第三章 16

 シーツがめくられる感触で目が覚める。

 すでに夜は明けている。時計を見ると七時半だった。


「ああ、起こしちゃった?」


 隣で寝ていた女性が、下着姿で悪戯っぽく微笑む。朝日を浴びて、女性のプロポーションが煌いて見えた。


「三時間寝れば十分さ。緊張状態だと、短時間に深く寝て十分に心身を癒せるようになってしまったしね」


 ベッドから下りて、驚くほど素早い動作で衣類を身につけながら真は言う。微笑んでいた。


「昨夜ので、緊張はほぐれたんじゃないの?」


 女性の方は下着姿のままで、すでに制服姿になった真に正面から抱きつき、嬉しそうに頬ずりをする。

 歳は三十代をまわっているだろう。やや釣り目気味で面長な顔の、落ち着いたムードの美人だ。身長は明らかに170以上あって、真より頭一つ以上背が高い。


「むしろ完全にほぐれたら困るというか、まだドンパチの最中だしな。昨日は殺しすぎた。おかげで興奮して眠れなくなりそうだったからさ……」

「そっかー。そういや昨夜はいつにも増して激しかったね。人を殺した数だけ、興奮も増すってことなのかな」

「殺し甲斐のある相手を殺した後もな。昨夜は数だけだったが」


 女性の名は留美。本名かどうかは真も知らない。苗字すら知らない。真がいつも指名して買っている高級娼婦である。付き合いは三年程になる。


 真は殺しあいに快感を覚えている。命と命の凌ぎあいという対等の条件において人を殺すたびに、例えようも無い充足感と達成感に酔う。自分を殺そうとする者の命の鼓動を止めた瞬間、真の脳内に大量の麻薬物質があふれ、爆ぜる。けれどもそれは同時に弊害ももたらした。

 人を殺した後、異常な程に性欲が湧くのだ。それは一人ではどうしても処理しきれず、女を抱かないと治まらない。

 殺人が異常性欲をもたらす体質。殺人で射精する快楽殺人者というのは聞いたことがあるが、即座に射精に至るわけではない。とにかく女を抱きたくなる。

 最初は自分がまるっきり変態のように思えて悩んだものの、今では自分はそういうおかしな人間だったと諦めて、売春組織より女を買って処理するようにした。


 普通は抗争の途中で留美を呼ぶことも無いし、完全に一区切りするまでは我慢するのだが、昨夜は殺しすぎた。そのうえ結構な美人二人とくっついて行動という事になっているので、余計に欲情に拍車をかけて、このままでは制御しきれないと判断して、留美を呼んだのだ。


「ところでさ、言いにくいんだけれど……」


 何度も真にキスをしながら、留美は真の耳元で囁く。


「私、そろそろ引退しようと思うの」


 その言葉は真にとって少なからず衝撃だった。唐突すぎた。


「どうして?」


 理由を聞かずにはいられなかった。留美を買うようになってからこの三年の間、真は留美だけを買い続けた。

 娼婦と客との関係とは言っても、付き合いも長く、夜通しお互いにいろいろと会話して身の上話などもしていたし、真なりに留美に想いも寄せていた。


「母親が倒れてね。故郷に戻るつもりなのよ。あとさ、言いたくないけれどもういい歳だしね。ここ何ヶ月かの間さあ、君くらいしか、私のこと指名する人いなかったよ? 年配好みって人も前はいたけれど、やっぱり十代か二十代あたりでないとダメなのよ。特にうちは値段高い所だから。君が買ってくれたから私もクビにならなくて済んだけれど、いろいろ居づらかったし……。オーナーはいい人だから気遣ってくれたけれどさあ、それが余計に……ね」

「そうか……」


 服越しに感じるこの柔らかい温もりも彼女の匂いも、これで最後かと思った直後、真は自分の力が抜けるのを感じた。

 留美の体に自分の体重を預けるような形になる。体重の軽い真の小柄な体を抱きとめるのは、留美にとって苦にはならなかった。


「私さ、君に呼び出されるの、楽しみにしてたのよ。仕事とか抜きで個人的にね」

「そう言ってくれると、嬉しい。僕も留美と会うのは楽しかった」


 複雑な笑みを浮かべ、正直な気持ちを口にする真。自分が笑っていることに、気付いてはいない。


「ごめんね。私も……」


 と、何か言いかけて、真の様子がおかしいことに留美は気付く。

 これまで留美が見たこともないような表情をしている。付き合いが長いせいか、たとえ真が一切感情を面に出さなくても、真の感情の変化が、留美にはわかる。


 その刹那、ドアが乱暴に開き、銃声が立て続けに鳴り響いた。


 真は留美の前に盾になるような形で踊り出て、袖口に仕込んであるペンシルガンで応戦する。文字通りの鉛筆状の銃器で、威力が低い上に弾も一発しか撃てない(装填できない)が、一人はそれで斃した。

 留美をかばっているために身動きできない真に、無数の銃弾が撃ちこまれる。幸いにも全て防弾繊維の通っている部分で受け止めたが、至近距離でくらったおかげで、衝撃を完全には殺せておらず、二発ほど防弾繊維を突き抜けて肉に食い込んだ。


 痛みと衝撃が真を襲うが、そのまま踏みとどまり、早業で留美の体をベッドの下へと滑り込ませた。

 その間にさらなる銃弾が真を襲い、また数発の銃弾をその身に受ける。今度は防弾繊維を突き抜けることはなかったものの、衝撃をこらえきれず、吹き飛ぶようにしてベッドの上へと仰向けに倒れる。


(どういうことだ? ここは中立区域のホテルだぞ)


 驚きと疑問が脳裏をよぎる。『中枢』より中立地帯と定められた場所での争い事は、裏通りの住人にとっては最大のタブーであり、これを破ると最大級の制裁措置が中枢より下される。

 だからこそ真は抗争途中にも留美を呼ぶようなことをしていたし、敵の接近にも全く無警戒だった。


 留美を隠す事ができたので、あとは自由が利いた。敵に向き直る。

 すでに三人も部屋の中に踊りこんでいる。虚ろな表情に殺気だけみなぎらせているというその姿は、明らかに星炭の術で意思を奪われた刺客だとわかる。


 銃弾をかわしながら、銃も持たずに敵に飛びかかる真。

 銃器をしまっている鞄は若干離れた位置においてあったので、それを取りにいくよりは、この狭い空間なら接近戦の方が有効であると判断した。


 ベルトの中に仕込んであった特殊合金仕様の長針を抜く。純子の発明品で、空気に触れると硬い針になり、水に濡らすと針金状になる。しばらくの間は空気に触れていても針のままなので、バックルからベルトの内側に仕込んでおけば、そのまま短い針金のままという仕組みだ。

 半ゾンビ化している相手が故、セオリー通り喉をかっさばくだけでは死なないような気がしたので、頭のてっぺんから針を突き刺した。

 大して力をこめるまでもなく、頭蓋骨を紙のように安々と貫く手ごたえ。流石はユキオカブランドの武器といったところか。


 近くにいた二人目の敵へと向かう。真の第二の標的とされた相手は、至近距離で真の頭に銃口を向ける。ほとんど銃口と額が触れそうな距離――引き金を引く前より早く針が一閃し、指を突き刺されて銃が床に落ちた。

 銃を落とした相手の喉元に針を刺す。

 最後の一人には針を投げた。額の中心から後頭部に針が突き抜け、銃をしっかりと握り締めたまま仰向けに倒れ、その衝撃で引き金がしぼられて、部屋の電灯が破壊された。


「留美、大丈夫か?」

「私は平気だけど……」


 ベッドの下から出されて、室内に死体が四つ転がっている事にショックを受けたが、それ以上に、真が腹部や肩から血を滲ませていた事の方が、留美にとってはショックが大きかった。


「撃たれたの!?」

「大丈夫……防弾繊維のおかげで。内臓までは届いてない」


 腹部に受けた弾は、筋肉に押し出されて既に外に出ている。それよりも左肩に受けた銃撃の方が痛手だ。


 銃声がホテル内で鳴り響いている。麗魅や杏も同時に襲撃を受けているのだろう。まだ敵はいる。加勢しに行きたいが、この部屋に来るかもしれないし、留美を残してここを離れるわけにはいかない。


 そう思った矢先に、複数の足音が真達のいる部屋に向かっているのを耳にした。

 真は急いで留美の手を取ると、ほとんど投げ入れる勢いでバスルームの中へと押し込んだ。さらに、もの凄い勢いでダブルベッドの足を右手で掴み、片手で一気に持ち上げてバスルームの扉を塞ぐバリケードに仕立てあげる。


(あの細い手と小さい体のどこにあんな力が……)


 その様子をバスルームの扉の隙間から見ていた留美は唖然としていた。ほとんど片手でダブルベッドを投げ飛ばすかのような勢いだった。


「僕がいいと言うまで絶対に、何があってもそこを出るなよ!」


 珍しく、というか初めて聞いた真の叫び声。必死さすら伺えた。

 実際真は必死だった。ドンパチの場で最悪な存在は、素人であると真は認識している。

 特にその素人が、守らなければいけない立場にいる時ほど、厄介なことは無い。何をしでかすか予想不能で、高確率で、守られる立場にありながら指示に従わない行動を起こして足を引っ張り、勝手に死んでくれる。


 真は何よりも、巻き添えの流れ弾で留美が傷つくのを恐れた。さらに言うなら、真の前に出て盾になって代わりに弾に当たって死ぬという、フィクションでありがちなお涙頂戴展開になることすらも想定できた。

 笑い事でもフィクションでもなく、実際に真は過去にそのお涙頂戴展開も経験済みである。荒事の素人だからこそ、そういう真似に走りやすい傾向すらあると、真は考えている。

 そんな想いは二度としたくないので、まずは徹底して留美の動きを封じ、かつ安全の保障できる体勢に仕立てあげた。


 鞄から得物を取り出す。敵はすぐ近くに来ている。足音からして五人以上と判断できる。

 部屋の入り口に敵影が見えた瞬間、ショットガンを撃つ。室内に入らせないかぎりは、一人ずつ相手ができる。二人目と三人目はサブマシンガンで撃ち殺した。


 四人目は死体を盾にするような形で無理矢理部屋の中になだれ込み、真に向けて銃を撃ってきたが、体勢が不十分だったようで、かわす必要すらなく弾はあらぬ方向に飛んでいく。

 真はそれを見切っていたので、その場を動くことなく、室内に飛び込んだ男の頭部をショットガンで吹き飛ばした。


 五人目と六人目が入り口から手だけを出して、ろくに狙いを定めず撃つが、これもすでに見切っている。余裕をもって、ショットガンの弾をショットシェルからスラッグ弾に変えて、二発撃つ。弾は壁を貫通して、室外にいる二人を仕留めた。


 まだ敵はいたようだが、火力の違いと地の利を逆手に取られている事に気づき、迂闊には飛び込もうとしない。術で洗脳されていても、知能までは劣化していない者もいるようだ。しかし命令には絶対服従するような術をかけられているらしいので、退くということも有り得ない。


(そっちが来ないつもりなら……)


 口に出さずに呟くと、真は素早く入り口に近づいてドアを閉める。懐から何かを取り出して扉と壁に手を伸ばし、扉から飛びのいて素早く離れる。


(さて、どう出るか)


 敵もタイミングを狙っているのは間違いない。幾つかの展開は予想できる。


(一、手榴弾やスタングレネード等を投げ込む。ニ、ホテルの屋上から壁伝いに下りて来て窓から侵入、と同時に廊下からも突撃で挟み撃ち。三、じらしてこちらが出て行くのを待つ。四、単純に応援待ち)


 頭の中で幾つかの予想をたてる。


 数秒後、窓ガラスの割れる音がした。

 直後にドアが蹴り開けられる音がした。それと同時に銃声が交錯した。


 窓ガラスの割れる音がするや否や、真は窓に向かってショットガンを撃つ。

 屋上からロープ伝いに降りてきたであろうそいつは、窓を割って突入しようとしたら、室内に入る間もなく、空中で散弾の衝撃に押し戻されて逆に吹き飛ばされ、血と肉片と糞尿を外に撒き散らしながら、地面へと落下していく。


 タイムラグをつけてさらに一人が窓から侵入してきたが、そいつの侵入は許してしまった。だが生存することは許さなかった。

 二人目の侵入も予想していた真のサブマシンガンが唸り、室内に新たに死体の数を増やした。

 この間、わずか二秒にも満たない。


 一方、廊下側から進入してきた敵はどうなったかというと、胴体を真っ二つに切断された状態で、室内に転がり、臓腑を派手に撒き散らしていた。その数、二人分。

 先程扉を閉めに行った際に、超音波振動鋼線を入り口の壁と扉に仕掛けておいたのだ。切れ味は見ての通り。これまたユキオカブランド製の武器の一つである。


 凄惨な有様となった室内にて、真はじっと息を潜めて気配を探る。遠くで鳴り響いていた銃声も止んでいる。どうやら麗魅らの方もケリがついたようである。

 真は息を吐き、バスルームの入り口に立てかけたダブルベッドを下ろす。ベッドの脚が転がっていた肉片を潰したようで、嫌な音が響く。


「出ていいよ、留美。ただし目は瞑っていた方がいい」

「わかった……」


 その言葉が何を意味するのかは、バスルームまで漂う血臭やら糞尿の臭いで明らかであったため、留美は必要以上にしっかりと目を閉じて、壁に手をあてながら壁伝いに恐る恐るバスルームを出る。

 その留美を、真が安心させるかのように優しく抱きとめる。恐怖から開放された留美は安堵感がこみあげるのを感じて、真の小柄な体にひしっと抱きつく。いつも以上に、ぬくもりが感じられたように互いに思えた。


「とんだお別れになっちゃったな」


 留美を危険な目にあわせた事への罪悪感を覚えつつ、ぽつりと呟く。


「いやあ、お互い無事でよかったよ。君が強いのは今の見ても十分わかったけど、その……気を付けてね。死なないでね」


 留美が涙声で囁き、真の顔に己の顔を寄せる。


「留美も元気で」


 短く告げると、真は爪先立ちになって顔を上げ、留美の唇に口付けた。

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