第二章 エピローグ

 目が覚めると、弓男は病院のベッドに寝かされた状態だった。


 胸部がコルセットで固定されていることから、肋骨にヒビが入ったか、あるいは骨折したものと思われる。隣からは聞きなれた声の談笑。見慣れた顔が一つと見覚えのある顔が二つある。

 弓男は即座に自分が置かれた状況を理解した。


「やっと目が覚めたのかよ。どんだけ寝てたと思ってんだ?」


 隣のベッドに寝間着姿で腰かけている鷹彦が声をかける。


「一日も経っていない! アバラ二本骨折だそうだ」


 弓男が問う前に、美香が知りたいことを教えてくれた。


「ゴム弾にしては強すぎだな。撃った僕も驚いた。ああ、今さっきまで雪岡もいたんだが、丁度この病院に破竹の憩いのボスも入院しててな。そいつを玩具にするっていうんで、そいつを連れてさっさと研究所に帰った」


 真がリンゴの皮を剥きながら言う。


「私達が潰すまでもなく、純子ちゃんが破竹の憩いに引導を渡した形でしたか。あはは」


 笑い声をあげた瞬間、弓男は痛みを覚えて顔をしかめる。


「真がうまいこと純子をまるめこんでくれた! 現時点では貴方が実験台にされることはないぞ!」

「それはどうも」


 美香の言葉を聞いて、苦虫を噛み潰したような顔で真に礼を述べる。


「納得いかないって顔だな」

 弓男の方にリンゴを乗せた皿を差し出す真。


 自分を病院送りにした当人がこうしてお見舞いにきて、あげくリンゴを剥いてもらって差し出されるという状況に、弓男は複雑な気分になりながら皿を受け取る。しかも相手は年下の子供というおまけつきだ。


「納得するしかないでしょ、これ。本来なら殺されているのを、どっかの甘ちゃんに打ち負かされたうえで助けられているんですから」


 口ではそう言うものの、腹の中では真逆のことを考えている弓男だった。その助けたことをいつか必ず後悔させてやると。


 確かに今は力が及ばなかった。初めての手痛い敗北と相成った。だが生き延びたからには可能性はまだある。自分の運命を気まぐれに弄ぶ存在など、決して生かしてはおけない。

 己の行動が、己の意志なのか純子の意志なのかもわからない状態で、この先の人生を生きていくなど真っ平御免だ。深く考えなければ幸せなのかもしれないが、弓男には断じて許せなかった。


 だがそんな自分の想いも、真は見抜いていそうだ。きっとそれも承知のうえで助けてくれたのだろう。


「ある意味、君の方がよっぽど純粋で正義感が強いのかもしれませんが、その甘さは危険ですよ? 私の経験上ね、そういう人は早死にします。ええ。現実の正義の味方はね、見えない所でもっとずっと汚いんですよ。まず自分が死なないようにしないといけませんからね」

「甘いと言われるのは心外だが、僕は絶対に誰にも負ける気は無いし、生き延びるつもりだから、たとえ甘いとしても問題無いな」


 無表情で、しかし瞳に確信の光を煌かせて断言する真の言葉を、弓男は頭から否定する気にもなれなかった。その意気こそが、この世界において絶対必要であるということを弓男もわかっている。

 加えてこの少年の並外れた実力を考えたら、現実的にそれも不可能ではない気がしてならない。


「それにさ。雪岡に作られた正義の味方は何十人と見てきたが、あんたや美香はちょっと違うような気がしたからな」

「よかったな! こいつに気に入ってもらえたおかげで助かってよ」


 真の言葉を受けて、鷹彦がからかう。


「はああぁぁ~……鷹彦はどうしてもそっちに繋げたいんですねえ」


 あまりのしつこさに、弓男はわざとらしく深く嘆息する。


「あんたは自分のことを偽善者とか卑下してたけどさ、本当に偽善者だったら、勝ち目の無さそうな戦いなんて挑まないんじゃないか?」


 真のその指摘に、弓男ははっとする。


「呪縛を解くだのと言って、わざわざ危険を冒して雪岡に喧嘩を売る必要なんて無かったしな。人目に付く所で、勝てる戦いだけやって、それで英雄視されていれば済む話だ。なのにあんたは雪岡のことを見過ごせず、わざわざ虎の尾を踏みに行った。偽善者ならそんなことしないだろ。本当の意味で正義の味方だからこそだろ」

「えっとねー、そういうこと正面から堂々と言われましてもね。すっごく照れて言葉に詰まるんですけどね、これ」


 苦笑いを浮かべて目を泳がせる弓男。


 正直言えば、真のその指摘は嬉しかった。確かに彼の言うとおりだ。英雄扱いされてチヤホヤされ、人生の絶頂を維持し続けていたいなら、危険な戦いなど一切挑まない方がいい。

 だがそんな計算など、弓男の中には無い。正確には、弓男の性格上できない。目の前に悪があれば、それが何であろうと退く事がかなわない。全てを失ってでも、立ち向かわずにはいられない。

 今の天野弓男という人間は、そういう風に出来ている。五年間世界中の戦場を渡り歩いて、そうなってしまった。


「しかし不思議ですね。君みたいな真面目ないい子ちゃんが、どうして純子ちゃんとつるんでいるんでしょ? しかもゲームだとか言って、あの子の邪魔をしたり、あるいは守ろうとしたり」


 照れ隠しに強引に話題を変えようとしてそう問いかけた直後、美香の方から物凄く嫌そうなオーラが発せられるのに気がつく。

 それが何を意味しているのか弓男はすぐに察した。鷹彦もわかったようで、笑っている。


「なるほどなるほど、そういうことね」

「そういうことですか。ええ、よくわかりました。うん」

「何がそういうことだ」


 にやつく鷹彦と弓男に、心なしか不機嫌そうな声を発する真。


「でも純子ちゃんの悪事を食い止めようとして、それでどうなるんですか? たとえばうまく妨害できても、あの子は相変わらずマッドサイエンティストのまんまでしょ?」

「諦めて心を入れ替えるまで、何度でも楯突いてやるだけのことだ。そうして調教していくさ。僕はそのためにあいつの側にいるんだ」


 相変わらず抑揚に乏しい声ではあったが、強い決意が宿っているように弓男には聞こえた。想像していた以上の甘さと青臭さではあるが、それを通せるだけの力と強さを、真は持っている。


「君に任せておけばいいのですかね、これ。うまいこと純子ちゃんを改心でもさせてくれれば、私があの子の呪縛を解く努力もしないで済んじゃいますし」

「任せていいよ。あんたらは安心してどこかの国でまた革命に励んでくれ」


 それだけ言い残して、真は病室を後にした。


「美香ちゃんが可哀想だと思う子~?」


 裏返った声と共に手をあげる鷹彦を、美香が凄まじい怒気を孕んだ目で睨み付けた。


「で、実際どうするんだ?」

 美香も帰ったところで、鷹彦が尋ねてきた。


「言った通りですよ。あの子に任せておきましょ。もしまた私が純子ちゃんに狙われるようなら……その時はその時でまた精一杯抗うまでですよ。うん」

「ありゃ? それでいいのかい? お前らしくもない」


 弓男の性格からしたら、全快次第、再び純子を狙うと思っていた鷹彦だった。その方法を尋ねたつもりであったが。


「あの子は私を買ってくれて、私を助けるために尽力してくれましたからね。で、私をこうして打ち負かしたわけですし、だからこのまま真君に任せておくって方がいいかなーって、思ったんです。。もちろん、自分の手でケリをつけたいって気持ちもありますけど」

「敗者がじたばたあがくのは無様ってか」

「加えて、私よりもあの子の方が可能性高そうですしね」


 悔しいが認めざるを得ない。そもそも負けておいて命が助かっていること自体、この世界ではそうそう有り得ない話だし、それでよしとしようと、弓男はこの件の幕を引く事に決めた。


***


 劇的な環境の変化に数日で慣れてしまった自分に、福田は苦笑したい気分であったが、それもできない。


『福田君、新参だからといって遠慮しているんではないかね? ここではもっと自分を出すべきだぞ!』

『は、はあ……』

『坂口のように我ばかり強いのも考え物ですがな』

『貴様……いちいち私を引き合いに出すのは何故だ? あん? この間の功績に嫉妬しているのか!?』


 周囲を取り囲むガラスの容器の中の脳味噌が、今日も人口音声で口々にやかましく喚いている。何かあるとすぐ互いに罵りあう我の強い連中に、さしもの福田も来たばかりの時は辟易としていたが、それも次第に慣れてきた。


(私も我が強い方だが、この三人は私どころじゃなく我の塊だ……)


 そう思い、中途半端に我を出すのが何となく怖い副田であった。


「やっほー、教授かける四人、午後のティータイムにしよっかー」


 扉が開いて、純子と真、初めて目にする和服姿の金髪翠眼の少年、さらに福田には馴染みのある人物が部屋に入ってくる。


『えっ? ボス……』


 思わず呟く福田。

 ティーカップを乗せたお盆を手に入ってきたその人物は、破竹の憩いの元ボス、蔵大輔だった。その表情は非常に暗く沈んでいる。


「あ、蔵さん、こっちが福田さんね」

 中央の容器に浮かぶ脳を指す純子。


「ひどい姿だな……。私も他人のことは言えないが」

『む? 何じゃこの無礼者はっ』

『新参のくせに生意気なっ』

『我等は肉体の不要部分を捨てた超越者よ。凡夫には理解できんだろうがな』


 蔵の言葉を受けて、憤慨したり勝ち誇ったりする脳だけのマッドサイエンティスト達。


「それじゃ蔵さん、おねがーい」

「承知した」


 恭しく一礼すると、蔵はミネラルウォーターを取り出し、それを一気に飲み干す。さらに口の中にお茶の葉を放り込んだかと思うと……


「ふんぬおおおおぉおおぉおおおおぉぉっ!」


 前かがみになって踏ん張り、力を込めて唸り声を上げる。文字通り顔が真っ赤になり、口、鼻、耳から、凄い勢いで白い湯気が噴出する。


 一分ほどして、蔵はティーカップを三つ手に取り、


「うげぇえぉぉおぉおおおぉおえぇえうえぅぇうぇっ」


 ティーカップめがけて腹の中から沸騰した液体を吐き出す。


「どうぞ」

「ありがとさままま」


 蔵から差し出されたティーカップを笑顔で受け取り、美味しそうに茶を飲む純子。


「どうぞ」

「おい……何だ、これは?」


 蔵から差し出された茶を受けとろうとはせず、純子の方を向いて、いつもの無表情ではなく、明らかに憮然とした顔で問う真。

 蔵は小さく息を吐き、残った金髪の少年にティーカップを渡した。


「何って、見ての通り人間ティーポットだよー。蔵さん、自殺するっていうから、私の研究に付き合ってもらったんだー。で、見事成功したから、うちで雇ったのー」

『人間を茶沸かし器化するとは、流石は雪岡君! その非凡なる発想には敬服する!』

『ふーむ、わしらも負けておれんな』

『ほっほっほっ、何とも風流な。どれ、一杯いただこうかのぉ』


 口々に絶賛する脳だけのマッドサイエンティスト達に、福田は不安を覚えていた。ここでは純子のやることは、全て褒めないといけないというお約束でもあるのだろうかと。それともここにいれば、思考回路自体が自然とそういう風になってしまうのかと。いずれにせよ怖い。


「はあ……。私はこれからここで、一生この仕事しながら生きるのか……」

「割り切れば楽な仕事なんじゃないか?」


 深い溜息をつく蔵に、真がどうでもよさそうに言う。


「んー、他所で働きたいなら、それも仕方ないと思うし、無理強いはしないよー? その力を活かす方法もあると思うしさー。私は人類の未知なる可能性を引き出すために、いろんな研究を――人体実験を繰り返しているわけだけれど、私が人体改造し終えた後に、引き出された力を更に進化できるかどうかは、本人次第だしねー。だから蔵さんがその力を活かして伸ばしていくのなら、ここにいる必要もないし、私も応援するよー」

「どう活かせというんだ。一発芸にしかならないだろう。それで売り出せと?」


 テレビ番組に、人間茶沸かし器として出演している己のヴィジョンが、一瞬見えてしまう蔵。


『それはそうと、どうして雪岡君は実験台の能力を開花させた後、正義の味方になるように仕向けるのかね?』


 福田が疑問をぶつけた。


「単純にそうした方が、より進化させやすいからだよ。でも実験台になってもらった子全員に、正義の味方を薦めているわけじゃないよ。怪人向きの子は怪人にするし。正義のヒーロー向きか怪人向きか、私には一目でわかっちゃうんだよねー。単純な善人悪人とかの問題だけじゃなくてさ。まあ、変身スーツとか拒否する人が多くてねえ、結局は美香ちゃんや弓男君みたいな、お助け稼業に落ちついちゃうことも多いんだけど」

「怪人向きと判断されたら運のつきだな。で、そこの彼は?」


 蔵が真に視線を向ける。専属の殺し屋とするからには、相当な力を与えたお気に入りなのであろうとは思うが、正義のヒーローという風にも見えない。また、真の方でも純子の行いを快く思っていない発言が時折見受けられ、疑問だった。


「僕は雪岡の実験台にはなっていない。超常の力とか、肉体改造とかはいらないと言ってある。純粋に磨いた力と技だけだ。それにこいつに仕える立場にいれば、より力が磨けそうだしな」

「というのが建前で、本音は私を側で守りたいからなん痛だだだだ」

「鍛錬のためというのも本音だ」


 無表情のまま、純子の鼻を正面からねじってつまみあげる真。


「それと――こいつの目的は人類の進化だそうだが、改造なんかして無理矢理に進化しなくても、努力で成長する分でも強くなれるってのを、こいつに証明したい。そうすればこいつもそのうち改心するだろう」


(本気で言っているのか?)


 真の言葉を聞いて、その場にいる純子以外の誰もがそう思ったが、一瞬、冗談か皮肉かと聞こえたが、真は決意に漲る視線で純子を見つめている。


「私も楽しみなんだー。私が示す以外の道で、君がその結果を出す時が来るのが」


 心底嬉しそうといった感じの笑顔で真をじっと見つめる純子。そんな純子と真の様子を見て、研究所に来て日の浅い蔵と福田は、両者の想いを少し垣間見た気がした。


第二章 正義の味方と遊ぼう 終

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