第五章 27

 正美が幸子の目と鼻の先にまで接近していた。だが正美は幸子を無視して、真と美香が消えた方向へ向かって進む。

 正美からすれば幸子を相手にするより、初志を貫徹して先に真達を始末した方がいいとの判断であったが、幸子からするとこの選択は意外だった。自分なら、真達がいなくなったのだから、一対一での戦いの方を選択すると考えて。


「憂いは断ち切るべきよね」


 肝心の瞬一は捕らえたが、それで済ますわけにもいかない。今が絶好の機会だ。残る三人も始末した方がいいと考え、幸子は三人の後を追う。

 そう遠くへは離れていないのを確認し、幸子は呪文を唱える。幸子の呪文に反応した盲霊達が、一斉に泣き声をあげた。


「何だ!?」


 霊達のけたたましい泣き声を聞いた瞬間、美香は闇へと包まれた。目を開いているのに靄がかかったかのように非常に視界が悪くなる。


「触れられてはいなかった……。あの声か?」


 真も同様に視覚を奪われて、その場に立ち止まった。完全に盲目になっていないのは、声だけによるものであるせいなのか、それとも携帯している護符のおかげか。


「しかし最初から声での憑依を行わなかったということは! 接触より効果が薄いか、別の事情があると見た!」

「ああ、あるいはその両方か」


 視覚を奪われても冷静な二人を見て、幸子は舌打ちしたい気分になる。幸子の盲霊に憑依されて動じない獲物は珍しい。やはり一筋縄ではいかないと、気を引き締める。


「ねね、何かさ、叫んでるし苦しそうなんだけれど、あのユーレー何で苦しんでるの?」


 一方、正美は霊を見上げながら、ぽかんと口を開けていた。視覚を失った様子は無い。


「あっれー? 何かこの人達様子変なんだけれど、どうしたの? あ、ひょっとして目が見えなくなったの? どうしてそうなったの? ねえ、どうして?」


 正美に霊の泣き声が全く効いていないのを見て、幸子は唖然とする。


「この人……相当鈍感みたいね……。こういう人は霊や呪術に対して強いし、直接ぶつけないと駄目ね」

「そんなことないよ? 失礼しちゃう。私霊感体質だと自分で思ってるしー。だって夏にテレビでやる怪談スペシャルとか大好きだもん」


 幸子の呟きを聞いて、頬を膨らます正美。


(まずは厄介そうなこの子から、戦闘不能にしておくべきね)


 真に向かって銃口を向け、幸子は引き金を引いた。

 ひょいっと横に動いてあっさりと回避する真。


「……綺麗にかわすものね」


 一瞬呆気に取られたが、さらに美香にも発砲する。

 が、やはり軽い動作でかわされる。


「こいつら……」

「目が見えようと、弾丸の速度が見えるわけではない! 相手の動きと勘でもって回避している! 相手の動きが正確に見えないのは辛いが、大体の感じでだけでも、お前の攻撃程度ならかわせる!」


 盲目に近い状態にも関わらず、幸子のいる方を正確に指差して叫ぶ美香。


「一時的に目くらましするだけか? つまらない手品だな」


 抑揚の無い声で真が挑発する。真に至っては純子から、盲目の状態での戦いの訓練の手ほどきも受けていた。だがそれで問題なく動けるかと言えばそうでもない、見えている時に比べれば確実に戦闘力は落ちる。


「何かよくわからないままなんだけど、誰も私の質問に答えてくれないみたいだし、ここにいる皆、殺した方がいいッスねー。とりあえずそっちのユーレー使いからいってみよっかなー」


 正美が幸子に銃口を向けたと同時に、上空の霊が一斉に正美に襲いかかる。正美は撃つのを諦めて回避に徹する。


 その正美を狙って真が引き金を引く。視界に靄がかかっている状態でのほとんど勘頼みの銃撃であったが、わりと近い場所に着弾した。が、正美はそれを完全に見切っていたが故に、真の銃弾には一切の反応をせずに再度幸子へと銃口を向ける。


 幸子は幸子ですでに正美へと銃口を向けていた。互いに同じタイミングに二回ずつ引き金を引く。二発目の引き金を引くと同時に、二人とも動いていた。が――正美の銃弾が幸子の腹部を捉え、不安定な体勢のまま幸子が後ろにのけぞり、倒れた。


 幸子が撃たれたのを感じ取り、その隙を狙って美香が幸子めがけて撃つが、流石に今の状態では当たらない。一方の真も正美に発砲するものの、難なくかわされる。


 防弾繊維が貫かれていないことを確認しつつ、幸子は美香めがけて反撃する。

 正美は自分を狙っているようだが、幸子としては、見えない状態のうちにこの二人の始末をきっちりとつけたい。泣き声による目潰しは時間制限があるうえに、二度目は効果が非常に薄くなる。実質上、使えるのは一度だけだ。


 三つ巴の戦いに、幸子は焦燥を覚える。特に正美の存在を脅威に感じる一方、二人でタッグを組んでいる真と美香はこの三つ巴の戦いにおいて、隙を作りにくい厄介さがあると判断している。

 二人の視力が著しく落ちている今こそが最大のチャンスだというのに、正美がそれを邪魔してくる。今の状況なら自分と正美の二人がかりで真と美香を潰した方がいいだろうにと、自分を狙うという選択をした正美に対して幸子は忌々しげに歯噛みする。


 盲霊が正美の周囲を囲むような配置につく。霊に一斉に襲いかからせ、さらに銃撃を加えてやろうと幸子が銃口を向けたその時――

 鮮やかな緑色の炎が床から噴出して霊達を包み込み、そのまま焼き尽くした。


「なになになに今の? 綺麗。ていうか霊燃えちゃったよ? 幽霊なのに燃えるんだ」


 突然の出来事に幸子は呆気にとられ、正美は感心した後に訝る。


「燃やしたというか、浄化したんです。安らかに冥府に逝けるように」


 パーカーの上に赤茶けた布を被った累が正美の後方に現れ、答えた。

 出歩く際は人目を避けるようにフードを目深に被っている累だが、今は違った。透けるような淡い金髪と、少女にも見える美貌を露にしている。両手には、一振りの刀剣が鞘に入ったまま握られていた。


「あれ? 貴方見たことあると思ったら、タスマニアデビルでピアノ弾いてる子じゃない。ねね、今の何? どうして火なのに緑色なの? どうしてその火で霊が燃えちゃうの? 教えて欲しい。ねえ、どうして?」

「いや……あの……今説明するのは……難しいというか、長くなるというか」


 早速質問攻めをする正美に、累はたじろぐ。


「じゃあ簡単に教えてくれればいいと思う。ねね、どうして? すごくそれ面白い。何か今の緑色の炎もすごく綺麗だったし。やっぱりそれもよーじゅつ? 何か私、超常の力とか嫌いなんだけどー、今のすっごい綺麗な術なら覚えてもいいと思った。だってすっごく綺麗だったし。もしよかったら今度教えてくれないかな? いや、冗談じゃなくて本気で。だってすっごく綺麗だったし」

「いや……それはもっと難しい……ですよ」

「どうして? 何で難しいの? ね、教えて? 何で難しいの? ていうか難しくてもいいから教えて。それとも何か教えられない理由があるの? 理由があったらそれも教えて」

「あ……」


 正美が累に向かってまくしたてている隙に、瞬一を抱えて走り出す幸子を見て、累がぽかんと口を開けた。気がつくと真と美香の姿も無い。


「あれ? 逃げられちゃったね。ひょっとして私のせい? 私のせいなのかな? ねね、私のせい? 教えて。謝った方がいいのかな、これ」

「すみません……僕、行きますね……」


 幸子が去った方向に向かって、累も小走りに駆け出した。


「んー、餅は餅屋っていうし、あっちは任せちゃおうかな。あの子が何者かわかんないけど。てなわけで、私はあの二人と遊んでこよっと」


 真と美香が手を取り合って逃げる場面を、正美はしっかりと目撃していた。二人が消えた空間のひずみへと飛び込む。

 周囲の風景が微妙に変化する。二人の姿は無い。空間がねじれた異様な場所であることは理解していたために、二人がまた別の空間のひずみで移動して、姿が見えないのであろうことも正美にはわかった。ひょっとしたらすぐ近くにいるのかもしれないが、相手の姿を認識できない。


「何か見えないワープ地点がいっぱいとか、3Dダンジョンゲーなら面白いと思うけど、リアルで誰か追っかけてる時だと、すごく困る。ていうかリアルでそんなことフツーないよね? 貴重な体験かもだけどこんなの面倒なだけだからいりませーん。はあ……」


 不満を口にして大きく嘆息すると、正美は手当たり次第に空間のひずみへと飛び込み、闇雲に二人の後を追った。

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