第三章 15

「雪岡純子と芥機関の残党、相沢真他二名に放った手勢は、全て返り討ちにされました。雪岡側を担当した術師は全て行方不明、相沢担当は全員無事帰還しました」


 星炭の高位呪術師である真鍋学が、小池と昌子の前で頭を垂れ、そう報告した。


 そもそもこの戦いの発端は真鍋だった。芥機関に雪岡純子が通い詰めている事を報告し、一網打尽にして汚名返上と名誉挽回をすべきであると強く主張したのである。

 星炭が彼の施設とその創設者である雪岡純子より上であると証明できれば、名誉ある国家守護の大任にも返り咲けると、一族の者を説得してまわり、襲撃計画を立案した。


 実質的な指揮官も実は真鍋であった。傭兵の手配も全てこの男が行ったのだ。だがそれを知る者は、昌子と小池だけであり、一族の者はそれらを執り行ったのは昌子であると信じている。

 当主亜由美の側近である昌子の手柄とするためにそうした方がよいと、他ならぬ真鍋による進言によって、そうなった。

 あくまで己は裏方に徹し、驚くばかりの手際の良さと行動力、それに誰よりも強く星炭に対する忠義の姿勢を見せたこの男に対して、小池も昌子も全幅の信頼を寄せていた。


 真っ黒い部屋。黒いカーテンが装飾品のように室内の所々を遮っている。それが渦上に配置されていることは、カーテンに沿って歩けばわかる。

 その中心に昌子がいて、小池と真鍋が昌子にやや近い位置に、黒ずくめの呪術師達が離れた位置で昌子を囲むようにして、術を唱えて儀式の力を増幅させている。

 カーテンがしきりにはためく。室内には風が吹いていた。何十という霊が飛び交い、それが物質的な力をも伴って、空気を激しく揺るがしているのだ。


「多少の手違いはありますけれど、概ね順調ですね」


 術を行使中の昌子が事務的な口調で言う。普段はおかっぱの頭髪が、今は周囲を飛び交う霊の影響で逆立ち、激しくざわめいている。


「すでに裏社会で情報が出回っています。我々星炭に雇われた者が、全て術で意思を奪われている事が知れ渡っております。私達が兵の補充をできないように、彼等が情報を流したのでしょう。これはある程度予想できていた展開故に問題無い事ですが、彼等が二手に分かれて行動したのは予想外でした」


 瞑想するかのようにしっかりと目を閉じたまま、落ち着いた口調で昌子が告げる。昌子の周囲を飛び交う霊は全て、怒りや苦痛、絶望や悲哀の表情をしていた。


「彼奴等が二手に分かれた故に、これから行う術の力もその分弱まることになるの」

 と、小池老人。


「そうですね、小池さん。確実に仕留めるためには、両者を一箇所にまとめたいところですが」

「それができれば苦労はせん。少なくとも私にはよい方法など思いつかん」

「私にも思いつきませんわ。こちらも分散するしかありませんね。確実性は薄れますが、それでもこの術はそれなりの威力を発揮するでしょう。彼等もまるっきり無傷とまでは」

「畏れながら進言させていただきます」


 芝居かがった言い方で真鍋が、小池と昌子の会話に口を挟んだ。


「私は相沢の方を担当しましたが、彼等の戦闘力は、常識の範疇を超えています。己の数倍もの数の者を、ほとんど二人であっさりと片付けるなど……」

「人では無いのかもしれぬな」


 小池が無感情に言った。


「雪岡を守っている方もそうじゃった。芥機関の残党故に超常の力を覚醒していたのは、予想の通りであるが。相沢真とその他の者も、それと同類と見た方が自然よの」

「人ではなくても元は人ですし、肉と霊を備えた存在であることに違いはありません。霊と肉を備えた者であれば、我等に打ち勝てぬ道理もありませんわ」


 昌子が悠然と微笑み、告げる。座禅を組んだ昌子を中心として、何十という霊が周囲に飛び交う光景は、星炭の術者から見ても息を呑むものだ。


(過信しおって。才はあってもまだ若いな。こやつらが十分に育つまで、まだまだ私は逝くことはできん。星炭流呪術のためにも、この国のためにも)


 昌子を見下ろし、小池はこっそりと嘆息する。弟子の成長は喜ばしいが、一方で未熟な部分もよく目についてしまう。


「この術が放たれた時の、彼等の驚き慄く顔が目に浮かぶようですわ。小池さん、真鍋さん、引き続き術の下ごしらえをお願いします」

「承知」


 軽く一礼し、真鍋は踵を返す。


「今は昌子が指揮官じゃからの。目上といえど、命令せねばいかんぞ」

「あら、でしたら小池さんも、私のことを呼び捨ては不味いのでは?」


 微笑む昌子の言葉に、一本とられたといった顔で小池も釣られて笑った。


「まて、真鍋」

 立ち去ろうとした真鍋を、小池が呼び止める。


「昌子よ。やはり敵が二手に分かれたのにあわせて、これ以上こちらの力を二つに殺ぐのは不味い。ここはどちらか片方だけに集中し、確実に一方を倒す手がよいぞ」

「そうですね。小池さんがそう仰るのなら、そうしましょう」


 あまり考えていない様子にも見えかねないほどあっさりと、小池の進言を受け入れる。


「それならば、私としては、まず相沢真の方を狙った方が得策と思われます。こちらには超常の力の覚醒者はいない様子」

 と、真鍋も進言する。


「そうしましょう」

 これまた即座に二つ返事で頷く昌子。


「今度は彼等が使った手を使わせていただきましょう。星炭の術者を大勢、目立つ場所に配置し、そこに星炭の呪術師達が集まっているという情報を流して、術の効果の高まる、霊的磁場の強い土地へ、彼等をおびき寄せてみます」

「ふむ。それなら高確率で相沢の方が先に来るな」


 真鍋の申し出た案に感心したような顔になる小池。昌子らの間では、純子が逃げの一手をうち、その間に真が星炭の中枢を狙ってくるという推測が立っている。


「仮に雪岡も別口から我々の頭を叩こうとしているのなら、同時におびき寄ることも――いや、ここまで都合のよい話はさすがにありえませんね」

「そうでもないぞ。本拠地がわかったとなったら、合流して向かってくるかもしれん」

「どうなるかは相手方に任せる形ですね。どちらが先に情報に食いついてくるか、楽しみです」


 不敵な笑みを浮かべて昌子がうそぶく。


(貴方達と雪岡純子。どちらがくたばるか私も楽しみですよ。どちらにせよ、私には悪くない展開になりますが)


 真鍋がにたりと笑い、声には出さずに昌子と小池に向かって語りかけていた。


***


 川原の土手沿いを走る国道近くに面した、どう見ても繁盛しているとは思えない安っぽいホテルで、美穂達は一夜を過ごすことにした。


 十代含めた男女四人ということもあってか、断られかけたが、純子が何やら支配人にいろいろ見せた瞬間、支配人の態度が急変し、ひどく畏れた様子で最上階の部屋へと案内してくれた。

 裏通りの手のかかっているホテルでもない、ただの安っぽいビジネスホテルであるため、ここにいてもいつ襲撃が来るかわからないと、純子が事前に警戒を促していたので、一同は落ち着いて安眠することなどできなかったが、それでも睡眠と休息を取らないわけにはいかない。


 美穂はたとえ寝ていても無意識の状態で加護の力を発揮し、霊的な攻撃から全員を守ることができる。だが寝ながら敵の襲撃を察知するまでには至らない。


「戦闘には加わらない私が見張りを引き受けるよ。徹夜には慣れてるからねー。皆はゆっくり休んでー」


 純子がそう言ってはいたが、美穂は緊張してどうしても眠れない。

 そのうち寝るのを諦めて、美穂は自室を出て、武郎の部屋へと向かう。


「武郎、起きてる?」

 ノックと共に声をかける。


「なっ、なにっ?」


 下半身丸出しで十八禁映像を見ていた武郎は、大慌てで空中に投影したディスプレイを消し、パンツとズボンを履いて、上ずった声で応じた。


「入るよ。ちょっと話があるの」

「あははははは、何か嬉しい展開とか期待していいのかな?」


 武郎が緊張しまくっているのを見て、美穂は溜め息をつく。


「期待してたら悪いけれど、全然色気の無い内容よ」

「そ、そっかー、それは残念……。でも俺だって男だから、理性の糸がぷっつりと切れて何するかわかんないよっ」

「ふふっ、そんな度胸があるならやってみなよ」


 美穂が笑うが、目が笑っていなかった。むしろ怒気すら帯びていたのを見て、武郎は絶句する。


「あんた、どういうつもりなの? さっきの戦い」

「何が?」

「あんな無茶な戦い方してさ。いくら不死身に近いと言っても、完璧に不死身なわけではないって、純子も散々注意してたでしょ? 体に受けた傷が治る時も、エネルギーの消費が働いてその分体力が消耗するって」

「うん、だからいっぱい食べないとね。あはは、ますます太っちゃいそうだ。いや、ダイエットになるかな?」

「ふざけないでよ!」


 小さく、しかし鋭い叱責に、武郎は身をすくめる。


「力に酔っているの? 一人で突っ走って死にたいわけ?」

「そういうわけではないよ」


 苦笑する武郎。その時の武郎の笑みが、自嘲めいているように、美穂の目には映る。


「これが俺の役割だと受け取っているだけだ。俺はこういう体だから、多少の無茶をしてでも皆を守らないといけない。皆は弾に撃たれたら死んじゃうんだからね」

「それは私もわかっているけれど、それにしてもやりすぎよ」

「でもさ、無理してでも俺が頑張らないと……どこかで妥協したりして、その結果誰かが死んだら、俺は一生それを引きずりそうだよ。そんなことになるくらいなら、死んだ方がましさ」


 静かな口調ではあったが、武郎の目には決意の炎が宿っていた。美穂はそれを見て、先程とは違ったニュアンスで溜め息をつく。


「それは私からしても同じなんだけれど? ここを出る前にあなたが私に言ったことじゃない。一人で気張るのはどうかって。あなたがそうして無茶した結果――」

「いや、俺の受け取り方と美穂のとは違う」


 美穂の言葉をさえぎるようにして言う。


「俺が何で芥機関に来たか、美穂は知ってるよね?」


 脈絡の無い話が飛び出てきたが、美穂は言葉を失った。


 聞かなくても、美穂は武郎が芥期間に来たその理由は知っていた。


『十六歳の少年、無免許運転で幼稚園児の列に突っ込み、園児七人を轢き殺す』

『許されざる大量虐殺犯、金町武郎』

『金町武郎に死刑判決。一回の死刑ではおさまらない。殺された七人分の死刑を執行してほしいと、遺族の痛烈な叫び』


 ――二年前、テレビでも新聞でも雑誌でもネットでもそんな見出しが躍り狂い、話題になっていた。

 武郎は芥機関に、秘密裏に死刑を見逃す代わりに実験台として連れてこられたのだ。芥機関で実験台になっていた人間は、大金と引き換えに来た者だけではなく、コストのかからない元死刑囚も多い。

 もちろん美穂も國男も、その件には全く触れなかった。普段の武郎は明るく建設的で、ただそこにいるだけでも皆を和ませてくれるような少年で、とてもそんな大量殺人犯には見えなかった。


「俺ね、高校でいじめにあってたんだ。理由は大したことじゃない。不良の一人が目をつけてた女子が、俺に気があったってことさ。それが気に食わなくて、俺のことをいじめの標的に選んだんだ」


 言葉を無くしてる美穂から視線を外し、うつむいて語りだす武郎。


「信じられないかもだけど、昔の俺はもっとスマートだったんだよ? それが引きこもって体動かさなくなって、ストレスのせいで過食症になって、この様さ」


 と、笑いながら武郎は脂肪のついた腹を両手でつまみ、ぷにぷにと揉んでみせる。


「いじめられて登校拒否になっても、親は自分の体面のこと気にして、学校に行かない俺を責めてさ。田舎だったから余計に世間体とか気にするんだよ。御近所や親族の目とかね。身内には辛くあたるけれど、でも他人の目は人一倍気にして卑屈なんだ。いつも思ってた。どうして親なのに子を守ろうとはせずに、自分の都合で子を虐げるんだって。そのうち世の中の何もかもを憎むようになって、そして親にとって一番ダメージを与えられる方法を思いついたんだ」


 そこまで語ったところで、武郎の顔に歪んだ笑みが一瞬浮かんだのを、美穂は見逃さなかった。いつもニコニコと柔和な笑みを浮かべていた武郎のこんな表情を、美穂は初めて見る。普段が普段なだけに、余計ぞっとしてしまう。

 一番ダメージを与える方法――それが何なのかは聞かなくてもわかっている。こうして述懐している武郎を見てなお、美穂にはこの少年がそんなことを思いついて、かつ実行した事が信じ難い。


「俺が捕まっても、親は全く面会に来なかったよ。裁判の時も法廷に来なかった。殺された子供達の親はみんな来ていて、俺のことを罵倒していたけれどね。うちの親があんな空気に耐えられるわけもない。俺はいなかったことにしたいに違いない。そんなものだったんだよ、親にとって、俺という存在はね」


 と、不意に武郎は顔をあげて美穂を見た。人懐っこい丸顔は、限りなく泣き顔に近くなっていた。


「自分の子をしっかり愛している親達が俺のことを罵倒している様が、俺にはものすごく堪えた。罪悪感で潰れそうだった。死刑判決言われた時も、物足りないと思えたくらいだ。そして死刑執行の数日前――いろいろ未成年の死刑にはややこしい手続きがあって、判決から二年も経ったんだけど、俺の前に純子が現れてこう言ったんだ。『君にも世の役に立てる事がある』ってね。それが何でもよかった。とにかく償いがしたかったんだ」


 話の途中にあふれでた涙をぬぐう。


「そうしたらここに来て、皆と会えた。償いの人生だったはずなのに、それからは楽しい日々だった。こんなこと言うのは照れくさいけど、國男も、美穂も、純子も、俺にとって仲間と呼べる奴だった。だからこそ……皆を守るために、無理もしたいんだよ。俺にはそういう力を純子から授けられているしね」

「あなたの気持ちはわかったよ。でもね、それであなたが死んでも、ただの自己満足にしかならない。私達にしてみたら、無茶して勝手に死んだ馬鹿な仲間ってことで、悲しみしかもたらさない。果たしてそんなんで償いって言える?」


 厳かとも言える口調で、美穂が言う。


「償いなんて、そもそも自己満足以外の何もんでもないのかもね」


 そう言った武郎の顔が、やっといつもの武郎の表情に戻っているのを見て、美穂はほっとした。


「わかったよ、美穂。次からはあんな無茶はしない。一人で突っ走ったりはしないようにする」

「わかってくれてよかった。それじゃあ、おやすみね」

「ぇ? え? ぇ? そんだけ?」


 素っ気無い態度で部屋を出ようとする美穂に、武郎はおどけた声を出す。美穂は取り合わず、部屋を出て行った。


「う~……それでも、それでも期待したのにっ……! ははは……」


 笑顔のままだが、わりと本気で落ち込みつつ、武郎は再びホログラフィー・ディスプレイを映し、ズボンとパンツを下ろして、鑑賞と作業を再開した。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る