第三章 27

 仮面の宴は終了した。鳥の仮面をつけたタキシード姿の男と、妊婦にキチンシンクの大幹部である霜根太一以外はすでに退席している。二人だけが円卓で向かい合って、会話を交わしていた。


「妊婦にキチンシンクは政府と契約を結んだそうですね。雪岡さんは芥機関を破壊したあげく、政府ではなく、妊婦にキチンシンクに販売権を譲渡したあげく、妊婦にキチンシンクで製作した超常兵器を政府に売却するという形になるわけですか」


 グラスに自らの手でワインを注ぎながら、鳥の仮面をつけた男が言う。


「彼女は政府と疎遠気味になっていましたし、義理を通す必要も無かった。もちろん政府も芥機関を壊した原因の一端が、雪岡純子にあることも知っているでしょう。だからといって雪岡嬢の罪を問う程、愚かでもない」

「政府すら手出しできぬと?」


 霜根の言葉を聞いて、鳥面の男の声に微かに驚きの響きが混じる。


「体面の維持と罪科を問う事を天秤にかけた場合、見て見ぬふりで済ませられる、という事です。元々あの施設も雪岡嬢が創ったものだし、国家への貢献も十分にしてきた。施設そのものの代わりが欲しいければ、また造ることでしょう。そのうえ妊婦にキチンシンクとも契約できたな」


 淡々と答える霜根。


「我々『ホルマリン漬け大統領』も、貴方達とは別の形で、雪岡さんには儲けさせていただいています。このような見世物の提供をさせていただく事だけではなく、常識を超えた技術の数々を供与させてもらう事もしばしば。だが彼女がここまでの存在だったとは、存じませんでした」


 鳥の仮面の男は、好事家の金持ち達に様々な違法快楽を提供する組織、ホルマリン漬け大統領の大幹部であった。

 霜根とは異なり、立場を明かしているだけであって、その名までは明かしていない。しかし霜根はそれが大体誰であるかはおおよそ察しがついていたし、それを無礼とも思わない。犯罪組織としてのジャンルが違いすぎるため、あまり関心が無いというのが正直な所だ。


 妊婦にキチンシンクとしては、純子の作った新兵器の性能を拝見したかっただけなのだが、ホルマリン漬け大統領がそれに便乗して、その兵器の発表を見世物として売り出したのである。もちろん純子にもその分の金が入る。本来なら承諾できる話ではない。

 しかし霜根は、新兵器の導入を決定したわけでも無いのにこれを承諾した。純子に利があるのなら、これで貸しにできるという打算があったからだ。また、万が一にもこの新兵器が扱うに値しないものだった場合や後から不備が出た際にも、カードとして利用できる。


「裏通りの生ける伝説の一人ですからな。敵にはまわしたくないものです。なのに彼女を敵視する者は後を絶たない。もっとも彼女からしてみれば、それらを敵と見なしてはいないでしょうが」

「実験台として利用できる都合のいい駒、くらいの認識でしょうね」


 霜根の言葉に、鳥面の男はそう返して笑みを浮かべたが、霜根は笑わなかった。社交辞令の愛想笑い一つもできない男なのかと、鳥面の男の笑みは、別の意味での笑いにと引き継がれた。


「一つ疑問があるのですが」

 仮面の男が尋ねる。


「あの金町武郎という子を見ていて思ったのですが、あのような限りなく不死身に近い兵士の増産というのは、無しなのですか?雪岡さんは、そちらの方が楽に作れると言っておられましたが」

「ええ、あれはだめですね」


 素っ気無い口調で即答する霜根。


「不死身の兵士などという、使いまわしの効く便利な商品など出されたら、商売あがったりです。バトルクリーチャーや今回の製品のような、回転が早く、使い潰される消耗品が出回って欲しいわけでして」

「なるほど。商いをする立場としたらそうでしょうな。戦争をする側からしたら、また違うのでしょうが」


 霜根の言葉に、鳥の仮面の男は納得したようだった。


「そろそろ私は失礼いたします。機会がありましたら、また」


 霜根が立ち上がり、素っ気無い別れの挨拶を告げる。


「機会がありますかなあ。互いに闇の中で蠢く稼業ですが、分野が違いすぎますし。交わる機会はそうそう無さそうですが」


 鳥面の男が座ったまま告げると、霜根の足が止まった。


「関る事がありましたら、恐らくはまた雪岡嬢絡みでしょうね」


 淡々とした口調で言い、今度こそ霜根は部屋を出た。


 一人、部屋に残った男が仮面を取る。否、仮面ではなく顔の肌と頭髪ごとむしり取って見せた。仮面だけで顔を隠していたのではない。下の顔も変装だったのである。年配かと思われたその男は、どう見ても二十代前半の、整った容貌の持ち主だった。


***


 亜由美は長い間意識を失っていた。意識が戻った際、自分が今どうなっているのか、まるで認識できなかった。世界は闇に包まれ、音も無く、己の体の感触すらなかった。もしや自分は、すでに死して霊魂になっているのでは無いかと疑った。

 そもそも記憶が無い。雪岡純子に降伏する事となり、そればかりか彼女の口利きで再び国家守護の任に返り咲かせてもらうという話が進んで、その後――どうなったか覚えていない。


 愛する昌子の顔を思い浮かべる。彼女は無事だろうか。純子は星炭の術師をできるだけ生かしてくれたとの話だが、実際には死人も出ているとも言っていた。昌子が必ず無事という保障は無い。


 意識の覚醒と共に、徐々に記憶が蘇ってくる。純子の要望で、生き残った術師全員が彼女の実験に付き合うために、雪岡研究所へと向かう事になった。

 命の保障はしてくれたが、とても安心できるものではない。しかし一族の存続と復権の前には、いかなる犠牲も覚悟しなくてはならない。


 さらに記憶が蘇る。亜由美達はベッドに寝かせられ、一人一人注射を打たれ、眠りに落ちていったのだ。

 それ以前に驚いたのは、何十人分ものベッドがずらりと並んだ部屋が研究所の中に存在していたことだ。一体いかなる用途に使われるものなのか。


 生き残りと言われた中に、昌子の姿は無かった。他の者達は行方不明もしくは死亡とのことだ。亜由美は昌子の生死の確認までも、純子に頼るしかない。

 怨敵に破れ、頭を下げ続ける屈辱。敗北とは何と惨めなものなのだろう。しかし星炭流呪術の歴史は、まさに陰惨そのものであった。過去の苦難に比べれば、自分の代での悲劇などたかが知れている。また這い上がる事で、祖先の霊に報いなくてはならない。


「あ、目が覚めたみたいだねー」


 純子の声がした。しかしおかしい。眠りにつく前までの声とは非常に違和感がある。


「ど~お? 気分は?」


 答えたくても何故か返事ができない。肉体の感触が限りなく無い。周囲は闇に包まれている。相当な時間を眠っていた感覚がある。


「約束通り、政府には話を通しておいたよー。超常防衛に星炭流呪術の人達を再任するようお願いしたら、あっさりとオッケーもらったから安心してー」


 純子の言葉に、亜由美は狂喜した。敵であった立場も忘れて本気で感謝の言葉を述べたかったが、どういうわけか声が出ない。

 喜びの後に、猛烈な不安が襲いかかる。自分の体が明らかにおかしい。純子の言っていた実験とは、一体何だったのか? 自分はすでに実験台にされてしまったということなのか。


 国家守護の大任を兼ねる事が可能になる代物だとも言っていたが、それは果たしていかなるものか。


「さてと、それで君達にどんな風に役立ってもらうかなんだけどー」


 純子の言葉と共に光が差した。暗闇の中からいきなり明るい空間に放り出されたかのような感覚。

 眩さに反射的に目を閉じようとしたが、できなかった。何故か、どうやっても瞼が閉じられない。いや、そこで亜由美は気がついた。己に瞼そのものが無い事に。

 自分の体がとんでもない事になっているであろう事を直感した。目が光に慣れてくると、自分の周囲に泡が浮かんでいるのがわかる。さらにはガラス越しに見える、白衣姿に赤い瞳の少女の笑顔。


「んー、どんな風になっているか見てみたいー? それじゃあ見せてあげるねー」


 純子が離れ、どこからか大きな鏡を持ってくる。

 鏡に映し出されたのは、大きな試験管のような容器の中に浮かぶ、剥き出しの脳、脊髄、目、一部の内臓、それ以外の全ての部分が無くなった――自分。


 亜由美は絶叫しようとして、できなかった。声帯がすでに無い。しかし彼女の精神は確かに絶叫をあげていた。

 生きるための最低限の姿だけにされて、他は全て取られ、ただ肉体に意識と知能だけがある状態にされ、それでもなおかつ生かされている事への恐怖――いや、それだけではない。その先を亜由美は悟ったのだ。

 自分が霊の入る器だけの状態にされている。これと似た術が星炭の呪術にある。所謂、生霊化の術。芥機関を潰した際に行ったあの奥義だ。


「へえー、流石は御当主様だけあるのねー。何を意味するか、わかったみたいだねー」


 椅子に座って脳波計を見ていた純子は、亜由美の入った容器に顔を向けて、にっこりと朗らかな笑みを――いつものあの笑みを浮かべる。


「でも君だけじゃないんだよー。君の一族の人達も、みーんなおんなじにしてあげたから安心してー」


 純子が立ち上がり、亜由美の入った容器を回転させた。その向こうに広がる光景を見て、亜由美の心はさらに悲鳴をあげた。

 自分と同じように、脳と脊髄と一部の内臓だけにされた者達が入れられた試験管のような容器が、何十と並べられている。ただ亜由美と違うのは、彼等には目すらなかったことだ。中に入れられているのが、星炭流呪術の生き残りであろう事は、疑う余地は無かった。


「君以外は皆、もう見てもらったよー。これって、君達の術にも似たようなのが幾つかあるよねー? 苦痛を延々と与え続けて生霊を製造抽出して、強大な超常現象を引き起こす秘術。いやー、本当に素晴らしいよー。私も千年以上生きてきたけれど、こんなにも人間の苦痛を徹底利用し、なおかつ研究した術の使い手なんて、他に累君くらいしか見た事ないよ。だからね、このまま滅ぼしちゃうのももったいないなーって思って、君達の術と私の技術を融合させてみたんだー。ドリームバンドって知ってるよね? 脳に直接電磁波を流して幻覚を見せて、思いのままのヴァーチャル体験ができるあれだよー。あれを使って、これから君達にヴァーチャル拷問体験してもらうから、その苦痛でもって、とびっきり上質な生霊になってもらうよー。その力でもって、今後の霊的国防を果たしてもらうっていう寸法なんだー。どーお? 互いにとってお得な、とってもナイスな采配でしょー? あ、不老不死化もしておいたから、冥界に行くことも転生することもなく半永久的に、このまま名誉ある国防の大任を務めてもらう事になるからねー。どーお? 嬉しいでしょー?」


 亜由美は三度目の声にならぬ悲鳴をあげた。彼女の脳はこの世の何よりも深い絶望に支配された。星炭流呪術に生霊化の術はあっても、不老不死化の術などない。霊も肉もあくまで使い捨ての消耗品だった。

 だがこの組み合わせにより、永遠に逃れられない呪縛に支配された事を理解した。この世の終わりまで、永遠に続くであろう地獄に自分達は落とされた――と。


「じゃあ、そういうわけで、頑張ってねー。あ、これは邪魔だから、もう切っておくね」


 純子がマウスを動かしてクリックすると、亜由美の視界が闇に閉ざされた。


 脳と繋がっていた目玉が、脳より切断されて、液体の中をゆっくりと容器の底へと沈んでいった。

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