第四章 26

 掃き溜めバカンスの根城である六階建てのビルの前に、真と則夫の二人は立っていた。


 真は長細い布の包みを携えている。

 則夫はというと、黒と白を基調とした、プラスチックに似た材質で出来た部分鎧のようなものを、手足と胸と頭に装着している。幾度かの改良を施されたペンギンダースーツだ。


 ビルは国道沿いに建っているが、両脇は狭い裏路地になっている。

 安楽市絶好町には、狭く入り組んだ裏路地が、意図的に多く作られている。その裏路地地帯は『褥通り』と呼ばれており、表通りの人間は滅多にそれらの裏路地へと足を踏み入れない。文字通りの裏通りの者達が、移動や商売やドンパチに利用する場所だからだ。そういった住み分けが出来ている。


 真と則夫は途中まで純子に車で送ってもらった。

 すぐ近くで純子と、何故か一緒に来た累も待機している。累が来た理由はわからないが、純子が来た理由は知れている。


(こいつの思い通りにはいかせない――と言いたいところだが、成り行き次第だな)


 口に出さずに呟き、真の方からビルの中へと歩を進めようとしたその時、

 ビルの中から、学ラン姿の少年と、着流しを着て刀を携えた蓬髪の男が、肩を並べて出てきた。二人とも、似たような不敵な笑みを口元に浮かべている。


「二対二か。それとも一対一を二組か」

 真の方から口を開く。


「いい一対一が二つがいいっいいっ、そっちがいいっ。おおおお、おお俺はむ睦月とやる!」

 睦月を睨みつけて宣言する則夫。


「あはっ、肉殻貝塚にいたあいつかあ。純子に実験台志願して、俺に復讐するために力を授かったって所かねぇ。それにしても何だい、その格好は」

「愛ちゃんを殺したお前、ぜぜ絶対絶対絶対にゆゆゆゆゆ許さない!」


 怒りを露わにする則夫を見て、睦月は笑顔のままだったが、瞳に哀しい光が宿っていたのを、真も田沢も見逃さなかった。


「ま、せっかく来たんだからよ、たっぷりとおもてなししてやるよ」


 田沢がおどけた口調で言うと、踵を返して堂々と敵に背を向けて、ビルの中へと引っ込んでいく。睦月もそれに続く。


「まままま待て!」


 その後を追う則夫。真も一応警戒しつつ、少し遅れてビルの中に足を踏み入れる。


「あれあれ? い、いなくなった」


 則夫が辺りを見渡す。さほど広くない元は雑居ビルである。一本に伸びた左右に四つの扉があり、入り口のすぐ横には上へと続く狭苦しく急な階段がある。


「臭うな」


 真が呟く。田沢の放ったガスであろう。相手の銃を封じ、刀剣を用いての接近戦に無理矢理持ち込ませるために、屋内戦ではガスを撒くことを累から聞いていたし、そのための準備もしてきた。

 長細い布包みの中から、累より手渡された妖刀妾松を取り出す。まだ鞘は抜かない。


 真が則夫の前に出て、階段を上っていく。階段は狭く、やたらと急なために、ここで相手に奇襲をかけられると中々面倒であることはわかっていたが、それでもあえて上がっていく。

 一階にいる可能性は薄い。あのわずかな時間で扉のどれかに入って姿を消したとは考えにくい。それなら入り口のすぐ横にいる階段を上ったと考えるのが自然だ。


「し、真……」


 真の後を追うような格好に入れ替わった則夫が、真の背後から不安そうな声を発する。ちなみに現在のペンギンダースーツからは、当初つけられていた精神高揚装置が外されている。


「挟み撃ちするにはもってこいの場所だからな、後ろに注意を払っていてくれ」

「わわわわわかったわかったわかったわかったわかった」


 緊張した面持ちでかくかくと何度も首を縦に振る則夫。相手は自分よりずっと年下の少年に見えても、戦いに関しては百戦練磨であることを承知して従うつもりでいた。


 二階まで上って、中を覗く。一階と同じような構造。気配は無い。


「上にいるな」


 階段のさらに上から殺気を感じ取り、上へと上がる真。


「やはり上下か」


 階段を上がり続け、三階を前にして、真が上を見上げながら言う。階段の途中、三階入り口あたりに睦月が壁にもたれかかる形で、笑い顔で真を見下ろしていた。

 下からは足音も無く田沢が上がってくる。


「挟み撃ちが目的じゃあないんだよねぇ。あはっ、一対一を二つがいいんだろ? ついてきなよ」


 睦月が振り返り、そのままさらに階段を上へと上がっていく。


「おっ、おおおっ、俺っ、行く!」


 則夫が真の横を通り抜け、睦月の後を追って階段を上がる。狭い階段故に、真を壁に押し付ける格好になって、その際に二人に致命的な隙が生じたにもかかわらず、田沢は襲ってくるようなことはしない。


(殺し合いを楽しむためには、そんな無粋なことはしないっていうことか)


 そう思いながら真は鞘から刀を抜き、下にいる田沢を見下ろす。


「ビルの外に逃げられないようにしたかっただけなのさ。窓から飛び降りるってんなら、話は別だけどなー」


 楽しげにニヤニヤと笑いながら言うと、田沢も刀を鞘から抜いた。


***


 掃き溜めバカンスの根城のすぐ近くで、純子と累は車の中で真と則夫の様子を見ていた。

 二つのディスプレイに、田沢と対峙する真、睦月を追いかける則夫がそれぞれ映し出されている。それを興味津々な顔で見ている純子と、その隣で目を瞑っている累。


「思えばその術を見るのも久し振りだねー」

 累を一瞥する純子。


「たまには……使わないと、使い方……忘れちゃいそうです」

 目を閉じたまま、累が口を開く。


「三十年前は何十万も分裂させていたのに、使い方忘れちゃうなんて事あるのー? 私も君のその術を見て、マウスを放し飼いストックしておく方法を思いついたんだしー」

「何百万……です。今となっては……使いどころもあまりないですしね……。こういうことぐらいに……しか。それに今の僕の力は……あの頃に及ぶべくもなく弱いですし……」

「偵察にはうってつけすぎる術だし、使いどころありまくりじゃなーい。累君がその気にさえなってくれれば、何度だってお願いしちゃうよー?」


 ディスプレイの映像は、累の術でもって映していた。それは念写念像念動画の類に近いが、実際にはもう少し複雑な術だ。

 精神の分裂離脱と映像投射。己の精神を三つに分裂させたうえで、そのうちの二つを肉体より離脱させる。

 外部に放った二つの精神体が目にしたものを、映像化してディスプレイに投射して生中継するという術。それによって、純子も離れた場所にいながら、真達の戦いの様子を見学できるという寸法だ。


 純子はこれまで、累に気遣って一度としてこの術を使うよう頼んだことは無かったが、今回、累の方から同行して戦いの様子を共に見たいと申し出た。

 何故累が突然そのような申し出をしたか、その理由は純子もわかっている。累と純子二人の知り合いが絡んでいるからだ。おそらくはこれが最後の見納めとなるであろうと思ったからであろう。純子も同じ気持ちはある。


「我流にしては筋がよさそう……です」

 田沢を指して累。


「この人と昔カジノで何回か勝負したことあるよー。勝つ時は物凄く勝つんだけど、負ける時はボロ負けするっていう、極端な人だったなー」

 純子が言った直後、ディスプレイの中の田沢が動いた。


***


「生きていくのは大変なんだ。人生はゲームじゃないんだ」


 田沢健一郎の父親はそれが口癖だった。誠実なサラリーマン。ただの一度も笑顔を見せたことのない男。オウムのように同じ言葉を繰り返し、説教が大好きな男。

 子供の頃は父親という絶対的権威であったが、成長してから振り返ってみると、つくづくつまらない人間だと侮蔑の念しか沸いてこない。子供の頃もそんな印象を密かに心の中で感じていた。

 そんなに大変な人生なら、厳しい世の中なら、どうして生きているのだろうと、何度も思った。生きていれば苦しいこともあるが、楽しいことも沢山ある。その楽しさを感じ取るために生きているのだろうか?


「へーい、苦しいのも嫌なことも人生の醍醐味って奴さァ」


 初恋の少女は口を広げて歯を見せて笑いながら、おどけた口調で田沢にそう言った。同い年と思えないくらい、いつも言うことが大人びていた。達観していた。


「楽しいことばかりじゃあ、その楽しいことも楽しさが薄れちまうじゃん? だから神様は人間に辛い目にあう方が多いようにこの世界を作ったんだと、あたしは思うんだわさ。世界はそういう風にできた遊び場なんだよぉ~。人生は人気絶頂で毎日入れない奴が出る遊園地ってね。生まれてきた奴は皆、遊園地のチケットを手に入れることができて、そこで限られた時間、持っている乗り物券で遊ぶことを許されているの。ただ、入園した時に乗り物券をいっぱい持っている奴もいれば、全く無い奴、しょっぺえ乗り物券しか手にできない奴や、遊園地の外に飛び出るヤバい乗り物券をうっかり使う奴もいるねぇ。乗り物券は誰かと交換してもいいし、遊園地の外に追い出して奪うのも自由なんだよォ~」


 父親よりもその少女の言葉の方が、何億倍も田沢の心に響いた。いや、元々父親の言葉はマイナスでしかなかったので、この表現もおかしいが。

 その少女が自殺したことが、田沢には今でも信じられない。自殺とは全くかけはなれた所にいた子だと思う。誰かに殺されたのではないかとすら疑った。


 遊び場から早めに退場したその子の分も人生を遊び尽くしてやろうと、十二歳の時、田沢は心に決めた。

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