第五章 26
「こちらです。どうぞどうぞ」
夜の遊園地。明らかに人目につく場所に姿を現しているイーコが、累を手招きする。基本的にイーコは人目につかないように行動するものだが、今回は累の案内という役目のために、最低限は仕方の無いことだった。
もっとも誰かに見られたとしても、ディックランドの新キャラクターか何かとしか思われないであろうが。
何故かパーカーの上に赤茶けた汚い布などを羽織った累は、一振りの刀といつも持っているスケッチブックとを、まとめて両手で胸元に抱えていた。
イーコは人目につかずに移動するために、妖の通り道を利用する。次元をずらした亜空間の道。中から見た周囲の風景はさして変わらないが、外からは認識できず、触れ合うこともない。累やイーコに通行人達は気付くことなく、二人の体と重なってそのまますり抜けていく。
「これは便利ですね……。僕もこれが作れる術……学んでみようかな……」
累が表情を輝かす。
盲霊師がいると思われる軟体動物専門水族館へ向かうように純子に言われたものの、安楽市以外の場所で人ゴミの中に入るのに抵抗があり、躊躇していた累であったが、イーコら妖の者が、人目に触れずに移動できる妖の通り道――亜空間トンネルを開く能力を持っていた事を思い出して、頼んだのである。
「元々この術は町田流という妖術流派から学んだものなのですが、それをイーコはさらに改良したんですよっ。それにしても、累様が自ら赴くというからには、きっと凄い相手なんでしょうねー」
先導するイーコが、弾んだ声で言う。
「どうでしょうか……。そうとも言えますし……そうでもないとも言えますし……どう説明したらいいか……」
雪岡純子を敵視する者は非常に多い。しかしその全てが純子にとって本当の意味で敵と呼べるものではない。敵にさえならず駒として利用される者と、敵となりうる者の二つに分かれる。後者の場合は、純子と運命共同体である自分にとっても敵と呼べる。そして『ヨブの報酬』は、自分達にとって敵となりうる存在ではあるが――
「今いる相手は……大したことはありませんが、僕でないと制御が難しい……と言えばいいかな? あるいは、バックにいる組織が強大とでも……」
長年喋らないでいると会話そのものが下手になると、喋りながら累は思う。
「なるほどー。相性の問題とかですか。確かに累様なら力霊の制御だってできそうですしねー。ていうか雫野流は破幻と封霊の術にかけてはピカイチなんですよねっ?」
「その二つにかけては……ですね」
「すごいですねー。あ、ついでに気になること伺ってもよろしいでしょうか。実はイーコ間で話題に挙がっている話がありまして。今回の力霊騒動と関係は無いと思いますが、力霊を人工的に量産しようとしている人達が、いるとかいないとか。そういう話、知りません?」
「知って……ますよ」
歩きながら即答する累。
「今回の力霊は太古に術師によって作られたもの……ですが、歴史の裏で暗躍……している世界的な秘密結社の一つ……が、力霊の量産を目論んでいるという話は、確かにありますし……本当の事だと思います。彼等は……そのために、超常の能力者を増やそうとして、十年前より……霊や冥府等の存在を公にするよう……仕向けたふしさえあります」
もちろん純子や累も力霊の製造を行える。実際純子は星炭流呪術の一族を全て生霊化したうえで力霊としてもいる。だが純子は、自ら積極的に力霊を作る気は無いようだ。今回の件も、発掘された力霊が持つその特異な力に興味を持ったにすぎない。
「ひえぇ、やっぱりですかあ……困ったなあ」
「何が困るんですか?」
「いやー、もしその事実が本当なら、イーコが一丸となって組織を突き止めて阻止しなくちゃって話がですねー、イーコ間で出ているんですよー。でも人間傷つけるのが御法度なイーコが、どうやってそれを阻止するんだって感じですしねっ」
全くだと累も思った。人間の守護種族であり補佐種族である彼等は、時として組織だった行動をするものの、様々な制約が足を引っ張ってうまくいかない事も多いと聞く。
「ヨブの報酬も……それを止めようとしているようですし……イーコが迂闊に手を出す問題では無いと思います……よ?」
「あはは、やっぱりそうですよねっ。雫野累様がそう仰っていたと、長老に伝えておきますっ」
「僕から……その言葉を聞きだしたくて、その話題を……振ったんですか?」
「あはは、ばれちゃいました~?」
振り返って悪戯っぽく笑うイーコを見て、累もつられて笑みをこぼす。
「そのヨブの報酬っていう組織はすごいんですかねー? オイラも名前だけは聞いたことあるんですけどー」
「世界を……裏から支配し、操作する過ぎたる命を持つ者……達」
累の顔から笑みを消える。
「彼等は……それぞれ支配者として君臨しながら、絶えず力を求め……勢力を伸ばさんと……己の思想と相反する他の過ぎたる命を始末する機会を……伺い続けています。ヨブの報酬の頭領も……その一人です」
「えっと、すでに累様は、その支配者同士の争いから一線を引いて隠居されたと伺いましたが、雪岡純子さんはどうなのでしょう?」
「純子は元から……支配の類には興味……ありません。そもそも過ぎたる命――オーバーライフの全てが支配者の立場……というわけでもないですし。けれども純子や僕は……世に害悪を撒き散らす存在ですから、彼等の多くから敵視……されていますね」
「でもでも、神に最も近づいた男という異名を持つ累様と、雪岡嬢がタッグを組んでおられますしっ」
「ええ……ステップ2……過ぎたる命を持つ者でも、さらに上位にあたる者が手を組んでいる……というのも稀有な例ですし、迂闊に手出ししようとは思わない……でしょう。百合のような愚物は……別として」
一瞬、累の声に深い憎悪の響きがこもったのを耳にして、敏感なイーコは身をぷるぷると震わせた。
ホテルから出てすぐ隣にある軟体動物専門水族館に入っていく二人。
「あれれ? すぐ隣じゃないですかあ。あ、すいません。オイラ失礼なこと言っちゃって」
「いいですよ……」
ぺこぺこと何度も頭を下げて謝るイーコに、微笑む累。
「これ以上は道を開くのは無理ですねー。何故なら、結界が張られているからですっ」
ここが目的の場なのだろうと判断し、出口を作り出すイーコ。
「累様、御武運をっ」
「はい、ありがとうございます」
満面に笑みをひろげて敬礼してみせるイーコの頭を撫でて、累は亜空間トンネルより外へと出た。
***
右手に銃、左手に刀を構えた盲霊師杜風幸子を見て、真の脳裏に累の言葉が蘇る。
超常能力者は、身につけた超常の力を過信し力に依存しているために、体術の鍛錬を怠っている者が多いと。実際真は数え切れない程の超常の力を行使する者を屠ってきたが、その多くは累の言う通り超常の力だけが武器だった。
そうした者を倒すのは、力にだけ注意していれば容易だが、力にのみ頼らず、武の面も極めた術師は恐ろしい敵であるとも教わった。実際累の言う通り、それらは強敵と呼ぶにふさわしい者ばかりであった。
先程の動きを見ただけでも、幸子が剣士としてもガンマンとしても並外れた実力の持ち主であるのは明らかだ。おまけに妖術師でもある。
(こいつも相当な強者だが、それよりもずっと問題なのは、あのピンク頭だ)
真がより強く意識していたのは後ろにいる正美の方だった。最悪の場合、この両者を同時に敵に回す形になるが、そうなると――
(全く勝ち目がない)
確信を込めてそう思う。少なくとも逃げる以外に手が無くなる。
「まず、こっちいってみよっかな。うん、そうしちゃおう。数的にも当然だよね」
正美の意識は、真達へと向けられた。真の中で思い描いた最悪の展開が、いともあっさりと現実のものになる。
「逃げるぞ」
真が告げ、真っ先に逃走に入った。
(逃げる!?)
美香は我が耳を疑った。あの真が――腕前もさることながら、滅多に逃走という選択などせず、不利的状況にあっても立ち向かった真が、戦う前から逃走を選択したということに驚かされた。
しかしだからこそ危険な状況なのだろうと察する。鳥山正美が最高ランクの始末屋の一人であることは知っている。そこまで危険な力量の持ち主かどうか美香には判断できないが、真がそう察したというからには、そうなのだろう。
美香も真と同じ方向へと駆け出す。ほとんど迷うことなく従った。
「えっ、ちょっと……」
反応が遅れたのは瞬一だった。いきなり真と美香が駆け出したかと思ったら、その姿を消した。空間のねじれが故であるということは理解しているが、いきなり二人が消えて自分だけ取り残されたような形となり、猛烈な不安に襲われる。
躊躇している場合ではないと思ったものの、遅かった。一瞬の躊躇を、正美も幸子も見逃さなかった。
「うおおおぉっ!」
盲霊が瞬一に接触する。突如視界が閉ざされる。目を開いているのに何も見えなくなり、悲鳴をあげる。盲霊に憑依された者は視覚を失うことは知っていたが、実際に憑依されたことを意識して、瞬一は返ってパニックを起こした。
「標的ゲット」
幸子が瞬一に接近し、峰打ちを首筋にお見舞いして気絶させた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます