第四章 7

「ん!」


 肉殻貝塚の掃滅の仕事を終えて、掃き溜めバカンスの根城に戻った田沢、彰人、英雄、睦月の四人をまず出迎えたのは、構成員の一人、劉偉(リュウウェイ)の一声であった。

 百年以上前の中国人民服に身を包んだ、身長2メートルを越える巨漢で、ひどく縦に細長い顔の持ち主だ。特にその坊主頭は、アーモンドのように先が尖っている。


「よう、劉。元気にしてたか?」

「ん!」


 笑いかける田沢に、劉偉は口をへの字にしてつぐんだまま、一声そう発して答えるのみ。


「お疲れ様ぐらい言えよ、この唐変木」

「ん!」


 彰人も劉偉に笑いかけながら拳をかざす。劉偉は一声発して、タコだらけのごつごつとした拳を、彰人の拳にあてる。


「ただいま」

「たっだいまぁ」

「ん! ん!」


 少し遅れて入った英雄と睦月にも、ちゃんとおかえりの意を込めて声を発する劉偉。口はへの字に閉じられたままだ。


「劉偉、皆いるか?」

「ん!」


 英雄の問いに、またしても同じ返答。しかし英雄にはそれで通じた。いや、その場にいる全員、それで通じてしまった。

 ボスの加藤を除いて掃き溜めバカンスの一同、劉偉が「ん」以外に声を発したところを聞いた事が無いが、劉偉は日本語を完全に理解しているし、彼がその一言しか発していなくても、付き合いの長さからか、何を言わんとしているかを、皆大体わかるようになってしまっていた。


「ボスを呼んできてくれ。お前も来い。話がある」

「ん……」


 帽子を目深にかぶりなおして暗い声で言う英雄に、劉偉は不審げに唸ると、四人の後を追うようにして、ビルの中へと入っていく。

 途中で四人はエレベーターを降りたが、劉偉だけボスを呼びに、さらに上へと向かった。


 いつも皆がたむろしている遊戯部屋に、留守番をしていた二人の構成員がいた。


「お疲れ様~。って、どうかしたの?」


 制服姿の少年が声をかける。名は佐治卓也。十八歳。背が高く精悍な顔つきで、それでいてどこか気品も感じられる。

 いつも柔和で明るい睦月が、その表情にどこか陰りがある事に目聡く気付き、卓也は訝っていた。


「ん~……何というか、運命の悪戯がひどすぎてねぇ」

 アンニュイな口調で答える睦月。


「うんうん、運命の女神はいつだって性悪だもんね」


 卓也にぴったりと寄り添って座っている、制服姿で同じくらいの年頃の少女が微笑みながら言った。

 彼女の名は森田真奈美。卓也と同い年で、卓也とは中学の時からの恋人である。

 驚くほどほっそりとした体系で、おまけに肌は病的な青白さである。目の下にもうっすらと隈が出来ている。それだけ見れば不健康なイメージもあるが、表情はいつも明るい。目鼻立ちもわりと整っている。


「何かあったのかね」

 劉偉を後ろに従え、加藤が現れる。


「中枢がこいつの始末を依頼した相手が、あの雪岡純子だったって話さ」


 帽子に手をかけ、ニヒルな口調で告げた英雄の言葉に、掃き溜めバカンスの面々は少なからぬ衝撃を受けた。


 力を求める者、追い込まれてどうにもならなくなった者、自殺志願者など、悪魔の契約さながらに同意のうえで、あるいは敵対した者を強引に、己の研究欲を満たすための人体実験を施す、裏通りでは知らぬ者のいない悪名高いマッドサイエンティスト、雪岡純子。流石に中枢が処刑命令を下す者として選別するだけはあると納得する。

 問題は睦月もまた、雪岡純子の実験台として肉体改造を施されたマウスであるという事である。かつて睦月を救った救済者が、中枢より睦月の抹殺指令を受けるという皮肉。

 中枢がその事を知っていたかどうかは不明だが、これ以上は無い最適の人材選抜とも言える。もちろん睦月からしてみれば、いろんな意味で最悪の人選だが。


「実際に襲ってきたのは、雪岡純子の殺人人形こと、相沢真の方だとよ」


 と、腕組して壁に寄りかかった姿勢で彰人。


「最初に助けてくれたのも彼なんだよねぇ……あはぁ……」


 力無く微笑みながら、弱々しい声で睦月が言う。


「地べたに這いつくばって、誰も助けてくれない中、あいつだけが助けてくれたんだよねぇ。その命の恩人が、今度は俺を殺しにくるんだって」

「君はその子に恩義を感じているのかね?」

「もちろん」


 加藤の問いに睦月は即答したが――


「自分の命を差し出してもいいほどにかね」


 次いで言い放った加藤の言葉に、睦月は少し間を開けて思案する。


「それは無いねぇ。確かに真にも純子にも並々ならぬ恩義はあるよ。彼等がいなければ、今の俺はいないわけだしねぇ。でもさあ、俺にはやらなくちゃならないことがあるし、たとえそうでなくても黙って殺されるのは嫌だよ? あはっ」


 答えた後、最後におどけた笑みをこぼす。


「何がやらなくちゃならないことだ。ただのサイコな猟奇殺人だろうが」


 舌打ちして忌々しげに吐き捨てる英雄に、睦月の顔が強張った。


「おい、ちょっと言い方考えたらどうだよ。あ?」


 睦月が何かを言う前に、彰人があからさまに不快そうに顔を歪め、英雄につっかかる。元々いかにもチンピラといった感じの悪相の持ち主だが、頭に血がのぼるとより凶顔に見える。左目の瞬きも一際激しくなる。


「睦月だって別に望んでやるってわけじゃねえって事は、ここにいる全員わかっているだろうがよ。あ? ここでそんな当て擦りをして、どうかなんのかよ。あ?」


 怒りに満ちた表情の彰人に詰め寄られるが、英雄は冷たい視線を彰人にぶつける。


「ほー、そのおかげで、こういう結果になった事は無視か。で、友情ごっこして、同情してよしよしで、済まそうというのか?」

「あんだとぉ……?」


 淡々と返した英雄の言葉に、彰人の声音がさらに険悪なものに変わったが、加藤の視線を感じて自制する。


「友情ごっこでも結構じゃねーかよ」


 田沢がやんわりとした声音で言い、睦月に視線を向ける。


「いや……英雄の言う通りだと俺も思うねぇ。済ましてはいけない事態になっているんだからさあ。俺がきちんと責任取るよ」


 睦月は珍しく弱気な態度を見せていた。


「あなた一人で抱えこむような真似はしなくてもいいじゃない。敵がなんだろうと、あなただけでやらないで、全員でお出迎えしてあげましょうよ」


 真奈美が力強い声で言い、同意を促すかのように一同を見渡す。


「そうだよ。一人は皆のために、皆は一人のためにってね」


 卓也も笑いながら励ましの意を込めて言ったが――


「ああ、そうだ。お前がそんなんだから悪かったんだ。いつかこうなるのはわかりきっていたじゃないか。それで万が一皆にも危害が及んだら、どう責任を取るってんだ? 責任の取りようもないだろうがな」


 それをぶち壊すかのように、英雄がなおも睦月を責めたてる。


「ちょっと……いくらなんでも言いすぎでしょ……」

「てめえって奴は……」


 英雄のあまりの言い様に腹に据えかねた真奈美と彰人が、それぞれ口を開きかけたが、


「わかっているけれど抑えきれないんだよ!」


 睦月の血を吐くような叫びによって、二人の言葉はかき消された。


「黒くて冷たくて熱いものが湧き出してきて、抑えられないんだ! 沙耶があの地獄にいた事を考えたら尚更! 沙耶はずっとこの世の全てを呪っていた! その想いを、俺が果たさないと!」


 喚き散らしてから壁に右手をつき、その右手の上に額をあてて、苦しげな表情を皆に見せないようにする睦月。

 自分がどれだけ愚かしい事をしているかは、英雄に言われるまでもなく、睦月にも自覚があった。


「ま、確かに、理屈でわかっていても、感情でどーにもならねーことってのが、世の中にはあらーな」

 田沢が優しい声音で語る。


「お利口さんのウンコ野郎は、理性でどーこーできるらしいけれどよ、世界中みーんな、理性で感情を抑えられるお利口さんだらけの世の中なんて、それはそれでつまんねーもんさ。できないからこそ、世の中面白いのよ。だからまあ、気にすんな」

「その理屈だと、英雄が悪者になっちゃうよねぇ。俺は英雄の言う事が正しいとわかっているしさ。そんな慰めはいらないよ」


 と、睦月が顔をあげて英雄の方を見て微笑む。英雄は鼻をならして、そっぽを向く。


「皆を俺のせいでまきこんでしまうし、俺は出ていった方がいいのかなぁ。俺がこんなせいで皆を危険に晒すことになる。よりによってあの純子に狙われて……ただで済むとも思ってないしさ」


 力ない声で睦月が言った。


「ここには似た者同士が集っていたはずだ。皆やりたいようにしかやれず、他に行き場の無い奴がここに流れついたのに、そこからまたどこに行こうってんだよ」

 皮肉めいた声で田沢が言う。


「裏通りにいる奴等はよ、皆同じさ。普通だの一般人だの世間様だのから見りゃあ、どっか壊れている。でもそういう風にしか生きることができねーんだ。俺なんかもな、どんなにズレていても、俺の思うがままにしか生きられねえ。他人を食い物にしてでも、やりたいようにしか生きられねえ。それをやめろってのは死ねってことになる。でもよぉ、何で俺らがこんな糞くだらねえ世の中に遠慮して生きてやる必要があるんだ?」


 田沢の問いかけに、睦月は少し考えてから、小さくこう答えた。


「でも……俺にとって皆だけは特別なんだよねぇ」

「だから迷惑かけずに出て行って、勝手におっちぬってか? その方がよっぽど迷惑なんだよ。残された方からしてみりゃ、後味悪くてたまんねーんだ。大体お前が俺の立場だったらどうするよ? 巻き添えするのが嫌だから出ていくなんてぬかす奴は、放っておくのか? それとも迷惑だからとっとと出て行けって言うのか?」


 田沢と睦月のやりとりを、掃き溜めバカンスの他のメンツは黙って聞いていた。睦月の気持ちもわかるが、田沢の言葉こそがここにいる全員の気持ちの代弁であった。

 睦月は沈黙する。田沢の言葉が正しいと、頭ではわかっている。しかし自分が蒔いた種で、もし仲間の誰かに犠牲が出たらと考えると、そちらの方が辛い。


「睦月、君以外の全員はすでに覚悟が出来ている。君もこれから起こり得る可能性の全てに対して、覚悟を決めるんだ」


 ボスである加藤が、力強い声で睦月に覚悟を促す。


「ん!」


 劉偉も睦月を元気づけるかのような声を発した。


「君は私が許可しないかぎり、掃き溜めバカンスの一員だ。私の許可無しに組織を抜けることは許さない。そして組織の仲間は決して見捨てないのが、掃き溜めバカンスの最上位にある掟だ。何よりも、自分が引き起こした事態から逃げるな」

「わかったよぉ」


 睦月は頷き、顔をあげて笑顔を見せる。

 顔を上げた直後、視線が英雄とぶつかった。英雄は睦月と視線を合わせたまま、無表情だった。


***


 警察に捕まった真は安楽警察署に補導されて、少年課の警官数名がかりに説教を食らっていた。


 裏通りの住人といっても、何かしら明確に犯罪行為を起こさない限り、捕まることは無い。多少の犯罪なら、見逃されてしまうほどだ。彼等が犯罪で生計を立て、しかもそれらが産業として国を支える礎になってしまっている事は、この国の誰もが知っている。


 ただし未成年となると話は別である。裏通りの未成年というだけで、警察はいとも簡単に難癖つけて補導する。

 激増する裏通りの未成年への警察の対処として、地道に根気よく説得する事が更生への最大の効果であると証明されている。実際にそれで更生した者が非常に多い。

 その理屈は真にも一応はわかる。こんな世界に流れ着いた者には、複雑な事情を抱えた者ばかりだからだ。心をこめた説教をされて改心してしまう理屈も、真にはわかる。特に寂しい人間には効果が抜群だ。


「御馳走様。一つ気になる事があるんだが」


 少年課の警官達の大半が部屋から出て、身長2メートルを越す筋骨隆々な婦警、佐治妙だけが残り、出されたカツ丼を食し終えた所で尋ねる。睦月との戦闘で負った怪我もすでに手当てがされている。

 佐治妙と真は顔馴染みだった。妙は純粋な肉弾戦なら真を遥かに凌駕する力の持ち主で、真からしてみれば実に厄介な相手である。


「お前はいつまであんな雪岡純子なんかの元にいるつもりだい」


 捕まるたびに言われる言葉に、真は心の中で溜息をつく。


「お前らがあいつをちゃんと逮捕してブチこんで更正させてくれれば、僕も楽ができるんだけどな」


 言われるたびに真はこう返す。中枢から重視されているだけではなく、警察上層部はおろか各省庁にも、政治家を裏から操る陰の権力者達にもコネがある純子が、逮捕されることはない。せいぜい今の真のように、未成年扱いされたうえで補導されて説教されるくらいだ。

 ただしその説教が数十時間というとんでもない時間に及ぶので、純子ですらも極力、少年課の警官とは鉢合わせしないように努めている。


「何であんな場所に大勢の警官がいたんだ?」


 たまたまパトロールしていて、抗争を目撃していたという感じでは無い。それにしては人数が多すぎた。


「肉殻貝塚と抗争中の組織放たれ小象が、掃き溜めバカンスを雇ったという情報が入っていたからね」

「それが? ていうか、あんたは少年課だろう?」


 裏通り同士の抗争に、警察は基本的に関知しない。それが表通りを巻き込むような形になった際のみ、介入に踏み切る。


「掃き溜めバカンスには私の弟がいんのよ」

 苦々しげに答える妙。


「佐治卓也。もう四年になるかしらね。中坊の時に裏通りなんかに堕ちやがってさ。しかもあんたと同じように、殺し屋なんかになっちまいやがった。だから、もしかしたらその場にいるかもと思ってね。少年課の奴等何人かに頼み込んで、一緒に来てもらったのさ」

「公私混同入ってるな、それ」

「うちにそんな細かい事気にする奴なんていないよ。で、あんたはどうしてあんな場所にいたんだい?」

「あんたの弟を殺せなんて命令は出されて無いよ」


 キツい視線で睨んでくる妙に、先回りして真が答える。妙がそれを危惧していた事を、わからないはずもない。


(とは言っても、掃き溜めバカンスが睦月を守る構えを見せたら、話は違ってくるんだけれどもな)

 流石にこれは口に出せず、心の中で付け足した。


「さっさと帰んな」


 妙が部屋の扉を開けて、出るように促す。


「来る前からさっさと帰りたくて仕方なかったのに、今更さっさと帰れとか言われてもな。ところで、あの場に倒れていた男は?」

 ふと思い出して、尋ねる真。


「則夫とかいう肉殻貝塚の生き残りだね。手当てをして放り出しておいたよ。何か用事でもあったのかい?」

「いや、別に」


 ただの興味本位の質問に過ぎない。その時の真は、則夫という存在に特に気を留めてはいなかった。

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