第三章 7

 芥機関が崩壊して約一時間後。


 二十畳の広い部屋の中央にて、星炭流呪術二十八代目後継者星炭亜由美は、黒い着物を着たまま仰向けに寝転び、目を閉じていた。

 彼女のすぐ横には、幼少の頃から亜由美に仕えてきた江川昌子が同じ黒い着物姿で、正座している。こちらも目を閉じている。


「我等の秘儀は見事成功しました。憎き芥機関はこの世から消えました」


 瞑目したまま、しかし顔だけは亜由美を見下ろすような角度で、昌子が告げる。


「当然でしょう。我ら一族最大の秘儀を行使したのです。長き星炭の歴史上でも、まだ両手で数えるだけしか使われたことのない奥儀に携われたこと、皆、感謝すべきでしょう」


 この「皆」とは、芥機関にいた研究員と試験体、それに術を発動されるためにさらわれた子供達全てをひっくるめて指している。亜由美は嘲るわけでも嘯くわけでもなく、本気でそう思って言っていた。


「苦痛、悲痛、絶望、憎悪、狂気、これら負の心は凡夫共にとっては忌むだけでしょうが、我々星炭流呪術にとっては貴重にして愛おしい力の源泉。それら負の心を力に変えて、我等はこの国を守り続けてきたのです。必要な犠牲でした。名誉の犠牲と言ってもよいでしょう。冥府でその真理を理解すれば、誇りと思えるに違いありません」

「ええ、亜由美様のおっしゃるとおりですね。あの子達はとても幸せです」


 うっとりした表情で笑みを浮かべて言う亜由美に、昌子もまた笑顔で頷く。

 と、その直後に、昌子は表情を引き締めて報告を続けた。


「二つほど悪い報告があります。斥候の四人との念話が途切れています。おそらくは雪岡純子らと遭遇し、殺されたものかと」

「芥機関を調伏しても、怨敵雪岡純子を討ち逃したのでは話になりません」


 厳しい口調で亜由美。


「真鍋さんが言ったように、星炭流呪術の術者は、直接的な荒事には長けていないのが現実です。一部はそれらの訓練もこなしておりますが、荒事に長けた裏通りの者と直接対峙するのは得策とは言えません」

「それを承知しているからこそ、外部の戦力を投入するべきという、真鍋や貴女の提案に従ったのよ」


 たしなめる昌子に、芝居かがった口惜しげな声音で亜由美。


 亜由美はあくまで星炭の一族だけで――自分達の力だけで事を済ませたかった。

 そのための準備も念入りにしてきたつもりだったが、やるなら徹底的に手を尽くすべきであり、金を払って殺しや戦闘のプロを雇えるだけ雇い、星炭はそのバックアップに回る戦法が得策であると、高位呪術師の真鍋学が提案したのである。

 幼い頃から亜由美に仕えてきた昌子もそれに同意して、二人がかりで説得されてしまい、やむなく折れたが、内心では未だ歯がゆさが残っている。


 加えて言うと、この戦いの指揮官は昌子という事になっている。十六歳になったばかりの少女が、一族の命運をかけた戦いに挑む。

 当主たる亜由美は、昌子や小池や真鍋が出した戦術案の最終決定を下すか、大掛かりな術を行使するだけの役割だ。亜由美もその自覚はあるので、一族の矜持を振りかざして押し付けるような真似もしない。

 全てを昌子と小池達に任せ、どんな手段を用いてでも勝てばよい。


 星炭の分家である呪術流派の当主の家系に生まれ、星炭の呪術と誇りを叩き込まれてきた亜由美は非常にプライドが高く、また大変な野心家であった。

 世間(魔術方面での業界)では、本家である星炭流妖術の方が格は上と見なされているが、亜由美が二十八代目当主の座に就いた時、自分の代でそれを塗り替えてやろうと決意した。

 世界中の魔術師、呪術師達が畏怖し、星炭流呪術の名を知らぬ者はいないように、世に名の轟く魔道の大家とすることを夢想していた。


 だがその矢先、芥機関などという施設が作られ、亜由美のプライドはいたく傷つけられた。亜由美は立腹し、物凄い剣幕で政府に不服を訴えた。

 亜由美だけではなく、他の星炭の術者達も同じだ。星炭流呪術はその術の体系上、汚れ仕事を担う事が多かったため、特に国家への忠誠と他流派への対抗心が強く、芥機関に対しても敵愾心剥き出しになった。


 あげく最後には、科学者などに超常の力を安易に量産させるような機関を作るようなら、国の守護の任も請け負いかねるとまで言って、脅しをかけたつもりであったが、見事に的が外れた。逆に国側から国家守護の役を解任されるという厳しい処置を頂き、現在に至る。

 そうなったのも全部、芥機関と雪岡純子のせいとして、芥機関と純子の双方を上回る力を見せれば、権力者達も自分達を認めなおすであろうと考え、亜由美ら星炭流呪術の一族をこのような行動に走らせたのである。


「もう一つの悪い報告は何かしら?」


 目を閉じたまま、亜由美も昌子の方に顔を向けて訊ねた。


「雪岡が配下として使っている、雪岡純子の殺人人形の通り名で呼ばれている殺し屋相沢真が、芥機関調伏後、雪岡と別行動をとっております」

「はて……それはまた妙な話ね」


 昌子が何故それを問題視しているのか、亜由美には理解できなかった。


 相沢真とやらが如何なる人物かは、事前に調査して亜由美も知っている。雪岡純子に敵対行動を取った者達を全て排除しているという、凄腕の殺し屋。その正体は、雪岡純子の最高傑作たるアンドロイドかサイボーグ、あるいはバトルクリーチャーではないのかという説が、裏通りでは根強い。


「我々に襲撃されているとあれば、側にいて雪岡を守るはずではないですか?」

「雪岡とは何名かが行動を共にしているようです。おそらくは芥機関で人工的に生み出された超常の領域の者でございましょう。雪岡の守り手は、彼等ではないかと思われます。その一方で殺人人形の相沢真は別行動を取るという意味は、相沢真を我々に対する刺客として放ったと考えてよいでしょう」


 昌子の言葉に、亜由美は今まで閉じていた目を開いた。それとほぼ同時に、昌子の方も閉じていた目を開き、二人の視線が柔らかくぶつかりあう。


「なるほど。ということは、我々は雪岡に刺客を放つだけではなく、雪岡から放たれた刺客である相沢真から、身を守らねばならぬということですわね」


 純子の目論見では真は囮で、純子らが星炭の頭領の首を討ち取りにいくことになっていたが、亜由美らがそれを知る由もない。


「その方法としては、雪岡に対しての処置と同じ方法が得策です。すなわち、相沢がこちらに辿り着く前に、こちらの兵を相沢にも向けて放ち、始末する手です。けれどもこれは、結果として兵力の分散という形になります。こちらは荒事にもその指揮にも長けていませんし、二つに分けた部隊の同時指揮というのも、正直言って厳しい所です。雪岡の守護者は相沢一人であると思って油断していました。まさか他に自分の護衛を用意し、二手に分かれてくるとは」

「雪岡純子は、我々の襲撃を予期していたのではないかしら?」


 眉間に皺を寄せて、亜由美が言う。


「そうでなければ、このように手早く対応できるものではないでしょう?」

「私も亜由美様と同じ考えです。我等の呪術による追撃も、完璧に退けられています。遠隔よりの呪殺は効きませんね。視界より直接霊を放たなければ。生霊も恨みを放った直後で当分使えないかと」


 心持ち口惜しげな声音で昌子。


「まあ、そのようにあっさりと片付く相手だとは、私も思っていません」


 微笑を浮かべ、亜由美は昌子に手を差し伸べた。


「おいでなさい、昌子。今は憎き芥機関を討ち滅ぼした事を祝いましょう」

「はい」


 夢見るような表情を浮かべ、昌子は亜由美に覆いかぶさり、互いに唇を合わせた。

 昌子が亜由美の服をはだけさせ、舌と唇と手で存分に愛撫を施す。

 幼い頃から共に育ち、主従の関係にあった亜由美と昌子だが、秘め事の際には立場が逆転していた。昌子はいつも乱暴なまでに攻めたて、亜由美はそれを受けるのみ。


「綺麗ですよ。亜由美様」


 喘ぐ主をうっとりとした表情で見下ろしながら、昌子は呟く。


「もっと感じてくださいまし。そうすればきっと亜由美様の呪力も高まるはずです」


 星炭流呪術は性魔術の流れは汲んでいないし、能力が向上する根拠は全く無いが、昌子も亜由美もそう信じていた。いや、実際に能力が向上するかどうかというより、そう思い込むことが、二人を燃え上がらせるスパイスとなる。


「ああ……命の喜びを感じますっ。そしてこの世で最も大きな愛をっ! 昌子の愛を!」


 激しく体を震わせて悶えながら、亜由美は無我夢中になって叫んだ。

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