第四章 6

「あはぁ……嘘だろ……。君が中枢から送られてきた刺客?」


 真を目の当たりにして、心臓が大きく跳ね上がる。睦月はその時確かに感じた。待ち焦がれていた懐かしい感覚を。


「沙耶……?」


 ほんの一瞬。しかし錯覚などではない。睦月の頭部が再生したのと同じく、一秒にも満たないかもしれない一瞬ではあったが、確かにその時、己の中にいる少女の存在を感じたのだ。


「驚いたな」


 真が口を開く。いつも通り無表情で、全く驚いているという風には見えないが、内心かなり面食らっていた。頭の中で驚いている自分の顔も作っていた。


「放し飼いのマウスの中で、ここまで進化を遂げた奴ってのも珍しいな。これじゃ、溶肉液も効くかどうか疑わしい」


 そう呟いた直後、真の身から凶悪な殺気が、当たり一面に向けて放たれた。


 凶暴極まりない獣と対峙したような感覚に襲われる、則夫と睦月。周囲の空気が重く、凍りついたかのような感覚に、則夫は総毛立ち、睦月も気圧されて生唾を飲む。

 これほどまでに暴威に満ち満ちた殺気を放つ者に遭遇したのは、睦月も則夫も初めてである。


 真にしてみれば戦闘の際、相手の気を削ぎひるませるために、意図して殺気を練り上げて放っている。

 強烈な殺意は殺気という名の電磁波となって、相手の精神にも肉体にも影響を及ぼす。殺すことへの確固たる意志表示、殺したくて仕方無いという想い、殺すことへの悦び、それら全てを増幅かつ凝縮して解き放つ事で、一瞬でも相手の機先を制して優位を得るために。


 サブマシンガンが弾を吐きだす。睦月は避けきれず幾つかその身に弾を受けるが、すぐに体外へと押し出され、瞬時に傷も治る。

 強力な再生力こそあるものの、完全な不死身というわけではない。肉体の再生を行う度に、体力は消耗する。むしろ強い再生力であるが故に、体力の消費も激しい。ダメージをくらい、何度も再生を繰り返せば、その再生するためのエネルギーが空になってしまう。


 刃の蜘蛛が小刻みに飛び跳ねるような動きで真に向かい、真の直前で大きく跳躍した。


 真はサブマシンガンの銃口を蜘蛛に向け、顔に飛び掛らんとする蜘蛛を撃ち落とす。弾が当たり、蜘蛛は空中で逆方向に吹き飛び、仰向けに地面に落ちた。

 が、すぐに起き上がって体勢を立て直し、再び真めがけて飛びかかる。さらにそれを銃で撃ち落す。


 真が刃の蜘蛛に気を取られている間に、睦月に対する攻撃の手は完全に止まっていた。その間に睦月は、新たな擬似生命を体内から呼びだす事が出来た。

 睦月は擬似生命を造り、使役する能力を有している。睦月はこれを『ファミリアー・フレッシュ』と名づけている。


 睦月の掌の中央が裂けて、直径五センチほどの小さな丸い塊が、手の中から出てくる。球体としてはやや楕円気味の形で、睦月の髪と同じ色の短い体毛が生えていた。

 それは睦月の体内より完全に出た所で、鳥の翼を広げ、ロケット弾が撃ちだされるかの如く勢いで、真に向かって突っ込んでいく。

 銃弾をかわすよりは楽に思える攻撃に見えたが、真はすぐにその認識が甘いことを思い知った。

 睦月の手から放たれたそれは、真が右に回避しようとした動きにあわせて途中で弧を描き、真の腹部に直撃する。

 体がくの字に折れ曲がる姿勢で、前のめりに倒れる真。


(追撃仕様ってことは、ギリギリまで引きつけてからかわさないと駄目か。ある意味銃弾より厄介だな)


 防弾防刃仕様の制服を貫くほどの威力は無かったようだが、その衝撃はかなりのもので、こみあげてくる嘔吐を必死にこらえる。


 倒れた真に、刃の蜘蛛が迫る。

 真の腹を直撃した鳥のようなものも、空高く舞い上がったかと思うと地面に向けて反転し、重力の力を借りて猛速度で真めがけて落下して襲いかかる。


(不味い体勢と間合いとタイミングだ。どちらかの攻撃は必ずくらう。どちらかをかわして、どちらかの攻撃は受けるしかないが――)


 瞬時にそう判断する真。鳥の攻撃は先程より威力がありそうだ。真の顔面めがけて重力の勢いもつけて急降下している。刃蜘蛛の攻撃が危険なのは、その体の全てを見て明白だ。


 コンマ数秒以内での思案。真は対処の方法を固める。

 落下してくる鳥もどきの攻撃に対して、避けようとはしない。銃撃で対応もしない。十分に引きつけてから鳥の攻撃をショットガンの銃身で受け止めて凌ぐ。

 時間差をおいてしかけてきた蜘蛛の方は、刃状の足をサブマシンガンの銃身で受け止めた。銃を盾代わりにするのが精一杯だった。


 と、その真の首を何かが激しく打ちつけ、さらには巻きついて締め上げる。


「ぐっ……」


 空気と共に苦悶の呻きを漏らし、呼吸困難になるほどに締め付けられ、首を締め付けている何かに手を伸ばす。

 ぬめぬめとした感触。見ると睦月の手に握られた黒い鞭が、真の首に巻きついていた。

 喉を締めつける感触と手で触ってみた感触からも、それが明らかにただの鞭ではない事がわかった。鞭自体が蠢いている。この鞭もまた生きている。


「蜘蛛、雀、蛭、ファミリアー・フレッシュ三匹全部出したのは久し振りだねぇ」


 真を見据えて、心なしか沈んだ声を出す睦月。


「ひどいねぇ、運命って奴はさ」


 苦々しく呟き、睦月はそのまま鞭を引いてとどめを刺そうとして、できなかった。力を込めることができない。


「運命のルーレットの、おかしな目に玉が入っちゃったのかねぇ? こんな巡り合わせってないよぉ……。よりによって君が俺を殺しに来るなんて」


 つい先程、根城で彰人が語っていた話を思い出す。


 睦月が逡巡しているのを見て、真は好機とし、鞭蛭に向かってサブマシンガンを撃った。

 鞭蛭が千切れたかと思うと、苦しげにのたうちまわりながら、睦月の手元へと丸まるようにして戻っていく。


 刃の蜘蛛が真めがけて刃の足を振るう。

 真は倒れたまま横転してかわそうとするが、かわしきれずに右腕の上腕部をざっくりと切り裂かれ、血飛沫があがる。


(楽しくなってきた)


 反撃の機会を中々得られないもどかしさを覚える一方で、真はこの状況に心を躍らせていた。睦月が思った以上に強敵だったことに、

 真は倒れたまま睦月にサブマシンガンの銃口を向けた。相手が銃撃に対して回避行動に入った隙に起き上がるつもりであったが、その時――


「そこの三人! 武器を捨てて手を上げろ!」


 突然の怒号と、何人もの人間が駆けて来る足音。三人が声と足音の方を向くと、制服姿の警察官が十人ほど、特殊警棒やら拳銃やらを携え、こちらに向かってくる。


「あはっ、退散、と」


 三匹のファミリアーを体内に戻し、警察官とは反対方向に逃げ出す睦月。


 真は倒れていた分、反応が遅れ、また負傷のために動きが鈍っていたせいで、立ち上がった時点で警察官二人に取り押さえられていた。


「何で警官がこんなに……」


 不審に思う真。裏通りの抗争に警察が関与してくるなど滅多にない。街中で表通りの住人を巻き込むような真似をすれば話は別だが、それにしてもここまで早く警察官がかけつけるというのは、ありえない。しかも数も相当多い。

 抵抗する余力がほとんど無い則夫は、されるがままであったが、真は手錠をかけられてもなお足掻いていた。

 このままだと警察に補導され、数十時間に及ぶ説教地獄が待っている。未成年が故の処置であるが、できればそれも避けたい。サブマシンガンとショットガンも押収されてしまうであろう。


「おうおう、毎回じたばたと往生際が悪いねえ」


 ふと真の前方が暗くなり、頭の上の方からドスの利いた女の声がかかった。聞き覚えのある声だ。

 果たして、見上げるとそこに予想通りの人物がいた。真とは顔馴染みの少年課の警察官、全身を筋肉の鎧で覆われた身長2メートルを越える巨大婦警、佐治妙巡査部長である。


(運が悪いな。よりによって佐治に捕まるなんて)


 頭の中でうなだれる自分の姿を想像する真。


「署につくまで、寝ながらパトカーでドライブの旅に御招待だコラぁ」


 そう言い放つと、妙は真の腹に思いっきり拳を打ち込んだ。睦月の放った雀の攻撃ですら意識を失わなかった真が、あっさりと昏倒した。

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