第三章 25

 かつて真は純子より教わった。人間の感情も電気信号であり、それらは電磁波となって放射されていると。所謂人の気配というものも、微量な電磁波の放射であると。

 生物は動きがあると、それにあわせて電磁波を発生させる。特に殺気に関しては、明瞭な電磁波が生じる。野生動物はこの電磁波に敏感に反応して、素早くその場を離れるらしい。裏通りの住人も同様に、気配を最小限抑える術と、それを肌で読み取る感覚を磨いている。


 今から五年前――真はこの世界に堕ちてきたばかりの頃、純子によって周囲の空間の微量な電磁波を読み取るという訓練を繰り返し行われた。

 最初は何が何だかわからなかったが、実戦でもって真はその意味を知ることになる。

 結果、真は周囲の微量な電磁波を読み取り、潜んでいる者の位置も動きも読み取れるようになった。


 和洋折衷な内装のあばら家。埃だらけで何年も人が立ち入ってないのがわかる。

 そして星炭の呪術師達も、屋敷内での移動は最小限にしているようで、廊下も床も埃が溜まっている状態なのがわかる。


 しかし埃が薄く、足跡がはっきりとついている場所に踏み込んだ時、真は無数の気配を感じ取った。

 襖の向こうに、真は確かに相手の存在を感じ取る。相手が立っているか座っているかさえも、真には察知できる。頭部の位置までわかる。

 気配の数だけ、サイレンサーを付けた拳銃の引き金を引く。倒れる音。襖を開くと、黒い着物姿の男女が三人、頭部を穿たれて血と脳漿を畳の上に撒き散らして倒れていた。


 少し離れた場所から、杏は真が襖も開けずに室内に銃弾を撃ちこむのを見ていた。本当に自分の助けなどいるのだろうかと、杏は疑問に思う。すでにこれで十一人も殺害している。自分など、もしもの時の保険程度なのかもしれない。この分だと真一人で全て済ましてしまいそうだ。


「屋敷内にはもういないかもな」


 真が拳銃をしまい、サブマシンガンを取り出した。星炭の潜伏場所である屋敷に忍び込んで、不意打ちをかける形で一方的に始末していったのだが、屋敷内は一通り巡った。


「入れ違いでまだいるってことは?」

 杏の問いに、真は少し間を置いてから答えた。


「もちろん有りうる。そうなると……」


 その先を何と言おうとしているのか、杏にはわかった。

 敵は超常の領域の力の使い手ではあるが、それを差し引けば戦闘者としては全くの素人だ。術など使わせる間も与えず、気配の察知に長けた真が一方的に仕留めていった。

 敵にもこちらの気配を察知したり予知したりするような力を持った者がいやしないかと、警戒した杏だったが、それはどうやら杞憂で終わったようだ。しかし星炭の呪術師が襲撃に気付いて、反撃や奇襲してきた場合はどうするのか?


「殺すななんていう、雪岡の戯言なんか、もう聞いてられないしな。奴等を実験素材にするのなら、もう十分な数を回収できただろう」

「回収は『恐怖の大王後援会』がするって言ってたけれど、ここにも来るんじゃないの?」

「ああ、雪岡が雇ったはずなんだが……。まあ居場所を教えずに皆殺したと言っておけば、来ないとは思え……」


 喋っている途中に、真は複数の気配が動いているのを感じ取り、気配のした方向に向かってサブマシンガンを構える。

 相手の位置や距離まで、真はほぼ把握できる。もちろん動きも。

 ビードロの障子を素早く音も無く開けると、手入れをする者もいなくなった庭へ移動する。外はちらほらと雪が降り始めている。


 一瞬だけ振り返り、真は杏を一瞥する。それだけで杏も真が何を言おうとしているのか理解した。自分は庭には出ず、屋内からの襲撃を警戒してほしいということだろう。


 やにわに銃声が響いた。真のものでも杏のものでもない。真は完全に先手を取られる形であったが、それでも本能と反射神経だけでもって銃弾の弾道を読み取り、大きく横っ飛びに飛んで回避する。


「速い」


 呟く真。一瞬の殺気を感じた後、相当な速撃ちでもって銃撃された。かなりの腕前を持った相手だと認める。


 気配のする方向を見ると、庭の奥に、見た目は真より少し年上くらいのおかっぱ頭の少女が、歪な笑いを顔に張り付かせ、銃口を真に向けていた。

 今まで散々見てきた、白い星の刺繍が縫われた黒い着物。星炭の術師には違いないだろうが、術でなく銃でもって戦いを挑んできたというのが、杏の目から見ても気になる。彼らの中にも銃の扱いに長けた者がいたという事だろうか。


「よくも……我等の同胞を何人も殺めてくれましたわね……」


 雪岡純子と芥機関への調伏において、全権を委任された江川昌子は、怒りに満ちた視線を真に浴びせる。


「殺された方が世のためになるんじゃない? あんた達みたいなのは」


 傭兵を雇い、彼等を騙して生ける屍の兵に作り変え、さらには死後も霊の状態で縛って利用するという行いを思い出し、杏は嫌悪を露わにして言い放つ。

 裏通りでも――いや、裏通りであるからこそ、最低限の仁義や、踏み越えてはならない一線というものがある。それをこの連中は明らかに越えている。


「怨霊を作るなら、自分達の中から作ればいいじゃない。そうせずに、他人の命を利用して、命を奪った後にその霊さえも道具にするあなた達には、反吐が出るわ」

「昔はそうしていましたよ? 呪え呪え全てを呪えと唄いながら一族の者を老若男女問わず責め殺し、その霊を用いて呪術を行使しておりました。が、ある程度力を得てからは、何も一族の者を使わずともよいとして、世に吐いて捨てるほどいる凡夫を使ってさしあげることにいたしましたの」


 吐き捨てる杏に、憎憎しげな笑みを広げ、そう返す昌子。


「まあ、雪岡も同じようなことをしているしな。そして僕はそんな雪岡の下で働いているし、同類だから、その辺はとやかくは言わないよ」


 抑揚に乏しい声で言うと、真は素早く左右に動いてフェイントをかけながら、昌子に向けてサブマシンガンを撃つ。

 昌子はその場から全く動こうとせず、ただ銃を撃ってのみ応じた。

 裏通りの住人とは思えない反応に、杏は細い目を丸くする。遮蔽物の無い空間での銃撃戦では、その場に止まらず動き回るのが常だ。さもなくば、ただの的になってそれで終わる。

 動きつつ、コンセントにより研ぎ澄まされた視覚と第六感によって、相手の動きと弾道を予測しあう。だが昌子はその場に仁王立ちのまま、ただ銃を真に向けて撃っていただけだった。


 杏は昌子の死を確信していたが、昌子は倒れていなかった。笑いながら真を睨みつけている。その口の端からは涎すら垂れている。


「どうして?」


 杏が呻く。何故死んでいない。血の一滴すらもこぼれていない。防弾着を着込んでいるにしても、ノーダメージというのは有り得ない。そもそも服に穴一つ開いていない。


「銃弾を銃弾で弾いたんだろう」

 さらっと口にした真の言葉に、杏はさらに驚いた。


「いくらなんでも、そんな事できるわけ……」

「できるよ。コンセントを二錠飲めばな」


 三度目の驚き。息を呑んで杏は昌子を見た。

 コンセントは二錠服用すると、一錠の数倍の効果が得られ、人間離れした戦闘力を得られるという噂があるが、副作用でもって高確率で廃人となるため、追いつめられた時の禁じ手の一つとなっている。

 この世界は長い杏だが、二錠服用した者を見た事は無いし、それによって敵の銃弾を自分の銃弾で弾いて防ぐなどという、化け物じみた芸当ができるなどとは知らなかった。それもサブマシンガンから続けざまに吐き出される弾丸までをも。


「術ではなく、そういう手段で来たか。まあ今まで散々術を用いて、それで倒せなかったわけだから、それもありだろうが」


 言いながら、真は杏の方に一瞥をくれる。


「ただし、多角的な銃撃には対応できないという弱点もあるんだ。というわけで、杏はこいつの側面から撃ってくれ」

「わかったわ」


 淡々とした真の言葉に杏は頷き、昌子は顔色を変えた。昌子からしてみればとっておきかつ命がけの最後の手段だったにも関らず、真は全くの冷静な対応。

 次の瞬間、昌子の意識は途絶えた。真からの銃撃は全て防いだが、杏の方に銃口を向ける間は無く、側面から眉間に銃弾を喰らって、横向きに倒れていく。


「弾を弾で弾くなんて芸当にこだわらず、素直にかわしていればよかったんだ」

 昌子の骸を見下ろし、少し呆れ気味に言い放つ真。


「ねえ、あなたも今まで二錠服用したことがあるの? 随分と詳しいみたいだけれど」

「無いよ」


 杏の方を向いて真は一瞬だけ、文字通りほんの微かにだけ、微笑んで見せた。


「以前、二錠飲んだ奴で、同じ事をしてきた奴が何人かいたのを見ただけだ。まあ、杏がいてくれて助かったよ」


 初めて名前の方で呼ばれて感謝され、杏は首から上に血が上るのを感じて、思わず真から顔を背けた。


「あいざわあっ!」


 と、昌子の死体から絶叫があがって、杏は驚愕して身構える。いや、叫んだのは死体ではない。亡骸から抜けでた昌子の霊だ。とても少女のそれとは思えない、悪鬼の形相を真に向けている。


「死んでも霊となって相手に襲いかかる術をかけていたという事か。一応、予測済みだが」


 憤怒に満ちた昌子の霊に向き直り、全く動じた様子を見せずに真は言う。


 真は全く避ける様子を見せない。霊に向かって右腕を突き出したのみ。昌子の霊が真と接触しようとしたその刹那、昌子の霊は弾け飛ぶ。

 護符を直接ぶつけたのだろうと、杏は見てわかった。護符によって張られている結界すら耐えられるほど、昌子が強い怨霊と化したと見なして確実に葬るために、護符による直接攻撃を見舞ったのだ。


 しかし、昌子の霊はなおも消えていなかった。苦しそうに宙でのたうっていたが、しばらくすると動きを止め、再び真と杏を見据える。


「ほ、しず、みの、う、らみをお、もい、しれ!」


 聞き取りづらい声で叫ぶと、再び真に襲いかかる。真にはすでに護符は無い。杏の分で倒せなければ打つ手は無い。


 真をかばうかのような格好で杏は真の前に飛び出ると、至近距離から護符を昌子の霊に投げつけた。

 断末魔の声をあげ、昌子の霊は霧状になって消えた。それを見て杏は胸を撫で下ろす。


「これも予測の範囲内? 今ので倒せなかったらどうしていたつもり?」

 小さく笑ってみせる杏。


「そうなったら走って逃げるしかなかったかな? 今度は護符を山ほど貰っておくか」


 と、喋っている最中に携帯電話の振動を感じ、真は周囲を警戒しつつもディスプレイを投影し、メールを確認する。


「やられた。雪岡の方が敵の頭がいる本拠地にたどりついたらしい……」


 携帯電話をしまい、杏の方を見て小さくかぶりを振る真。


「これでおしまいってこと?」

「ああ、ゲームは僕の負け。後は雪岡が全てカタをつけるだろう」


 全く予期せぬ、あっけない幕切れ。敗北宣言。狐につままれたような、というのは今のような時の事を言うのかと杏は思う。

 真は表情にこそ出さないが、悔しさというより諦めて割り切っているように杏には見てとれた。


「もっとも、僕にはまだやる事が残っているけれどね」

「やること?」

「悪いけれど、教えられないんだ。星炭に関してはもう終わったものとして見ていい。樋口にも、意識が戻ったらそう伝えておいてくれ」


 全ての真実を確かめたいという性分の杏には、真の言葉は不満であった。

 何をするのかこっそりついていって見届けてやろうかとも思ったが、この相手に気付かれずに尾行できる自信は全く無いし、それで信用を損なう方が怖いのでやめておいた。

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