第三章 26

「バトルクリーチャーが倒されました。そして雪岡純子が単身で、中に入ってきたようです」


 真鍋の報告に亜由美は険しい表情になったが、小池老人は顔色を変えず。

 彼等がいるのは、山中にある古い道場。はるか大昔に一族の者に使われていた鍛錬場である。緊急の際に隠れ家とできる場所として、ちゃんと定期的に手入れも成されている。


「ほほお。雪岡が引き連れていた者を置いて、一人でここに入ってきたという事は、何らかの交渉をするつもりではないかの」

「小池! 私は断じて雪岡に屈するつもりはありませんよ!」

「当主たる者、何が一族にとって最も大事かを、考えなくてはなりませぬ」


 亜由美が血相を変えて喚くが、小池は皺だらけの顔をさらにしわくちゃにして笑ってみせ、たしなめる。


「仮に我々が敗北したとあっても、それで一族を絶やすわけにはいかぬのです。恥辱に耐え忍びながらも、星炭の灯を絶やさなかった御先祖に申し訳が立ちませぬ」

「ううう……」


 小池の言葉に、亜由美はわなわなと震えて呻く。自分が主の代に、国からお役目御免を言い渡されるという醜態を晒しただけではなく、その元凶を討ち果たす事も叶わないという結果になるとは、断腸の想いだ。


「最早降伏しかありますまい。雪岡は我等と程々の所で手打ちにするつもりだったようで、同胞の命は極力奪っていないようでしての。どこぞに監禁されてはおるようですが。もしうまくいけば、芥機関無き今、我々を国家守護の任に返り咲くよう計らってくれるかもしれませぬ。雪岡はこの国の陰の権力者達との繋がりが、未だありましょう」

「わかりました。交渉は小池に任せます」


 昌子が聞いたらどんな顔をするだろうと、亜由美は拳を握り締めた。

 一族の全ての力を尽くしての戦い。それも手段を選ばず、兵士やバトルクリーチャーを仕入れたというのに、敗北したばかりか、その怨敵に頭を下げて政府に口利きしてもらう事になろうとは。


「それでは真鍋よ、雪岡に降伏の旨を伝えて、ここにお通しするのだ。丁重にじゃぞ」

「それには及びません」


 部屋の入り口にいた真鍋はにたりと笑って見せた。今まで一度として小池と亜由美の前で見せた事の無い、いやらしい笑み。そして部屋の中に入り込んで入り口を空ける。


「すでにお通ししております故」

「はーい、はじめまして、御当主さーん。そして小池さんは一昨日ぶりー」


 いつも通りの屈託の無い微笑みを浮かべ、白衣のポケットに手を突っ込んだ赤い瞳の少女が現われる。


「真鍋?」


 亜由美が訝しげに真鍋を見る。わけがわからない。すでに通していたという意味が、亜由美の頭では理解できなかった。真鍋が満面に勝ち誇ったような笑みを広げている理由も。


「真鍋、おのれは……!」


 流石に小池はどういうことなのか看破した。真鍋は雪岡純子と内通していたのだ。

 こちらの居場所が知られたり、襲撃を余地されていたりと、幾つか不審な点はあったのだが、裏切り者がいたとあれば全て納得がいく。


 しかも真鍋は、芥機関及び雪岡純子を討つべしと最初に主張し、その手筈を進めていた実質上の指揮官でもあった。己が星炭の実権を握るため、雪岡と手を結んで、わざと負けるように仕向け、その責を昌子と小池、さらには亜由美にかぶせようという腹積もりだったのであろう。

 だからこそ真鍋は、手柄を昌子に全て譲るようなスタンスを取っていた。己は一切の責を負うことなく、当主とその側近に責を負わせた後に、新たな当主になれるという構図だ。


「まあ、そういうわけでこのゲームは私の勝ちってことでいいよねー?」

「ゲームですって……」


 笑顔で口にした純子の言葉に、歯噛みする亜由美。


「そのようですな……しかし、まさか真鍋とグルとは思わなんだ。そして忠義者と思っていた真鍋が、不忠者であった事もな」


 一方で小池は自嘲する。所詮見抜けなかった愚かな自分達の罪だと、認めていた。


「君達が、考えられるあらゆる手を使ったように、私もいろいろ手を考えていたんだよねー。でも、外国から傭兵雇ったのはいいけれど、彼等をゾンビ兵士みたいにしたのは、返って戦力ダウンだったと思うよー。せっかくの歴戦の兵も、思考力低下しちゃってる分、弱くなってるし。それにあんなことしたら、そこら中に敵作るようなものだしさー」


 純子は真鍋に一瞥をくれる。


「まあ、種明かしすると、傭兵やバトルクリーチャーを仕入れるように、その人に頼んだのも私なんだー。私の作った生物兵器が、優秀な兵士やバトルクリーチャーに勝る程の力があるかどうか、それを実戦で性能チェックする必要があったからねー。で、それを買い手のお客さんに見てもらう必要もあったしさあ」

「これで星炭流呪術の実権は私のものに。あとはこの者達さえいなくなれば、ね」


 にたにたと笑いながら言う真鍋の言葉に、愕然とする亜由美。ようやく彼女にも筋書きが読めた。真鍋が雪岡純子と手を組んだ理由は、雪岡純子に、星炭の実権を握る当主たる自分を殺害させるためだと。


「んー、そうだねえ、今まで私にいろいろ情報漏らして、私の言う情報を星炭の人らに流してもくれたから、そのお礼はしたいところだけれどねー」


 言いながら純子は真鍋に顔を寄せ、その喉元に手をやる。


「でもさあ、私ねー、基本的に嘘つく人とか裏切る人って信用しないんだー」


 いつもの屈託の無い笑みを満面に浮かべたまま言うと、純子の白い手が、真鍋の首を豆腐にでも突き入れるかのように、易々と貫く。


「ふぇ……? ひゅっ……」


 噴水のように血を撒き散らしながら、真鍋は一瞬何が起こったかわからない様子で、声にならぬ声を漏らし、自分の喉不覚に手を突き入れる、美しく可愛らしい少女を見下ろす。

 少女は相変わらず愛くるしい笑みを浮かべていたが、その笑顔のままで自分を殺したのだと気付いた直後、真鍋は絶命して崩れ落ちた。


「嘘つきはこの世に私一人だけで、十分だと思うからさー」


 白衣と白い肌を返り血で汚しながら、笑顔のまま死体を見下ろして言い放つ。


 純子が真鍋をあっさりと裏切り、躊躇いなく殺した事に対して、小池は戦慄した。あまりにも邪悪で外道な行い。しかもそれを無垢そのものの笑顔で行ったことが、心底恐ろしかった。

 戦慄はそれだけに留まらなかった。純子の白衣と新雪の如く白い肌に付着した返り血が、赤い霧状になって舞い上がったかと思うと、そのまま霧散する。白衣と肌には一点の染みすら残っていない。

 目の前にいるのは、見た目こそ少女だが、人智を遥かに超越した存在なのだと、小池は息を呑む。


「星炭の一族に生を受けて百三年、様々なものを見てきたが、貴女の存在はそのどれよりも常軌を逸している」

「んー、私なんかそんなにたいしたもんじゃないよー。てゆーか、たかが百三年でさー、どれだけの事が悟れるっていうのよー。その十倍以上生きている私だって、世の中わからないことだらけだっていうのにさぁ」

「十倍以上じゃと……はははは、さしずめ貴女から見れば、わしは皺だらけの坊やといったところか」

「まー、とりあえず今後の事を話そうかー。君達には商品テストに付き合ってもらった事だし、処遇もそれなりに考えてあげていーなーとは、思ってるんだよねえ」


 純子の言葉を、亜由美は素直に受け取る事はできなかった。たった今、内通していた真鍋を笑いながら殺したのを見たばかりである。こんな悪女を信用できるわけがない。


「栄誉ある国家守護の任に返り咲く事こそが、我々の悲願です。政府とも繋がっている貴女の後押しがあれば、それは有り難い事ではあります。我等にそのような取り計らいをしてくださるのでしたら、星炭流呪術は貴女への永劫の忠節を誓いましょう」


 恭しく告げると、小池はその場で膝をつき、純子の前で土下座した。亜由美も唇を噛み締めながら、小池に倣って床に頭をつける。

 一族にとって最良の選択肢は最早、恭順しかない。そもそもの発端からして、自分達の矜持の所為だ。それは亜由美も重々承知しているし、謝罪と恭順で丸く収まるなら、それで収めるしかない。


「んー、そんな堅苦しくしなくてもいいよー。私は別に何も気にして無いしー。でもせっかくだからこの際ついでに、もう一つ私が作っている物の実験に付き合ってもらってもいいかなー。その実験が成功すれば、君達の力で霊的国防も果たせるっていう一石二鳥な発明品なんだー」

「我等の願いを聞き届けてくださるのであれば、如何様な要望であろうと一族をあげてお応えします」


 純子のいかにも怪しくも都合のいい要求に、しかし小池は躊躇うことなくそう答えた。

 マッドサイエンティストによって、一族の者が実験台にされて殺される事も当然想定していたが、これまでの星炭の艱難辛苦の歴史を振り返れば、その程度の犠牲を払う事も致し方ない。


「よーし、交渉成立だねー。それじゃあ早速、一族の人全員連れて、私の研究所に来てねー。あ、殺さないで生け捕りにしてある人達も、すでに研究所に行ってもらっているからさ。何人かは真君が殺しちゃったみたいだけれど、まあその辺は御愛嬌ってことで勘弁してねー」

「全員ですか……」


 小池は背後にいる亜由美を一瞥する。予想通り不安そうな面持ちでいる。一族の長である彼女も当然連れて行くという事なのであろうが、一体何をするというのであろうか。

 小池も正直な所不安であった。こちらにも便宜を図ってくれるとは言っているのだから、一族の者が皆殺しにされるような憂き目には合わないと思いたい。

 その約束とて反故にされないとは言い切れないが、復権を目指す限り、今の星炭流呪術には純子に従う以外の選択肢は無かった。


***


 中村國男には幾人もの仲間がいた。美穂達とは違う、仕事上での仲間が。

 彼等は芥機関で國男と同じように、超常の力を引き出すためのモルモットにされていた。

 運よく超常の能力に覚醒した者もいれば、命を落とした者もいた。だが最終的には自分以外は全て、芥機関の崩壊と共に命を落としたと、國男は確信している。


 國男が所属している武器密売組織『車椅子の七節』は、芥機関に出入りしている雪岡純子の目的が、車椅子の七節の商売敵である、世界最大の武器兵器製造企業にして密造密売組織、妊婦にキチンシンクに販売するために、人間をベースにした量産型の生物兵器を作るためであると突き止め、その秘密を探らんとして、何人もの工作員を芥機関に放っていた。

 あわよくばその製作法を事前に知るために。そして運よく、國男は雪岡純子の実験台として選ばれた。


 組織のミッションは國男自身の組織への帰還で果たされる。芥機関の崩壊後も、星炭流呪術などという輩との妙な騒動に巻き込まれて、逃れる隙が無かったが、今や完全に芥機関からも雪岡純子からも解放された状態となった。

 人が超常の能力を得るには、純然たる偶然か、幼少から術師としての訓練を積むか、人為的に抑圧をかけてなお偶発によるものだけである。

 しかし雪岡純子は確実かつ低リスク低コストで、どんな人間であろうと、限定された種類の超常の力を一つだけ、付与する方法を編み出した。國男自身がその成果であり、組織に帰れば、國男の体からその術を割り出せるはずだ。つまり、國男と同じ能力者を量産できる。


 車椅子の七節は古くから違法武器の製造販売を生業としていて、テロリストや犯罪組織等を上客にしていたが、妊婦にキチンシンクが雪岡純子と契約を結んで、ユキオカブランドの武器兵器を販売するようになって以来、売り上げが伸び悩んでいる。

 もし仮に妊婦にキチンシンクを出し抜いて、同じ生物兵器を先に売り出す事ができたら、車椅子の七節にしてみれば、大きなアドバンテージを得ることになる。


 國男は物心ついた時から車椅子の七節の工作員としての教育を受けていた。皮肉屋で、上司との衝突も耐えないが、組織に対してはさし不満も無い。

 今回のような理不尽な任務も、楽しみとして消化する気構えを持っている。

 たとえ組織を抜けたとしても、行き場など無いのだ。表通りの平和な世界に行った所で、自分が幼少の頃より仕込まれた工作員としての技術の数々は何の役にも立たない。

 それならば悲観する事無く、自分に与えられたこの運命を少しでも前向きに楽しもうと、國男は割り切っている。何しろ刺激だけなら腐るほど得られる。


 芥機関の崩壊後の星炭流呪術との戦いが何を意味するか、國男は全て知っていた。

 自分達がどれほどの力を有するか、星炭流呪術という集団との戦いによって、そのデータを取られていた事も。

 また、その様子を妊婦にキチンシンクに見せられていた事も、組織の上から聞かされて知っていた。


 だからこそ急がなくてはならない。隙を見て途中で逃げ出すべきではあったが、美穂達を見捨てる事に気が引けたために、最後まで付き合ってしまったのだ。

 純子がまさかあの場で自分達を見逃すとは思わなかった。何故純子が自分達に自由を与えたのかは理解不能だ。

 まさか本当に役目が済んだとして、慈悲をかけて解放してくれたのだろうか? そういう気まぐれの善行も行う人物との噂だが、いずれにしてもまだ油断はできない。


 すでに日は暮れた。タクシーを何台も乗り継ぎ、徒歩や電車での移動も用いて、遠回りに街から街を移動して渡り、組織の支部へと向かう。念入りな移動。

 何しろ裏通りでも生ける伝説とまで言われている雪岡純子の下から、彼女の研究の秘密を持ち帰るのだ。車椅子の七節の一員とは決して悟られないように動かないとならない。


 純子がいなくなって、解散宣言が出された今こそが、待ちに待ったチャンスである。

 だが同時に不安でもあった。ひょっとしたら純子は、自分の正体も見抜いたうえで泳がしているのではないかと。

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