第四章 27

 狭く急な階段という場所での、使い慣れない剣での戦い。しかも相手の得意手にあわせたうえで。それがどれだけ愚かしい行為であることか、真もわかっている。


「その得物からすると、俺のこともちゃんと予習はしてきたってことか。感心感心」


 真っ黒な刀身の刀を中段に構えた真を見上げて、笑顔で田沢。


「そのうえで臆する事も無く、相手の土俵に合わせるたあ、全くもって大した度胸だよ。無理してこっちに合わせる必要もねーし、いくらでもやりようはあるってのによ」

「そうだろうな。でも僕はこういうやり方が好きなんだ。この方が楽しいからな」


 真の言葉に、田沢はさらに表情を輝かせる。


「へえ、気が合うな。俺はおめーみたいな馬鹿、好きだぜ?」

「そっちだってやりようはいくらでもある。ガスの充満したこのビルの中に飛び込んだわけだし、ただ銃火器を封じるだけではなく、他にいくらでもハメられる。あえてそうしないようだから、それに合わせてみた」

「ガキのくせしやがって、大した肝っ玉だこと」


 にやにやと笑いながら田沢。対峙しただけでわかる。目の前にいる相手が、見た目は子供でも、その本質は修羅を喰う羅刹の如き者であることが伝わってくる。そのギャップがシュールでおかしく思えた。


 田沢が殺し屋家業をするうえで、得物を刀剣に選んだのには四つの理由がある。

 一つ目は学生時代に剣道をかじっていたので、剣という武器が馴染んでいた事。

 二つ目は銃では得られぬ、肌と肉を切り裂き、骨を断ち、相手の命を奪った確かな感触を剣伝いに実感出来る事。

 三つ目は、銃という遠距離からの一方的かつ圧倒的有利な武器に対して、接近した位置まで踏み込めない剣という武器でもって、己の有利を信じている相手を屠る事への気持ちよさ。

 四つ目は、たとえ敵いそうにない相手も、ガスを使って己が得意とする接近戦という土俵に無理矢理引き入れるがためである。銃の撃ち合いには長けている者は多くても、接近戦を極めた者はさほど多くない。そして田沢はそれこそを極めているという自負がある。


 その四つ目の理由を前もって承知したうえで、相手はその中へ入ってきてくれた。それが田沢には愉快で仕方が無い。そんな馬鹿がこの世にいてくれた事が信じられない。馬鹿だとは思うが、少しも馬鹿にはしていない。最大限の敬意を払って遊びたいと思う。


 まず田沢が動いた。剣を振るうには狭いスペース。田沢の方が急な階段の下に位置している。最も有効な攻撃方法は突くことだ。いや、それしかない。


(相手は振り下ろしてくる――に、俺の全生命賭ける。絶対に避けるとか、他のことはしねえ)


 駆け出す直前に、田沢は頭の中で敵の行動の予測をイメージして、それに全てを賭けたうえで動いていた。

 真と田沢の間には段差がある。中段からの振り下ろしで丁度いい具合だ。真もそれを考えて中段に構えていた。だが……


(ぶったまげたな……)


 真がとった行動に、田沢を楽しそうな顔のまま、大きく目を見開いた。


 田沢の剣がすぐ側まで迫ったその時、真は剣尖を下げると、腰を落とし、ほとんど体ごと階段の下へ飛び降りるかのごとく勢いで、突いてくる田沢を己も突きで迎えた。

 重力の勢いが加わる分、真の方が若干速かったが、その速さは制御の利かぬ代物だ。ほとんど相打ち狙いの玉砕のような行動である。

 田沢は面食らいつつも照準を整えなおして、そのまま階段を一気に駆け上がり、刀を持った手を突き出した。

 血飛沫があがる。真の小さな体が田沢の体に当たり、そのまま下へと転がり落ちていく。


 田沢の全身から脂汗が噴き出す。真の刀は田沢の首筋をわずかに逸れていたが、コンマ数秒動きが遅れていたら、田沢は相手以上の血を首から噴き出し、そのまま終わっていたであろう。


 階段の下へと転がり落ちていった真だが、すぐさま起き上がり、田沢に向って中段に構える。先程と上下が入れ替わった形になった。


「思った以上にイカれてんのな。いやいや、これ褒め言葉よ?」

「そうかな? そっちが予測しえないであろう動きが何か、それを考えてみて実行しただけだよ」


 歯を見せてと笑う田沢に、無表情のまま返す真。その端整な顔の右側はざっくりと目から耳にかけてまで切り裂かれ、激しく血が流れ出している。死に直結するほどの深手ではないが、眼球は完全に切り裂かれている。


 今度は真の方から前に踏み出る。


(じゃあ、今度も突いてくるに賭けてみるぜ)


 田沢は突きを予想し、上のポジションにいるという地の利を活かして、跳躍してかわした後、そのまま相手を上から両足で踏みつけたうえで、己の刀を突きたててやる腹積もりでいた。


「ちょっ……!?」


 だが、またしても真は田沢の予想から外れた動きに出た。剣を左手で逆手に持ち替えたかと思うと、剣を腰に携えたまま突っ込んで肉薄し、右拳で殴らんとしてきたのだ。

 それに対し、田沢は予定していた対応を変えなかった。後退して階段を上がってから、ジャンプして上から踏みつけんとする。

 だが真の剣は左手に逆手に握られていた。大きく身をのけぞらせつつ、田沢の脛めがけて、忍者のような刀の扱い方でもって、刀を振り払う。


 両足に熱い感触を覚え、空中で体勢を崩しながらも、田沢はそのまま真に覆いかぶさり、真めがけて袈裟懸けに斬りつけた。

 うまいこと着地できず、そのまま真と二人でもつれ合うような形で、階段を転がり落ちる。


「予想済みだった。そう来ることは」


 落ちきった所で、真が田沢の耳元でそう囁いた。

 絡まりあって二人で転がり落ちている間にも、真は動きを止めていなかった。刀を手にした田沢の右手首が、いつの間にか真の右手によって掴まれている。

 一方、真は階段を落ちている際中に、己の刀を手放していた。これで両手が空く。

 左手から伸びた鋼線が、押さえられている田沢の右手首に巻きつけられている。


 田沢が、真が、同時に互いから距離を置こうと、跳ねるようにして動いた瞬間、同時に真は左手を思いっきり引く。

 田沢の右手が切断され、刀を掴んだまま真の足元へと飛ばされた。


 切断された田沢の手から大量の血が迸る。

 大量の脂汗が、全身から噴出している。逃れられない死の確信。それでも田沢は楽しそうな笑みを消さずに、真に顔を向けた。


 一方で真の方も、袈裟懸けをくらった左胸から右脇腹にかけて、制服がばっさりと切り裂かれて、服に血が滲んでいた。

 防弾防刃繊維仕様の制服のおかげで致命傷には至らなかったが、軽傷とも言えない。だが真は全くの無表情のままで、自分の刀を拾う。


「何で……お前みたいな面白い餓鬼が……生まれたんだ?」


 死相を濃くした顔でなお笑いながら、田沢は懐からライターを取り出した。

 取り出した瞬間、真がまた左手を引く。田沢の左腕が肘から切断され、ライターを持ったまま床に落ちる。鋼線はまだ一本、田沢の体に絡んだままだった。このガスの中、火を用いて自爆する事も予測済みだった。しかし――


「それさ、わざわざ出さずに火をつければよかっただろう。そうすればひとたまりも無かった。でも仲間がビル内にいるのに、そんなことを出来るわけもない。ようするに最後にせめて、僕を脅かそうとしただけなんだろ?」


 そこまで見破ったうえで、わざわざ手を切断までした真の意地悪さに、田沢は呆れる。


「面白いけれど……可愛くねーガキだこと……。こっちのことぁ何から何までお見通し。そっちのすることぁ何もかも予想外とか……人の心を読む能力とかか?」

「経験による知識と知恵と、日々の精進の成果だ」

「ん……そうか。って、その方がよっぽどすげーよ」


 そう言って笑うと、その場に大の字に寝転がって、目を閉じる田沢。

 真が剣を手に携え、田沢の方に近づいていく。もはや田沢に微塵も闘志は感じられないが、最後まで油断はしない。

 田沢の顔に血がぼたぼたと落ちる。田沢を覗き込む真の顔から落ちた血だ。


「ああ、楽しい人生だったぜ……。最後まで、やりたいことだけやりまくって生きたからなあ。へへへ……」


 笑う田沢の首に、黒い切っ先が突き立てられ、血飛沫があがる。田沢の血が真の顔にかかり、そして田沢自身にも己の血がかかって、そのどちらもが真の血と混ざりあう。


 田沢の瞼の裏で一人の女の子の姿が思い浮かぶ。脚まで届く長い黒髪、天真爛漫な笑顔。何十年も前にも関わらず、鮮明に覚えているその姿。


「何だ、やっぱり最後に出てくるのはお前かよ……」


 かすれた声で呟く。少女は綺麗な白い歯を見せて笑ってみせた。


(お前が死んだなんてどうにも信じられねーんだよな……)

 意識を失う前に田沢は改めてそう思った。


 真はふと気配を感じて、田沢の躯から目を背け、階段の上に目をやった。


(則夫の手助けの前に……もう一人相手にしなくちゃだめか)


 階段の上から、腰がまっすぐに伸びたスーツ姿の老人が現れた。


「引き続き、掃き溜めバカンスのアダルト組がお相手しよう」


 伝説の殺し屋、加藤達弘は綺麗に整えられた白い口髭に手をかけながら、真をじっと見つめ、不敵な笑みを浮かべる。


「ロートル組と言った方がいいんじゃないか?」

 加藤の方を向いて刀を構える真。


「ふむ。田沢も随分と頑張ったものだな」


 右目を切り裂かれ、胸から胴にかけて袈裟懸けに斬られて血まみれの真と、つい十数秒ほど前に果てた田沢とを交互に見やりつつ、加藤は感心したように言った。


「伝説の殺し屋にお目にかかれて光栄だろう? そのうえ殺しの手ほどきをその身で教えてもらえるのだから」

「別に。そろそろ世代交代だろ」

「そうはいかんな。ノワールの主人公が君のようなお子様では、物語に締まりがない」


 軽口を叩きつつ、加藤は必死で呼吸を整えようとしていた。また具合が悪くなってきているのだ。整いきるまで、時間を稼ぎたい。


(頼むから、戦いの最中に発作が出てくれたりするなよ)

 口に出さずに加藤は呟く。


(間違いなく、これが私にとっての最後の戦いになる。そんなものに邪魔されたくないんでね。死後どんな地獄に落ちても構わんので、今だけは頼むよ、神様仏様閻魔様……)


 本気で祈りを捧げる加藤。無様な終わり方だけはしたくはないと、痛切に願う。


「こんな所で戦っていたのか。窮屈だな。もっと伸び伸びと戦える場所に行こう」


 そう告げると、加藤は真の方を向いたまま、警戒した足取りで後ろ向きに階段を上っていく。真も一定の間合いを保ったままで、剣を構えたまま、その後をゆっくり追う。


(これで少しは私の時間が稼げる――か。いやはや、こんな手を使うのも情けない話だが)


 微苦笑をこぼし、加藤は後ろ向きに歩きながら、真を遊戯部屋へと招きいれた。

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