第四章 28

「相手に合わせて刀での戦いと見せかけて、途中で鋼線出してハメるなんて、流石真君、卑怯極まりないねー。自分のやったことが卑怯だっていう自覚、無いだろーけど」


 田沢との勝負の一部始終を観戦し終えて、おかしそうにくすくすと笑いながら感想を述べる純子。


「懐かしい……ですね……加藤達弘」


 真の前に現れた加藤がディスプレイに映り、累が目を閉じたまま言った。


「うわー、すっかりお爺ちゃんになっちゃったねー。もう八十歳くらいだっけ」


 加藤の顔を見て、純子が懐かしむかのように目を細める。


「老いたとはいえ、あの加藤達弘と戦わせて……真は大丈夫なんですか……? 少なくとも全盛期の加藤と真では、実力に大きな差がありますよ……? 麒麟も老いては駑馬にも劣ると言うけれど……経験という覆せないものの差が……あるってことは、僕達が一番よく……知っている事でしょう?」

「だからこそいいんだよー。自分より明らかに格上の人と戦うのがさー」


 案じる累と、まるで心配していない様子の純子。


「過保護はダメだって、あの時思い知ったからねー」

「それで……もしもの事があったら?」

「絶対大丈夫だって信じてるよ。それにさー、私があの子の運命を操っているわけじゃないもん。あの子が自分で決めて動いている事だからねー」


 不安げな表情のまま否定的な意見ばかり口にする累に、純子は笑顔のままで前向きなことを言い続けた。


***


 遊戯部屋の中では、有線から流行の曲がかかっていた。

 カウンターにはウィスキーが注がれたグラスが置かれている。その数は七つ。しかし一つだけ空のグラスがある。それらが何を意味しているか、真はすぐに察する。


 真が刀を構えるなり、加藤は弾丸の如く勢いで真めがけて正面から突っ込んだ。

 目にもとまらぬ蹴撃でもって、早々に刀を弾かれる。


(キックボクシング? ムエタイ? その辺の格闘技がベースみたいだが、凄い蹴りの速さだ。とても八十過ぎている爺様の動きとは思えない)


 頭の中で目を丸くする自分の顔を思い浮かべながら、ネクタイの裏から透明の長針を抜き取り、両手に逆手に握り締める。


(左から来るな)


 加藤の左足が上がりかけて、蹴りに警戒した所で、加藤の右手にいつの間にか握られていたナイフが飛来した。

 思わぬフェイントに、ナイフをかわした直後によろめく真。


 その生じた隙を狙って蹴りが飛ぶが、右手でガードしつつ、蹴りのクリーンヒットをいなして、加藤の懐に飛び込む。

 右手に強烈な痛みと痺れを覚え、真の背筋が凍りつく。今の蹴撃はまともに食らえば、命を奪うのに十分な程の一撃であった。

 死の恐怖と、それをうまく捌いたことへの充足感が入り混じり、実に心地よい感触が込み上げ、真の心と体を震わせる。銃撃戦とはまた微妙に異なる快感だ。


(さっきの時代錯誤との方が僕とは相性がよかった気がするけれど、こういう手合いもこれはこれで面白い)


 左手に携えた長針を加藤の喉めがけて突き出す。その真の左手首を加藤の右手が掴んで捕らえた。


『ハローハロー、幸運な出会いよ。ハローハロー、元気な未来よ』


 遊戯部屋に月那美香の新曲が流れ出した。


 真が右手の針で加藤の右手を刺す。加藤は眉を寄せて拘束を解いたが、替わりに真の片足を踏みつける。加藤は踏みつけた足を支点にしてそのまま回転し、真に右手を針で貫かれたまま、それすらも利用してうまく絡めて体を入れ替え、真のバックを取る。

 左腕を真の首にまわす。真の細い首を一瞬でへし折らんとの試みであったが、首と腕の間に、素早く真が左手を滑り込ませて、それを防いだ。


『悪い事もあるけれど、いい事だって必ずある』

「この曲は嫌いだよ」


 膠着状態になったところで、真がぽつりと呟いた。


「というか、こいつ自体がクサいというか、何というか、馬鹿みたいにこの世の全てを肯定した歌ばかり歌うのがちょっと……」

「私はそれがいいと思うんだがなあ」


 にやにやと笑いながら加藤。


「肯定的で明るい人間賛歌こそが、世の人々の心の励みになって、元気づけるものだからね。こうした歌が大衆に好まれるのは当然だよ」

「なるほど。僕は雪岡の趣味に毒されているかもな」


 加藤の右手に突き刺していた針を外す真。加藤は何を繰り出してくるか予測をたて、警戒する。

 真が上体を勢いよく前に倒す。加藤はそのまま自分の体ごと投げられることを警戒して、拘束を解いた。完全に自分に背を見せている格好になっている真の側頭部めがけて、たっぷりと重さを乗せた蹴りを放つ加藤。


 回避できる体勢ではない真だったが、反射神経と直感だけで両手で頭をガードする。

 その際、蹴りを防いだ右腕より、嫌な音が体内に響き渡った。アドレナリンのせいで痛みはほとんど感じないが、この感触は確実に腕の骨が折られているとわかる。


(長引かせたら駄目だ)


 体の主要部分を一つ失われた事で、死の恐怖が真の心身を蝕みだす。死神の嘲り声のようなそれを、しかし真は歓迎していた。ポーカーフェイスが崩れ、自然に笑みがこぼれるほどに。


(一気に畳み掛ける)


 一方、加藤も真と同じ判断を下し、右足を大きく上げ、未だ背を向けたままの真の後頭部めがけて踵を振り下ろす。

 その加藤の動きに合わせて、真は加藤に背を向けたまま後方へと跳び、再び加藤にと密着した。


「最後はいちかばちかの賭けだった」


 背中で加藤の体と密着したと同時に、左手の針で加藤の鳩尾を貫いた真が、微笑みを浮かべたまま小声で囁く。


「チビ助め。君の体がもう少し大きければ、当たっていた。おまけに想像以上にすばしっこい」


 苦笑いを浮かべる加藤。踵落としはわずかに真の肩をかすめていただけだった。


「英雄を倒しただけはあるな。彼は睦月と並び、ここの逸材だった。君に殺されていなければ、全盛期の私をも凌ぐ殺し屋になっていたかもしれん」


 言った直後、激しく血を吐き出し、崩れ落ちる。


「そろそろガスも消えたか、な?」


 大の字になって天井を見上げながら、葉巻を取り出して咥え、火をつける。激しく咳き込み、葉巻を吐き飛ばしてしまったが、すぐに拾い、また咥える。


 真も出血と疲労で、加藤から少し離れた場所に移動した所で尻餅をつく。


「ふむ。引き分けか」

 真のその様子を見て、加藤が呟いた。


「ふざけろ。僕は疲れたから休憩しているだけだ。どう考えても僕の勝ちだろ」


 尻餅をついて壁に寄りかかり、荒い息をつきながら真が訂正する。


「なら私も休憩しているだけという事にしてくれ。そうすれば引き分けだ」

「いい歳こいて呆れた負けず嫌いだな」

「がはっ、ははは……だからこそこの歳まで生きてこられたのだよ」


 吐血しつつも、おかしそうに笑う加藤。

 しばらくの間、二人共ぼんやりと互いを見つめていたが、真の方が口を開いた。


「初めから睦月一人を差し出せば済む話だったのにな」


 一人の犠牲で、組織一つを丸々一つ潰す結果にならずに済んだ――という意を込めて真は言ったが、侮蔑してはいない。わかったうえでの軽口だった。


「そんなことはできんよ。我々全員にとって唯一の居場所が、ここ掃き溜めバカンスだ」

 笑顔でそう返す加藤。


「どいつもこいつも睦月睦月って、大したアイドルっぷりだよ。大谷も死ぬまで睦月のことを口にしていた」

「英雄は睦月に惚れていたようだしな」

「ああ、やっぱりそうだったのか」


 頭の中で、暗い面持ちの自分を思い浮かべる真。


「私も睦月や他の者のように、世を呪っていた時期があった。そんな私の心を救ってくれたのが、殺し屋稼業なのだよ。これで私は人の心を得た。友情、愛情、信頼、信義の心を得た。人々が忌避するであろうものが、救いをもたらす事もある。いや、それでしか救われない場合もある。私はそんな者達を集めてきた」

「それが掃き溜めバカンスか。とんだ慈善事業だな」

「うむ。その慈善事業は成功したよ。だが……救われてない奴がまだ一人いる」

「一人じゃないだろう。佐治婦警の弟も救われたとは言いがたい」

「彼は安寧の場を求めていた。ここはそれに叶っていたと思うがね」


 加藤の言葉を真は詭弁と感じていたが、あえてそれを口にはしないでおく。


「掃き溜めバカンスに限った話ではない、裏通りへと堕ちて来る者は、一般社会からはつまはじきにされた者が多いだろう」

「確かに」

「私はね、ずっと考えていた。あの子はどうやったら救われるか。あの子の中にある憎しみ、抑えきれない殺人衝動を……どうやったら取り除いてあげられるか。仲間達との信頼、友愛を知る事で、人間らしい心を得ることはできたが、それだけでは……駄目だった。そして気がついたんだ。もう一つ、儀式が――生贄が必要なことに。睦月の言うようなものではない。もっと別な生贄が……あの子の……憎悪を消し去るための生贄が……」

「それがあんた達だと?」

「そう……そしてそれは成された。君の手によって……な。これでよかったんだ。これで皆、救われた」


 加藤から生気が失われていく。目が閉じられ、首を横にかしげたまま、途切れ途切れの掠れた声を漏らす。


「今言ったことを……あの子に伝えてくれ……きっとそれで目が覚める。あの子の心が解放される……誰一人として睦月を恨みは……しないと……」

「あいつ一人のために、あんたら全員が生贄になったってことか。大した慈善事業だな」

「結果的に……そうなった。何も……残さないよりは……そっちの方が……いいだろう?」


 それが加藤の最期の言葉となった。


(これが雪岡や累の言った、あいつを解放するきっかけとやらになるのか?)


 加藤が息を引き取るのを見届けてから、真は大きく息を吐き、全身の力を抜いた。

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