第五章 4

 瞬一が溜息中毒の事務所に戻ると、ボスの高城夏子を含めた構成員四人全員、揃って暗い表情で、室内を重い空気で満たしていた。


「ただいま。どうしたのさ、皆」

「日戯威からの誹謗中傷がひどくなってるのさ」


 最古参メンバーであり最年長である三澤雄一が渋面で告げる。四十台半ばを過ぎた程の、上背は無いががっちりとした体型の男だ。溜息中毒発足からの唯一の生き残りであり、先代ボスであり夏子の父でもある高城譲司の親友でもあった。


「頭くるよなー、こいつら。吸収合併の話を持ちかける裏で、うちらの評判貶めるような真似してさー」


 憤慨した口調で言ったのは三上健一だった。瞬一より一つ年下で、ここで一番の若手であり新入りだ。


「うちらがブツの横流しをしているとか、ブツの管理が悪いとか、笑っちゃうね。うちらのお客様なら、うちらがいかに気遣って仕事しているか知っているから、こんなしょーもない悪口気にしたりしないよ」


 最後の一人、三浦宗一が笑い飛ばす。二十代後半の色白で線の細い青年だ。


「ただの匿名の誹謗中傷だったら、そんなに気にする必要も無いんだけれどね」

 アンニュイな面持ちで夏子。


「私達だけならともかく、お客様の名まで出しているのがあると、私達も無視できないと思うの。これとか」


 夏子に言われて、瞬一は夏子が見ていたディスプレイを覗き込む。


『最近では雪岡純子に渡す物ですら横流しする怖いもの知らずっぷりで、調子こきまくっているらしいよ』


 裏通り専門のゴシップ的な匿名掲示板の一文を見て、呆れる瞬一。


「こんなことしてバレたら、俺達全員純子の実験台にされちゃうだろうに。そんな恐ろしいことできるかっての。あ、そういえば今純子の所に行ってきたけれど、一つ注文したものが足りないって言ってたよ」

「あら、おかしいわね。もう一度確認してみましょう」


 夏子がディスプレイを宙に開き、納品状況を記したシートを確認する。


「純子姉ちゃんから注文はきているけれど、肝心のブツがオークション側からうちに届けられてないみたい。発送済みにはなっているのにね」

「やっぱりあっちの落ち度か。じゃあ純子の方には俺がそう連絡いれとくよ」


 オークション品まで仲介しなくてもいいのではないかと思いながら、瞬一は純子にメールを送る。


***


 全身を白い甲冑で覆った男が、血まみれで地面に這い蹲るビキニのような鎧姿の美少女を見下ろし、含み笑いを漏らす。


『ふっ、他愛の無いっ。我が奥義アブソルート・グランダム・ファイナル・ギガストリームにかかれば、如何なる戦士とて無力。発動したら最後、如何なる力でも絶対に防げぬ。これはそういう技なのだ』

『そんな……強すぎる』


 ビキニ鎧の美少女が絶望して天を仰ぐ。そこでCMにと切り替わった。


「う~ん……」


 ディスプレイの中で展開されるアニメを、それまで楽しげに見ていた純子が、頬杖をついて白けた表情になる。


「そういう技なのだーの一言で片付けて、絶対に防げない必殺技の設定ってどーかと思う。真君はそう思わなーい?」

「別にいいんじゃないか?」


 読書しながら、関心無さげに適当な返事を返す真。


「こういう理屈一切抜きで、絶対相手を殺すような文字通り必殺の強すぎる力とか、そういうのが出てくるとねえ……」


 息を吐き、純子はテレビを消した。


「絶対不可侵なんてものは存在しないと信じて、そういう謎に切り込んでいく事に人生を捧げてきた私からすると、こういうのは駄目なんだよねー、すごく」


 現実とアニメをごっちゃにしてどうすると言いかけた真だが、ふと思い当たることがあって、別の質問をぶつけてみた。


「芦屋はかなり無敵くさい気もするが、あれもやり方次第では倒せるってのか?」

「うん。私なら幾つか手段思いつくよー」


 不敵な笑みを浮かべる純子。


「私は人が頭の中で想像可能なことは全て、実現できる可能性を秘めていると思っているからねー。人が宇宙に出る前は、人が月まで行けるなんて本気で考えられてはいなかった。ほんの十年前まで、幽霊もあの世の存在も多くの人が信じていなかった。だからそのうちタイムマシンも作れると信じているし、剣と魔法の世界なパラレルワールドもあると信じてるもん」

「その考え方だと、絶対の能力の否定と矛盾が生じないか? 考えられる全てが実現可能だと信じるのなら、文字通りの防げない必殺の技も、無敵の存在も、否定できないだろ」

「だからこそ、だよー。絶対的な存在、不可侵な存在を私は認めないのは。矛盾になるからこそ認めないし、信じないんだよー」


 純子が熱弁を振るっていると、死ね死ねと連呼して黄色い豚がどうのという奇抜な歌詞の歌が、室内に流れる。


「もしもし。いや、うちは何度も言っているように溜息中毒と専属契約して……」


 電話を取り、純子は拒否の言葉を途中で切った。

 電話の相手から指定されたアドレスを打ち込みながら、真にも見るようにと視線を送って、ディスプレイを宙に投影する。

 動画が映し出される。暗闇の中に二人。しかしナイトビジョンによる隠し撮りのようで、二人の顔も、何をしているのかもはっきりとわかった。音声も聞こえてくる。


「瞬一……」

 真がそのうちの一人の名を呟く。


「相手はあの盲霊師かー。なるほどねえ」


 受話器を押さえて、瞬一が壺を渡している相手の女性の呼び名を口にする純子。


「はいはい、見たよー。つまりこれってそういうことなんだねー? 噂通り、溜息中毒が裏で商品の横流しをしていると」


 笑いながら、受話器の向こうの相手に確認するように言う。


「んー、わかった。でもそちらで手を出さないで欲しいなー。私を裏切った償いをさせたいし、何より私の実験台を手に入れる格好の機会だからさあ。じゃあ、そういうことで」


 純子が電話を切り、真の方を見て楽しそうに含み笑いをする。


「日戯威から専属契約の勧誘だよぉ。いやー、物凄くあからさまだねえ、このペテンのかけかたは」

「瞬一の組織がこんな真似するわけがないしな」


 無表情のまま言う真だったが、頭の中で不機嫌そうな自分の顔を思い描いている。


「言うまでもなくだよー。夏子ちゃんのことは小さな頃から知っているしねえ。たとえ本当に裏切ったんだとしても、何か事情があるんだと思っちゃうしさぁ、許すよ」


 付き合いが古く、そこまでの信頼関係をすでに築いてある相手だ。純子が意外と信義に厚いことは真も知っている。ただし純子が気に入った相手限定だが。


「例のブツの件にも触れてきたよ。横流しした相手の潜伏先も知ってるって。教えるから今後ともよしなにしてくれだってさー」

「確かにあからさまだ。バレた時のことも考えていないのかね」

「こういうタイプは今までに何千人と見てきたよ。若くて野心があって目先のものにすぐとびつく子に、ありがちなパターンだよねー。蔵さんが経営していたナントカっていう組織の怪人カキヌマンもそうだったけれど。さぁて、どうしよっかなー」

「証拠を揃えて突きつけて一網打尽だろ」


 今回に関しては純子に全面的に協力しようと真は心に決める。純子も真も、己の利益のために他者を貶める卑劣な者が一番嫌いだった。おまけに自分達と親交のある相手を陥れた手合いとあれば、一切容赦はいらない。


「んー、もちろんそのつもりだけれど、そんな簡単にはいかないかもだよ? 証拠を揃えるのと、例のブツを取り返すのを同時に進行させないといけないからねー。それに盲霊師ってことは、私と因縁の深いヨブの報酬も絡んでいるしね。最初のうちは、こちらも向こうに合わせて踊っておくのが最良だと思うなー。相手を油断させるためにもねー」

「だろうな。とりあえず行って来る。『恐怖の大王後援会』に、五人分ここに運ぶ手配は頼むよ」


 真がそう言い残して部屋を出るのを見て、満足そうに笑う純子。


「ふっふっふっ、私が何も言わなくても、やることはぜーんぶわかっている感じだねえ。いやあ、本当に素晴らしい具合に成長していくねえ、真君」

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