第四章 8

 手当てをされて警察から解放された則夫は、ネットで情報を漁っていた。則夫はこの時代にしては珍しく、ネットをまともに使ったことが無い。それでも懸命に手探りに、ある人物に関しての情報を集めていた。


「みみみんなの……みみみんなのかかかかか仇、取る……。あ、あ、愛ちゃんの仇だけでも、ぜぜ絶対に取る。あいつはやっちゃだめなことした。した。した。ささ、最低でも、あいつだけは絶対にゆ、ゆゆ、ゆ許さない」


 カンドービル内にあるファミレス『ウォンバット』にて、特に注文もせずに殺気走った形相で、空中に投影したディプレイを覗きこみ、一心不乱にネットを検索しながら、ブツブツとそんな事を呟いている則夫。

 店員達はそれを怖そうに遠巻きに眺めている事しかできなかった。服には血がついているし、どう見ても裏通りの住人であるのは明白であった。


 裏通りの抗争で、組織の者が殺されるのはまだ仕方ないと思う部分もある。こちらも向こうの人間を何人も殺している。報復されるのも致し方ない。

 しかし愛が殺される謂れは無い。

 ただそこにいただけの不幸。裏の組織などに住み込みで働いていたのが悪いと言われればそれまでだが、彼女には他に行き場が無かった。愛の死だけは断じて納得がいかない。運命を呪い、睦月を憎み、則夫は必死にネットで情報を漁った。


 やがて則夫はめぼしい情報をまとめる事ができた。


 先程、自分が睦月に殺されかけた際、乱入してきた人物を則夫も知っていた。

 雪岡純子の殺人人形の通り名で畏怖されている凄腕の殺し屋、相沢真。その名の通り、マッドサイエンティスト雪岡純子に改造された生体兵器ではないかと噂の凄腕だ。実際、睦月ともいい勝負をしていたように、則夫の目には映った。


 ならば自分も雪岡純子に頼んで、睦月に勝てるほどの力をもらえば、復讐を果たせるのではないかと、則夫は考えたのだ。

 雪岡純子のサイトを見つけた則夫はすぐにメールを送った。あとはメールの返事を待つだけだ。


***


「今までお前の作ったマウスを何匹も相手にしてきたけれど、その中でも特上だ」


 雪岡研究所に戻った真は、睦月との戦闘を詳細に純子に報告した。


「何しろショットガンで吹き飛んだ頭の破片が、地面に落ちるより前に空中で反転して、元に戻っていたからな。時間の巻き戻しを見ているみたいだった。それも一秒くらいの間に」

「そこまでの進化を遂げていたなんてねー。うまいこと……いや、いい意味で期待を裏切る形になってくれたね。うん、興味が沸いたよ。ということで、真君、あの子を殺さないで生け捕りにしてここに連れて来てー」


 真の報告を聞いて、純子は嬉しそうな顔でそんなことを言ってきた。


「中枢には殺せって言われているだろ」

「んー、そんなの黙ってりゃわからないしー。平気平気ー。せっかく素晴らしい進化を遂げたってのに、観察も研究も解剖もせずに殺すなんて、もったいないよー」


 呆れる真に、純子は屈託無い笑顔でそう返す。


「中枢から、証拠に死体を引き渡せとか言われたら、どうするつもりだ」

「そしたらちょちょいのちょいと偽の死体を用意して、差し出せばいいだけの話だよー。じゃ、そういうことでよろしくねー」

「よろしくと言われてもな、今の僕の装備では如何ともしがたいぞ。銃は警察に没収されたし」


 普通の拳銃やらナイフ程度なら押収されずに済んだであろうが、ショットガンやサブマシンガン等の銃器は、中枢によって製造も輸入も激しく規制されている。表通りへの巻き添えを危惧しての事だ。当然警察もそれは見過ごすはずがない。


「この前も取られたばかりだし、新しいの仕入れるまではちょっと時間かかると思うけどー」

「なら拳銃であんな化け物に立ち向かえってのか? あの異常な再生力を見た限り、溶肉液も効かなさそうだし」

「だろーね。そこまで進化した再生力なら、今までのパターンからすると効かないと思うよー。危険な毒物と細胞と血液に判断されて、排出されちゃうからねー」


 今まで真は、何人もの暴走したマウスを処理してきた。再生力旺盛な不死身タイプのマウスに対しては、溶肉液という、細胞の再生能力を無力化したあげく急速に細胞の死滅と溶解をもたらす薬物を用いるのが常であったが、それすらも効かない程に進化したマウスもいた。

 そういった相手を斃すには、とにかくダメージを与え続けるしかない。完全な不死身など有りえないと、純子より教わった。

 破壊された肉体の再生には、それに見合うエネルギーが必要となる。肉体がどんなに再生しようと何度でも破壊し続ければ、再生に必要とする力がいずれ尽きる。それでなくても睡眠も無く急激な速度での再生は、生物として無理がありすぎる事だと、純子は言っていた。


「何かいい武器無いのか?」

「ちょっと待ってねー」


 純子が部屋を出る。きっと武器庫に何か武器を見繕いに行ったのだろうと、真は判断する。武器庫にあるのは大半が純子の発明品で、真が見ても意味不明な武器が多いので、純子に見繕ってもらうのが手っ取り早い。

 しばらくして純子が両手に様々な武器を抱えて戻ってくる。そのほとんどがパッと見で、どういう武器かわからないものだ。


「これ、確か小型火炎放射器だよな」


 ペットボトルとホースで繋がった銃器のようなものを手に取り、真が尋ねる。


「うん。小型で燃料が限られているから、すぐ使えなくなっちゃうけれど、コンパクトなのが利点だよー」

「相手にダメージを与えると同時にひるませるか、トドメに使うかどちらかで、乱発は出来ないわけか。まあ使いようによってはいけそうだな」

「こっちは最近作った、溶肉液が通じない不死身タイプマウス用の新兵器ね」


 と、純子が水色と青という配色の、手榴弾らしき筒を一つ差し出す。


「フリーズグレネード。雫野流妖術の簡易空間遮断術式で完全断熱した容器の中に、マイナス180度近い超低温の冷気を凝縮永久保存してあるの。ようするに凍結爆弾だね。外気の熱に触れるとすぐに冷気は消えちゃうから、これまた使い方が難しいんだけどさ」

「あとで一度試させてくれ。それ以前に、これが溶肉液も無効化する不死身型マウスに、必ず通じるっていう保障はあるのか?」

「完璧な保障はできないよー。不死身化した子達は、切断したり、粉々にしたりしても、すぐに再生しちゃうけれど、細胞を溶かされると再生しにくいんで、溶肉液という対抗手段が効果的だったんだ。それよりもさらに細胞を強烈に死滅させる方法としては、低温か高温なんだよ。もちろんこれも確実では無いかもしれないけれどねー。クマムシみたいに、放射線の中だろーと絶対零度だろーと、生命維持できる生物だっているし」


 そのためのこの二つの武器かと、真は納得する。


「それと、熱膨張効果も期待して、その二つを続けざまに使うって手もあるねー。難点はどっちも扱いづらいって事だけどさー」

「先に凍らせて後で燃やす順番だろうな。片方が爆弾な時点で。ところで――」


 純子の差し出した武器に目を落としていた真が、純子の方に視線を向ける。


「あいつ、僕との戦いを戸惑っていた」

「君に助けられたからじゃない?命の恩人が今度は命を奪いにくるとか、そりゃショックだと思うよお」

「実際に助けたのは雪岡だがな。そのうえマウスに改造して」

「それはあの子がそう望んだからだよ。私は基本的に、自分が望んでいる人か、自分の命を売り渡しちゃっている人か、私と相対した人しか、実験台にはしないもの」

「その結果、奴は殺し屋になるわ、殺人鬼になるわで、こうなるのも自業自得か」

「真君も迷っているの? ていうか、殺すのが嫌なのかな?」


 奥歯に物が挟まったかのような言い方をする真の心情を、見透かしたかのように純子。


「わずかな間だったけれど、ここで過ごした仲でもあるしな。あいつの生い立ちを考えてみれば、おかしくなってしまうのも頷ける。とはいえ、放っておけばあいつは人を殺し続けるだろうし、僕等が拒否しても別の誰かに処刑の指令がいくだろう」


 見た目や発言はクールでドライなように見えて、わりと真は情の移りやすい性格である。その事をあまり人に知られたくは無いと思ってはいるが、純子の前で取り繕っても仕方が無い。この世に純子と累以上に、真を理解している人間はいないだろうし、真もそれをわかっている。


「一つ腑に落ちない点があるんだが、どうして睦月の母親は、突然睦月を放置して、お前の元へ行くよう書き残したんだ?」

「んー、真君が今想像している通りでいいんじゃないかなー?」


 真の問いに、純子は曖昧な答えを返して虚空を見上げ、何やら考え込んでいるかのような顔になる。


「郁恵ちゃんを放置しておいたのは、間違いだったみたいだねー。私とは方向性がかなり違ってきちゃっているみたいだし」

「そんな自分にしかわからないようなセリフ、わざわざ口に出すなよ」

「それが私の癖だって知ってるでしょー? それにさー、君なら今の言葉だけで、どういう筋書きなのか、大体の見当はついたでしょ?」


 真の方を見て微笑む純子。


「まあな。そっちの方の始末は是非つけて欲しいもんだ。そいつこそが諸悪の根源なんだろうから」


 自分が言わなくても、口に出している時点でこいつはやるだろうなと、真にはわかっていた。それでも自分の意思は伝えておこうと、念押ししておく。


***


 睦月が掃き溜めバカンスに入って、三年が経とうとしている。この三年間は睦月の人生の中で、かけがえのない濃密な時間だった。


『犯人の動機は、社会からつまはじきにされたので、自分をつまはじきにした社会に復讐したかったと――』


 反射的に睦月はテレビを消していた。先日捕まった通り魔に関する報道だった。

 卓也と真奈美の二人と、睦月の視線が合う。哀れむような視線を向けている。おそらくこの場にいる、彰人、英雄、田沢も似たような反応だろうと、睦月は三人を見ずに判断し、自分の行為にバツの悪さを感じてうなだれた。


「俺達は幸せ者だぜ」


 彰人とポーカーをしている田沢が、カードをシャッフルしながら言った。


「こうして居場所があるわけだしよ」

「まあ、そうだなー。配られたカードが気に食わないなら、変える事も許されるわけだし。てなわけで変えっと」


 彰人も同意しながら、配られたカードの三枚を交換する。


「人生は取り換えの効かない場合もある。あるいは取り替えができない場面もな」


 一人離れた場所に座っていた英雄が、ニヒルな口調で言う。


「でも睦月。お前はもう取り替えが済んだ状態なんだから、気に病む事は無いと、皆思ってるはずだ」

「あれぇ? 英雄、珍しく優しいじゃん」


 睦月が微笑んで英雄を見やる。英雄は睦月と視線を合った時、いつになく穏やかな表情でじっと睦月と視線を合わせていた。


(何か、こいつ変だな)


 自分も見苦しい所を見せた後だったが、英雄の言葉や表情に、睦月は明らかに違和感を覚えていた。普段英雄は何かあればすぐに睦月につっかかるし、否定的である事の方が多い。

 睦月は英雄を嫌ってはいなかったが、英雄の方が自分をあまり好ましく思っていないのだろうと、受け取っていた。表通りの人間を手前勝手な都合で殺しているのだから、不快に思われても仕方無いと、睦月も諦めている。


 そんな英雄が、他のメンバー同様に睦月を慰めるかのような発言をしている。正直睦月からしてみれば、自分を責めてくれる人間も一人いてくれた方が、有り難い部分もあった。


「いつもはここぞとばかりに睦月を責める英雄が、何故かいきなり優しくなるってこたー、つまり、あれだ。うん。死亡フラグ立てんなよー」

「何が死亡フラグになるんだ、馬鹿馬鹿しい」


 田沢の軽口に、英雄はつまらなさそうに吐き捨てて立ち上がると、部屋を出て行った。


(まさかねぇ……)


 ある考えが睦月の脳裏をよぎったが、すぐにそれを打ち消す。英雄に限って、先走りするようなことはあるまいと。


「あー、六連敗とかどーなってんのよ」

 彰人が情けない声を出す。


「人生取り換えても駄目な場合もあるって事かねぇ。あはっ」

 自嘲気味に呟く睦月。


「仕事だ。二人ほど出向いてくれ。」

 睦月が呟いた直後、加藤が室内に入ってきて声をかける。


「俺と真奈美で行くよ。こないだ留守番だったしさ」

 卓也が名乗りをあげ、真奈美も頷く。


「では……ぐっ!」


 口を開きかけて、加藤が突然苦しげな呻きを漏らし、口元を押さえた。それが何を意味するかは、その場にいる全員が理解していた。

 加藤の押さえた手の間から、血が滴り落ちる。室内の空気が先程よりさらに重くなる。


「ふー、また見苦しいものを見せてしまったな。では頼むよ、卓也、真奈美」


 口元の血を拭いながら苦笑いをこぼし、加藤は退室した。


「また悪くなったのか?」


 帰国以来、初めて加藤が喀血するのを見た田沢が尋ねる。


「もう半年もつかどうかだって。でも入院は絶対しないって言ってるの」

 真奈美が沈痛な面持ちで答えた。


「最期は戦って死ぬつもりかねえ。ま、その方が伝説の殺し屋にはふさわしいってか」


 暗い雰囲気の中、田沢だけが明るい声を発していた。


「俺等は皆、ボスに拾われなけりゃあ、さっきのテレビに出ていた奴みたいになっていたかもしれない。こんな事言うと照れくさいけれど、ボスは俺達皆の親父みたいなもんだな」


 新たに配られたカードをめくりながら彰人。


「じゃあ、田沢さんが長男で睦月が末っ子って感じかな」

 真奈美がおかしそうに言う。


「えー、俺って真奈美や卓也より年下なのかねぇ」


 睦月もつられて笑い声を交えながら言う。自分の年齢がわからない睦月だが、真奈美や卓也と大体同じくらいの歳ではあるとは思っていた。


「ボスはまだ八十くらいだろ? 早すぎるよ……」


 彰人が重いため息を吐く。医療が発達し、加えて健康ブームがここ数十年デフォルト化しているため、この時代の日本人の平均寿命は百歳を超える。


「アウトローな世界で生き続けたわりには、相当に長生きした方だろ。んでも、世界規模の伝説の殺し屋が、最期は病死じゃあ確かにしまらねえかもな」

 と、田沢。


「あはっ。そうは言ってもさ、戦って死なれたらその仕事は失敗って事になっちゃうよねぇ。やっぱり御老体には、大人しく畳の上で大往生してもらわないとさあ」


 睦月が冗談めかして言い、一同もつられて笑みをこぼした。

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