袈裟懸けに、刃先が薙いでいった。


(速い。鋭い。流石はヨブの報酬のエージェント)


 累は喜悦を感じていた。妖術師としてもかなりの力量を持つが、術ではかなわないと見なすや即座に接近戦にシフトする判断力と度胸、それに裏づけされた剣士としての技量。明らかに百戦錬磨の戦闘者であると認識する。


 両者共に体勢が崩れた状態にあったが、立て直すのは幸子の方が早かった。勢いよく踏み込み、累の心臓めがけて突きを繰り出す。息もつかせぬ連続攻撃という陳腐な表現が累の脳裏をよぎる。


「赤団子」

 累がぽつりと一言、呪文を唱えた。


 握った刀が肉を貫く感触が、幸子の両手に伝わる。

 目の前で起こっている光景に、幸子は目を剥いた。


「剣だけで勝負をしてあげてもよかったんですけどね。たまにはこの子達も出してあげたかったので」


 全身を血で塗りたくったかのように真っ赤の赤ん坊何人もが、溶け合い混ざりあった、累の背丈ほどもある肉団子の塔。刀によって貫かれた部分の赤子だけがけたたましく泣いているが、それ以外の赤子達は、まるでそれを嘲るかの如く笑っている。

 いつの間に術を発動させたのか、幸子には全くわからなかった。そんな気配はまるで感じなかった。あるいは予め呼び出して潜ませていたのかもしれない。


「何たるおぞましい外法!」

 怒りと蔑みを込めて言い放つ幸子。


「それを……貴女が言いますか?」

 目を細めて口元に歪んだ薄笑いを浮かべ、蔑み返す累。


 肉団子から刀身を抜いて再び刀を振るう幸子だが、刀の動きに吸い付くようにして、肉団子の塔がしなるように動き、刀に絡み付いてきた。


 銃声が響く。刀を即座に捨てた幸子が、右手の袖口に仕入れていた銃を肉団子の塔めがけて撃ったのだ。ただの銃弾ではない。退魔仕様に呪印を刻んだ弾だ。まさか今回これを使うことになるとは思わなかった。

 銃弾を受けた赤子の顔が歪む。泣き喚く間もなく死滅する。だが他の赤子達には何の影響も無い。死んだ赤子の顔を見て、おかしそうにけたけたと笑い続けている。


 肉団子に絡め取られた刀が床に落ちる。直後、累が踏み出して低く突く。幸子はのけぞってかわそうとしたが、剣の切っ先が右脚をかすめ、スラックスが斬られる。

 少し間を置いてから、太ももから血があふれ出した。アドレナリンのせいで、痛みでは傷の深さがはかりにくいが、出血量からしてかすり傷程度であろうと判断する。


 累と肉団子を見据えたまま、幸子は足で刀を跳ね上げて左手でキャッチする。


(やはり私ではかなわないか。これ以上の戦闘は命取りになりかねないわね)


 そう判断すると、幸子は累の方に体を向けたまま後方へと駆け出し、瞬一の方へと移動する。

 気を失ったままの瞬一の首筋に刃を押し当てながら、抱き起こす。

 累は笑みを消して小さく嘆息すると、細い手を伸ばして肉団子にそっと触れる。赤子達が一斉に不満げな甲高い声をあげたかと思うと、肉団子はどろどろに溶けてその姿を消した。


 瞬一の体を盾にするようにして移動する幸子。気の進まない方法ではあったし、見ず知らずの人間を人質に取った所で、累の動きを封じることができるかどうかも疑わしかったが、話に聞くところによれば、雫野累は伝説で語り継がれているような邪悪さを潜めて改心したとのことなので、この手が通じるかもしれないと思っての賭けであった。


(雪岡純子は月那瞬一と通じているようだしね。だけど、それが引っかかるわ)


 真、美香と共に行動しているのを見て確信した事だが、純子がそもそもの裏切り者である瞬一とつるんでいるのが謎だ。

 瞬一は純子を裏切り、さらには横流しした相手である幸子をも日戯威に売り渡した。その日戯威が純子と繋がっているのは、純子が節操無く力霊を手に入れようとしていると解釈できるが、瞬一と繋がる理由がよくわからない。純子に捕らわれて脅迫されて動かされているのだろうか?


 累は結界の奥へと逃げていった幸子を、そのまま何もせず見逃した。


「追うよりも……今はこの結界を破壊……した方が……よさそうですね」


 呟くと、累は結界を構築する支柱を探すために、歩き出す。

 程なくして結界の支柱を発見する累。一見して水族館内にあるただの円柱だが、濃い妖気を放っているので、一目瞭然でわかった。柱に手を触れ、もう片方の手でスケッチブックを開く。


「これで十分……でしょうか……」


 開いたページには、首から下の全ての皮を剥がされた亡者を、二人組の鬼が金棒で交互に殴りつけている絵が描かれている。亡者は苦悶の表情を浮かべ、まるで絵を見る者に恨みがましい視線を投げつけているかのようであった。

 開いたページを付け根から丁寧に破り取る。スケッチブックから切り離されたページが、宙に浮かんでいく。累の頭より高く浮いた所で、絵が緑色の鮮やかな炎に包まれた。

 絶叫と共に絵から霊が飛び出した。絵に描かれていたのと同じ、首から下の生皮が剥がれた霊。


「解き放って……いいですよ……」


 眼前の柱の方を向いて、累が霊に語りかける。直後、霊の顔に歪んだ喜悦の表情が浮かび、絶叫をあげながら柱へと飛び掛った。

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