第四章 18

 真奈美が電車の中で加藤にメールを送っている頃、真は安楽市絶好町の地下繁華街にいた。


「やあ真、久しぶりー。最近全然こっち利用してくれないから、もう来ないのかと思っていたところだよ」


 壁に背を預けて地べたに腰を下ろしている黒人少年が真を見上げ、流暢な日本語で声をかけた。

 少年の名はリチャード井上。彼を知る者の間からはリックと呼ばれており、情報組織『マシンガン的出産』の一員である。

 見た目の歳は真と大差無く、あどけなさが際立つ顔立ちをしていて、真とは対照的ににこにこと愛想がよく、その場にいるだけで、彼の周辺だけ和やかな空間が出来ている印象を与える。


「お前の所はネットやメールで情報の受け渡しをしてくれないから、不便なんだよ」


 そのために手早く必要な情報の依頼は、向いていない組織である。


 情報組織や情報屋と一口に言っても様々で、足を使って直接集めた情報を取り扱う者、ネットの前で送られてくる情報を管理する者、情報機関紙をまとめるだけの組織、それら全ての総合組織などもある。

 マシンガン的な出産は完全な現場組だ。得た情報を顧客や他の情報屋や組織に売るだけを生業とする組織で、情報の管理自体は一切行わない。また、直接会って伝えるのが彼等の方針である。


 真は彼等から情報を買うだけではなく、自分と純子の情報を売っていた。もちろん彼等だけに売っているわけではなく、他の情報組織や、フリーの情報屋にも売っている。裏通りの情報機関紙に載せる目的でもないかぎり、複数と売買するのは基本だが――


「雲塚の姐さんといい仲になって、そっちばかり利用しているのが本音だろー? んで、例の純子にお姫様抱っこされて奔走事件で、姐さんの怒りを買っちゃったから、こっちに来たくせにさ」

「で、マウスが動いている気配は?」


 からかうリックに、真は頭の中で憮然とした自分を思い描いてから、諦めたように小さく息を吐き、すぐに本題へと入る。


「安楽市内の、真が教えてくれたストック分しか把握してないけれどさ。その気配は無いよ。普通に日常生活を過ごしている」


 真に断りなしに純子が余計な介入をしてくるのを警戒して、純子が放置しているマウスの動向をマシンガン的出産にチェックしてもらっていた真である。

 だが今回に限ってその可能性は薄いであろうと、真も思っていた。何よりまず動かすとしたら、昨日研究所を訪れた則夫を選択するだろう。


「引き続きそっちの監視も頼む。で、もう一つ。掃き溜めバカンスのメンツの行動パターンの件は?」

「全員、タスマニアデビルの常連だね。田沢健一郎と高田彰人は安楽市内にあるあらゆる賭博施設に赴く。この二人はセットで行動することがわりと多い。佐治卓也と森田真奈美も常に共に行動。昼夜問わず、絶好町の繁華街や、安楽大将の森でデートしていることが多いよ。たまに市外にも行くって所かな。劉偉と睦月は仲間とタスマニアデビルに行く以外は、特に定まらない単独行動が多かったらしい。加藤達弘は滅多にアジトから出ない」

「わかった。ありがとう」


 思いのほか行動範囲が狭い者達ばかりのようだと真は思う。中立地帯で殺し合いをするわけにもいかないし、彼等のアジトと絶好町の繁華街に続く道での待ち伏せは、昨夜の戦闘ですでに警戒されているだろう。

 できれば彼等が単独行動を取っている所を狙って、真の側から先手を打ちたいが、今のこの状況で、彼等が単独で行動するとはとても考えにくい。


「おい……」


 リックが笑みを消し、真の背後に目をやって呻いた。


 真が振り返ると、そこにいた人物も真の姿を見て少なからず驚いたように、目を大きく見開いた。


「ん!」


 人民服を着た坊主頭の巨漢、掃き溜めバカンスの一員である劉偉が、そこにいた。


(僕をつけていたというわけではなさそうだな)


 真の顔を見た際、劉偉は明らかに驚いていた。全くの偶然の遭遇であろうと判断する。


「おーい、一戦やらかす気かい? まあ他に誰もいないから平気だろうけれどさ」


 殺気を膨らませる真に、素早く路地の角にまで避難したリックが言った。地下街は現在閑散としていて、人気は無い。店もすでに閉店している。


「ん……」


 一方で劉偉は迷っていた。卓也と真奈美が帰ってきてから、三人がかりで襲撃する手はずであったのに、標的と単身で遭遇してしまうという偶然。

 ここは戦闘を回避して逃げておくのが正しい選択肢であろうことは、劉偉にも判断はついている。真の方は戦う気でいても、自分が逃げに徹底すれば、追いつかせないだけの自信はある。


「ん!」


 しかし真の異常なまでに強烈な殺気にあてられたのか、劉偉は意を決したかのように鋭い声を発すると、あっさりと単独で真と戦うことを選択してしまった。

 特に深い理由は無い。ただ純粋に劉偉は、目の前の強敵との力比べがしたかった。一対一との戦いに興じたかっただけだ。殺し屋としては最悪の愚かな選択とは知りつつも、劉偉は戦闘者としての悦びを味わう方を選んだ。


***


 劉偉が加藤達弘と出会ったのは、米中大戦の最中だった。


 互いの国に食人プログラミングを施されたバトルクリーチャーが無差別に放たれ、地獄の様相を呈していた米中大戦。劉偉の住んでいた農村も、バトルクリーチャーの群れに襲われた。

 その時代のバトルクリーチャーは、戦闘プログラムを施された現代のそれとは異なり、ただ人間を食い散らかすだけのために作られた代物が多かった。


 畑の中を追い回され、取り囲まれて、恐怖に震えながら生きたまま食われる子供達。家の入り口に必死にバリケードを築くも、紙きれのように破られて、家の中になだれ込んできた獣の群れに惨殺される一家。鍬や斧をもって勇敢に抵抗する男達の首が続けざまに跳ね飛ぶ瞬間。

 村のあちこちで地獄の光景が見受けられた。殺人本能に満ちた貪欲な獣達は、逃げ回る村人達を執拗に追い掛け回し、隠れた者達を見逃すことなく見つけ出し、次々と殺していった。


 劉偉の家族も、彼が見ている前でバトルクリーチャーに殺され、食われた。五歳になる弟は生きたまま丸呑みにされた。両親は頭部だけを食われ、胴体だけが残されたままの状態にされていた。

 最後に劉偉の番となり、死を覚悟したその時、一人の男によって悪魔の獣達が一瞬にして屠られた。


 その男こそ加藤達弘だった。


 それは忘れえぬ記憶として、劉偉の脳裏に焼きついた。その後も加藤は、たった一人で何十匹ものバトルクリーチャーをいとも容易く次々と撃退していく様は、まさに物語の英雄そのものであった。


 強さに憧れ、命を救ってくれた恩義に報いるため、劉偉は軍に入り、特殊能力部隊において気孔を学んだ。

 劉偉は決して才に秀でていたほうでは無かったが、途方もない努力家であったがため、部隊でも一目置かれる程の使い手となり、数々の功績をあげる。


 成長した後、加藤の下で働きたいと申し出たが、加藤はこれをすげなく断る。

 だがそれからしばらくした後、加藤が殺し屋稼業を引退し、殺し専門の組織を作るという話を聞き、これでようやく加藤の力になれると思い、真っ先に馳せ参じた。


***


 加藤の力になる事を徹底するならば、掃き溜めバカンスの同志を守るべく、ここも退くべきだ。

 しかしそれでは面白くないのだ。田沢がいつも言っている。加藤も言っている。殺し屋業であろうと悲観することはない。それを楽しめと。劉偉自身もそうすることを望んでいる。自分が鍛え上げてきた全ての力をぶつけられそうな相手との戦い。これを見逃すことは無い。


 幼き頃に見た加藤という英雄像。強さへの絶対的な憧れ。自らがそうなることへの証明のためには、それに見合った状況ないし強敵が必要だ。

 掃き溜めバカンスの双璧と言われた二人、英雄を倒して睦月を追い詰めたこの少年は、それに見合った強者であると、劉偉は見てとった。


「ん!」


 両手を腹の前であわせて、気を練り始める劉偉。

 劉偉が気孔を放つためにその動作が必要である事は、真もわかっている。

 だが、動作に入った時点ですでに劉偉の周囲には気の壁が張り巡らされており、真の持つ銃弾程度では撃ち抜けないことも証明済みだ。狙い目は攻撃直後の気が放出された時であろう。


「ん!」


 真がそう思った矢先、劉偉から気が放たれた。相手の攻撃のタイミングは、一連の動作によって丸わかりなので、回避は容易とたかをくくっていた真だが、瞬時にそれが全くの正反対であることに気がつく。

 放たれた気が真に届く直前、真は大きく上体をのけぞらせ、自ら後方に飛んだ。


 地下街の両サイドの店の看板が、劉偉の放った気によって吹き飛ぶ。気の塊が放たれたのではない。通路を覆いつくすほどの気の壁が放たれたのだ。

 それを見てとり、回避が不可能と悟った真は、ダメージをなるべく抑える手段を取ったのである。


 爆風のような衝撃は、空中に跳んだ真の小さな体をそのまま後方に一回転させて床に叩きつけた。


(敵の攻撃直後に、僕が攻撃に移行するのは無理だな)


 体勢を立て直すだけで精一杯だと、起き上がりながら真は思う。事実、劉偉はすでに次の気を練りあげにかかっている。


「んっ!」


 再び気の壁が地下街の通路を覆い尽くして、真に襲いかかる。先程と同じように後方に飛び、上半身にできるだけダメージを受けないようにするくらいしか対処の仕様がない。もちろんそれでもダメージは蓄積されていく。


「おーい真、大丈夫なのー?」

「ん!」


 リックが声をかけるとほとんど同時に、劉偉が三度目の気を放った。

 膨大な量の気による面攻撃。一体あと何回放つことができるのか? これだけの攻撃をそう何度もできるとは考えにくいが、可能な回数の範囲内で仕留める確信があるからこそ、放っているのであろう。

 消耗戦になって、耐え忍んでいるだけでは勝ち目は無いと見た方がよい。加えて、逃げる余裕など当然無い。


(体勢を整えると同時に、あれを手に入れられれば……)


 吹き飛ばされながら、自分同様に吹き飛ばされている洋服屋の立て看板に目をやる。


 実際には、真は劉偉を過大評価していた。劉偉からするとこの気による面攻撃は、非常に消耗が激しい。

 劉偉は二回以内に、真を行動できない程のダメージを与えて、そこに凝縮した点攻撃を加えるつもりでいたのだ。けれども三回の面攻撃でも、未だ真は動ける状態にある。


 真は立ち上がり、看板を拾いに大急ぎで走る。すぐに次の攻撃が来るに違いないと思っていたが、劉偉は四発目を中々放たない。

 看板を拾った真は、劉偉を見て、自分の思い違いを悟る。劉偉の顔は真っ赤に紅潮し、汗をだらだらと流している。呼吸を乱すことだけはしていないが、次に同じ攻撃を放ったらそれもわからないような状態。

 加えて言えば、何度も吹き飛ばされているうちに、劉偉と真の間の距離が大分開いている。距離が開けば、気の威力も低くなる。面状にして放っているのなら尚更だ。


(放出後の一瞬の隙に対応して確実に攻撃するためには、この手がいい)


 両手で看板を掲げて構える真。その手には銃も握られている。真が何をしようとしているのか劉偉にはわからなかったが、敵が何かを思いついて対処しようという気でいるのだけはわかった。


「ん!」


 四度目の気の壁が放たれる。気というエネルギーそのものは不可視だが、電磁波は見える。気の流れによって、電磁波が乱れているのが見えるため、その電磁波の揺らぎによって、真は不可視の気の流れを全て見ることができた。


 自分に直撃する際に、看板で気の壁を斬りつけるかのように振り下ろす。


 そんな程度で防げるわけもなく、看板は砕け散り、真の体も後方に押し流された。だが、先程の三発に比べると明らかに吹き飛び具合が弱く、真は倒れることなく済んだ。

 のけぞりながらも真は、劉偉に向けて、銃を持った手をしっかりと突き出していた。狙いも定めてある。しっかりと固定もしてある。二度、引き金を引く。


 膨大な量の気を放出した直後で、気を集中させたガードがとても間に合わない。


 劉偉の巨体が前のめりに倒れる。銃弾は二発とも、劉偉の胸を貫いていた。


「ん……」


 血を吐きながら、うつ伏せから仰向けの格好へと体を入れ替える。死ぬ時は大の字仰向け大往生が格好いいという田沢の台詞を思い出して、劉偉はそれに従ってみた。

 敗北――そしてこれから訪れるであろう死を前にして、しかし劉偉は全てに感謝する気持ちで満たされていた。自分を生んで育ててくれた両親に。自分を救ってくれた加藤に。自分を鍛えてくれた軍隊に。殺し屋家業を共に過ごした掃き溜めバカンスの面々に。自分と戦った者達に。自分を屠った相沢真に。


「ん!」


 とどめを刺そうと頭部に銃口を向ける真に、一声唸って見せる劉偉。相変わらず口元はへの字に曲がっていたが、目は笑っているように真には見えた。


「いやー、なんかすごい戦いだったな」


 真が引き金を引いた直後、避難していたリックが顔を覗かせる。劉偉の気によって、通路や店の壁が削られて燦々たる有様だ。リックはそれらを怖々とした表情で見回す。


「体中痛いし、帰って寝るよ。おやすみ」


 劉偉の目を塞いでやってから、真はそう言い残して、近くにある非常階段を上がっていった。

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