第三章 24
星炭流呪術の一族は、この戦いが始まる前にあらかじめ複数のアジトを用意し、それらを転々と回っていた。また、一箇所に一族の者全てが集まるわけでもなく、三組に分かれていた。
当然ながら、当主たる星炭亜由美のいる方には、最多数の者が行動を共にし、術師もそれなりに精鋭が配置され、さらには一族の間からも出た反対意見を押し切って、頼れる守護者も仕入れてある。
だがそれらは最悪の事態に備えてのものだ。あくまで、亜由美の居場所は知られないようにする事が前提だ。
「小池さんっ、雪岡純子とその子飼いの芥機関の者共が、すぐ側まで接近していますっ」
そのため、真鍋学よりその報告を受けた際、さしもの小池も驚かずにはいられなかった。
「どうやってこの場所を知る事ができたの!? 我々の対遠視結界を潜り抜ける程の遠視術の使い手がいるとでも!?」
亜由美が非難するかのように声を荒げる。
「そうした力を持つ者と、つてがあったとしても、別段不思議ではないでしょう」
驚きを押し殺しつつ、冷静な口調で小池。
「真鍋が皆の反対を押し切って仕入れておいたあれが、役立つ時が来たというわけですな。こうなれば腹を据えるしかないでしょう」
「皆さんを信頼していますよ」
緊張しきった面持ちで、しかし精一杯当主としての威厳を繕いながら言い放った亜由美の言葉に、小池と真鍋は恭しく頭を垂れた。
***
「奴等のアジト、特定できたわ」
携帯電話からのメールを確認し、杏が真の方に顔を向けて告げる。
「累からだ」
同様に携帯電話に目を落とし、真も杏に一瞥をくれて告げる。
「累も情報屋に聞いて、おおよその場所を探ってくれたらしい。そして幾つか候補があるそうだ」
「あの子も来てくれれば助かったのにねえ」
累の性質的に無理だということも承知のうえで、そう口にする杏。
妖術師だという話は聞いていたが、未だに杏には全く実感がわかなかった。喋るのが苦手な、芸術を愛でるピアノ弾きの引きこもり美少年という印象しかない。
「確かにすごい力を持っているんだけれど、精神的にちょっと……な。つい最近まで、結構ひどい欝状態で、部屋に籠もりきりだったんだ。周期的におかしくなるらしい」
「ああ、それで顔見せなかったのね。って、見舞いとかで、あの子の家へ行ってたの?」
よかったら自分にも住所を教えて欲しいと、続けて言おうとしたが、
「見舞いも何も、一緒に研究所に暮らしているし。家族みたいなもんというか、まるっきり家族だな」
真の言葉に、杏は細い目を丸くした。
「どういう関係なの? 貴方達」
「累と雪岡の繋がりは僕にもよくわからない。僕が研究所に住み込む前からいたようだし。まあ別に興味も無いというか、詮索するのは趣味じゃない。樋口と累が知り合いだったの完全に偶然だよ。もちろんあんたとも」
本当に興味が無さそうな口ぶりの真。
「私は大いに興味あるけれどねえ。まあそれはともかく、早速奴等のアジトに乗り込むの?」
「そのつもりだけれど、どうやら奴等は一箇所に全員集まっているわけではなくて、三組程に分かれて集まっているらしい。どこが本陣までかはわからないとさ」
「私が聞いたのも三箇所よ」
転送されてきた画像を真に見せる。
「僕が聞いたのと同じだ。あたりが一つ、はずれが二つ。司令塔にうまく着けばいいが」
「累が雪岡純子に情報漏らすってことは?」
「もちろん累には、雪岡には教えるなと言ってある。まあ、そんな釘を刺さなくても、雪岡が今回の件で累の力を借りるという可能性は低いと思うけれど」
「雪岡純子がすでに星炭のアジトを突き止めている可能性は?」
「ある。もしも現時点でそうなら、ゲームは僕の負けだな」
整備していた銃を手早くバッグにしまい、立ち上がって制服を着込む真。
本気で真は、星炭など眼中に無いように見える。
本人の言う通り、雪岡純子とのゲームとやらを楽しんでいるのか、さもなくば雪岡純子から与えられた仕事を楽しんでいるかのようだ。表情こそ乏しいが、杏にはその感情が見えてしまう。
「さて、準備も済んだ事だし、行くとしよう」
「私が具体的に出来る事は?」
「僕がメインで戦うから、遠くから援護してくれればいい。それだけでも十分助かる」
「わかった」
今まで通りの楽なポジションではあるが、自分の持てる力の限りを尽くしてやり抜こうと心に決め、杏は頷いた。
***
亜由美の下にいる術師は、小池と真鍋も含めて十五名。他は昌子の下に十一名。別働隊が八名。六十八名いた一族の者は、三十五名にまで減ってしまった。
それだけの犠牲を払っても、星炭側の成果は、雪岡純子の殺人人形と呼ばれる刺客を倒しただけ。
普通に考えれば割に合わないが、亜由美も昌子もそうは思っていない。たとえ一族の者が片手で数えられるほどでも残っていれば、それは祝うべき勝利であり、一族の復権へと繋がると信じて疑っていない。
もちろん、一族の者に犠牲が出ないに越した事は無い。また、戦力が多ければ多いに越した事も無い。だからこそ真鍋の提案に従い、海外から傭兵を仕入れたり、この兵器を仕入れたりしたわけだ。
「これは……何なの?」
目の前に現れたそれを前にして、美穂はこれまでとはまた違った恐怖を覚えた。
化け物としか形容できない異形のそれは、同時に、確かな生物でもあった。カブト虫のような光沢のある黒い甲殻で覆われた、トカゲに似た奇怪な生物。身の丈だけでも2メートル、頭から尻尾までは5メートル以上はありそうな巨体。頭から無数の長い角が生え、口からは鮫のようなギザギザの無数の細かい牙が覗いている。
「バトルクリーチャーだな」
恐怖のあまり蒼白になっている美穂とは対照的に、國男が余裕に満ちた表情で、その異形の存在の正体を告げる。美穂だけではなく、武郎も息を呑んでいるにも関らず、國男だけ全く驚いてもいなければ、恐れてもいないといった様子だった。
「こんなものまで仕入れているなんてねー」
純子もいつも通りの、緊張感の無い声を出している。微笑みもいつも通りだ。目の前に現れた化け物をまるで面白がっているかのようですらある。それを見て美穂はほっとした。純子さえ余裕を見せているのなら、大丈夫であろうと。
バトルクリーチャーとは、この時代の戦場では必ず御目にかかれる生物兵器である。火力と装甲こそ通常兵器には劣るものの、破壊力と機動性に優れ、何より低コストで使い捨てが可能という利点がある。
特定の生物を改造したものと、遺伝子レベルから造ったものとの二種類があるが、現在はより低コストである後者が主流だ。
動物愛護団体は当然の如く目の仇にして禁止を叫んでいるが、動物愛護の精神が戦争の勝敗より優先されるはずも無いため、聞き入れられた例は一度も無いし、今後もきっと無いであろう。
「武郎君は近づかないようにねー」
「そりゃ俺も近づきたくないけれど、俺がいかなくて平気なの?」
純子の意外な指示に、武郎は目を丸くする。
「バトルクリーチャーにはいろいろなタイプがあるからねー。もしも強酸で兵器を溶かす類のだと、いくら再生力強い武郎君でも危ないよー。だからここは一つ――」
と、純子は國男の方に顔を向け、にっこりと微笑んだ。
「國男君の力でもってのみ、処理した方が無難だと思うんだー」
「俺のかっ?」
指名されて、上ずった声をあげてしまう國男。
「重火器でも持ち合わせてないかぎり、何をしでかしてくるかわからない生物兵器を相手にするなんて、危険極まりないよ。そうなると、使い方次第では重火器を凌駕する國男君の力で対抗するのが最もいい選択肢だからねー」
「そ、そうなのかなー……」
「ていうか、もう喋ってる暇は無いんじゃない?」
美穂がバトルクリーチャーを凝視したまま言う。その直後、トカゲそのものの動きで、バトルクリーチャーが飛びかってきた。
巨大な不可視の塊を作り出し、高速でトカゲモドキに向けて当てる。見えない何かにカウンターで弾き飛ばされ、地面に叩きつけられる。頭から生えた角が何本か折れたのが見てとれた。
「他にも敵が潜んで機会を狙っているかもだから、警戒は怠らずにねー」
間延びした声で注意を促す純子。
美穂は気配を探る。確かに近くに何人かいる。しかしすぐには仕掛けてくる気配は無い。きっと隙を狙っているのだろう。
「とばすぜ」
不敵な笑みを浮かべると、國男は幾つもの不可視の力場を、バトルクリーチャーの周囲に作り上げた。前後左右、頭上にも。一気に圧殺する構えだ。
「きた」
美穂が呻く。霊が飛来してきたのがはっきり見えた。薄暗い林の中とはいえ昼間だ。霊の力が明らかに弱いのが、美穂にははっきりとわかった。
もっとも実際には霊が弱体化したわけではなくて、こちらの抵抗力が強いのだ。暗い場所や、じめじめした不気味な場所、何よりも夜の闇の中でこそ、怨霊や悪霊はその危険度を増す。陰鬱な気持ちや恐怖心が、人の心を弱らせて、霊に憑依されやすくするからだ。
いつもより美穂は力を使わずとも済んだ。それどころか防御だけではなく、攻撃に転ずる余力すらあった。
人を傷つけることに躊躇する気持ちが出てしまうのをこらえつつ、向かってくる霊を思念で払い、さらには霊を差し向けた術師の精神にも、思念波を放つ。万力で相手の締め上げるようなイメージを思い浮かべる。
術者の恐怖が美穂にも伝わってきた。しかし容赦はしない。そのまま相手をねじきるイメージを思い浮かべると、術者は失禁しながら崩れ落ちた。気絶させただけで外傷は無い。目覚めるまで悪夢にうなされるかもしれない程度だ。
霊がいなくなったのを見て、武郎が躍り出た。テレパシーで美穂から指示をもらい、術師の潜んでいる場所めがけて突進する。
星炭に生を受け、霊を行使する術だけを磨いてきて、それ以外には何の能も無い術師達は、成す術なく武郎に倒されていく。武郎が七人ほど倒した所で潜んでいた術師の気配が全て消えたのを、美穂は感じとった。
一方で國男も、バトルクリーチャーを難無く仕留めていた。
機関銃の弾丸にすら耐えられる甲殻を持つ生物兵器が、不可視の力の衝突によって内臓破裂を起こし、口から夥しい体液を撒き散らし、さらに両目も飛び出て、潰れた頭からは脳漿が大量に飛び散った。
「ふー……どれだけ頑丈な相手かわからないから、おもいっきり力を使ったけれど、ここまでしなくてもよかったな。豆腐を潰すみたいな感触だったぜ」
「気持ち悪い事言わないでよ」
額から汗を垂らし、肩で息をしながらへらへらと笑いながら言った國男に、美穂が顔をしかめる。生物兵器の無残な亡骸を一瞬だけ視界にとらえ、慌てて目を背けた所でそんなことを言われたのだから、たまったものではない。
「ふう。終わったねー。おつかれさままま」
「え?」
純子の言葉に、美穂は訝しげな面持ちになる。美穂だけではなく、他の二人も同様だ。
「これでめでたしめでたしだよー。敵の主力は潰れた感じだしね。もうやれる事は無いと思うよー。皆ももうこれで晴れて自由だよー」
「いや……てっきり敵のボスキャラとか出てくるのかと思ったけれど」
「ゲームじゃないんだしさー。まあ強いて言えば、今のがラスボスかなー」
意外そうな武郎に、純子がいつもの微笑みを浮かべたまま告げる。
「あとは、こないだのおじいちゃんと交渉すれば、それで済むと思うんだよねー。戦争だって、敵国の人間をみんな殺しちゃうわけじゃないでしょー? ある程度戦力を奪って、あとは要求を突きつけるっていう形で、手打ちにする感じだよ。もう星炭の戦力はほとんど残っていないだろうから、あとは私がこの先に一人で乗り込んで、話をつけてくるよー」
「そんな、一人でなんて!」
顔色を変え、抗議の声をあげる美穂。
「大丈夫だよー。私だって自分の身を守るくらいならできるし、それにあえて一人でいった方が、向こうも手打ちにする方向で、受け入れやすいんじゃないかなーと思うし。今までずっと君達に戦わせて、私は後ろであーだこーだ言うだけだったけれど、最後くらいはきちんとシメないとねー」
「でも万が一ってこともあるし……やっぱり一人でってのは」
「そうよ。あんな奴等、信用できないわ」
武郎と美穂が食い下がる。
「いや、純子には何か考えがあるんだろう。ここは彼女に任せるべきだ」
そう言って制したのは、國男だった。
「俺達がいたら交渉とやらの邪魔なのかもしれないしな。今まで俺達は純子の事をずっと信じて行動してきた。そうしたら全て上手くいっただろ? だから今度も、任せるべきだし、従うべきだ」
「ありがとさままま、國男君。まあ、ここでとりあえず解散にしておこー」
純子の唐突な言葉に、美穂と武郎は驚いた。しかし國男は、まるでその言葉を予期していたかのように、顔色を変えていない。
「私がきっちりとかたをつけてくるからさー、心配しないでー。皆はもう、日常に帰るべきだよー」
「俺は帰る日常なんて無いけれどね」
自虐的な笑みを浮かべて武郎。
「もちろん、表通りに帰りづらいって人は、別に君達が得た能力を活かして仕事してもいいと思うんだー」
優しい声音で純子。
「いろいろ世話になったね……純子」
改めて純子の方に向き直る美穂。
「いやー、私は私で君達のおかげでいろいろ助かったよー」
満面の笑顔と共に、純子が三人の方に向かって手を差し伸べる。一人一人、想いを込めて純子の上に手を重ねていく。
最後に美穂が純子の手を握り、目頭に熱いものを感じつつ、純子に抱きついていた。
親に甘えた記憶もほとんど無く、大家族の長女として気張って生きてきた美穂にとって、初めての感覚――姉か母親に甘えるような感覚を、純子に対してずっと抱いてきた。
自分を温かく見守ってくれる存在。慕える存在。生きていて、そうした者と巡りあえることがある事自体、考えていなかった。日常に早く帰りたいと思う一方で、非日常の中でそうした人物と出会い、同じ時間を過ごせた事には素直に感謝する気になれる。
名残惜しそうに美穂が離れ、純子が皆に背を向けた所で、國男が意味深な笑みを浮かべた事に、誰も気付かなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます