第五章 25

 結界内に引きずり込んだ三人の会話は、幸子には筒抜けだった。


(結界方陣術の知識があるとはね。これはこっちも余裕かましてはいられないわ)


 術への知識が何もない相手なら、結界内へ引きずり込んで憔悴させたて盲霊をけしかけておけばいいと思ったが、これでは早急に手をうつ必要がある。結界の支柱を破壊されても困るし、最悪の場合この場所へとたどりつきかねない。

 結界内部の亜空間における空間のねじれは、結界を異界化する前に構築するものであり、一度異界化させたらこれ以上操作することもできない。


 油断のならない相手が故に、結界に引きずり込んで確実に仕留めようとしたのが、返ってあだになった形だ。


「会話を聞いていると悪い子達じゃないみたいだけど……」


 ぽつりと漏らす幸子。特に相沢真には好感すら覚える。だが三人の中の一人、月那瞬一が全ての元凶であることは疑いようのない事実だ。そのうえ彼等は力霊を狙っている。容赦はできない。

 このまま放置するのも、霊だけ放って済ますのでは駄目だろう。一度に三人相手にするのはキツいが、ここは幸子自身が赴いて始末をつけるしかない。そう決断し、幸子はすぐ脇に置いてあった一振りの刀を手にして立ち上がった。


***


 正美が返り血を拭い終えた所で携帯電話が振動する。


「何? 青島さん。あ、そうだ、丁度いい所に電話してくれたよね。今ね、正義の味方一人やっつけたよ。雪岡純子のマウスね。面白い子だけど大したことなかった。で、何?」


 電話の向こうの青島が口を開く前に、一方的にまくしたてる正美。


『それは朗報ですな。ついでに月那瞬一も片付けていただければ重畳。というわけで、彼等の現在位置が判明しているので、そこに向かっていただきたい』


 穏やかな口調で要請する青島。


「どこ? すぐ行くから教えて? 遠い? ていうか私が行く途中に別の場所行くとか無い?」

『軟体動物専門水族館です。おそらく移動はしないでしょう。以前うちの構成員がそこで盲霊師と交戦しているので、その場所に潜伏している可能性があります。あくまで可能性ですがね』


 青島の言葉を聞いて、正美は唸った。


「むー、それおかしくない? 交戦した場所にいつまでも潜伏なんてする? 私だったら移動するけどなあ。意外性つくにしても危険すぎる」

『動きが取れないのではという説もあるのですよ。力霊を封じておくために。ですが貴女と同じ疑問を我々も抱いておりまして。確証はありません。あくまで可能性です』

「何度も言わなくてもわかりますー。ま、とりあえず行ってみるね」


 青島の言葉を待たずに電話を切ると、正美は軟体動物専門水族館へと向かった。


***


 少し離れただけで、美香と瞬一の姿が見えなくなる。

 あるいは離れてないように見えても手が届かなくなる。互いに側にいるように見えるのに、触れることができない。


「あまり離れるな」

 美香の手を掴む真。


「空間が歪んでいるからな。近くにいても遠くへ行ってしまうことがある。今ばらばらになるのは不味い」

「あ、ああ!」


 あからさまに赤面して動揺する美香。


「姉ちゃん、こんな時に何照れまくってんのさ」

「黙れ! お前もあまり動きすぎるなよ!」


 照れ隠しも兼ねて怒鳴る美香。


 その数秒後、それが美香の頭上に現れた。

 目の部分が横一文字に切り裂かれて血を流し、悲痛な表情で飛び回る無数の霊――盲霊。


「触れられるなよ。見えなくなるぞ」

 真が次々と現れる霊を見据えて言う。


「わかっているけど、この数は……」


 瞬一が呻いた。頭上に現れる霊の大群は、あっというまに十体を越え、三人の周囲を取り囲んでいる。恐らく後方からも出現していたのであろうが、これで逃げ場は無くなった。この霊達が一斉に飛び掛ってきたとして、全て回避するのは至難だ。


「霊で取り囲むのも霊使いの常套手段だ。僕と美香なら対処でき――」


 喋っている最中に霊の数体が左右から真めがけて襲いかかってきた。数テンポ遅れて上の何体かが飛び掛り、最後に前後の挟み撃ちが展開される。


「一網打尽にしてやろうと思ったのにな」


 頭の中で舌打ちする自分を思い浮かべる真。霊除けのための強力な呪符を何枚かもらってきたために、一斉に霊が飛び掛ってきたら、一気に片付けようとしたが、霊達はコンビネーションを絡めたダイブを行ってきた。しかも狙いは真一人に絞られている。


「真! 戻れ!」


 霊の攻撃を回避しつつ、真の位置が二人から離れていくのを見て美香が叫ぶ。言われなくてとも真もそうしたかったが、どうにもならない。ようするに本気で攻撃しているわけではなく、まずは分断しようという狙いなのだろう。


「偶然の悪戯!」


 真に飛びかからんとしていた霊二体に対して、美香が交互に指して叫ぶ。真は美香の試みを察して腰を低く落とす。

 霊が交差するかのような動きで真を襲ったその瞬間、真は身を低くしたまま、霊に向かってダッシュをかけた。限りなくギリギリであったが、霊は真の頭上をすり抜ける。真も美香達の側へと帰還を果たす。


「運命操作術にうまく合わせる動きをしてくれるのは助かる!」

「今のはうまくいくかどうか微妙だったけれどな」


 偶然を味方にするという、運命操作の初級術であったが、その発動条件は定まっていない。だが、それとなくどういう条件でどのように左右するか、美香は一瞬の閃きでもって大体わかるようになっていたし、真も何度か見ているうちにわかってきた。


「瞬一?」


 真が訝る。美香のすぐ後ろにいたはずの瞬一の姿が、ほんの少し目を離した瞬間に、忽然と消えていた。


「こ、こっち!」


 少し離れた所で、スーツ姿の女性の日本刀を真剣白羽取りしている格好の瞬一が二人を呼ぶ。美香が偶然の悪戯を発動させていた最中に、霊が数体、瞬一に襲い掛かっていたのだ。回避したはずみに、空間のねじれに飛びこみ、美香達と離れた距離に移動してしまっていた。


「本人が直接出てきたか! 意外だったな!」


 盲霊師杜風幸子の姿を目にし、不敵な笑みを浮かべる美香。


 幸子が刀剣に力を込める。瞬一には、真剣白羽取りをしたこの膠着状態からどう展開すればいいかに関しての知識が無かったために、ただひたすら現状維持に留まって二人の助けを待つ。


 真が銃を撃つ。が、幸子は真の方に視線を向けつつも、微動だにしない。真の銃弾があらぬ場所を穿つ。幸子の回避先を先読みして撃ったつもりだったが、読まれていた。


(あんな体勢で、こっちの銃口を見て軌道を読むなんて、中々やるな)


 心の中で称賛して、今度は幸子を直に狙って撃つ。


 幸子は跳び上がって真の弾丸をかわし、そのまま刀を支点にして瞬一に全体重を乗せるような格好で空中で倒立する。

 幸子の軽業に目を剥く瞬一。だがそれだけでは留まらなかった。

 倒立した際に幸子は刀から右手を離し、左手のみで刀を握って己の体を預けた状態にすると、素早く右手を懐に突っ込んで銃を抜き、真と美香めがけて一発ずつ発砲してから前転して、刀から手を離して瞬一の後方に着地する。

 さらに着地と同時に瞬一の手に回し蹴りを入れて刀を弾き、同じ脚による蹴りを続けざまに腹部に見舞って瞬一をひるませ、弾かれた刀を左手でキャッチした。


「大した曲芸だな!」


 幸子の銃撃をバックステップしてかわした美香が叫ぶ。真に匹敵する身体能力なのではないかと、幸子の今の動きを見て、舌を巻いていた。


(確かに中々の体術だ。接近戦だけを取ってみても、この間戦った田沢以上かもしれない)


 幸子の流れるような動きを見て、真も強者と認める。妖術、呪術、剣術、体術、銃と、あらゆるスキルを高水準で備えているという点も見過ごせない。


「あれー? どうなっているの、これ? 月奈瞬一、月菜美香がいて、盲霊師もいるよ、これ。役者が揃った? そんでもって仏頂面の子とかもいるし、何これ? ひょっとして超漁夫の利とかできそう?」


 と、そこに、真のみ聞き覚えのある声が響き、振り返る。


「最悪のタイミングで現れたもんだ」


 右手に銃、左手に銛を携えた鳥山正美の姿を確認して、真は言った。

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