第三章 呪術流派一門を遊ぼう

第三章 二つのプロローグ

 雲塚杏くもつかあんが彼女と出会ったのは、十七歳の時――裏通りの住人となって一年経った頃だ。職種にもよるが、大抵この世界で一年も生き延びれば、もう駆け出しとは呼べない。

 杏はヘマをした。仕事の最中に杏は調査中の組織に捕まって、ほぼ絶望的な状況下にあったのだが――


「ありがとう……」


 自分を助けてくれた人物に向かって、暗い面持ちで杏は礼を告げる。


「礼なんかいいからさ、さっさと銃を拾いなよ」


 深夜の公園。むせかえる血臭の中、体にこびりついた汗と体液をぬぐう杏に、憐憫の眼差しなど一切向けず、形容しがたい力強い視線を送りながら、彼女は明るい声で言い放った。

 血と肉片が飛び散った世界。その中心で悠然と佇む彼女の姿を、一枚の絵として美しいと杏は思った。


「来たぜ」


 言葉とほぼ同時に、無数の足音がこちらに向かってきているのを、杏は耳にする。

 彼女は不敵な笑みを浮かべ、公園の入り口を見ていた。


 銃を撃つ。そのたびに命が一つずつ消えていく。彼女は一人で複数の敵を真っ向から相手にして、次々に葬っている。

 その反応速度の凄まじさは、人間のそれを越えた領域に入っているように、杏の目には映った。敵の姿が見えたと思ったら、次の瞬間には敵が倒れている。まるで一方的な殺戮ゲームのようだ。

 敵も反撃しているが、弾道を見切り――当然、裏通りの住人の常識として、コンセントと呼ばれる薬の力をもって成せる業だ――最低限の動きで彼女はかわしている。


 どんな腕の立つ豪の者も、十人以上もの銃器を持った相手に一人で正面から立ち回るなどといった、非現実的な真似はしない。できない。

 だが彼女は実際にやってしまっている。それも軽々と。まるで映画のヒーローが、悪役を次々なぎ倒していくような勧善懲悪のカタルシス。しかし実際には善も悪も無い。互いの都合で邪魔者を消し合っているだけだ。


 杏も銃を取り応戦する。敵は全員、一人で大立ち回りする彼女の方を狙っていたので、杏はあまり己の身を気遣う必要は無かった。


 敵は木立を盾にしているが、あまり意味を成していない。敵がこちらに向かって発砲しようとした瞬間を、彼女は見事に狙いすまして撃っている。発砲の度に確実に一人ずつ、手や頭を撃ち抜かれ、戦闘力を失うか命を失っていく。夜の闇の中で完全に敵の位置も把握している。

 集中力と反射神経を爆発的に高める薬物コンセントの力を借りていてなお、人間離れした腕前だ。敵からすればさぞかし恐ろしいであろう。わずかたりとも射程範囲に入っただけで、確実に銃弾をヒットさせてくる怪物が相手なのだから。


 敵はあっという間に掃滅された。杏の手助けなどはいらなかったに違いない。


「はい、おっしまいっと」


 銃をしまい、杏を見て彼女はにっこりと笑ってみせた。少し斜視が入っているが、美少女と呼ぶに何のためらいもない可愛らしい顔に広がる、場にそぐわぬ人懐っこい笑み。街灯の明かりに照らされて、彼女の顔をまじまじと見ることが出来た。

 杏とそれほど年齢は変わらない。それなのに、この差は何なのだろうか。嫉妬も覚えたが、それ以上に羨望と尊敬の気持ちが強く働いた。


「ありがとう」


 もう一度礼を言う。今度は自然と笑みがこぼれていた。


「何度も言わなくていいよ。それに、そんな顔で見られると照れちゃうよ」


 本当に照れくさそうに笑う彼女を見て、自分はどんな顔をしていたのだろうと、杏は恥ずかしくなる。


「あの……名前、聞いていいかな?」

「何だよ、あんたは。助けていただいてありがとう、お名前は? って、どっかのお姫様じゃあるまいし」

「それだけじゃなくて、一応これでも私、情報屋だから。腕の立つ人はマークしておきたいの」

「へえ、情報屋かあ」


 感心したような声をあげる彼女。


「あたしもその手のモンとは、縁を持っていた方が、いろいろ便利そうだなあ」

「役には立つ自信はあるよ」

樋口麗魅ひぐちれいみ。始末屋だよ。あんたは?」

「雲塚杏」

「知らない名だなあ」

「そういうあなたの名も知らないけれど……」


 むっとしたように言う杏。


「なははははは、そいつは困ったね。あたしも腕には自信あるんだけれど、名前の知られてない情報屋にも知られてないなんて、もっと頑張って仕事しないと駄目かあ」


 麗魅があっけらかんと笑うが、冗談だけで言っているのではない。名声はこの世界では重要だ。少なくとも組織に属さずフリーで生きる個人にとっては。仕事を得るためにも、個人の矜持を支えるためにも。


「何だったら、私がうまいこと売り込んであげようか?」


 こちらも笑いながら、しかし真面目に杏が言った。


「才能も実力も、それに見合った評価が必要よ。でも必ずしもそれが正当な評価がされるわけでもない。私なら職業柄、力のある者を世に知らしめることができる」

「へえ。んで、その見返りは?」


 助けてもらっただけで、そんな見返りはいらないとも思ったが、しかし杏は、それはそれでもったいないとも打算を働かせた。


「私が力を貸してほしい時には、助けて欲しい。もちろん仕事としてね」

「なるほどねえ。そいじゃあ、ここはひとつ快諾ってことでっ」


 並びのいい歯を見せて笑いながら手を出す麗魅と、杏も微笑み、握手をかわした。


 それが、六年前の話。


***


 赤塚克彦は今日が四十二の誕生日であることを、求人サイトに表示されている日付で知った。


 ほんの半年前まで赤塚は会社員だったが、リストラされてから、欝状態に陥って家に引きこもる日々が続き、妻にも愛想をつかされた。おまけに妻を友人の田沢に寝取られたあげく、田沢に騙されて家屋土地を抵当にいれられて株に手を出して破産。田沢と妻は娘を連れて海外へ逃亡。

 赤塚はホームレスとなり、己の運命を呪いながら、その日暮らしの毎日を送っていた。


 そんな赤塚がある日、ホームレス向け求人サイトを開いた時、日付で自分の誕生日だと知ると同時に、興味を引く広告を目にした。


『雪岡研究所――あなたの願いをかなえます。代償はあなたの体と覚悟のみ』


 魔が差したのだろうか、赤塚はバナーをクリックしてそのサイトを開く。


『裏社会の被害を受けてお困りの貴方、人生に絶望して自殺したいお方、大切な人を奪われて復讐したいけれど力の無い人、いじめっ子に仕返ししたいいじめられっ子の君、その他諸々力が欲しい! という人達に、当雪岡研究所では、人体実験に付き合ってくださる代わりに、満足のいくパワァァァを提供します。代金は不要です。死んでも文句は言わない事が条件です。貴方の肉体と精神と覚悟だけがあれば、今すぐ人智を超えた力が手にできますよ!』


 サイトトップには何とも怪しい文が書かれていた。さらに説明文を読むと、メールを送ったうえで、安楽市中心部繁華街絶好町にあるカンドービルの地下一階に来るようにと書かれている。


(くだらない……)


 そう思いつつも興味を抱き、面白半分に赤塚がメールを送ると、すぐに返信が来た。返信には、研究所がある地下への入り口に入力するパスワードが書かれていた。

 手の込んだ悪戯だと思う一方で、赤塚は更なる興味を抱き始め、万が一にもという可能性を信じたい気持ちになっていた。


 翌日、赤塚はカンドービルへ向かった。

 ビルの一階は一見ただのデパートとしか思えない。地下一階への扉にメールに書かれていたパスワードを入力し、扉の先にあった階段を降りていく。しばらく降りると直線に続く通路となり、その先には雪岡研究所と書かれた自動ドアがあった。


「本当にあった」


 半信半疑のまま訪れた赤塚が思わず呻く。いや、今も疑っているが、実際に施設の入り口を目の当りにして、大分真実味が増した。

 自動ドアの横についているベルを押すと、若い女性の声の応答があり、こちらの名を告げて、中へと入る。


「ようこそー、赤塚克彦さんだね?」


 中で出迎えたのは、驚いたことにまだ十代半ばにしか見えない小柄な女の子だった。

 髑髏の刺繍の入ったブラウス、黒いカーディガン、破れまくったジーンズという出で立ちの上に、裾の長い白衣をまとっているのが奇妙な服装。何よりも目を引いたのは真っ赤な瞳だ。心なしか透けているようにも見える、まるでルビーのようなその瞳を見て、何だか人間以外の生物に会ったような錯覚すら覚える。


「あなたが雪岡純子さん? あのサイトに書いてあった」

「いかにも、マッドサイエンティストの雪岡純子だよー」


 訝しげに訊ねる赤塚に、にっこりと屈託の無い笑みを見せて、少女は頷いた。

 こんな女の子が科学者? ということにも驚いたが、ボロボロの乞食である自分を見て、蔑むような視線を投げつける事もせず、反射的に目を背けなかった事にも、赤塚は少なからず驚いていた。初対面で嫌がる反応を示さなかったのは、市役所の職員やホームレス用の職場の人間以外では初めてだった。


「んー、メールで契約の同意は確認済みだけれど、口頭で最終確認しとくよー。私の実験に付き合って、死んでも文句は言わない。他にどんな失敗があっても責任は負わない。この条件でいいんだねー?」

「ああ……」


 十代にしか見えない少女の言葉とは思えなかったが、赤塚は二つ返事で頷く。それを見て純子もまたにっこりと微笑んで頷き返す。


「じゃあこっちに来てー。もう用意はできているから、早速実験にとりかかろー」


 言われるままに長い通路を歩かされる。回廊のような通路の左右に、ほぼ等間隔に扉がついている。その中の一つへと赤塚は誘われた。


 診療台やヘッドギアや、医療設備を連想させる機械があれこれと設置された、いかにもこれから実験台にされますよ――といった感じの部屋。

 赤塚は生唾を呑んだが、覚悟は決まっている。すでに自分は破滅している。だが命だけは燃えカスのように残っている。その燃えカスを使って、自分を裏切った者達と自分から全てを奪った者に、報いを喰らわせてやる。

 一人では地獄に行かない。特に田沢だけは絶対に許せない。自分の大事なものを奪っていったあの男には、必ずや地獄を見せてやると、心に強く誓った。


 それから数十分後。


「エマージェンシー、エマージェンシー、真君、第十三実験室に急行せよっ」


 内線の受話器を取り、棒読み口調で言う純子。


 目の前では、筋骨隆々の白髪の全裸の男が牙を剥いて吠えながら、部屋の中にある物をかたっぱしから壊して暴れている。


「何がエマージェンシーだ」


 しばらくして、制服姿の中学生くらいの年頃の容姿端麗な少年が、サブマシンガンとショットガンをそれぞれ片手に携えて現れ、呆れたように言う。


「博士っ! 実験は失敗です!」

「実験に失敗したのはお前だろ」


 少年は前世紀のコントの内容など知る由もなく、無表情のままそう突っ込んだ。


「とりあえず、真君の出番だから頑張ってー」

「随分派手に暴れてるな」


 部屋の中の破壊状況を見て、真と呼ばれた少年は無表情のまま呟くと、理性を失い怪物と化した赤塚克彦が暴れている室内へと、臆すること無く踏み込んでいく。

 室内に入ってきた真に即座に反応して、赤塚は咆哮をあげて飛びかかる。


 ショットガンから吐きだされた無数の散弾が、カウンター気味に赤塚を捕らえて、その体を吹き飛ばす。


「まだだよー」

 落ち着いた声で純子が言う。


 その言葉の意味は、確認しなくても真にはわかった。普通の人間ならこれで死んでいるが、純子の実験台になった人間ならそうとは限らない。


 血まみれになりながらも、赤塚は起き上がろうとしている。さらにもう一撃、ショットガンを撃つ。

 真は目を剥いた。弾が一発も当たらなかった。いや、赤塚の前で見えない何かに弾かれ、周囲の床や壁や機材に穴を穿っていた。


 再度飛び掛ってくる赤塚に、今度はサブマシンガンが火を吹いたが、やはり見えない何かに弾かれている様子で、赤塚は一発も弾を浴びることなく、真に襲いかかる。

 真は際どい所で赤塚の繰り出す拳をかわすと同時に右手のサブマシンガンを捨て、上着の裏から大降りのナイフを抜き、赤塚の喉元をえぐる。擦れ違い様に行われた一瞬の早業だった。

 首から噴水のように血を撒き散らしつつも、赤塚は死なない。それどころか傷口は見る見るうちに塞がり、赤塚は平然たる様子で真のいる方に向き直る。


「溶肉液は持ってきてないんだが、持ってないのか?」


 真も特に驚く事無く、平然とした様子で、赤塚を見据えながら純子に尋ねた。


「あるよー、はい」


 純子が何かを真に放り投げる。赤塚から視線を離すことなく手だけを動かして、それを左手でキャッチする真。注射器だった。


「最初から渡せ」


 抑揚に欠けた声で吐き捨てると、片手で針のキャップを外し、今度は真の方から赤塚に向かっていった。


「あー、迂闊に飛び込むと」


 純子が何か言いかけたが、真はすでに動いている。

 純子に言われるまでも無く、真は大体何が来るのかを察知していた。弾丸を弾いた不可視の力。それは防御だけでなく攻撃にも使えるであろうことも、予想していた。


 赤塚の殺気が高まる一瞬を見抜き、真はその瞬間を狙って横に跳んだ。予想通り、目に見えない何かが物凄い勢いで、コンマ数秒前までいた空間を駆け抜けていくのが、空気の激しい揺らぎと、赤塚の殺気の流れでわかった。

 そのまま真は赤塚の横を駆け抜け、擦れ違い様、首筋に注射針を突きたて、中の液体を流し込む。


「たぁざぁぅわぁぁぁぁぁぁっ!」


 断末魔の絶叫と共に、赤塚の肉が急激に溶けていく。強烈な血の臭いが辺りにたちこめる。

 やがてドロドロに溶けた肉の液だまりと、それと混ざった血だまり、白骨だけという有様になった。当然、赤塚は完全に絶命している。


「んー……そもそも、一つの実験体に幾つもの能力付与が不味かったかなあ。個別にしないとダメかあ。肉体強化と超常能力付与を同時に組み合わせるのもよくないみたいだしー。しかも短期間に急激にってのは、やっぱり無理があったようだねー。二ヶ月くらいは見た方がいいのかなあ。んー、いつになったら効率よく確実に進化する方法、確立できるのやら」


 おぞましい死に様と亡骸を晒した赤塚を、純子は平然とした顔で観察しながら、独り言を呟いている。


 一方で真は死体にも純子にも目をくれず、床に落としたサブマシンガンとショットガンを拾い、部屋を出ようとする。


「いやー、見事見事、流石は真君。相手がどんな力を持っているか説明しなくても、あっさり見抜いて倒しちゃうんだからー。んー、成長したねえ」


 そんな真に向かって、純子が屈託の無い笑みを満面に浮かべ、嬉しそうに拍手までして称賛する。


「しかし……んー……」


 純子が室内の惨状を見回しながら、渋面になって唸る。


「この研究室がこの有様じゃ、アレの研究はもう当分できないねえ。修理は相当時間かかりそうだし。アレの完成を『妊婦にキチンシンク』の人達も待っているのに……」

 一人でぶつぶつと呟く純子を残して、真は無言で立ち去る。


「そうだ、あの場所を使わせてもらおうっ」

 名案を閃いてポンと手を叩くと純子は、電話を手に取った。


 それが四ヶ月半程前の話。

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