第四章 29

 少しでも真から引き離しておくために、睦月は則夫を六階にまで導いた。


「あはっ、じゃあ始めようかねぇ」

「いい、いく、いくいくいくぞ! うおおおおっ!」


 則夫が咆哮をあげ、睦月へと突っ込んでいく。

 睦月の手から現れた鞭蛭が唸りをあげ、則夫の頭部を打つ。が、ヘルムによって衝撃はほとんど殺されているようで、則夫の突進は止まらない。


 蛭は空中で軌道を著しく変え、睦月の間近まで迫ったところで則夫の左足首に絡みつき、則夫を転倒させる。

 蜘蛛がスーツの装甲以外の部分を狙って刃の足を突きたてる。体内に防刃繊維を埋め込んでいるため、一撃で致命傷にこそならなかったが、倒されたまま何度も突き刺されれば、出血死ということも有りうる。


「ふんがあああっ」

 ありったけの気合を込めて叫び、起き上がる則夫。


「ペペペンギンダー・ビーム!」


 ヘルムの目からビームが照射され、蜘蛛の足数本を焼き切る。


「ぺ、ペンギンダー・サイクロン!」


 その場で高速回転しだし、足に絡みついた蛭も断ち切られ、側にいた睦月の腕と顔も、真空の刃によって切り裂かれた。


 瞬時に再生し、距離を取る睦月。


 一方で回転しすぎでよろめく則夫。隙だらけな所を狙って、二匹の雀が放たれ、則夫の両脚に衝突する。

 よろめいている所に衝撃で足を取られ、再び転倒する則夫。

 そこに今度は針金虫が何匹も待ち構えていた。スーツの合間を狙って則夫の体に突き刺さり、体内へと潜り込んでいく。


「ペンギンダー・サイササイクロン!」


 今度は倒れたまま回転し、針金虫が断ち切られた。体内に侵入した部分も排出される。


「あはははっ、中々面白いねぇ。純子らしい、いい趣味だよねぇ」

 おかしそうに笑う睦月。


「じゅ、純子と真から、お前お前お前のこと、いろいろ聞いた」


 ふらふらと立ち上がりながら、則夫は話す。


「おおお前、則夫や愛ちゃんと少し似てる。お前に殺された愛ちゃんは、お前と同じ……父親からずっとひどい目にあわされて、それで俺達が助けた。それなのに、お前に殺された」

「……」


 則夫の話を聞いて、睦月の顔色が明らかに変わった。衝撃を受けているのが、則夫にもはっきりと見てとれた。


「あ愛ちゃんはずっとあのまま父親にひどい目にあわされていれば、お前、満足だっていうのか? そ、そ、そそうでないから、お前は愛ちゃんを殺したのか? あああ愛ちゃんは救われたら、い、いけなかったのか?」


 前もって純子から、睦月に向って告げるようにと言われていた言葉をぶつける則夫。純子に言われていたからだけではない。これは則夫自身の問いかけでもある。


「それは……」


 睦月は答えられない。頭の中が真っ白になって、真っ赤になって、真っ黒になった。則夫の話が本当であれば、あの時自分は、沙耶を殺したにも等しい。


「俺は殺さずにはいられなかった……」


 則夫から視線を外し、真っ青な表情の睦月。明らかに動揺している睦月の様子を見て則夫は、面食らった。


「なななな何で!? 何で殺さずにいられなかった!?」

「だって……殺さなくちゃいけないから……。俺の中で黒い渦が、俺に……」


 そこまで口にしたところで、説明しても理解できないだろうと、自嘲の笑みをこぼす。


「ペペペンギンダー・ビビビビビビビビンタ!」


 ペンギンのヒレを模した手甲の部分が伸び、その伸びたヒレの部分でもって睦月の顔を力いっぱい打ち据える。横っ飛びに倒れる睦月。


「あああ謝れよ。愛ちゃんに謝れ!」


 血を吐くような声で叫び、則夫は大きく跳躍した。


「ペンギンダー・ヒッププレ~ス!」


 睦月の細い腰の上に、則夫の巨体が臀部から降り注いだ。


「げほっ」

 呆然とした面持ちのまま、血を吐く睦月。


「ごはっ」

 それとほぼ同時に、則夫も吐血した。睦月の胸や顔に則夫の血が降り注ぐ。


「ううっうっうーっ……苦しい……。こここれがげ限界……?」


 未完成品であるペンギンダースーツの力を使うと、生命を削り取られて確実な死が待っていると、前もって何度も言われていた。しかしそれにしても早すぎると、則夫は愕然とする。

 睦月の体の上にのしかかるようにしてうつ伏せに倒れる則夫。ちょうど則夫の顔が睦月の顔のすぐ上にくる格好になる。


「君、名前なんだっけ?」


 崩れ落ちた則夫の顔をヘルメットごと覗き込み、訊ねる睦月。


「……則夫」

「則夫か。ごめんよ」

「俺に謝るんじゃない……愛ちゃん……に……」

「じゃあ愛ちゃん、ごめんよ」


 睦月の口から出たその一言には明らかな謝意と誠意が伺えた。それを耳にして、則夫は自分の中から悔しさも怒りも消えていくのを実感した。

 睦月自身も、そんな言葉が自分の口から出たのが不思議だった。同時に胸を針で刺されるような痛みに襲われていた。


 しばらく二人は重なり合って倒れたままだった。何分か経って、誰かが来る気配を感じ取り、睦月は則夫の体をそっと押しのけて、立ち上がる。


「則夫……逝ったか」


 血まみれで満身創痍の真が、ふらつく足取りで現れ、則夫の亡骸に目を落として呟く。


「君が現れたってことは、田沢さんとボスは……」

「ああ、残るはお前だけだ。お前の仲間はお前を守ろうとして僕と戦い、全員僕に殺されたってことになるな」


 わかっていることを念押しするように真。


「お前も大事な人間を皆殺されて……」


(僕と同じになったな)

 最後の言葉は、口には出さずに付け加える。


(お前も……か。ていうことは真も……ってことだよねえ)

 睦月は真の言わんとした事を、最初の言葉だけで察した。


「あは……どうしてこんなことになっちゃったのかねぇ。いや、俺が悪いってのはわかっちゃいるんだけどねぇ」

「殺す相手に対して、何の罪悪感もわかなかったのか? 仕事は抜きとして」


 静かに尋ねる真。


「沙耶が蘇ってくれるのなら、この世の全ての人間を捧げてもいい。どうせ生きているに値しない屑共だ! 蟻の群れ! 蝿の群れだ!」


 良心の呵責など無かった。本当に一切無かった。ついさっきまでは。


「可哀相な奴だ。よっぽど哀しい目にあったんだな」

「あはあはあは……ああ、あったねぇ。一つは助けを呼ぶ沙耶に応えられなかったこと」


 虚ろな笑い声を漏らして、睦月は泣きそうな表情で言った。


「二つ目は、俺を助けてくれた君に、俺の仲間を……家族同然だった皆を殺された事だ」

「加藤からの言伝だ」


 いつもの淡々とした口調で真。


「掃き溜めバカンスはお前の心を解放するための犠牲――生贄だそうだ。それで構わないとさ」

「何だよ……それ」


 真の言葉を聞いて、睦月はうつむいた。こらえきれずに涙がこぼれる。


(隙だらけだし、再生力も弱っているかもしれないし、今なら殺せそうだが)


 肩を震わせてすすり泣く睦月を見て真は思ったが、真はそんな結末を求めていない。何より抵抗しない相手や、すでに弱りきった相手を殺しても楽しくは無い。


「もうすぐここに雪岡がやってくる」

 懐から手榴弾を取り出す真。


「逃げろ」

 心なしか優しい声音で真は告げた。


「弱ったお前を生け捕りに来るはずだ。掃き溜めバカンスもお前以外いなくなった今、邪魔も入らない。捕まればあいつのモルモットにされる」

「何で助けるのさ……」


 睦月が顔をあげた。かつて真に助けられた事を思い出す。あの時のぬくもりの感触が鮮明に蘇る。


「俺は君に復讐しに行くかも……いや、必ず皆の仇を取りに行くよ?」

「あれー? ひょっとして戦ってる最中だったー?」


 場違いにも感じられる明るい声が、真の背後からかかった。


「睦月ちゃんと則夫君のバトルが終わる所までは見物していたんだけれどさー、もしそうなら好いところ見逃しちゃっ……」


 純子の言葉は最後まで続かなかった。純子めがけて投げつけた真の手榴弾の爆発音によって遮られた。


「構わない。それより重要なのは、あいつの邪魔をしてやる事だ」


 睦月の方に向き直って答える真。


「あいつの邪魔をする事と、ここぞという所であいつに掌返してやるのが、僕の趣味なんでね」

「じゃあ、何のために皆を殺したのさっ!」


 真を睨み、怒声をあげる睦月。


「中々楽しかったぞ。いい暇つぶしだった」


 真のその言葉に、睦月が厳しい表情で憎悪の視線を真に浴びせるが、言葉とは裏腹に、真の瞳の中に睦月に対する憐憫の光が宿っていたのを見て、睦月の中に沸き起こった憎しみは消えてしまった。


「あはぁ……じゃ、またねぇ……」


 小声で別れの言葉を告げると、睦月は真に背を向け、屋上を目指して駆け出す。逃げるとしたら屋上から飛び降りるしかない。


「ちょっとちょっと、ひどいじゃなーい。せっかく研究所に連れて帰れるいい機会だと思ったのに、肝心な所で邪魔するんだからー」


 煙の中から現れた純子が抗議するが、その口ぶりはさして不満げでもない。むしろ真に邪魔されたことが楽しげでもあるように聞こえる。


「あいつを追いたければそのまま追ってもいい。でも、もしよかったら」

 と、その場にへたりこむ真。


「僕を連れ帰って手当てをしてくれないか? 見ての様だしね」

「ずるいなー、本当に。まあ睦月ちゃんにも興味あるけれど、それよりも私のために戦ってくれて、ボロボロになった真君の手当てする方が楽しいだろうし、今回のゲームは私の負けって事でいいけれどさー」

「どういう理屈だ……」

「理屈じゃなくて、言葉そのまんまだよー。私専用の可愛くて強い殺人まっしーんが、私のために戦って血にまみれてボロボロになっている姿――もうそれだけで女の子的にハアハアもんでしょー。さらにその手当てをするのなんて女の子なら誰でも欲情もんだし。うふふふ」

「お前だけだよ……そんなの」


 嬉しそうに語る純子に、真は頭の中で呆れ顔を作る。


「そんじゃあリクエストにお応えしてー、またお姫様抱っこして研究所まで連れて行ってあげるね」

「それはやめろ」


 かなり切実に拒んだ真であったが、意識を失いかけながら、それが無駄であろうことも悟っていた。

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