第三章 6

 地獄のような光景だった。

 四肢の無い子供の霊が無数に飛び回り、芥機関の研究員に、そして実験台となっていた者に取り憑き、自分達が体験した地獄を見せる。

 やがて建物と一体化したかと思ったら、建物ごと爆発して消え失せる。

 あちらこちらで爆発がおきる。悲痛に満ちた絶叫が、恐怖に満ちた悲鳴が、狂気に満ちた哄笑がそこかしこで響き渡っている。


 橋本美穂、金町武郎、中村國男の三人は、霊に取り憑かれることなく、その光景を見て回ることが出来た。じっくり見ていたわけではないが、施設の中を駆けている間に、どこへ行ってもその光景が視界に飛び込んできてしまうのだ。


「生霊の攻撃は受けないけれど、爆風や破片だけは気をつけてねー」


 先導する純子が場にそぐわぬ明るい声を出し、まるで子供に言い聞かせる先生のような言い方で注意を促す。隣には真もいる。

 美穂は純子に疑念を抱かずにはいられなかった。自分達を助けてくれるとは言っていたが、これがそうなのだろうか。こんな禍々しい方法を用いるなどとは。


 二時間ほど前、いつもとは異なる時間に純子と真が三人の前に現れた。


「というわけでー、いよいよここを脱出する日が来たってわけー」


 何の脈絡もなくそう切り出され、美穂達は困惑しながら顔を見合わせた。

 いずれここから逃がしてやるとは聞いていた。しかし如何なる手段で逃げるのか、逃げた後はどうなるのか、そもそも逃げて平気なのかなど、いろいろと不安はあった。

 実際、國男などは何度も質問していたが、純子は「まあ、まかせといてー」と笑ってはぐらかすだけで、一切教えてくれなかった。


 美穂は純子のことを信頼している。彼女が担当になってから、全てが好転して、あとは自由だけという話になった。その自由すらも保障してくれた純子は、まさに救いの女神に思えた。しかし果たして本当に逃げ延びる事ができるのだろうか?

 いくら裏通りの有力な科学者とはいっても、国家権力に真っ向から歯向かう形になって、ただですむとは思えない。

 自分達をここから逃がす事は、国家からも見過ごせないタブーになるのではないのかと、美穂は危惧したのである。仮にも国の最重要秘密施設の、生きた最重要機密を独断で外に持ち出そうというのだから、ただではすむとは思えない。


 そして純子が脱出決行を宣言した直後、芥機関に四肢を切断された子供の生霊が何十人も来襲し、建物内にいる者全てに襲いかかり、建物を破壊していくという想像を絶する事態に見舞われたのである。


「この混乱に乗じて逃げるよー」


 それが純子の告げた、美穂達三人がこの忌まわしい施設から逃走するための手段であった。


 霊の攻撃は美穂の力で退けていた。美穂は精神攻撃や呪殺などを防ぐ結界を構築する力を育まれた。この能力の開花は、芥機関では最もポピュラーな育成である。超常国防にあたって、最も需要のある重要な能力だ。敵国の術者や能力者の攻撃も、テレパスや幽体離脱によるスパイ活動も、この力を持つ者がいなければ防げない。


 霊に取り憑かれることは避けられても、物質的な爆発などは美穂の力では防げない。

 それに対しては國男が力を発動させて守った。彼は不可視の塊のようなものを作る力がある。全く目には映らないが、つるつるした石のような手触り透明の塊を、出したり消したり動かしたりすることができるのだ。「いろいろと応用が利いて便利な力だ」と、國男も気に入っている様子だった。


「この子達は、この術のためだけにこんな風にされたのね」


 チャネリング能力を鍛えられた美穂には、結界を張りつつもなお、四肢を切断された子供達の生霊の無念と絶望の叫びに触れていた。この霊の攻撃が大掛かりな儀式を用いた呪術である事も、理解していた。同じ人間とは思いたくない程の所業に、美穂は激しい怒りを覚える。


「純子、まさかとは思うけれど、君がやったわけじゃあないんだよね……」

 早足で歩きながら、恐る恐る尋ねる武郎。


「まさかねー、いくら私だって、こんなひどいことはしないよー」


 先導して同じく早足で歩く純子が、武郎の方を振り返って屈託の無い笑みを見せて否定する。


「じゃあ、こいつは誰の仕業なんだい?」

 國男が問う。


「そのうえあんたは、この事態が起こるのも知っていた様子だな。前もって俺達を逃がすと宣告しておいて、こうなる日を見計らって来て、事前に今から逃げると言った。で、この有様だ。それでいてこの混乱に乗じて逃げるってことは、そういうことだよな」


 國男は不信感を露わにして、挑みかかるような視線を純子にぶつけている。


「歩きながら説明するねー」

 そんな國男に笑顔を向け、純子は話し出した。


「今、この術を使って芥機関を襲撃しているのは、星炭流呪術っていう呪術流派の一門だよ。私もこの芥機関も、その呪術の大家に敵視されていたの。本来、超常国防は妖術や呪術といった、超常の領域を術という体系で行使、継承する人達に一任されていたんだけれど、科学的にその領域を切り開いて超常の能力者を量産させる芥機関が、それに加わっちゃってねー。それが気に食わないって敵視しているのが、星炭流呪術ってわけ。私はここの創設者だから、セットで憎まれている感じかな」

「はっ、そりゃまた器のちっちゃな連中だなあ」


 國男が笑い飛ばす。


「超常的な国防は術師がするべきっていう、矜持だか強迫観念だかがあるみたいだねー。その伝統を壊すことが、彼等には許せないことでさー。『芥機関を創設するなら国の守護の任も請け負いかねる』ってまで言ったから、逆に政府の方から先に解任されちゃってるんだ、これが。で、ますます腹立てちゃって、芥機関と私のことを憎んでいるってわけ」

「そんなの、完全に逆恨みじゃない」


 半ば呆れつつも憤慨する美穂。そんなくだらない矜持と復讐心のために、幼い子供達をこんな酷い目に合わせる術を行使するとは、どう考えても邪悪な集団だ。


「まあ、あとは國男君の言った通りなんだけれどね。彼等が私と芥機関を同時に襲撃することを私は察知していたから、君達の逃走に利用させてもらおうと思ってねー。芥機関自体、私が目指していたのとは別な方向に進んでいたから、これで潰れたとしても願ったりかなったりだし、悪い言い方だけど最後に残ったサンプルとして君達がいれば、それを叩き台にして、もっと人道的な超常能力育成機関も新たに作れるだろうと思ってさ」

「その考え方と利用の仕方も中々ひでーもんあるよな。ま、助けてもらっている立場で、そんなこと言えたもんじゃねーけどさ」


 と、國男。不信感がぬぐわれたかのような、安堵した笑みが浮かんでいる。


「こないだもそうだったが、綺麗事ばかり言ってない所に逆に信用おけるかも、な。一応これフォローのつもりね」


 國男の言葉に、美穂も同感だった。おそらく武郎も同じだろうと思う。むしろ純子の選択と行動はやむを得ない手段とも言える。同時に、この惨劇を作り出したのが純子の仕業と疑った自分を、美穂は恥じた。


「ありがとさままま。これ以外にも方法は幾つか考えられたんだけれど、星炭流呪術の人達の襲撃があったからねー。それさえなければ、もっと別な方法でもよかったんだけれどさー。第一、これで簡単に逃げられるってわけでもないしね。星炭流呪術は、私のことも狙ってるからねー」

「純子と一緒にいると俺らも狙われるってこと?」


 武郎が問う。


「どちらにせよ私達は純子に頼るしかないんだから、このまま一緒に行動するしか無いでしょ。それなのに純子が狙われてるせいで私達も危険になるなんて言うのは、お門違いなんじゃない?」

「ご、ごめん」


 美穂が武郎に向かって言ったが、慌てて謝罪する武郎を見て、ついつい批難するような口ぶりになってしまい、言い過ぎたと反省する。


「んー、こんな風な助け方しかできなかったのは、悪かったと思ってるよー。すまんこ」

「いや、純子が謝ることじゃないよっ」


 微笑みながらも本当に申し訳無さそうに言う純子に、武郎が励ますように力強い声で否定する。


「お喋りは少しの間、中断だ」


 純子の隣を歩いていた真が、抑揚の欠けた声で告げた。


 見ると前方から、胸に白い星の刺繍が縫われた黒い着物を着た男女二人が、こちらに敵意の眼差しを向けて立っている。


 女の方が何かを口走ると、子供達の霊が壁から床から天井から、吹き出すかのように一斉に湧いて出た。さらに女が合図をするかのように手を振ると、それらの霊がまるで一個体の生き物のように固まって密集し、大きく尾を引いてうねりながら美穂達へと襲いかかる。

 美穂は今まで以上に気を引き締め、精神を集中する。霊の攻撃から身を守る力を持つのは自分だけだ。この攻撃を防ぎ切れなかったら、あれだけの数の霊が相手では、一瞬で全滅する。

 先頭にいる純子と真の前で、霊の群体は見えない壁に当たったかのように弾かれ、バラバラになって霧散する。武郎と國男が表情を引きつらせ、重光も若干の慄きを見せる一方で、純子と真は眉一つ動かさなかった。


 霊の攻撃を防がれたのを見て、今度は男の方が早口で呪文のようなものを唱え、手を振るった。男の手から紫電のようなものがほとばしる。いや、よく見ると電撃ではない。それもまた霊だ。猿のような顔が電撃の中に浮かんでいるのが見えた。

 霊は全くあらぬ方向へ、美穂達のいる大分手前の天井に伸びただけで、一瞬で消えた。


 男が術を行使すると同時に、真が銃を抜いて二発撃ち、男女の術者二人の額の中心を銃弾が穿つ。二人は仰向けに倒れる。


「いくら超常の力があろうと、撃たれれば死ぬだろうに。呑気な奴等だな」

 抑揚に乏しい声で呟く真。


「ゲームでも魔法使いは後ろに位置させるもんだけれど、現実でも同じってか」

 冗談めかして言う國男。


 よく笑っていられるなと、美穂は國男を見て呆れる。この研究所に来て人の死は何度か目撃したし、今も霊の攻撃を受けて次々と死んでいく所員や試験体の人達を見ているわけだが、自分より年下であろう男の子が、人を殺しておいて、虫でも殺すかのような口振りである事に、戦慄を覚えずにはいられない。

 純子もそうだ。真が殺人を犯したのを見ても当たり前の風景であるかのように受け取っている。やはり一般社会の人間ではない。


 まともな日常に戻りたいと切に思う。借金のかたに売られてきた身ではあるが、人生の全てを放棄したわけではない。普通がいい。我が家に戻って、また普通の生活がしたい。

 そのための手助けをすると、純子は言ってくれた。そして今実際にこうして助けようとしている。それはとてもありがたいことだが、日常に無事戻れたら、一切こんなおかしな世界に関わりたくない。世界の裏など覗きたくない。


 しかしそうもいかないであろう事も、美穂にはわかっている。今純子が言った事を聞いた限り、純子も単純に慈善事業だけで自分達を助けてくれているわけではなく、目論見があってのことだ。助けてくれる代償として、何らかの形で純子に協力することになるのだろう。

 美穂はそれを拒否するつもりは無い。純子を信用しているし、彼女に恩を返したいと思うが故に。


「行こう、美穂」


 立ち止まって動こうとしない美穂を、武郎が促す。声に美穂を案じる響きがあったので、慌てて美穂は精神を集中しなおし、純子らの後をついていく。


 その後は星炭の術者と遭遇することもなく、五人は建物の外へと出ることが出来た。


「うお~……四ヶ月ぶりの青空だよ……」


 武郎が感無量といった顔で言う。美穂にとってもそれくらいだと思うが、正確な月日の経過などわからない。


「空ってこんなに青かったんだね……」

 思わずポツリと呟く美穂。


「うん、それに太陽ってこんな眩しくて気持ちいいものだったんだ」


 武郎が泣きそうな顔になっていた。その気持ちは美穂にもわかる。もう一生外には出られないのではないかとすら思っていたのが、再びこうして空を拝める事ができたのだから。


「太陽様からしたら、慣れたら何とも思わなくなるのに、都合のいいこと言ってんじゃねーって感じだろうな」


 國男が茶化す。しかし彼も外に出られた事を喜んでいるようで、嬉しそうな顔で深呼吸を繰り返している。


「んー、思ったほど星炭さんらとの遭遇は無かったねー。まあ、あの術の特性を考えればここに大人数派遣するってことは無いのかもだけれど。さて、真君、あとは頼んだよー」


 純子が真の肩をぽんと叩く。真は返答を返さず、無言のまま歩き出す。


「あー、私達はこっち」


 真についていこうとする美穂らを、純子が呼び止めた。反対方向に歩き出そうとする。


「あいつ、行っちゃうけど、いいのか?」


 反対方向へ一人で進もうとする真を指し、國男が尋ねる。


「これからどんどん、私達を狙って星炭さんらの刺客が送られてくるだろうからさー、真君には囮になってもらって、敵の数を分散してもらうんだよ」


 屈託の無い笑顔のまま、さらりと答える純子。


「で、私達は真君がある程度敵を引きつけている間に、敵の親玉の居場所を見つけ出してやっつけに行くってわけ。逃げてばかりでも埒があかないし、きっちり決着つけないと、安心して寝られないしねー」


 とんでもないことを笑いながら簡単に言ってくれるなーと、美穂は暗澹たる気分になった。それが純子にとっての日常というか、そういう世界に生きている人間なのだから、という事は理解しているが、よりによって、自分らが人殺しをする事になるなど……

 だがたとえ自分達がいくら嫌がっても、相手は自分達を殺しにかかってきているわけだし、ここでどんなに平和主義を唱えようが、平和な日常に戻りたいと訴えようが、どうにもならない事はわかっている。


(うん、やるしかない。ここでへこたれるなっ、自分)


 美穂がそう覚悟を決めた直後、自分達が数ヶ月間閉じ込められていた建物が、背後で轟音と共に崩れ落ち、四人は大量の埃に包まれる。


「作る時は手間かかったけれど、壊れる時は一瞬だねぇ。まあ最後に私の役に立ってくれたからいいけどさー」


 埃の中、崩壊した建物の方へと振り返り、純子は呟いた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る