第四章 17

 一夜空けても、則夫は五体満足のままだった。純子は則夫の望みを聞き届けたものの、何故か研究素材として使おうという気配を見せていない。

 純子が何を考えているのか、その時の真には計れなかった。則夫の望みは睦月への復讐。だが睦月の始末は、真に与えられた役割だ。それが被っている状況で、果たして純子がどういう風に則夫を扱うのか。


「加藤さんのことだから、きっと掃き溜めバカンスの人員を真君討伐のために投入してくると思うんだー」


 研究所の居間にて、則夫と真を前にして純子は告げた。


「いくら真君でも、掃き溜めバカンスの殺し屋さん達が一度に、全員こられたらしんどいだろうから、そうはさせないために牽制しておいたけれどねー」

「どんな牽制を?」

「あれー? わからない~? 真君が負けそうになった時、私が出て行ったじゃない。あれは単純に真君を助けようとしただけじゃなくって、向こうのボスを牽制する効果も狙っていたんだよー」


 純子にの言葉に、真は納得する。


「そんでもって、私は干渉せずにあくまで真君が刺客みたいなことを、あの時言ったでしょ? でもその言葉に矛盾を感じなかった? あの時あの場に出ている時点で、私もすでに干渉しているわけだしさー。加藤さんは間違いなくそれに気づいていると思うよー。口では真君だけが刺客と言いつつも、その真君があからさまに不利になる状況を作れば、私もそれを防ぎに出るってことを暗に伝えたんだよ」

「つまり、一人一人お行儀よくタイマン臨んでくるってことか?」

「二人がかり程度はあるかもしれないけれどねー。三人以上ってのはないと思うんだー」

「だといいけれどな」


 敵が雑兵クラスならともかく、一人一人が一流以上の殺し屋と見ていい掃き溜めバカンスの面々を三人以上一度に相手にするのは、いくら自分でも骨が折れると真は認めている。

 いや、骨が折れる所では無い。相当に分が悪いと、すぐに認識を改める。実際昨夜の戦いでは死にかけていた。


「不安ならマウスを投入すればいいと思うんだー。せっかくここに、掃き溜めバカンスに復讐志願な人もいるんだしねえ」


 純子が則夫に視線を送って言う。真も則夫の方を見る。


「おおお俺のことも、是非ぜぜ是非使ってください。あいつあいあいつだけは、睦月だけは許せない。俺の手で仇が討ちたい、です」


 必死の形相で自分の気持ちを伝えようとする則夫。


「たまたま組織で雇っていた表通りの住人を殺されたんだっけ? まあこの言い方もおかしいな。裏通りの組織に雇われていれば、たとえどんな仕事をしていようと、それは裏通りの住人だし、抗争中ともなればそうなってもおかしくない」

「ち、ちち違う! そういうんじゃない!」


 真の物言いに、則夫が顔を真っ赤にして言葉を返す。


「あいつら全部が悪いとは思ってないんだよ! 愛ちゃんのこと助けようとしてくれた人もいるいるいる。でもででもでもでも、睦月って奴は何も悪いことしてない愛ちゃんを殺した。殺す必要ないのに面白がって殺した! だから絶対許せない! 俺、俺、お俺、俺が懲らしめないとダメ! だ、だだ、ダメ!」

「復讐なんて馬鹿のすることだ」


 必死に訴える則夫に、真が静かな声で告げる。


「その愛ちゃんとやらは、お前が自分のために復讐に走ることを望んでいるのか? 逆なんじゃないか?」

「うう……そ、それは……」


 口ごもり、思い悩む則夫。真はこれまで何人も、復讐目的で雪岡研究所を訪れて実験台志願した者を見ている。

 復讐者の気持ちも誰よりもわかっているという自負があるが、それらの復讐者の虚しい想いと末路を見続けた結果、否定する気持ちしか沸いてこないようになった。


(言っても無駄なんだがな。仇を討たずにはいられないのは、殺された者のためではなく、そいつの怒りのやり場の捌け口か、あるいは――自分の中のけじめ)


 いずれにしても復讐など己のためでしかない。自分以外が望むものではないと真は思っている。


「ダメ……だめ、だめだめ。やっぱりあいつを放っておくのは許せない。何もしないままでいることなんてできない。愛ちゃんが哀しんでも、俺、あいつを許すことできない」


 頭を抱えて苦しそうな表情で則夫。


(僕の言葉に真剣に悩んで言う辺りが何ともピュアだな。この辺もあいつと同じだ)

 ふと昔の友人を思い出して、懐かしい想いに駆られる真。


「雪岡、少しこいつに考える時間をやってくれ」

「いいけど、どうしたの? 真君」


 微妙に様子がおかしい真を、純子が訝る。真が実験台志願の者に肩入れするのは多々あるが、それにしてもいつもより感情移入しているように純子には見えた。


「別にどうでもいいだろう。詮索するな」

「んー、わかった。んじゃあ、則夫君はちょっと考えてみてね」


 真の言葉にそのまま従う形で、純子が笑顔で則夫に告げる。


「時間を与えてもきっと考えは変わらない、と思っているだろう」


 純子に言ったのか則夫に言ったのか、それとも両者に向けてか、虚空を見上げながら看破したかのような真の物言いに、則夫は小さく呻き、純子は目を丸くした。


「則夫、変わらなくていいから考えてくれ。とことん考えたうえで結論を出してくれ」

「わ、わかった」


 何故か緊張した面持ちになって則夫は頷いた時、真の携帯電話が着信する。


「何だ」


 相手は真が懇意にしているフリーの情報屋であり、それ以外にも密接な関係を持つ雲塚杏だった。


『昨夜、雪岡純子に抱きかかえられながら街中歩いていたって、裏通り関連のサイトで話題になっているけれど、真は御存知かなーと思って電話かけたんで、もし知らなかったらあれだと思って、報告の電話。じゃね』


 皮肉と怒りに満ちた声で一方的に言い放つと、杏は電話を切った。

 真は息を吐き、携帯電話をしまいながら、純子にあからさまに恨みがましい視線を送る。純子は何でそんな目で見られているかわからず、戸惑いの表情になっていた。


***


 佐治卓也と森田真奈美は同じ私立中学に通う同級生であり、恋人同士であった。


 中学二年の時、二人はデート中に事故に巻き込まれる。世界最大の環境保護団体グリムペニス主催の、日本近海のホエールウォッチング・ツアーのクルージングにて、乗った船が爆発事故に見舞われたのである。

 死傷者を大量に出した惨事。卓也は軽症で済んだが、真奈美は重体に陥った。一度は心肺停止すらした程である。


 九死に一生を得た真奈美だったが、本当の悲劇はそこから始まった。真奈美に輸血した血の中に、海チワワが世界中にばら撒いているという、吸血鬼ウイルスが混入されていたのである。

 その事実に真奈美と卓也は嘆いたが、二人以上にヒステリックに反応した者がいた。代議士である、真奈美の父親だ。娘がそのような病にかかっている事が、スキャンダルになることを恐れたのである。


 荒れ狂い、退院したばかりの娘に当り散らす父親。父親に従順なだけで娘を庇おうともしない母親はあてにならず、真奈美は耐え切れずに電話で卓也に救いを求め、自宅へと来てもらった。

 卓也が真奈美の家につくと、真奈美とは似ても似つかぬ、樽のように横幅のある醜い肥満体の赤ら顔の男が、憤怒の形相でもって、退院したばかりの真奈美を高価そうなブ厚い灰皿で殴りつけていた。真奈美が泣きながら血まみれになっている。


「ふんがーっ! お前なんか私の娘ではなーいッ! その手の隔離施設に送り込んでやるッ! そこから一生出てくるな! お前みたいなみっともない出来損ないに私の道を阻まれてたまるかぁ! 一生、私の前に姿を現すな!」


 実の父親とは思えない発言。

 一体真奈美が何を悪いことをしたというのか? 純然たる被害者の立場にある自分の娘を守ろうとはせずに、己の体面――保身だけを気にして逆にいたぶり続ける父親に、卓也は怒りを覚えずにはいられなかったが、十四歳の身で、狂気にも近い逆上の仕方を見せる大の男に、恐怖を覚えずにはられなかった。


「やめてください! 真奈美は何も悪くない! 何で真奈美を殴らなくちゃならないんですか!」


 だが卓也はその恐怖をはねのけ、真奈美と父親の間に入り、両手を広げて真奈美をかばうポーズを取りながら叫んだ。


「ふんぬーっ! お前か! 話は聞いているぞ! お前がうちの出来損ないを連れ出したりしたせいで、こうなったんだァーッ! えーいっ、どいつもこいつも私の邪魔をしくさりやがって! 成敗じゃーっ!」


 卓也の行動は逆に火に油を注ぐ結果となった。真奈美の父は灰皿で卓也のことも殴りだした。

 真奈美相手には多少加減もしていたが、卓也に対してはそれも無い。全く加減を加えずに手を振り下ろし、頭部を覆う卓也の腕の骨が軋む。

 たまに頭や顔もかすめて、顔にアザを作り、頭からは血が吹き出た。卓也は激痛をこらえつつも、目を閉じて歯を食いしばって必死に耐えていた。耐えながら、真奈美を守っているつもりでいた。


 不意に、灰皿で卓也を打ち据える音が止んだ。代わりに別の音が何度も何度も響いた。

 卓也が目を開くと、いつの間にか父親の背後に回った真奈美が、血に染まったゴルフクラブを握り締めて、泣きながら血溜まりを見下ろしていた。


 真奈美の父の体は前のめりに崩れ落ちて痙攣していた。

 頭部からは、卓也や真奈美の何倍もの激しい出血。頭部はほとんど原型を留めていないほどに粉砕され、血と脳と頭蓋骨の破片が部屋中に飛び散っていた。

 吸血鬼化して人間の何倍もの膂力を得た真奈美が、力いっぱいゴルフクラブを振るった結果である。


「私、何も悪いことしてないよね?」


 涙を流しながら、卓也に笑顔で尋ねる真奈美。血まみれ、涙まみれの笑顔だった。


「私さ、自分が今したことわかっているけれど……全然悪いことしたと思えないんだ? だってそうでしょう? 実際悪いことしてないでしょ? そうよね? 私、悪くないよね?」

「ああ、何も悪いことはしてない……」


 虚ろな声音と口調で尋ねてくる真奈美に、彼女同様顔面血まみれの状態の卓也が、間髪置かずにそう答える。卓也も笑っていた。


「そう思うよね? でも不思議? 私、悪いことしたって事にされて、警察に捕まっちゃうらしいんだよ?」


 真奈美は罪を償う気は無かった。卓也も真奈美に一片たりとも罪など無いと、本気で思った。彼女がこんなことでその手に手錠をかけられ、刑務所送りにされることを想像するだけで、発狂しそうだった。


 卓也は、真奈美を救うためには、裏通りの組織しかないと考え、行き着いた先が掃き溜めバカンスだった。殺し屋の組織なら、真奈美の人間離れした力を活かせるとも計算した。

 殺人犯が刑に服する事を逃れるために裏通りに堕ちる者は多い。ただし、裏通りに堕ちれば罪から逃れられるといった単純な問題でもない。戸籍と罪を消す事を生業にしている組織に認められた者か、裏通りにおいて強い権力を持つ者が保証人としてついた場合のみに限る。


 二人は加藤の下で必死に戦闘訓練に励み、殺し屋となった。


***


「帰ったら劉偉さんと三人がかりで、相沢真の始末に行けって」


 仕事を終えて、電車で安楽市へと帰路につく途中、ミニサイズで投影したディスプレイに目を落として、真奈美が告げる。


「また俺らに出番が回ってくるとはね。ま、個人的には英雄の仇を討ちたくてうずうずしていたし、丁度いいや」


 吊り革に両手で掴まった状態で上半身だけ前に乗り出し、椅子に座っている真奈美を見下ろし、卓也が微笑む。


「睦月一人ではかなわなかったみたいよ。英雄もやられちゃったし、今までで一番の強敵だよね」

 不安げな表情で卓也を見上げる真奈美。


「三人がかりとはいえ、こっちに犠牲が出ない保障は無いだろうね。でもそれはいつだって同じことさ」

「睦月には後でうんと奢ってもらわないと」

「心配しなくても、真奈美のことは俺が守るからさ」

「逆じゃない? 私の方があんたよりすっと強いんですけど?」


 そう言って真奈美も微笑みをこぼす。


「行くとしたら明日かしら?」

「うん。今夜は帰り着くのもかなり遅いだろうし、相沢がうまいこと出歩いている可能性は薄いし、明日に情報屋に相沢の動きをチェックしてもらって、やるって形がいいよ」

「了解。ボスにもそうメールしとく」


 真奈美は頷くと、しまいかけた指先携帯電話を再び取り出した。

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