第四章 10

 大谷英雄の死はその日の夜のうちに、掃き溜めバカンスの知るところとなった。

 掃き溜めバカンスのメンバーは皆、体内に発信機を埋め込んでおり、心臓の鼓動が止まると、それを他のメンバーに伝える仕組みになっている。死者が出た場合、それがすぐに分かるようになっている。

 ただし発信機による死亡者報告を受けたのは、彼等にとって初めての出来事であった。英雄の死を確認した際、睦月、田沢、彰人、劉偉の四人はタスマニアデビルで飲んでいた。


「掃き溜めバカンス始まって以来の初黒星、か。それもよりによってあの英雄がねえ」


 彰人が重い息を吐いて、グラスを眼前に掲げて目を閉じ、黙祷を捧げる。


「死亡フラグ立てるなって言ったその矢先に、本当に死んじまうなんてよ。あの堅物らしいっちゃ、らしいか」

「ん! ん!」


 いつもと変わらぬ飄々とした様子で、笑みさえ湛えながら田沢。一方で劉偉は、口をへの字にしてむっつりとした顔のままであったが、一人だけ涙を流していた。皆の前でその涙を隠そうともしなかった。


「ん!」

「かしこまりました」


 劉偉がおなじみの一声をあげて側を通りかかったウェイターを呼び止める。髪をオールバックにぴっちりと決めた、浅黒い肌の中年の小柄なウェイターは、渋く低い声で応じたかと思うと、グラスを新たに一つと、ブランデーのボトルをテーブルの上に置いた。


「最初から最後まで不器用な奴だったな」


 彰人が舌打ちしてボトルの栓を開け、ウェイターが持ってきた六つ目のグラスに注ぐ。英雄がキープしていたボトルだった。


「何で……英雄は死んだんだろうねぇ……」

「はあっ!? お前、本気でそれ言ってんのか!?」


 蒼白になってうなだれ、掠れた声で言う睦月の言葉に、彰人が声を荒げる。


「本気でわからないわけじゃあねえだろ。トボけてんじゃねーよ」


 ついいつもの癇癪か出てしまった事を意識しつつ、渋面になって声のトーンを落とす。


「やっぱりそうなのかねぇ。あは。何だってさ……あいつ、そんな先走った真似を……」


 涙が出そうになるのを懸命にこらえるものの、溢れ出してこぼれるのを堪えきれず、せめてうつむいてそれを周囲に見せないようにとしていた睦月だったが、声自体も涙声になっている。


「英雄の決めたことに、いちいちここでウダウダ言ってもなー。今のお前を見たら、あいつもげんなりするだろーよ」


 うなだれている睦月には見えなかったが、田沢が自分の方に顔を向けて言っている事は見なくてもわかった。


「所詮この世は遊び場。人生は全てお遊戯の時間。遊び場を去り、お遊戯の時間をしめくくるには、それだけの理由があったからだろ?」


 全くいつもと調子の変わらない田沢に、睦月は苛立ちのようなものを覚える。田沢のことを慕っているだけに余計に苛立った。自分は冷静を全く保てられないのに、何故田沢はいつものペースを崩さずにいられるのかと。


「俺なんかのために、あんな先走った真似する必要ないだろ……。あはっ、俺が負けるとでも思っていたのかねえ」


 田沢の言葉を無視するかのように、睦月は言葉を続ける。


「感じていたのかもな。英雄はお前と拮抗している実力の持ち主だったしよ。その英雄が殺されたとなると、実際やばいだろ?」

「ん!」


 彰人が言い、劉偉も同感と言わんばかりに一声発する。


「その理由が本気でわからないってのは、どーかと思うがな。ま、彰人の言う通り、英雄はお前の身の危険を感じたんだろうさ。それであいつが殺されてりゃあ世話ねーってのも確かだけどよ」

 と、田沢。


「自分のためよりも、自分以外の誰かのために本気出すってのはわかるわ」


 珍しく左目の瞬きをピタリと止めて、不快げな面持ちで言う彰人。


「昔、俺の幼馴染の女がヤラれちまってよ。で、その幼馴染の女、犯人を待ち伏せして不意打ちしてボコボコにして、植物人間にしちまったんだ。で、俺、あいつに惚れてたから、俺が罪を被ったんだがよ。あいつも少し頭おかしくなって、その後閉鎖病棟行きになっちまった。んで、法廷で検事の糞ったれが、報復行為など原始的で野蛮な行為がどーたらぬかして、あげくの果てに、あいつの悪口まで言い出しやがった。女の方が誘ったんじゃないかとか、そうでないにしても夜道の一人歩きが原因とかふざけたことぬかしはじめて、俺はブチ切れて法廷で大暴れさ。いや、大暴れっていっても、すぐ取り押さえられたがね」

「お前の昔語りとどう関係があるんだよ」

「気持ち的には英雄も、そん時の俺と一緒じゃねーかなーって思ったんだよ。うん、言いたいことはそういうことだ」


 茶化す田沢に、照れたように鼻をぽりぽりとかいて目をきょろきょろとさせる彰人。


「それでどうなったんのさ? 裏通りに堕ちるには、もうワンクッションあるんじゃない?」

 興味深そうに睦月が話の続きを促す。


「鋭いな。まあ……俺はその糞検事の言葉がどうしても許せなかったから、出所後にそいつの家つきとめてブッ殺したわ。胸がスッとしたよ。人殺しを問答無用で悪なんて言ってる奴は、大嘘つき野郎だとその時に思ったね。最高の瞬間だった。また刑務所にブチこまれるのも嫌だったんで、裏通りに堕ちて、何とか捕まらずに済ます方法探しているうちにここの存在を知って、ボスに揉み消してもらって、現在に至るってわけさ」

「俺も最初の殺しは似たようなもんだな。ていうか、殺しが無条件で悪だとは俺も思わんね」


 そう言って田沢がグラスの中に残っていた酒を一気に仰ぎ、英雄のキープしていたボトルの中身を、自分のグラスに注ぐ。


「ガキの頃、猫を高いところから逆さまに落として、受身をとらせて遊んでいる奴等がいたんだ。二階から落としても受身をとってうまく着地したからさ、今度は十五階から落としやがった。もちろん猫は死んじまった。そいつら、その様子を見て笑い転げていやがったんで」


 そこまで話したところで、またグラスの中身を呷る。


「俺の飼い猫を殺したそいつらを同じように突き落としてやった」


 肩をすくめて手を広げてみせる田沢。帰国後、頻繁にこのアクションを行うようになったが、そろそろ皆見慣れてきた。


「俺の記念すべき初の人殺しだが、バレなかった。良心の呵責も無かった。まあ当然だがな。ああ、もちろん俺も胸がすーっとしたよ」

「私も同じ。最初の殺人は、罪の意識なんて全く感じなかった。どんな話かは言いたくないけれどさ」


 と、丁度その場に来た真奈美が言った。少し遅れて卓也も来る。


「皆似ているなー。ていうか、何でいつの間にか殺人初体験談になってんだか。で、お前等、仕事は終わったの?」

「まだだよ。下調べしてたとこ。ま、明日か明後日にでもするさ」


 尋ねる彰人に、暗い表情で答える卓也。真奈美も沈みがちな顔で、四人がいる隣のボックス席に座る。


「うちらから最初の犠牲者か……。仲間を失うのって、こんなに辛くて胸が苦しくなるもんだったんだね」

「青臭いこと言ってんじゃねーよ。俺等はどんだけその想いを、仕事で他の奴等に味合わせてきたと思ってるんだ」


 卓也の言葉に、田沢が笑いながら言った。正論であるし、責める口調でも無かったが、卓也と真奈美にはこの言葉が重く響いた。


「英雄の仇、取らないとねえ」


 グラスを揺らして中の氷をかちゃかちゃと鳴らしながら睦月。


「そうだな。お前も狙われてるし、このままにはできねえだろ。だが、まずはボスの判断を仰ぐとしようや。くれぐれも英雄みてーに先走るなよ」


 いつも通りからかうような口ぶりだったが、田沢が真面目に警告している事は、睦月にはわかっていた。

 わかっていてなお、睦月はそれに従う気は無かった。


***


「辛い? 辛い? ほら、答えなさい。辛いの?」


 ネチネチとした口調と甲高い声音でもって、母は沙耶に呼びかける。

 極めて単純な課題であったが、沙耶は顔を真っ赤にして体を小刻みに震わせている。

 単純な課題ではあっても、成し遂げないともっと過酷な課題を出される事になる。それを失敗するとさらに過酷にと、段々とエスカレートしていく。


「辛いです。苦しいです」


 空気椅子を強いられている沙耶は、泣きながら答えた。


「あらぁ、それはよかったわあ。うん、それはとてもよいことよ」


 母は嬉しそうににんまりと笑いながら、震える沙耶のふくらはぎをつま先でつつく。


「もっともっと苦しみなさい。そうすれば表の世界にいる沙耶以外の人は、それだけ幸せになれるのよ。だから沙耶はここでこうして一生苦しまなくっちゃっ、ねえ!」


 叫ぶと同時に母が大きく足を上げ、沙耶の太股におもいっきり踵を突きたてた。沙耶はたまらずに崩れ落ちる。


 最近の母は以前にも増してひどい仕打ちを行うようになった。以前は沙耶に対して、肉体的な暴力を振るうようなことは滅多に無かったのだが、それが頻繁に見受けられるようになったのだ。沙耶はそうした暴力に対しての耐性がまだできていない。


「あらあら、私の出した課題をちゃんとこなせなかったわねえ。何ていけない子なんでしょう。それじゃあ、もっともっと辛い課題を出して、苦しんでもらわないとだめよぉ」


(死にたい……)


 母のかける言葉を聞いて、心の中で呟く。

 しかし死ぬ事もできない。

 もし自殺して死ねば無間地獄に落ちて、今よりもっとひどい責め苦にあいながら、永遠に苦しみ続けると、小さい頃から散々脅されていて、自殺するという選択肢を思い浮かべる度に、途轍もない恐怖がつきまとう。


(大丈夫だよ)


 頭の中で声が響いた。沙耶にだけ聞こえる声が。


(いつかきっと君はこの地獄から解放されるよ。俺にはわかる)


 声の主はいつも同じことを言っていたが、そう言い切る根拠がどこにあるというのだろう。ただ単に沙耶の心を癒し、その場凌ぎで慰めるためだけに言っているとしか思えない。

 けれどもそんな根拠の全く無い慰めの言葉ですら、沙耶にとっては心の支えになっていた。

 彼が現れてもう二年も経つだろうか。沙耶の中に彼が現れなければ、とっくに沙耶の心は砕け散っていたと、沙耶も、彼も判断している。


「睦月……あなたが現れたのは奇跡だったけれど」


 母が部屋から出て行ったあとで、床に崩れ落ちたまま、か細い声で呼びかける。


「もうこれ以上の奇跡が起こるなんて、私には考えられない。きっとずっとこのままだよ。お母様の言う通り、私は一生この部屋の中で、外の世界の幸せのために、お母様に責められ続けるの」


(いや、出られる。諦めちゃダメだ。そしてもう苦しまなくてすむ)


 少年は、頭の中で沙耶を励まし続けていた。一人になった時は、小声を出してずっと喋り続けていた。


(俺には何故かわかるんだよねぇ。その予感がしてならない。でも、同時に恐怖も抱いている。もしもここから出られる時が来たとして、その時に沙耶の心が死んでしまってないかっていう恐怖が)


「心が死ぬ……」


 睦月が告げたその言葉に、沙耶はこれ以上無いくらいの安堵感を覚えた。


「それって、何も感じず、何も考えなくなるってことだよね」

(うん。そうならないように母さんも、沙耶に休みの日曜日を与えるとかして、いろいろ考えているんだろうけれど、それでもこのままだといずれは……)

「心だけでも死ぬことができるのなら、早く死にたい」


 微笑を浮かべ、佐屋は本気でそう思って言った。


「それって自殺じゃないよね……? 私は悪くないよね? それが私の限界だっていうのなら、早く死んでしまいたい」


 沙耶の言葉に、睦月は言葉を失くしていた。頭の中で、悲しそうな目で自分を見て黙り込んでしまった睦月を見て、沙耶は心を痛める。


(俺は沙耶をこの地獄から解放してやりたいよ。俺にはそれが必ず来るとわかっている。確信に近い予感があるんだ。その前に沙耶の心を死なせたくはないんだよねぇ)

「ありがとう……」


 自分を気遣う睦月を気遣って、沙耶は礼を告げた。


「もし、私の心が死んだら、睦月はどうなるの?」

(だからあ、そんなこと言うなってば)

「そもそもあなたが何者か、いつになっても教えてくれないしさ……」

(君を守る者。俺はそのために生まれた)


 心なしか苦しそうな表情になって睦月は答えた。


(正直言えばねえ、俺も俺が何者なのかよくわからないんだよねぇ。気がついたらここにいた。で、沙耶がいた)


 その日初めて睦月は、自分のことについて触れた。


(でも俺の気がかりはねえ、自分が何者かってことより、沙耶なんだ。俺のことを悩むのは後でいい。まずは君が救われることだよ)

「じゃあ、どうしてそう思ってくれるの?どうして私を救いたいの?」

(俺は気がついたらここにいた。目の前には君しかいなかった。だからかな?)


 睦月の答えはあっさりとしていた。そして沙耶も妙に納得してしまった。

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