第五章 5

 安楽市最大の流通組織である日戯威の二代目を引き継いだ赤城毅は、自分が二代目であることに対してコンプレックスを抱いていた。

 毅は、無能な二代目が親の財産を食いつぶしているだけという、ありがちな構図になることを極度に意識し、避けようとしている。それほど惨めで無様なことはないと考えている。


 そのために毅は、組織の巨大化に遮二無二務めていた。ただ親の作ったものを引き継いで、それを食いつぶしているだけなら脛かじりの愚か者だが、親の作ったものを土台としてさらに大きくできれば、それは立派な親孝行になるであろうし、周囲にも認められるであろうと。

 そのひたむきさだけは部下達にも認められているが、暴走傾向にある部分を危うくも見られている。


「あーっ!? あーっ!? ぉあーっ!?」


 甲高い奇声をあげながら、毅は拳でもって、自分と同年齢くらいの女性の顔を何度も殴打する。


「あーっ!? あーっ!?」


 女性から離れて数歩横に行くと、今度は女性と並んで立っていた七十は過ぎているであろう老婆の顔めがけて、奇声と共に拳を繰り出す。殴る前からすでに老婆の顔は痣だらけになっていた。


「あーっ!? あっ!?」


 殴られている最中、老婆は一切抵抗しない。先程の女性もそうだ。


「あっ!? あーっ!? ああーっ!? あーっ!?」


 老婆から離れると、今度は老婆の隣に立っていた十歳から十二歳くらいの少年に、容赦なく拳を振るいだした。その子も一切抵抗しようとはしなかった。

 ただ、少年が殴られながらも、子供らしからぬ険しい視線を毅に叩きつけた時、毅は一瞬だが顔色を変えてひるんだ。が、その事に対してますます怒りを助長させて、執拗に殴り続ける。


「あぁーっ! 何だその目はよーっ! あーっ!? 文句ねーだろーっ! あっ? てめーらはこれのために自分を金で売ったんだからよおっ! あーっ!?」


 毅の言葉通り、殴られている三人のうち老婆と子供は金でもってこの殴られ仕事をしている身であった。ただし女性だけは違う。彼女は毅のかつての恋人であった。

 だが毅が不能であり、女と初めて寝ようとした際にどうしても勃たなかった事をその場で散々馬鹿にされた結果、毅は怒り狂って女をその場で散々殴り倒して脅迫し、ウサ晴らしに殴られ続ける人間サンドバッグの一人に強引に加えたのだ。


 毅は小学生時代、盲目的に平和運動を行っていた担任教師によって、子供達に戦争の悲惨さを刷り込ませようと、戦争被害者のおぞましい死体の画像や戦場での殺人シーンの動画を見せられまくった。

 結果、おかしな悪影響が出て毅の性格は歪みまくり、老人、子供、病人等の弱者を見ると暴力衝動に駆られる性癖を持つに至ったのである。


「やめてくださいよっ!」


 癖のある甲高い声で制止がかかり、毅の子供への殴打が止まる。


「やめてくださいってばっ! もう殴らないで!」


 突如毅と人間サンドバッグ三人の前に現れたのは、一見して三歳から五歳くらいと思しき全裸の幼児だが、明らかに人外の存在だった。


 肌も髪の毛も爪も新雪の如く白さだ。股間に性器らしきものは無い。臀部からは犬のような尻尾が生えている。これも真っ白だ。こめかみからは蛾の触角のようなものが生えている。目の中の大部分を占める巨大な瞳だけが、白ではなく濃い紺色だった。

 少なくとも日本ではその姿を知らぬ者はいない。十年前からあらゆるメディアで話題になっている、イーコという妖怪のそれである。


「しつこい奴だな……何度も言ってるだろぉ! こいつらは俺に買われて殴られてるんだから、お前に止める権利なんてありゃしないって!」

「オイラも言ってるじゃないですか! オイラがその分も殴られるから、殴らないでって! その約束があるからオイラもここにいるんですよ!」


 イーコの目線まで腰を落として顔を寄せ、精一杯凄んでがなりたてる毅。それに対して毅然として睨み返し、言い返すイーコ。

 毅は歯噛みする。言いなりになるのは癪だが、イーコの存在を手放すのは惜しい。なるべくいつもイーコの見えない所で三人を殴打していたが、かなりの高確率でイーコがそれに気づいて、どこからともなく飛んできては毅の邪魔をする。


「あーっ!? そんじゃあお望み通り、こいつらの分もお前を殴ってやんよーっ!」


 目を血走らせて、毅はイーコの顔面めがけて容赦の無い蹴りを繰り出す。イーコは頭部をのけぞらせたが、倒れもせず、出血も無い。上体を元に戻し、哀れむような視線で毅を見上げる。睨まれるよりもこちらの方が毅には堪えた。

 その動揺をかき消さんとして、イーコの小さな体の上に覆いかぶさり、奇声を上げ続けながらひたすら殴打する。


 イーコが殴られている様を、老婆は泣きながら、子供は歯噛みしながら見つめる。毅の元カノは目を背けている。だがいくら殴られても、イーコは全く外傷ができない。出血も無く、痣もできない。痛みを感じている様子はあるようだが、ダメージそのものが見受けられない。


 殴打の手を止め、荒い息をついているところで、室内の電話が振動する。


「あ、これはこれは雪岡さん」


 息を整えて電話を取ると、口調をがらっと変えて、営業用スマイルさえ浮かべて応対する毅。


「本当ですか! いやー、こちらにとって実に嬉しい決断です。ええ。はい。早速契約手続きをさせていただきます。末永くよろしくお願いします」


 雪岡純子より、溜息中毒との契約を解除して日戯威と専属契約を結びたいとの要望があり、歓喜する毅。

 毅は上機嫌で電話を置くと、人間サンドバッグ三人やイーコには目もくれず、部屋を出て行った。


「大丈夫?」


 老婆が心配そうにイーコを覗き込む。


「オイラは平気ですっ。何故なら、頑丈だからですっ」


 元気よく起き上がり、笑顔で冗談めかして言うイーコに、女子供老婆三人は同時に痣だらけの顔に笑みを浮かべた。


***


 月那瞬一はその日生まれて初めて、裏切りというものへの衝撃と絶望を味わうことになる。


「瞬一……」


 三浦宗一が映像を見て呻く。瞬一もその映像を見て愕然となる。瞬一が盲霊師と取引をしている場面。ネット上で出回っている、商品横流しの瞬間を捉えた映像。渡されているブツは、純子と盲霊師が最後までオークションで競った――力霊を封じた壺。それは溜息中毒に届いておらず、真からも注文したのに無いと言われた物であった。


「違う……俺じゃない」

「これが瞬一君じゃないのは私達にはわかっています。でも――」


 真顔で夏子が告げた。


「無実の証明をしないと、私達の組織の評価は落ちるでしょうね。私達に届くまでの間に商品が奪われて、こんな偽者まで用意して横流しされて、その映像を流されているのですから」


 夏子が怒りを押し殺しているのが、その場にいる他の四人にひしひしと伝わる。これまで自分達が積み上げてきた実績に、泥を塗ろうとしている卑劣な輩への怒りたるや、相当なものであろうと察する。


「これは雪岡純子の敵意を、こちらに向けさせようとしているんじゃないスかね? やばくないっスか?」

 若手の三上健一が怖々と言う。


「純子姉ちゃんがこんな三文芝居を信じて私達を疑うなんて、無いと思いたいけれど」

 夏子が言った直後、事務所の扉が開いた。


「真?」


 アポもノックも無しに突然溜息中毒のアジトの中へと入ってきた真を見て、瞬一は最初訝るだけだった。


「おい、まさか……」


 その場にいた五人のうち、年配の三澤雄一だけが真っ先に事態を直感して蒼ざめ、ソファーから立ち上がり、懐に手を入れる。


 真は三澤の動きを見てとり、最初に彼を狙った。三澤よりも速く銃を抜くと、抜き様に一切の殺気無く三澤を撃つ。

 右腕上腕部を撃ち抜かれ、服が赤く染まる。三澤の顔が歪む。瞬一と夏子の顔が凍りつき、反射的に身構えさせる。


「純子姉ちゃんは、日戯威の流したあの映像を信じたってこと?」


 真を睨み、夏子が厳しい口調で問う。いつも穏やかな夏子がこんな顔をするのを、瞬一はほとんど見たことが無い。相当なトラブルが発生しても、冷静さと平静さを保っていたというのに。


「真君、これは誤解です。純子姉ちゃんと合わせてください。まず私と直接話させてくだい。それで私達が裏切ったかどうか判断してもらうわ」

「雪岡は嘘つきを滅多に許さない。そのくせ自分はその嘘つきをとことん騙して利用してしゃぶりつくすが」


 凛とした口調と物言いの夏子に、真は掌サイズのポケットピストルを構えたまま、無表情に淡々と告げる。


「こっちの話くらい聞いてくれてもいいだろう。いきなり攻めてくるなんて、そんなのありかよ……」


 唸るように瞬一。その瞬一の方に真が向き、ポケットピストルの引き金が引かれた。

 瞬一は際どいところで銃弾をかわした。聞く耳をもたないその対応に、怒りが湧き起こり、真を睨みつける


「どうして信じてくれないんだ! 俺達はハメられたんだ! ていうか、俺達みたいな弱小組織がどうしてそんなリスク背負って、一番のお得意様だったお前等を裏切らなくちゃならないんだ!」


 怒鳴る瞬一に銃をつきつけたまま、真は小さく笑ってみせた。瞬一が真の笑顔を見るのは初めてだった。


「信じてないのはお前だよ。今言ったことがわからないらしいし」


 確かに真の言うとおり、その言葉の意味が、瞬一には全くわからなかった。

 三上健一と三浦宗一が銃を抜く。真の左手が動く。


「ぐっ……」


 三浦が呻き、その動きが硬直した。真から放たれた長い針が首に刺さっている。

 三上が銃を撃つ。三澤も左手に持ち替えた銃を撃つ。瞬一も二人に遅れて銃を抜き、撃つが、そこで信じられないものを目の当たりにする。

 かなりの至近距離からの、三人がかりによる銃撃を、真は軽々とした動きで、小さくステップを踏んだり上体をくねらせたりして、最小限の動きでかわしていた。


(かなわない)


 仕事上でも幾度も顔を合わせ、タスマニアデビルでも会った際にはよく雑談を交わしていた知己が、突如雪岡純子の殺人人形として、恐るべき刺客となって自分達に銃を向けてきたこの事態、その恐ろしさをはっきりと実感しつつ、瞬一はそう直感した。


(どうしてこんなことに……)


 瞬一が絶望している最中、三澤の首筋にも針が刺さる。三上の右肩が小口径の銃弾で穿たれる。


「瞬君! 逃げて!」


 頭の中が白くなりかけていた瞬一であったが、自分をかばうように立ちふさがった夏子の姿と声に、我に返った


「逃げて、私達の汚名を注いで!」


 瞬一の方に振り返り、凛々しい表情で告げる夏子。瞬一は後方に窓があり、すぐにこの場を逃れられる可能性がある自分に可能性を託そうとしているのだと、理解した。そして理解した瞬間、体が動いた。

 身を翻し、窓を開けて外へ飛び出たその時、銃声が二つ響いた。一つは真のものだとわかった。もう一つは夏子のもの。猛烈な不安が瞬一を襲うが、振り返ることはせず、一目散にその場を離れた。


「厄介なことになったな」


 瞬一が飛び出ていった窓と、血をしたたらせて苦悶の表情でその場に崩れる夏子を見比べて、真は呟く。


「止血するからこれ以上抵抗するな。殺すつもりはないが、出血多量で死ぬかもしれないし、そうなって欲しくはないからな」


 告げるなり真は夏子の前にしゃがみこみ、彼女の銃を奪い、応急手当を始める。まずボスである立場の彼女を助ければ、他の部下は抵抗しようとしないであろうと見て。もちろんそれでも万が一に備えて、警戒は解かない。


(全員、痺れ薬を塗った針で動きを止められれば、あいつの後も追えたんだけれどもな。そもそも瞬一がかばわれた時、一瞬迷ったのも失敗だった)


 夏子の手当てをしながら、真は己の未熟さと判断のミスを反省していた。

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