第四章 3
裏通りには何万とも何十万とも言われる数の犯罪組織がある。
構成員が一桁な小規模な組織もあれば、数千人規模の大組織もある。名の知れぬ組織もあれば、知らぬ者はいない程に名の知れた組織もある。
裏通りにおいて、殺し専門の組織『掃き溜めバカンス』の名を知らぬ者はいない。たとえ堕ちて一ヶ月程度の新参であろうと、その名は知っているであろう。
構成員はわずか八名。創立六年目にして、依頼達成率は百パーセントを維持している。
創立者にしてボスの加藤達弘(かとうたつひろ)は、日本どころか世界的に有名な殺し屋だ。
仕事そのものは選ぶ。理不尽な殺人依頼は受けない。裏通り同士の抗争には金銭次第で加担するものの、標的に表通りが絡む場合は、依頼者の動機を加藤が吟味して、納得した場合のみ依頼を受けるというスタイルである。
暗黒都市である東京都安楽市の一角にある、大通りに面した六階建ての廃ビル――そこを改造したものが、掃き溜めバカンスの根城だった。
彼等は自分達の本拠地を、他の裏通りの組織のように事務所ともアジトとも言わない。根城と呼ぶ。実際寝泊りしている者も何名かいる。
根城の一室にて、メンバーのうちの三人が、暇そうに雑談を交わしていた。遊戯部屋と呼ばれている大部屋で、皆で集まる時は大抵ここにいる。
誰も使わないビリヤード台や卓球台が幾つも、捨てられているかのように無造作に置かれている。前の居住者がそのままにして引っ越した物だ。バーカウンターだけは綺麗に手入れをして、ここの現在の住人達によって使われている。
「田沢さんが帰ってくるのは今日だったかな?」
左目を激しく瞬きさせつつ、構成員の一人――高田彰人(たかだあきひと)がひどく低くしゃがれた声を発する。幼い頃に患ったチック症が治りきらず、十九歳になった今でも残っている。
「彰人は田沢さんが天敵だからな」
背筋をぴしっと伸ばしてソファーに腰掛けた、異様な格好をした男が言った。名は大谷英雄。
真っ白なスーツの上に、室内だというのに白いオーバーコートを着込んだままで、白いソフト帽を目深に被った、大昔のギャングさながらの格好。だが140センチにも満たない身長のせいで、まるで様になっていない。
「今どのくらい負け越してる?」
英雄が問う。
「はっぴゃくまん……」
言いたく無さそうに顔をしかめ、彰人がぽつりと答える。
「あはっ、いくらなんでもそれ負けすぎだよねぇ。いい加減もうやめといたらぁ? 傷がどんどん広がるだけだよぉ?」
学ラン姿の細身の少年が笑顔でからかう。
癖っ毛の多い淡い栗色の髪が印象的な、顔だけ見れば一見して少女にも見えかねない中性的な容姿の美少年だった。名は睦月。本人曰く、苗字は無いらしい。
「それだと悔しすぎるわっ。いつか田沢さんに勝ち越すから!」
「そのいつかは永遠にねーよ」
ドスの利いた低い声が部屋の入り口の方からした。室内にいた彰人、睦月、英雄が、一斉に声の方に視線をやる。
開きっぱなしの扉の前に、白い着流しに身を包み、布で包んだ長い棒状のものを左手に携えた、肩まで伸びた蓬髪の男が笑いながら佇んでいた。
歳はどう見ても中年にさしかかっているが、その笑顔は見る者を力づけるように活き活きとしていて、瞳も無垢な少年のように輝いている。
「あはっ、田沢さんおっかえりぃっ」
睦月が嬉しそうな声をあげ、その男――田沢健一郎に飛びついた。
「よお、睦月。相変わらず頭くしゃくしゃだな。ちゃんといいトリートメント使って洗ってんのか? でも、癖がひでーわりに、髪自体は細くて柔らかいのな」
抱きついてきた睦月の頭を撫で回し、口を広げて歯を見せて笑う田沢。
「ちょっとちょっと、そんな風に乱暴にいじらないで欲しいねえ」
田沢から離れて睦月が抗議する。
「いやー、お前のその頭見るとつい、いじりたくなってよぉ。まあ、禿げないように手入れはしっかりとな」
「ちゃんと手入れしてるよぉ。俺は元々こういう髪なんだってば」
口を尖らせる睦月。
「ていうか、半年もアメリカなんか行って何やってたんだ?」
英雄が田沢に尋ねた。
「まあ、話はいろいろややこしいんだが」
抱きついている睦月を片手でひっぺがして、ソファーに勢いよく腰を下ろす田沢。そんな田沢の横に、睦月はめげずに引っ付いて座る。
「やれやれ、よっぽど嬉しいんだな」
そんな睦月の様子を見て、英雄が彰人に向かって言った。
「そりゃそうでしょー。半年ぶりだもの」
目を細めて彰人が言う。睦月が組織の中で、一番慕って懐いている相手が田沢だった。
半年前に急に「アメリカ行ってくる」と言って蒸発し、これまで全く音沙汰が無かったのだが、数日前に連絡があり、やっと帰ってきたのだ。帰国の連絡を受けた時も、睦月が一番表情を輝かせて喜んでいたのを見ている。
「幼馴染の女房寝取ってさ。株で大損ぶっこいたんで、そいつん家を抵当に入れといて女房と娘連れてベガスにとんずらかましたんだが、向こうでもギャンブルで大損こいてさあ。女房と娘そろって売春組織に売り飛ばして、その金を飛行機代にして帰ってきたよ。今頃あの二人、親子丼でハメられちゃって、ヒイヒイよがってるだろーさ」
「相変わらずひどいことをする」
田沢の話を聞いて、顔をしかめる英雄。
「いや、ひどくねーよ。不倫ばかりしている馬鹿女と、援交しまくってた馬鹿ガキだったから、別に不幸になったってわけでもねーんじゃね? 親娘そろって天職だろうさ」
少しも悪びれている様子を見せず、笑顔で言い切る田沢。
「いや、不幸だろ……田沢さんなんかと関わったばかりにさ。ま、来世では、運命のルーレットでいい目が出るといいね」
小気味よさそうな笑みを浮かべる彰人。
「で、俺がいなかった間、何も変わったことは無かったかい?」
「無かったよぉ、何も」
「いや、あるだろ……かなり」
田沢の問いに即答した睦月だが、英雄が帽子を少し上げて鋭い視線を注いで突っ込む。
「何があったんだ?」
「こいつのやんちゃが過ぎてよ、とうとう中枢に目つけられやがった」
「そいつは豪気なこって」
不愉快そうに吐き捨てる英雄に、田沢は目を輝かせる。それを見て英雄は嘆息する。できれば田沢に睦月をたしなめて欲しかったのが、英雄の本音だった。
「中枢から処刑部隊が送りつけられてきて、そいつを全部返り討ちだ。殺しはしなかったが、お次は凄腕の強者に暗殺指令が下る。こいつに向けて、化け物級の刺客が送り込まれるぞ」
「あはぁ。それも倒せばいいだけだって言っているのにさぁ、英雄も皆も心配性でねぇ」
英雄の言葉に、睦月が明るい声でそう返したが、田沢と睦月以外は真顔か、あるいは不安げな表情へと変わっていた。
「お前みたいにやんちゃをしすぎて、中枢から処刑命令が出されて生きているのは、現在三人しかいない。まず中枢から処刑部隊が放たれ、十人中九人はこの段階で死ぬ」
「あはっ。俺は生き延びたよぉ? 十人中の選ばれた一人に目出度くランクインてねぇ」
「だがその後に、腕利きに抹殺指令を出すという寸法だ。この時点でさらにほとんどの奴が死ぬ。わかっているのか?」
段々と口調と語気が荒くなる英雄。
「それすらも返り討ちにしたのなら、賞金首だけかけられて『タブー』指定されて放置されるんだろお? 中枢も無闇に犠牲を強いる事はしたくないって事でねぇ」
笑顔のまま言い返す睦月。
「そうなるに至り、現存するのは三人だ。他にも過去にタブー指定された奴は何人もいたが、芦屋に全て始末された。目出度くタブーになれば、今度は芦屋に狙われる」
裏通りで中枢に逆らって生き延びた人間は、『タブー』という呼び名で指定される。
タブー指定された者は、最早何をしようと、中枢は手出しをしようとはしない。下手に手出しをして犠牲を生むよりは、野放しにしておいた方がよいとの判断だ。裏通りの者もタブー指定された者には、進んで手を出そうとはしない。一人の例外を除いて。
「俺が四人目のタブーになってやるさ。そうすりゃ掃き溜めバカンスのネームバリューも上がるだろうしぃ。あは、どんなすごい殺し屋がくるのか楽しみだねぇ」
「世の中、上には上がいる。万が一って事を考えないのか!」
脳天気なままの睦月に業を煮やしたかのように、英雄が怒鳴る。
「何だよ……そんな声出さなくてもいいだろぉ? 俺の事なんだし、俺が自分でケリつけるって言ってんだからさ」
睦月も不機嫌な面持ちになって、英雄を睨みつける。
「んじゃ、英雄が睦月の事守ってやりゃいいんじゃね? ここでは睦月と双璧の腕前なんだしよ。その二人が組めば無敵ってもんだ」
「あー、それ結構いいアイディアかもねえ」
険悪な空気になった二人の間に田沢が割って入り、彰人もそれに同意する。
「嫌だよ……。何で俺がこいつなんかと」
小さく吐き捨てて、ぷいっと顔をそむける睦月。英雄もむすっとした顔で帽子を目深に被りなおし、そのまま口をつぐんだ。
「また睦月と英雄は喧嘩をしているのかね」
白髪をオールバックにし、口元に切り整えられた白髭を蓄えた、高級ブランドの背広を着た老紳士が現れ、穏やかな笑みを浮かべて声をかける。多数の皺が深く刻まれたその容貌は、どう見ても八十歳近いか、それより上と思われる。
「いよう、ボス。ただいま」
田沢が軽く会釈する。
「おかえり、田沢。アメリカはどうだったね?」
その田沢を見て老人が尋ねる。
この老人こそ、掃き溜めバカンスのボスであり、かつて米中大戦前後の時代には世界を股にかけて活躍し、最強、伝説、無敵といった呼び名を欲しいままにした伝説の殺し屋、加藤達弘である。
「まあそこそこ楽しんではきたさ。んでも、しばらく離れているとやっぱり日本が恋しくなっちまってさあ。それにラスベガスとかあの辺は、夜になると未だに出るらしくてよ。外出制限とかされてんだ、これが」
「出る?」
彰人が怪訝な声をあげる。
「バトルクリーチャーだ。米中大戦の時の名残だよ。アメリカも中国も大戦時に、互いの国に大量のバトルクリーチャーを放ってね。大戦が終結しても駆除しきれず、三十年以上経った今も、他の生物と交配した第三から第五世代の野生化したバトルクリーチャーが、両国の山野に生息している。遺伝子レベルで人を襲うようにプログラミングされているから、非常に危険だよ」
田沢の代わりに、加藤が答えた。
「私もあの時代、何度も悩まされたものだ。もっとも、当時アメリカで雪岡純子が制作していたバトルクリーチャーの製造法を奪い、中国へともたらして、バトルクリーチャーの造りあいを加速させた元凶は、他ならぬ私だがね」
「あはぁ、純子って、そんな時代から生きていたのか。見た目はアレだけど実際はババアなんだねぇ」
加藤の話を聞いて、睦月がおかしそうに笑う。
「さてと、実は仕事の依頼があってね。何人か出向いて欲しい。相手は肉殻貝塚という違法ドラッグ密売組織だ」
静かな口調で加藤が告げる。
「こりゃラッキーだ。しばらく遊んでばかりで体も訛っているから、俺参加ってことで」
と、田沢。
「田沢さんにしてみればラッキー、相手にとってはアンラッキーだわ」
彰人が笑みをこぼして言ったが、その笑みがすぐ消えた。
「最大にして最後のアンラッキーを作り出すのが、俺等の仕事だからな。因果な商売だ。でもまあ……この世の中には、必ず不幸な人間が出るようにできているからな」
うつむきながら、厳かな口調で彰人が言う。
「昔の俺や、現在進行形の睦月のような凶悪犯罪者もな。これもある意味不幸だ。きっと人間は皆生まれる前に神様が回すルーレットで、どういう奴になるか決められるんだぜ。金持ちで幸福な奴に当たる奴もいれば、犯罪者に当たる奴もいる。全て運命のルーレットで決められているんだよ。朝のあの番組見てつくづくそう思うわ」
と、彰人。
「何かと思えば朝のテレビの話なのぉ?」
彰人の話を聞いて呆れる睦月。
「その考えには同意できる部分もあるけれど、やっぱり否定したい所だねえ。ありふれた言葉だけれど、運命は切り開くものってさあ」
複雑な表情になって睦月は言った。表情には出さぬよう努力していたが、彰人の話に、かなり気分が悪くなっている。苛立ちと反感を覚えずにはいられない。
(世の中には覆せない悲劇があるし、生まれた時点での境遇の違いがある事を、誰よりも知っているけれど……それでも俺は絶対に運命なんかに屈しない)
皆に今の自分の顔を見せないように背を向けて、睦月は心の中で呟きつつ、奥歯を噛みしめる。
「相変わらずネガな話に繋げるやっちゃな、彰人は」
田沢の明るい声に場の空気が和んだ。彰人の運命論は、その場にいた全員がそれぞれ強く心当たりがあるものだった。あまりよくない意味で。
「まあ今の我々は幸せだろう? それなりに生き甲斐のある仕事ができて、衣食住の保障もあり、何より――くさい事を言ってしまうが、分かち合える仲間がいるじゃないか」
「ボスが言うなら、それはクサイって感じねーぜ。説得力あるさ。第一、クサかろうとその通りだしな」
場を締めるかのように言った加藤の言葉を、後押しする田沢。
(皆はそうかもしれないけれど、俺だけは違うんだよねぇ……)
一人背を向けたまま睦月は、田沢と加藤の言葉を心の中で否定していた。
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