第四章 11

 睦月は別に、年がら年中殺意に満ち満ちているわけではない。

 そうでなければ、外出する事もできない。年頃の女の子を見る度に、殺してまわらなければならなくなる。

 周期的に抑えられなくなった際に、それを解放するのだ。


 沸き起こるこの衝動の正体を、睦月は自分のものではないと思っている。この体の主であった少女――沙耶が生み出している衝動であると、睦月は思い込んでいた。

 彼女の意識はすでに消え去ってしまっているが、睦月が年頃の少女を目にした際、沙耶は怒りと憎しみと殺意だけを睦月に譲り渡す。

 睦月はその現象の正体が、沙耶が生贄を望んでいる事だと受け止め、殺し続けていけば、いつかは沙耶が蘇ると信じている。


「あはっ、皆似たような反応するよねえ。たまにはもう少し違うリアクションも見せて欲しいんだけどねぇ」


 夜の八時。安楽市絶好町は繁華街から少し南に外れると、そこには田園地帯がひろがっている。建物がほとんど無く、見晴らしがよいが人気も無い寂しい道だ。

 住宅街なら助けを呼べば応じる者はいようが、ここではその可能性は限りなく低い。だからこそ睦月は、そういう場所を選んで張り込んでいた。

 夜であろうと人は通る。きっと自分と同じ年頃の女の子もいつかは通るであろうと思って、待ち構えていた。


 目の前には女子高生が足から血を流して倒れ、睦月を見上げて泣き顔で震えている。その姿を見下ろし、睦月は己が歓喜に満ちていることを実感する。

 しかしこの歓喜も、自分の中に殺人衝動が込み上げている時に限ってのみの話で、殺し終えてからは、底無しの虚無感に包まれる。


(沙耶が得られなかった、自由、家族の暖かさ、青春の謳歌、それらを得ている女の子達を殺して捧げれば、沙耶は喜んでくれる。この黒くて冷たくて熱いものが無くなる。きっといつか満足して蘇ってくれる)


 心の中で自分に何度も言い聞かせながら、傍らにいる蜘蛛に思念を送る。


 主より命令を受け取った蜘蛛は即座に動き、倒れた少女の上へと跳ね上がる。

 自分の足を切り裂いた得体の知れぬ生物に乗られ、恐怖に少女の顔が引きつる。

 蜘蛛の足の刃が二本、立て続けに少女の下腹部を貫く。制服がじんわりと血に染まる。蜘蛛が足を引き抜くと、一気に血が溢れ出し、アスファルトに血溜まりが広がっていく。


 その直後、銃声が響き、少女の上に乗っていた蜘蛛が弾き飛ばされた。


「やあ……。君、また来たのかい」


 現れた人物の方に、睦月はおもむろに振り返り、静かに呟いた。

 表面上は平静を装っているが、前回と同様、明らかに動悸が早くなっているのを実感する。


「狙われているのに、平然とうろつくばかりか殺しまでするとは、いい度胸してるな」


 蜘蛛を撃った真が、銃口を蜘蛛に向けたまま、一歩ずつ悠然と睦月と少女の方へと近づいていく。

 睦月は蜘蛛と共に静かに後退する。真が二歩進むごとに一歩下がる程度だ。何故後ずさりしているのか、自分でもわからない。いや、後退している意識さえ無かった。


「た……すけ……て……」


 自分を助けてくれたと思しき中学生くらいの少年を見上げ、少女は口から血の泡を吹き出しながら、かすれ声を漏らす。


(この傷と出血では助からないな)


 すぐ横で泣きながら助けを乞う視線を自分に向ける女子生徒に、真はそう判断して、彼女の頭部に銃口を向ける。


「悪いな。危機一髪で都合よく現れるヒーローじゃなくて。僕には、せめて楽にしてやるくらいしかできない」


 一方的に淡々と告げると、相手のリアクションは待たずに引き金を引く。

 再び真は睦月と向かいあう。いつも通りの無表情で、しかし殺気だけは隠すことなく膨らませて。禍々しい殺気をあてられ、首筋に怖気が走る睦月。


「あはぁ、こうして改めて見ると君、小さいんだねぇ。あの時は大きく見えたけれど」


 はにかんだ笑みさえこぼしながら、そんなことを口にする睦月。臨戦態勢の真と比べ、これから戦いに挑もうという気配が微塵も無い。


「君にあの時助けてもらわなかったら、今の俺は無い。感謝しているし、君とは戦いたくないんだよねえ。でも……」


 言いかけて、英雄の顔が脳裏をよぎる。いつも仏頂面で、睦月と言い争いばかりしていた英雄が、目の前の少年を殺さんとして先走り、返り討ちにあった事実。初めて味わう仲間との死別。


「何でこんなことになっちゃったんだろ……。わけわかんないよねぇ。俺を助けてくれた君が、今度は俺を殺しにくるなんてさ」

「お前が蒔いた種だろ」


 躊躇う睦月に、真は冷徹な一言を浴びせる。


「僕があの時、お前を雪岡の元に連れていかずに見殺しておけば、こんな怪物を世に放たずに済んだ。そうなると知っていれば、助けなかっただろうな」


 睦月の笑みが消え、表情が強張る。氷の剣で胸を突き刺されたような感触が睦月を襲う。


「あは……ショックだねぇ。でもまあ仕方ないか。俺も君に途方も無い恩義を感じているけれど、死ぬわけにはいかないしねぇ」


 眩暈がするほどの強烈な心の痛み。そのまま倒れて意識を失って、殺されてしまいたいと一瞬本気で考えてしまったほどだが、自分でも何故そこまでショックを受けているのかわからない。

 それを真に悟られないように必死に隠し、気を引き締めようとするが、うまくいかなかった。どうしても気持ちが制御できない。その声は震え、顔面は蒼白になっている


「この睦月という俺はきっと、この世の女の子達を殺すために生まれてきたんだ。生きている限り、俺はこの衝動を抑えられない。神様が投げた俺の人生の玉は、ルーレットの中の殺人鬼の番号に入ったんだろうし、無理ないよねえ」


 気持ちを整える時間が必要だと思い、会話を引き伸ばす事でそれを得ようと目論む。


「この世の中にはいろんな人間がいる。いい人、悪い人、不幸な人、幸福な人。いい人だらけで皆幸福ならいうことないけど、絶対にそうはならないんだよねぇ。必ず悪人は現れる、不幸になる人間も出る。本人の努力とか才能とか、そんなものではどうにもならない不幸がある。運命のルーレットでたまたま不幸の目に当たってしまった人がいる。そんな人から見てさ、たまたまの幸運だろうと本人の努力だろうと、幸福を得ている人間が、俺にはどうあっても許しがたいんだよねえ」

「それでお前は幸せなのか?」


 一瞬だが、真の殺気が小さくなったのを睦月は感じ取った。気のせいかもしれないが、自分を見る真の視線に、今の一言に、憐憫が宿っているかのように見えた。


「俺は……どうでもいいんだ。沙耶さえ蘇ってくれれば、それが一番の幸せさ。沙耶の無念が晴らされれば……」


 沙耶のことを想う。目の前の少年に殺された英雄のことを想う。そうすることで睦月は己の中の闘争心を高める。


「あはっ、じゃあそろそろ……始めよっか」


 睦月が手首から、体内に潜めた蛭を呼び出す。同様に服の内側に二匹の雀と、さらにもう一匹のファミリアー・フレッシュを、悟られないように呼び出していた。

 真がタイムラグをつけて二発撃った。狙いは睦月ではなく、睦月の傍らにいる蜘蛛だ。

 蜘蛛は一発目を跳んで避けたものの、着地点で二発目をくらってのけぞる。


 睦月は構わず蛭鞭を真に向かって放つ。空中で身をくねらせて不規則な軌道でもって、蛭鞭は真めがけて襲いかかる。軽く横に跳んで避けたが、蛭鞭はその体をさらに伸ばし、弧を描く動きで執拗に真を追い回す。

 さらに雀を一匹放つ。弾丸の如く勢いで一直線に放たれたそれは、真が次に蛭の攻撃を回避した位置を先読みして放たれている。


 かなり際どいところで、真は雀の攻撃をかわして、同時に蛭鞭の攻撃もやりすごした。

 蛭が縮みだす。どうやら伸びる限界に達したようだ。

 この期を見逃さずに睦月を撃とうとしたが、今度は蜘蛛が飛びかってくる。

 蜘蛛が刃を振り下ろそうとする刹那、脚の刃の鎬の部分をうまく狙い、蜘蛛の体を蹴り飛ばす。


 そこへまた雀が横から突っ込んできた。真は上体を逸らすことで雀の攻撃をやりすごす。


(あの鞭は変則的で動きが予測しづらい。鞭以外は大したことはないし、一匹一匹の対処はできる。問題は鞭と蜘蛛と鳥とで、間髪いれずに立て続けに攻められてくることだ。このまま長引くといつかは食らいそうだ。防戦に回るのはよくない)


 真は高速で脳を回転させて、状況を分析し、かつどう立ち回るかを考えていた。

 防戦はよくないが、防戦にならざるをえない。睦月の操る擬似生命は、それぞれが意思を持って攻撃してきているように見える。


「なっ……」


 右のふくらはぎに痛みを覚え、声をもらしつつも、反射的にその場を飛びのく真。

 地面から突き出した針金状のものと、それに足を貫かれた真を交互に見て、睦月はほくそ笑む。


「最近作ったんだけれど、これ作るのに苦労したんだよぉ。針金虫っていうんだ。そのまんまだけどねえ」


 睦月の左手首に、針金のようなものが巻かれていた。それが睦月の体にそって地面に伸び、アスファルトを這い、いつの間にか真の所まで伸びていたのだ。


(四匹か――いや)


 真が思った直後、睦月の左の手のひらから、さらにもう一匹の雀が現れる。


(完全に奴のペースだな。何とか隙を見つけて流れを変えないと)


 かつて純子に教わった事を思い出す。勝負事には流れがある。その流れを掴んだものが絶対的有利であり、流れとペースを掴まれた者は、不利な展開が続く。

 相手に流れを掴まれたら、逆転できる突破口を見つけるか作るかしなければならない。それすら相手の罠の可能性もあるが、相手のペースのままでは絶対に勝てないと。


「あはっ、一気に決めちゃおう」


 真を見据えて、睦月はファミリアー・フレッシュに命令を送る。睦月は脳波でこの生物達を操ることが出来る。以前は近距離でないと不可能であったが、針金虫を介すれば、遠くに離れた蜘蛛や雀に命令を飛ばすことも可能になった。


 針金虫が地面から勢いよく伸び、再び真の足を貫かんとする。蜘蛛が脚部を分裂させて、片方が真の背後に回ろうとする。蛭鞭が振るわれる。雀が上空から一匹飛びかかる。


「これでダメおしっと」

 タイムラグをつけてもう一匹の雀を睦月が放つ。


 回避困難な一斉攻撃。真は銃を二発撃つ。前方の蜘蛛を弾き落とし、さらに文字通り針金ほどの細さしかない針金虫を撃ち弾く。


 直後、右から襲い掛かった蛭鞭が真の銃を叩き落とすが、まるでそれを予期でもしていたかのように、銃を落とされた直後に素早く懐に右手を入れ、その身を翻す。

 振り返り様に、真は大降りのサバイバルナイフを抜いていた。

 背後からきた刃の蜘蛛を上から切り落す。


 蜘蛛を切り落とした後、後方にステップして、上空から落下してきた雀の攻撃を回避し、さらに振り返って、最後に放たれた雀を迎え討とうとする。

 しかし、タイミングが合わない。雀はすでに真の直前に迫っている。真は上体を逸らして回避を試みる。


 雀は額をかすめ、その衝撃で血を撒き散らしながらもんどりうって倒れる真。しかしその倒れた勢いをも利用して、すぐさま立ち上がって体勢を整えようとする。


 睦月は真が立ち上がるタイミングを狙いすまし、鞭蛭を追撃させていた。

 袈裟懸けに斬られるかのようにして、真の体を鞭蛭が撃ちすえる。派手な音がしたが、防弾防刃仕様の制服を裂くことはできず、さしたるダメージにはならない。

 だが真をひるませるには十分な威力であった。


 動きが鈍った真に対し、雀の一匹が背後から腰を、もう一匹が正面から左胸を直撃する。

 真の動きが目に見えてさらに鈍くなる。ナイフで切られた蜘蛛が起き上がり、再び飛びかかる。

 正面の蜘蛛はダメージが大きいために回収している。睦月の体内に戻して癒さねば使い物にならない。


 蜘蛛の攻撃はかわしたが、針金虫が真の左足に絡みつく。

 蛭鞭がうなる。動きの止まった真の頭部を鞭が打ち据え、真の上体が大きくよろめき、派手に血がしぶいた。

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