第三章 5
樺嶋翔は、芥機関の所長である。
政府の重要施設である芥機関の最高責任者としての栄転が決まり、浮かれきっていた樺島であったが、ある日を境に、芥機関の真の最高責任者は自分ではなかったと言う事を、嫌というほど思い知った。自分はただ、代役として責任者を任されていただけにすぎないことを。
研究施設と試験体を一人の小娘の好き勝手に使われるという屈辱。
その小娘が、一世紀以上は進んでいるとまで言われている、自らのオーバーテクノロジーを披露し、芥機関の数年以上にわたる研究成果をあっさり否定するに至った、優れた結果を見せた事への嫉妬。
さらには芥機関の創設者でもあり、芥機関を自由に私物化する権利を政府より与えられているという、認めがたい現実。
まるで悪夢だった。所長としての面子も権威も形無しになった。しかも聞いた話ではその小娘はこの研究施設を作るだけ作っておいて――
「こーいうのって、実際に作ってみると思ったよりつまんないねえ。作っている時は面白かったけれど、できたら二日で飽きちゃった」
などとほざいて、ここを離れたとのことだ。
所長室でくすぶっていた樺島の前に、それは突然現れた。半透明のそれを目にした時、樺島は驚愕のあまり腰をぬかし、大声で悲鳴をあげた。
「たすけて……たすけて……家にかえして……」
泣き声でそれは訴える。
「たすけてよォ……たすけてよう……おかあさん……」
幽霊――としか形容できないそれは、樺島の前で、踊り狂うかのように飛び回り、泣き声で訴え続ける。子供の幽霊……手足の無い子供の幽霊だった。
「たすけて……たすけて……」
樺島は元々名誉欲と出世欲だけの塊で、他人の痛みや迷惑を意に介さぬ、自己中心的で淡白な人間である。そんな樺島ですら、手足を失った子供が泣きながら助けを乞い続けるその光景には、胸の痛みを覚えた。いや、これは樺島自身の感覚でそう思ったのではない。すでに樺島は取り憑かれていた。霊の悲痛と絶望に共鳴していたのだ。
樺島は自分の体が、子供のそれになっているのを感じた。
七歳の頃の自分。視点も低く、体が軽い。それだけではない。
樺島がいるのは研究所ですらなかった。七歳の頃に住んでいた家。親がいて、家庭の中で守られ、何不自由なく過ごしていた頃に戻っていた。
自分が突然子供の頃に戻っている事に、樺島は何の疑問も抱いていなかった。それをごく自然に受け入れていた。七歳から先のことも覚えていない。昼は学校へ行き、友達と遊び、夜はテレビを見ながら家族団らん。悩むことも何も無かった平和な日々。
そんな樺島の前に、黒い着物に白い星の刺繍が施された、恐ろしげな大人達が現れ、樺島の口を塞ぎ、拘束し、夜の街を駆け抜けていく。
その恐ろしげな集団に、裸に剥かれ、蝋燭の立ち並ぶ台の上に寝せられる。彼等はぶつぶつと意味不明な言葉を口走っていた。それが呪文であると樺島が理解できたのは、樺島の意識が七歳に戻っていても、実際に七歳なのではなく、様々な知識と経験を積んだ大人であるからだ。
刀を持った女が近づいてきた。綺麗な人だ。歳は二十歳前後くらい。
女は樺島に向かって、にっこりと優しく微笑む。その笑みを見て樺島は一瞬だが安堵を覚えた。けれども文字通り、その安堵は一瞬で終わった。
女は手にした刀を振り下ろし、樺島の右腕が付け根から切断された。
絶叫があがる。
続けざまに、左腕、両足も付け根から切断される。耐え難い激痛はあったが、奇妙なことに、切断された手足からは激しく出血しているにも関わらず、胴の方の切断面からは、一切出血が無かった。
それを第三者的な視点から観察できた事と、よくショック死しなかったものだと、頭の中で冷静に考える自分がいることに、樺島は気付いていなかった。
手足を切られたまま何日も仰向けにされて、苦く不味い得体の知れない流動物を食べさせられた。排泄があるとすぐに綺麗に片付けてくれたし、毎日体も湯で濡らしたタオルで丁寧にふいてもらった。しかし何ら救いにもならない。
樺島は何日も笑い続けた。最初は泣いていた。泣きながら助けを呼んでいた。心の底から父と母に向かって助けてと祈り続けた。
神様にも懸命に助けを乞うた。が、助けは来なかった。自分が何でこんなことになっているのか、全くわからなかった。いつしか樺島は泣くのをやめて、そのうち笑うようになった。何がおかしくて自分が笑っているのかも、わからなかった。
ある日、床も天井も壁もオレンジと黒で彩られた、けばけばしい広間へと連れて行かれた。
そこには夥しい数の蝋燭が立ち並び、樺島と同じように四肢を切断された子供達が、並べて寝かせられていた。ほとんどの者は泣いていたが、樺島のように笑い続けている者もいた。ただ呆然と宙を見上げている者も多かった。
「あなたたち、光栄に思いなさい」
樺島の手足を切り落としたあの女が、樺島の横に立ち、歪んだ笑みを満面にひろげて告げた。
「私の名は星炭亜由美。由緒ある呪術流派星炭流呪術の二十八代目当主。これは星炭の呪術最大の秘儀。我が一門の復活のため、我らを貶めた怨敵雪岡純子の調伏のため、この星炭の一族七百年の歴史の集大成とも言える秘儀の礎となる事、大変名誉なことなのですから、光栄に思い、感謝しなさい」
陶酔しきった口調で女は述べる。
星炭の名は知っていた。この国の霊的国防の大任を担う者達の中に、星炭流という名の妖術の大家と、呪術の大家が、それぞれいたという話だ。
数多くの呪術や妖術の流派が霊的国防を任せられているが、その中でも星炭流呪術は、発言力も影響力もそれなりに強かったという。
しかし呪術流派の方は、芥機関が創設されると同時に、政府からお払い箱にされた一族であるという事だが、その理由までは知らなかった。
一瞬だけ、樺島本来の記憶がよぎったが、それもすぐに消え去った。
ここまでに至る樺島が体験した記憶は、樺島の記憶ではない。取り憑いた霊の記憶が、樺島の記憶に置き換え、見せられている。精神を蝕まれ、樺島は、虚ろな目で虚空を見上げ、口の端から涎をたらしながら、哄笑をあげていた。
「たすけて……たすけてっ……たすけてっ……! た・す・け・てッ……!!」
一方で、四肢の無い子供の霊は速度を上げ、激しく部屋を飛び回ったかと思うと、部屋の壁に突撃し、そのまま壁の中へとすり抜けるように消えてしまった。
「たすけてっ!」
壁をすり抜けてどこかへ行ったかと思いきや、霊はまだ消えてはいなかった。
部屋の壁に、子供の泣き顔がくっきりと浮かび上がり、浮かび上がった顔を中心にして壁に亀裂が走る。
コンクリートの壁が爆発するかのように砕け散った、壁、天井、床にかけてまで、無残な破壊の痕跡を残している。
爆発で飛び散った破片を浴び、顔中から流血しながらも、樺島は笑い続けていた。
樺島は再び七歳の頃に戻り、何度も何度も手足を切断され続けていた。樺島の目に映る光景、樺島が肌で感じる感触は、それだけしかなかった。それが延々と繰り返され、それ以外のものは何も見えず、感じることが出来なくなっていた。
倒壊する建物の中で圧死するまで、樺島は取り憑いた子供の霊の体験した記憶を見続けた。
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