第四章 12

(効いた……。ヤバい)


 頭部への鞭の一撃は相当な重みと衝撃を備えたもので、真の意識は一瞬吹っ飛んでいた。


「あははっ、すごいねぇ。たとえ致命傷は負って無くても、そんなにボロボロにされたら、立っていられる奴なんて普通いないよ」


 体中に攻撃を食らって、負傷を負っていてもなお戦意を失わずに立っている真に対して、睦月は純粋に称賛の意を込めて言った。


「厄介だが、芦屋ほど絶望的な強さってわけでもないな」


 一方の真は、顔面血まみれになりながらも、無表情のまま睦月を見据えて、さして危機感を漂わせない様子で呟く。


(もう動きは封じたし、これで終わりだよねぇ)


 睦月は勝利をほぼ確信していた。

 その一方で、異様な胸の痛みと、ある感触が蘇るのを感じていた。

 地面に這いつくばり、助けを求める自分。無視する通行人。そしてあの温もり。


(躊躇うなよ……。こいつは俺を殺そうとしているし、英雄を殺したんだ)


 歯噛みして自分に言い聞かせた直後、今起こっている事態に気が付き、睦月は目を剥いた。

 真の足に絡み付いていた針金虫は切断され、真の後方にいた蜘蛛と、自分が手にしている蛭鞭は、真の両手から伸びている超音波振動鋼線によって締め上げられ、束縛されていた。


(彰人と同じで、鋼線を使うのか……)


 守勢に回りながらも真は睦月に悟られること無く、鋼線を巻きつけるタイミングを伺っていた。特に蛭鞭に鋼線を巻きつけるのには苦労した。そのために強烈な一撃もあえて食らったのである。

 両手を引く真。蜘蛛の刃の足が、鋼線によって容易く切断される。蛭鞭に至っては幾つにも輪切りにされた。


 残すは切られてもなお伸ばせる針金虫と、雀のみ。だが針金虫は不意打ち以外には不向きであるし、雀だけでは真を仕留められない。

 不意打ちをかますか、相手を拘束していない限り、雀に必殺の殺傷能力は無い。牽制、ダメージの蓄積、そしてトドメに用いる蜘蛛か鞭への布石のための役割が主だ。


 真が睦月に向かって駆け出し、間合いを詰める。手にはナイフが握られている。


 睦月の体はショットガンで撃たれても瞬時に再生するほどの不死身さを備えている。それを承知してなお、真は接近戦を挑んでくる。

 何かあるに違いないと、睦月は警戒するものの、止める手段がない。


(あはっ、何を仕掛けてくる気だろうねえ)


 突進してくる真を見て、睦月は身構えつつもその意図が計り知れないでいた。何かをしようとしている事はわかる。


 真はそのまま睦月に向かって突進し、その小さな体を、睦月の下腹部に思いっきりぶち当てた。そして睦月の両膝裏を両腕で抱えて引きつつ、さらに前へと押す。

 両足タックルという予想外の攻撃をくらい、睦月は呆気に取られたまま仰向けに倒される。その倒された睦月の上に、真が馬乗りになる。


 睦月は真の顔を見上げたが、一瞬だけ夜空と真の端整な容姿が映っただけで、すぐに視界が遮られた。真の顔から吹き出る血がそのまま睦月の顔に零れ落ちて、両目にまで入ったのである。

 睦月が次の行動に移る前に、ナイフで睦月の喉元を切り裂く。


 普通の人間相手ならこれで勝負は決まっている。けれども睦月にはさしたるダメージにならない。

 血飛沫すらなく、わずかに出血しただけで、その血もすぐに傷口へと逆流するかのように体内に戻り、傷口も塞がる。

 ナイフで喉元を切り裂くと同時に、真は睦月の学ランのポケットにこっそりと、純子から受け取ったフリーズグレネードを入れていた。ナイフの攻撃は、本命を悟らせないようにするための、気を引くだけのフェイクだ。

 睦月が反撃に転ずるより前に、かつピンを抜いたフリーズグレネードが破裂する前に、真は飛びのいて睦月から離れた。


 睦月から離れ、腰を低く落として睦月を見据えながら、落ちた銃を拾いつつ、真は攻撃の成功を確信する。


 真の今の不可解な行動が、全く無意味なものであろうはずがない事は、睦月にもわかっている。だがそれが何であるのは見当がつかない。


 直後に睦月を襲った痛みと衝撃は、人生の中で初めて味わう代物だった。

 何かが破裂した。喉から下が凍り付いて、動きが取れない。それどころか呼吸すら出来ない。


「効いたみたいだな」


 真が呟くと、小型火炎放射器を取り出して、身動きの取れない睦月にゆっくりと近づいていく。


(生け捕りなんてどう考えても無理だろう、これは。面倒だからこのまま殺しておこう)


 ふと脳裏に純子の要望がよぎり、声に出さず呟いた直後、真は睦月の様子を見て思わず足を止めた。


「うああああああっ!」


 顔を歪め、甲高い声で叫ぶ睦月。それを見て、睦月が何かをしようとしていると見なして、警戒して足を止めた真であったが、その判断が間違っていたとすぐに悟る事になる。


 睦月は再生力を全開にして、凍り付いていた体を溶かそうとしている。体の凍結していない部分と凍結部分との狭間の体温を、瞬間的に急上昇させて解凍していく。

 目に見えて蘇生していく睦月を見て、真は一気に間合いを詰めて、睦月を見下ろす。


「真……」


 苦悶の表情で、縋りつくような眼差しで真を見上げる睦月。不死身に等しい肉体でも、この解凍には急激に体力を消耗している。通常の肉体のダメージの再生とは比べ物にならないほどに。


「溶かすのを手伝ってやるよ」


 救いを求めるかのような顔で自分を見上げる睦月に向かって、抑揚の無い声で言い放つと、真は睦月の顔前に小型火炎放射器をかざし、凍結していない上半身めがけて炎を浴びせた。


「ああああああっ! うあっ! あっ! ああっ! あああああっ!」


 肉の焼ける臭いと、炎の中で苦しみもがく睦月の姿を見て、流石の真も眉をひそめる。だが目をそらすことは無く、睦月の愛嬌のある魅力的な顔が炎の中で、黒く醜く焼け焦げていく様を見届ける。


「不死身すぎるから、こんな残酷な方法で苦しめて殺さないといけない」


 誰にともなく真は言う。殺し合いは好きだが、相手を嬲るような行為は好まない。相手が相当な下衆なら話は別として。


「へえ……君って……そんな顔するんだねぇ……あははぁ……」


 断末魔の絶叫をあげていたはずの睦月が、炎の中で笑いながらそんな言葉を吐き、痛みに侵されかけていた真の心は現実へと引き戻された。

 睦月の下腹部から、刃が突き出る。蜘蛛の脚だ。それが睦月の喉元辺りまで一気に動き、睦月の体は内側から切り裂かれた形となり、大量の血がほとばしる。


(血で火を消そうとでもいうのか?)


 真の推測は半分当たっていたが、もう半分は予測しきれていなかった。


 睦月の体を縦に大きく裂いた切り口が内側からめくれあがり、内臓が、骨が、筋肉繊維が、血液が、全て外に向かって噴出する。

 体が裏返しになってめくれた状態となり、肉の焦げる臭いに加え、血と臓腑の臭いが漂う。それと同時に睦月の体を焼いていた炎は、体が裏返って地面へと押し付けられて密封状態を作り出されて、全て鎮火した。


 めくれ返って裏返しになった体が蠢き、周囲に飛び散った血が、体の中味が、体の中へと戻っていく。


 真はもう一度火炎放射を行おうとして、思い留まった。目の前で起こった光景に気をとられている隙に、針金虫が地面より伸びて燃料部分を貫いていたのだ。缶から燃料が漏れている。


「うぐ……かはっ、げほっ、あはっあははっ……はあ、はあ……」


 裏返しにした体を元に戻した睦月が、咳き込みながら力なく笑う。

 炎上され続けている状態での再生に加えて、凍らされた体の解凍と、自分で自分の体を裏返して中味を一斉にぶち撒けるという二つの行為が、外部からのダメージの再生以上に、相当な体力の消耗を引き起こしたのだ。


(そういやこいつ、女だったんだな。忘れかけていたけれど)


 凍結やら炎上やら体裏返しやらで、服もボロボロになって、半裸の状態になっている睦月を見て、真はそんなことを思う。


(このあたりが雪岡の言う、生物としての物理的な限界って奴みたいだな。体が再生しきっていない)


 憔悴しきった睦月の顔のあちこちには、火傷の痕が残っていた。顔だけではない。体もだ。さらに自分で切り開いた体の切り口も、完全に塞がりきっていない。


(こうなったらもう、ありったけの銃弾を撃ち込んで、ナイフと鋼線で切り裂いて、強烈な溶肉液を流し込んでと、いくらでも殺しようがある)


 真が銃口を睦月に向ける。睦月は地面に腰をついた状態で真を見上げ、力無く笑っていただけだった。最早抵抗する気力も無いのか、それともまだ別の何かを狙っているのか。


「ん!」


 短い、しかしたっぷりと気合いの入った声が響き、同時に、殺気と空気の強い揺らめきを感じる真。

 反射的にその場を飛びのいたが、少しだけ遅かった。不可視の力による衝撃が真を襲い、真の体は大きく吹き飛ばされた。

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