第五章 3
ワゴンに幾つもの荷物を乗せて、運送屋の格好をした瞬一がカンドービルの地下一階へと降りていく。毎回ワゴンで階段を下りるのも骨だし、どうしてエレベーターを備えてくれないのかと、いつも思う。
雪岡純子は溜息中毒のお得意様の一人である。溜息中毒の仕事の速さと丁寧さを見込んで、専属契約を結んでくれている。それが溜息中毒のネームバリューにも繋がっている。
純子からの依頼は、急遽必要となったものを単品で注文する事もあるが、一度に多くのものを仕入れられることが多い。そのために、一度に大荷物を運ぶ事が多い。今回もまさにそうだ。
表通りでは扱えないものや、入手しづらいものばかりであるが故に、衝動買いによるまとめ買いをする事の方が多いらしい。
地下の通路を歩き、研究所の扉の前でブザーを押して待つ。
『待ってろ。今行く』
応答したのは純子ではなく、真の方だった。
瞬一とは知己だ。タスマニアデビルで同席して飲んだりもするし、過去に瞬一がトラブルに巻き込まれた際に、真に無償で助けてもらったこともある。姉の美香とも親しい間柄であるし、瞬一からすると純子よりもこちらの方がずっと接しやすい。
ドアが開いて真が姿を現し、瞬一は人差し指と中指を立ててこめかみの前で軽く振り、挨拶する。
「随分早かったな」
「それがうちの売りだしね」
得意げに言う瞬一から視線を逸らし、仕入れた品物の確認をするために、真が屈みこんでワゴンに詰まれた荷物をチェックしにかかる。
「おっ?」
真が包みの一つを手にしたその時、季節はずれの蜂が包みの中から飛び出てきたのを見て、瞬一が声を漏らす。
(海外からの荷物だな。こんなもんが混じっているなんて)
瞬一がそう察した刹那、屈みこんだままの真が、蜂の方など見もせずに右手を一閃させた。空中で蜂の胴体が両断されて、床へと落ちる。
それを見て瞬一は舌を巻く。
(見た目は俺より年下だし、背も低いガキンチョのくせして、とんでもない身体能力と反射神経だ……)
自分とのこの違いは何なのだろうと、考えてしまう。以前は瞬一と同じくらいの背丈だったが、今はもう瞬一の方が真を見下ろすようになった。なのにまるで力が及ばない。瞬一もそれなりに日々鍛錬に励んでいるというのに。自分にももっと力が欲しいと、切に思う。
「化け物め」
冗談と本気とやっかみを込めて言う瞬一。
「鍛錬次第だよ」
言って真は、瞬一に向かって握ったままの右手を差し出して、何かを渡そうとする。
瞬一が手を伸ばして真の手にあるものを受け取り、更に驚いた。蜂の針だった。
「何も殺さなくてもよかったんじゃないか? 荷物の中でたくましく生きてたのにさー」
「外国産の蜂っぽいから、どんな危険な毒があるかわかったもんじゃない」
「日本のスズメバチより危険な蜂なんているのかよ」
「それより注文した品が一つ足りないみたいだぞ」
真に指摘され、慌てて瞬一は携帯を取り出してチェックする。
「え? 現時点でうちが仕入れたのは、これで全部のはずだけどな。うちにつくのが遅れているんだと思う。まあ帰ってみたらもう一度確認してみるよ」
「わかった。じゃあな」
「あいあい。毎度~」
ワゴンを研究所の中へと押していく真に、帽子を取って笑顔で軽く会釈する瞬一。研究所の入り口には、前回仕入れ品を届けた際に用いたワゴンが空で置いてあったので、瞬一はそれを引いて、雪岡研究所を後にする。
***
花山千恵は自宅内において、その部屋に近づくだけで空気の淀みを感じる。実際にはそんなことはないが、部屋の中の空気の淀みが、部屋の前をも浸蝕しているような、そんな錯覚に陥る。
昼食を乗せたお盆を手に、千恵は部屋の前で立ち止まる。
「キョーちゃん……元気?」
扉を微かに開けて、隙間から目だけ覗かせて、怖々と声をかける。相変わらず息子は座禅を組んで瞑目していた。
「動かざること山の如し」
千恵の一人息子花山京は、はっきりとした声音で言う。
京は所謂引きこもりというものだった。しかも一日中部屋にこもりきりで、いつ見ても座禅を組んでピクリとも動かない。トイレと風呂の際だけ部屋を出る。何を考えているのか全く伺い知れない息子に、千恵は怖気すら覚えてしまう。
「元気ならいいんだけれどね。お母さんそれが一番心配だから」
そう言ってからしばらく間を置き、意を決し切り出す。
「あのね、そろそろお仕事を……いや、仕事しなくてもいいからせめてお母さん達と会話くらい……」
「動かざること山の如し!」
「ひっ! ご、ごめんねっ……」
叫ぶ京に、母親は脅えきった様子で扉を閉め、パタパタとスリッパの音をたてて去っていく。
「謝るのは俺の方なんです……。ごめんなさい」
真っ暗な部屋の中、座禅を組んだままうつむいて、哀しげな表情でぽつりと呟く京。
「でも、俺は働いてはいけないんです。それが……世の中のためになるんです」
京がこのような状態になったのは二年前、大学を出て就職活動を始めてからしばらく経ってからの話だ。いつまで経っても内定の決まらない息子に業を煮やした厳格な父の言葉に傷つき、就職活動そのものを放棄してしまった。
しばらくの間は普通に会話もしていたし外出もしていたが、一体何があったのか、部屋の中にこもって一日中座禅をして動かないようになってしまったのである。
ごく稀に外出することがあったが、その際にどこへ行っているのか、何をしているのか、両親には謎だった。問い質しても答えは返ってこなかった。
「さて、再開だ」
小さく呟くと、京は意識を集中し始める。
彼は待っていた。備えていた。
自分を必要とする人物がいる。必要とされる場面がある。それに対して備えていた。
***
子供達の一番人気を誇り、一方で大人達からは最も評判の悪い遊園地――東京ディックランド。
世界的にも有名で、海外からの観光客も非常に多い。昼間は大人の数は少なく、子供の割合が多い。
「恵まれない子供達に愛の手をーっ。寄付をお願いしまーすっ」
募金するような善い子など少なく、糞餓鬼ばかりが訪れる遊園地であるがため、そんな場所で募金活動をした所で、あまり実りは無い。
それでも杜風幸子はめげずに、昼の間は遊園地内で募金活動に終始していた。少しでも己の犯した罪を償いたい。いや、償わなければならない。そのためには募金活動が手っ取り早い。
「うわーっ、ギゼンシャだーっ。ウンコ爆弾をくらえっ」
鼻を垂らした七、八歳くらいの子供が、巻き糞を模したカラフルなウレタン製の玩具を何個も幸子にぶつけては拾い、拾ってはぶつける。にこやかな笑顔でそれを見守る幸子。こめかみが引きつっているが、何とか笑顔だけは保っている。
「ウソ! こんな所で募金活動とか!」
今度は十歳前後の出っ歯の子供が現れて、大声で叫ぶ。
「こういう偽善者キラーイ。自己満足のためにやってるって、俺の兄ちゃんも言ってた。てなわけで俺もウンコ投げるわ」
同じく十歳くらいのでっぷりと太った子供が、ウレタン玩具を次々と幸子に向かって投げつけていく。幸子は笑顔を維持したまま、こっそりと嘆息していた。
幸子は悪行を働く。盲霊を作るために人を殺す。大抵が悪人か敵対した者であるが、それでも殺人に変わりない。その事実が幸子の心を蝕んでやまなかった。
己の心を救うためには、無償の善行を働くことによって己の罪を帳消しにすればよいという考えに至り、それを実践するようになった。
杜風幸子は二十八歳。霜根流の呪術を扱う術師で、裏通りでは『盲霊師』の名で呼ばれている。千年以上もの歴史を持つ世界規模の秘密結社『ヨブの報酬』に所属する始末屋であり、主に日本を活動拠点としている。
指先携帯電話の振動を感じ取り、募金箱をおしのけて懐から電話を取る。幸子の顔から笑顔が消え、子供達は何か怖いものを感じ取ってその場から去った。
『力霊の様子はどうですかー?』
流暢ではあるが、明らかに日本人のそれではない、やや間延びした発音の日本語。
「報告した通り、発見した時点で封印が緩んでいました。かなり不安定な状態です。国外に持ち出すには危険です。現在は霊的磁場の強い地にて多重に結界を張って、その中に安置しています」
組織のボス直々からの電話だった。これまでの経緯と現在の状況を報告する。
『そこはー、人の少ない場所なのでーすかー?』
ボスの質問に幸子は一瞬言葉に詰まる。
「いえ、かなり多いですね。何しろ遊園地の中ですから。しかし喜びの念であふれかえるこの場所であるからこそ、力霊の怨念も幾分か緩和されると思われます」
『そーでしょーが、あまーり長いこと置いてはおけませーんね。万が一にも一般人に危害が及ぶよーなことがあってはいけませーん。冥送部隊がそちらに到着するまでの間、力霊の監視をよろしくお願いしますよー』
「しかしこんな仕事を私にやらせますか?」
溜息混じりに問う幸子。
『捕らわれの霊を解放してー救済する事も、我々ヨブの報酬の大事な役目でーす』
「矛盾している。私は卑しい外法の使い手ですよ。怨霊を作り出して、術で封じて使役する。その役目とは正反対のことをしている。外法を解くために外法使いを用いるなんて」
『けーどー、悪人や敵対した者だけでしょー? それに、永遠に封じているわけでもないのでしょー?』
「それはそうですがシスター……」
『貴女の言う事もわかりまーす。ですがー永遠に救われる事の無い霊という、可哀相な存在とはまた別でーす。霊の怨念は自然な状態であれば年月と共にその怨念も消え、いずれは霊も神の御許へーと旅立っていく。けーれども術によって兵器化された力霊は、それすら許さないのでーす。人の手によって永遠に苦しみを与え続けられて、霊が現世に縛られ続けるなど、あってはならないことでーす』
熱意と悲哀が入り混じったボスの言葉に、幸子は押し黙った。
自分がこの世で唯一人心の底から信じて、絶対の服従と忠誠を誓った相手の言葉だ。それ以上何も言えない。自分の迷いをこれ以上口にすることがおこがましいと思えて。
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