第三章 8

 芥機関の建物が崩壊した直後、杏と麗魅は正面入り口から堂々と施設内部へと入っていた。守衛はおらず、門も開いている。門の前には無数の血痕がそのままになっている。

 埃が大量にまっているのであまり近づきたくは無かったが、今近づいて、様子を確かめないわけにはいかない。もちろん、建物の中には入れないが。


「あの中にお目当ての雪岡純子がいるのは間違いないし、もし何らかのトラブルに巻き込まれてるんだったらさ、助けて恩売ってやりゃあ、向こうもあたしらに協力的になってくれるかもしれないじゃん」

 と、麗魅が提案したからである。


 そんなにうまい具合に話が進むだろうかと、杏は懐疑的だったが、麗魅のやりたいように任せる事にする。麗魅のこの行き当たりばったり体当たり式はいつものことだ。それをフォローするためにも、自分はこうして行動を共にしていると、杏は思っている。


 壁を越えた施設の中は庭園になっていた。木々が生い茂り、花壇が並んでいる。

 杏はよく絵を描きに植物園に足を運ぶのでわかるが、あまり手入れがいいと思えなかった。ろくに手入れもしないのに、何でこんな庭園などこしらえるのかと不思議に思う。


「もし中にいたら、生きているかどうか怪しいところじゃない?」


 崩れ落ちた建物を見つめながら、杏は言った。入り口の自動ドアから中の様子が伺えるが、瓦礫の山で中の通路も塞がれている。崩れ落ちる前にいたら、出て来られるとは思えない。


「悪名高いマッドサイエンティストも最期は圧死ってか。こっちの用事が済む前に……」


 渋面になって麗魅が嘆息しかけたその時――

 不意に麗魅が銃を抜いて右手を向く。杏も若干遅れて反応し、そちらを向いた。


「飲んどけ」


 麗魅が短く言い放つ。言われるまでも無く、杏は手首にしこんだカプセルを口元にやり、舌の上で唾液とカプセルを絡ませてから飲み込む。もちろん麗魅も同じように飲んでいるだろう。

 銃撃戦になる際には必ず服用する薬物、コンセントだ。


 木立の陰に何者かが潜んでいる。こちらが気付くと同時に相手も気付いたようだ。相手がこちらに敵意をもっているかどうかはわからないが、とりあえず相手が警戒しているようなのは確かだ。

 故にこちらも警戒してかかる。こんな破壊の起こった直後というのなら、尚更互いに警戒せざるをえないだろう。


「この施設の関係者かな? あるいはこの施設をぶっ壊した奴か」


 麗魅が杏に寄り添うほど近寄り、耳元で囁く。


 刹那、殺気がほとばしったのを杏は感じた。もちろん麗魅も反応している。

 麗魅が銃を抜いて右へ駆ける。ワンテンポ遅れて杏も銃を抜いて左へと駆ける。相手から銃撃や手榴弾の類での攻撃の気配が見受けられない。殺気がみなぎっているのみ。

 何やら呟き声が聞こえる。呪文のような――いや、呪文そのものだと即座に判明した。


 幾つもの長細い火炎が噴きだし、杏の周囲を踊り狂う。

 こちらが激しく動いているせいか、全く当たらないものの、超常の力での――それも殺傷目的で編み出された術での攻撃に、脅威を覚える。


 超常の力を持つ者との対峙は初めてというわけではないが、それらを長年に渡って研究して練り上げ、何百年と継承している者――術師との遭遇はほとんど無かった。

 呪文や儀式などで人外の領域に踏み込むチャンネルを開ける彼等は、何でもありの世界と言われる裏通りでも稀なる存在だ。超常の力を持たざる者からすれば、それらを持つ者の存在に未知の恐怖を覚えるのは当然のことだ。何をしてくるかわからない。


 しかしだからといって不可侵の者かと言えばそうでもない。

 麗魅の放った銃撃が、あっさりとそれを証明した。


(素人ね……)


 麗魅の反撃に何の反応もできず簡単に倒れた術者を見て、杏はそう判断した。確かに人智を越えた力は持っているかもしれないが、撃たれれば死ぬ。そのうえ動きも反応も、裏の住人とはとても思えないお粗末なものだった。


 空中を舞っていた長細い火炎が、叫び声をあげた。炎の中に巨大な蛇が浮かびあがる。火に身を焼かれて苦しむ半透明の大蛇――蛇の霊。術師が死んだ事によってそれが開放されたようで、ゆっくりと消えていく。


「こいつはっ……!」


 頭を撃ちぬかれて倒れた術者を見て、珍しく麗魅が怒気を含んだ声をあげる。その表情も変わっている。

 理由はすぐわかった。麗魅から聞いていた、彼女の家族を惨殺したカルトな格好の集団、胸に白い星の刺繍のはいった黒い着物を、その襲撃者は着ていたのである。


「この着物が?」


 杏が問うと、麗魅は暗い面持ちで襲撃者を見下ろしながら、無言で頷いた。


「この施設と麗魅の家族を殺したカルト集団と雪岡純子、やっぱり繋がっているってことよね」

「入るぞ」


 杏の言葉に応じず、麗魅は建物の中を見やり、そして駆け出した。


「ちょっと待ってよっ。今入ったら危ないわよ!」


 静止の声を駆けたが、麗魅は止まらない。瓦礫の散らばる建物の入り口の中へ突っ込んでいく。


「らしくないわねっ、冷静になりなさいよっ。雪岡やそいつらがたとえこの中にいても、この有様じゃあ、生きているわけがないじゃないっ」


 麗魅の腕を掴んで、杏は叫ぶ。麗魅もそれで少し落ち着きを取り戻したようだが、未だその表情には押し殺した怒りがにじみ出ている。


「私達が何をしにきたのか考えて。たとえ麗魅の仇がここにいようと、そいつらを何人か殺すことよりも、そいつらが何者なのかを知る事の方が重要じゃないの? それとも、ここにたまたまいる何人かを殺せば、それで満足?」

「そうだな。すまなかった」


 杏を見て、恥ずかしそうに苦笑いを浮かべる麗魅。


「ありがとな、杏。何ていうかさ、復讐心がものすごい勢いで、ぶわ~っとあたしの腹の中から頭の芯まで大暴れしだしちゃってさ。何だろうね、この感情は。ドス黒くて、熱くて、そんで……妙な心地よさがある……。こんな感情、普通の人間は生きていて感じるものなのかね?」


 自嘲めいた口調で麗魅が言う。その横顔が、ひどく物悲しそうに杏の目には映る。


「一回だけ感じたことあるからわかるよ」


 昔、この世界に堕ちる前の事を思い出しながら、杏は答えた。


「憎しみって、気持ちのいい感情なのよね。それに心の全てをゆだねることも。それを開放することにも、ものすごくカタルシスがあるし」

「ああ、でもそいつで身を滅ぼしてたら馬鹿だよな。全く恥ずかしい限りだぜ、なははは」


 いつものあっけらかんとした麗魅に戻っていたので、杏は安心した。


「しっかし、謎が深まったというか、すげー偶然の導きというか、雪岡純子を当たってみたのはドンピシャだったな。こいつがここにいたってのは無関係だとはとても思えねーよ」

「無関係であるはずがないわね。そのうえ、来たらいきなりこの有様だし……」


 崩れかけている建物を見る杏。


「そいつが外にいたって事は、生存者も何人かいるんじゃないかね」


 術者の死体の方を視線で指し、麗魅は推測する


「ぶっ壊れる前に中に人がいたかどうかもわかんないし。その前にみんな避難できたのか、あるいは一人も避難できなかったかも……」

「裏口にもまわってみましょうか。今、中を調べるのは危険すぎるしね。いつ本格的に崩れるかもわからないし」

「おうよ」


 二人は建物の裏にまわる。中は危険とは言ったものの、裏手にまわって何も無ければ、あとは中を調べるしか無いような気もすると、杏は思う。


 サングラスについた埃を気にしつつ、杏は銃を構えながら、麗魅を盾にするかのような動きでその後をついていく。

 二人で行動するときは、常に麗魅が先頭で、麗魅にかばわれるような位置取りで動く。とはいっても戦闘時には麗魅も即座に反応して動くので、常にそのスタンスを維持するわけでもないが、戦闘行為による純粋な力の差と、担当の違いによって、二人の間ではこの位置取りが自然なものとなってしまった。

 幾度も二人で修羅場をくぐり抜けてきたが、積極的に交戦するのは麗魅で、杏は戦闘においてはサポートに徹している。


 建物沿いに裏へ回るが、人の気配は無い。庭園は裏の方がさらに広く、かなりの敷地面積だ。花壇よりも木々の方が多い割合で、林の中にベンチや遊歩道まである。

 都心内だというのに、こんな怪しい施設の中にはもったいないなと杏は思ってしまう。憩いの場所として利用するのも、施設内で働く所員くらいだろう。


 麗魅が足を止めた。つられて杏も足を止める。


 遊歩道の先に、制服姿の中学生くらいの少年が佇んでいた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る